憤怒 - Ⅷ
一体、何を間違えた―――?
あの子の心のコントロールは完璧だったはずだ。
私が用意した人間、私が用意した舞台、私が用意した出来事。
全て、あの子に関わる全てはコントロールしてきたはずだ。
でなければ、『奇跡』は簡単に暴走する。
小さな子どもの頃の時、あの子が奇跡で喧嘩した子どもに怪我をさせた時に、私はそれを思い知った。
『奇跡』などと銘打ってはいるが、これは聖なる神の力などではない。
そうでなければ、どうして教会の不正や悪徳に『隠蔽』をかける時でも、信者への『治癒』と同じ効力を発揮する?
でなければ、なぜ『退魔』の概念を持った銀が、聖なるはずの奇跡すら拒絶する?
つまり、この力はあくまで、あの子の心に沿って発動するもの。単純で善悪の区別すらない力の塊。
そこまで気づけば、おのずと『魔王』の真実すら簡単に推察することができた。
いずれ必ず現れると言う割に、何時なのかや魔王の正体に至るまで、詳細に残っている文献は一つもない。出所も謎で、具体性に欠けるにもかかわらず、現れることだけは分かっている意味不明の災禍。
そうまでして隠さなければならなかった、教会の汚点。
つまり『魔王』とは、『聖女』が引き起こした暴走の呼び名に過ぎず。
だからこそ、そうならないよう、この子の心は誰よりも強く、洗練され、無駄のない物であらねばならなかった。
欲に溺れ、その奇跡を闇雲に使うものであってはならなかった。
だから全て、この子に関わる全てを教会の手で、制限しなければならなかった。
暴食に溺れてはいけません。
怠惰に染まってはいけません。
嫉妬に狂ってはいけません。
傲慢に思い上がってはいけません。
色欲に耽ってはいけません。
強欲に呑まれてはいけません。
憤怒に囚われることなど、決してあってはならないのです。
でなければ世界は―――。
そう想って今日に至るまでの全てを費やしてきた。
何処にも間違いなどなかったはずだ。
一分の隙だって許されなかった、その一分の隙で失われるのは幾千万の命なのだから。だから一分の隙も無く、この子の心を掌握し続けてきたはずだ。
なのに―――なぜ――――――?
何を間違えていたというの?
「ううん、シスターあなたはきっと何も間違えてなどいませんでした」
「世界のため、幾万、幾億の無辜の人々のために、あなたが選んだことはきっと間違いではなかったと想います」
「でも、私はあなたの元では幸せにはなれなかった」
「あなたの用意してくれた幸せは、私が欲しかった幸せとは少し形が違っていたから」
「ごめんなさい、役割を全うできなくて」
「それでも、私は、私の幸せのために生きていくことにしました」
「私は私の大事なもののために、生きてみることにしました」
「だから、あなたがしたことを、私は許すことができません」
「私の大事な人を傷つけて、何より私自身を傷つけたあなたを許せない」
「だから、さようなら」
「でも安心してください。もう『
※
礼拝堂を出た先の廊下で、程なくして、ボロボロになったシスターと出くわした。
少しだけ不思議な気分だ。
だって、彼女を前にしたら、もっと怒りがこみあげてくるって想ってた。
あやかを傷つけたこと、るいやえるを傷つけたこと、私たちの関係を壊そうとしたこと、そして私自身を傷つけたこと。
到底許すことはできないし、受け入れることも当然できない。
でも同時に、私はこの人の心を知っている。
この人がどれほど悪辣に物事を行っても、それは全て教会と世界のために行われていたことを。そこに『嘘』も『欺瞞』も何一つなかったことを。
そして、どれほど歪んでいたとしてもそこに確かに私への愛があったこと。子どものころからの十年間、ほとんど親のように接してくれていたこと。
世界の行く末を憂い、聖女の真実に気づき、本当に魔王から無辜の民を救おうとしていたこと。
その全てを知っているから、恨む気持ちも、憎む気持ちもあるけれど、そこにあった愛が本当なこともわかってる。
でも、だからこそ、私は、この人の隣にはいられない。
この人の描く幸せと、私の想う幸せは致命的に違うから。
この人の元で、私は決して幸せにはなれないから。
たとえそこにどれほどの愛があっても。
私の居場所はここじゃない。
だから、ごめんなさい。
だから、さようなら。
るいとえるから貰った『翼』、そして私の『奇跡』の残量のほぼ全てを一点に、手のひらに集約する。
光の帯のような、『何か』が私の手にそっと握られた。
その場にいた誰もが、固唾を飲んで私がすることを見守っていた。
これで、本当に最後だ。
ちょっと、緊張する。
ふうと軽く息を吐いて、眼を閉じたらすっと空いた手に優しい感触が触れていた。
暖かくて、柔らかくて、ふっと振り向くと、隣で手を握ってくれているあやかと目が合った。
それから、二人で小さく笑い合って。
そうしてゆっくり、その光の帯を、横薙ぎに振り払った。
