エピローグ 一 後片付けと少し遅めの朝ごはん

 目を覚ますとそこは見知らぬ家の小さなリビングだった。


 窓は開いていて、青い空から燦燦と光が零れ落ちている。


 音もなくとても静かで、時折エアコンの音や冷蔵庫の音が響いているくらい。


 どこだろう……ここは。


 そもそも、あの後どうなったんだっけ。


 そう想って身体を動かした瞬間に、ビキッっと身体中に痛みが走る。


 筋肉痛をもっと酷くしたような、身体の血肉の大半を削ぎ落したような、虚脱感とふらつく痛み。


 いった……、なんで……ってまあ、あれのせいか。


 あの時使った、大量の『奇跡』の反動。


 あやかを蘇生させるときにでさえ、血を吐くような痛みがあったんだ。これくらいあって当然、むしろ出した出力を考えれば随分ましにさえ想えてくる。るいとえるの『翼』が想ってた以上に、私の負担を軽減してくれていたのかもしれない、あれがなきゃもっと酷かったかな。


 しばらく痛みに呻いてから、ようやく少し慣れてきて、ゆっくりと身体を起こす。


 周囲を見回しても人影の一つもない、ここはいったいどこなんだろうと寝かされていたソファから足を乗り出す。すると私の脇