『聖女』に『 』を。
そう、最後の聖句を呟いて。
一瞬、細い弦をはじいたような音がして。
やがて振り払った光の帯は、小さな欠片に変わって宙へと消えていった。
それを静かに見届けて。
それからゆっくりとシスターに頭を下げた。
「長い間、お世話になりました。――――さようなら」
そう告げて歩き出す私のことを、シスターはただ茫然と見つめていた。
きっと、その瞳の中にもう『私』はほとんど映っていないだろうことを知ったまま。
彼女を置いて、私はゆっくりと歩き出した。
※
「何……したの? みやび……ってうわ?! 髪真っ黒だよ!?」
「うん、もうほとんど『奇跡』使いきっちゃったから」
「『隠蔽』も解けてるし、とんでもないことするね……」
「……理論上は可能……でも信じられない」
「なにしたの……?」
「別に、大したことしてないよ。『
「……………………え?」
「……いやまじで、とんでもない。これで救国の乙女も、竜殺しの英雄も、みんな肩書失くなっちゃったよ」
「え、……すると、どうなるの?」
「うーん、多分、私のことを『
「………………おおう? あれ、私らがみやびのことちゃんと見えてるのは?」
「……みやびのことを『聖女』じゃなくて、ちゃんと『みやび』として見ていたら、普通に認識できるんだと想う。……概念の消失なんて前例がなさすぎて、確証はないけれど」
「わ……わーお」
「証拠にほら、さっきからそこそこ人とすれ違うけど、誰も私のこと見てこないでしょ?」
「………………」
「この場所で求められてたのはずっと『私』じゃあ、なかったから」
そう、結局、ここで求められていたのは『
望まれていたこと、期待されていたこと、課せられていたこと。
その全てが、私をみていたようで、私の中の『奇跡』に向けられていたから。
私の幸せを想ってくれていた人なんて、この場所には……なんて思うと胸が少しだけ――――。
「――――『みやび』さま!!」
……………………。
「『みやび』さま!! 待って!!」
…………………………。
「どこくいの!? なんでみんな、みやびさまのこと無視するの?! いなくなっちゃうの!? お歌もう聞けないの?! かゆいの治して貰えないの!? なんで? ねるのこと嫌いになっちゃった?? いやだ、いやだよ!! みやびさま!!」
……振り返った先にいたのは、今日、私のお付きとしてあてがわれていた女の子。
名前は確か、ねるちゃんだっけ……。
そっか、この子は『私』のことを…………。
「…………――――」
声が震える。どうしよう、なんて返したらいいんだろう。
この子にどう伝えたらいい。
だって、お歌はもう歌えないの。
かゆいのも、もう治してあげられないの。
だって私はもう『
「みやびはね」
「ほんとはさ、ここでいっぱい辛い想いをしてたんだ」
「友達ができたのに、教会のために友達と会えなくなったり」
「ほんとはやりたくないことも、役目だからってやらなくちゃいけなかったり」
「でもね、みやびもほんとはただの女の子だからさ、ねるちゃんと同じだったんだよ」
「ほんとはいっぱい遊びたくて」
「ほんとはいっぱい友達とお出かけしたくて」
「ほんとはね、なりたいもの一杯あると想うんだ、ねるちゃんがなりたいものがあるのと同じみたいに」
「でもね、ここにいたら、みやびはなりたい自分になれないから」
「だからね、長い長い、お出かけをするんだ」
「ちゃんとみやびがなりたい自分になれるように、本当にしたいことができるように」
「だから、ごめんね。寂しいけど、できたら応援してあげて」
「諦めないで、頑張ってねって」
「そしたら、きっとみやびも、ねるちゃんのことずっと応援してくれるから」
雫が零れてく。
上手く何も喋れない。
「…………みやびさま、ほんとはお出かけしたかったの?」
小さな子どもに泣きつくみたいに、ねるちゃんの肩をぎゅっと抱きしめた。
「………………お友達と遊びたかったの?」
零れた嗚咽が応えになっているかすらわからない。
「………………私とおんなじ?」
何も言葉にできないのに。
「………………そっか。そうだったんだ」
それなのに。
「…………わかった、私もう泣かないよ。」
どうして。
「あのね、私ね、これからはアトピーかゆくても我慢する、お薬もちゃんと塗る、お歌もいっぱい練習するし、あと、あといじめられてもへこたれないから。いっぱいいっぱい頑張るし、絶対絶対あきらめないから」
みんな。
「だから、みやびさまも頑張ってね、諦めないでね。ずっとずっと応援してる。だからみやびさまもねるのこと応援してね」
こんなに。
「あといっぱいいっぱい遊んできてね! 知ってる? みやびさま、お友達と一緒にあそぶと楽しいんだよ! ほんとにほんとに楽しいんだよ。独りじゃないってすっごすっごいことなんだよ、そしたら、そしたら――――」
私のことを―――。
「そしたらね、きっとみやびさまも、悲しくないよ。だから泣かないで―――」
想って―――。
「ほんとはね、ねるもみやびさまのお友達にずっとなりたかったよ。だからね、今度、どこかで会えたらね―――一緒に、一緒に遊んでくれる?」
――――想ってくれてるんだろう。
「うん、じゃあまたね! いってらっしゃい! いってらっしゃい!!」
涙に濡れて、前も見えないまま、小さな少女に手を振った。
「頑張ってね、諦めないでね!! ちゃんと! ちゃんと幸せになってね!!」
泣きながら手を振って、彼女に別れを告げてる最中。
ふと人ごみの中に眼が行った、その先で。
決して多くはないけれど、何人かの人たちが。
ゆっくりと小さく、私に手を振っていた。
私は何も言えないまま。
人ごみを抜けてその時に最後にもう一度だけ、振り返って、大きく大きく手を振った。
決して多くはなかったけれど、『私』という一人の人間を見てくれていた誰かに向けて。
さよなら、と、それから。
いってきます、を。
大きく手を振って、あらんかぎりの声を出して。
最後のお別れを告げたんだ。
これは世界に『聖女』なんて言葉が、まだ残っていた最後の日。
まだ夏休みも始まったばかりの頃。
蝉が鳴いて、まっさらな青空がどこまでも広がっている、そんな頃。
たくさんの人に背中を押されて、『私』の人生がようやく始まった頃のことだった。
※
「で、どうやって帰んだ私達」
「……るい、自転車は?」
「あー、一応ぎり原型残ってるけど、四人乗りは無理じゃない? 誰か財布持ってないの?」
「私は身ぐるみ剝がされて携帯すらないんだぜ!」
「私も何にも持って来てなーい」
「あれ、やべ、詰んでる? いや
「あ、私、お父さんに連絡すれば迎えに来てもらえるかも」
「じゃ、あやかお願い。しかしあつーい、迎え来る前に熱中症でダウンしそうなんだけど。みやび適当な『奇跡』でなんとかできない?」
「私もう『治癒』以外ほぼ使えない、ほとんど使いきっちゃったもん。そういうえるとるいは?」
「お陰様で、すっからかん。ちょっとした『加速』すら使えないや」
「…………私も。『奇跡』を使った先物取引で生計を立ててたから、今後がちょっと心配かも」
「あんたらそんなことしてたのね……てか、もうこのまま適当な交番に行って保護してもらうほうが早くない?」
「血だらけ穴あきマンと、おしっこ漏らしマンがいるこの状況で警察いって、事情説明する勇気ある? 『隠蔽』もう使えないでしょうが」
「残念、るいちゃん! 私はそろそろ渇いてきたぜ!」
「…………どうせみんな汗でぐちょぐちょだから、あやかのおしっこも、みやびの血も大して違いはない。……ところでみやび、どうして二人いるの?」
「ちょっと、幻覚みえてきてる子いるんだけど」
「いそげー、るいちゃんー、近場のコンビニへー」
「四人乗ってんのに無茶言うな、ていうかあやかはわかってて身体押し付けてるでしょ」
「ふふふ、尊厳なんて……みんなでなくせば怖くないんだぜ……」
「…………あやかも大分、意識が危険」
「まったく、あやかは尊厳がどうとかいうなら、ノーパンの方を気にしたら?」
「ははは……確かにー……、あれ? みやびなんで私がパンツ履いてないの知ってんの?」
「……………………」
「える、みやびの持ち物チェック」
「…………任せて」
「ちょっとえる! いまそこで触んないで、ちょ、くすぐった……」
「……発見。あやかのおもらしパンツ」
「こら、返せ!!」
「みやび!? それ私のセリフだからね!? てかあのシリアスシーンのどこで回収してたん?!」
「あまりにも手際が早すぎたんだな……」
「……私たちでも見逃しちゃったね」
「こらー! みやびー!! 返しなさーい!!」
「一回捨てたもんなんだから別にいいでしょーー!!」
「あやかー、荷台で暴れんなー。みやびー、おもらしパンツ振り回すなー」
「………………はあ、あんなに色々あったのに、あっという間に、いつも通り」
「まあ、それを目指してきたわけだから、いいんじゃない?」
「…………それは、そうかも」
「かーえーせー!!」
「ぜーったい、いやーーー!! あはははは!」
夏の頃、人里離れた山道を、無理矢理四人で乗った自転車がえっちらおっちら進んでいく。
その小さな車体に、姦しく騒ぐ私たちを乗せたまま。
えらく大騒ぎをしている割に、誰も彼もがその顔には笑顔が零れて。気付けば滲んでいたはずの涙も、笑い声に変わってて。
ただありふれて、何の気兼ねもないやりとりを、心の底から楽しんでいた。
夏もまだ始まったばかりのそんな頃。
ここから、私達の夏休みがようやくはじまった、そんな頃のことだった。
◆数話エピローグを挟んで完結予定です。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます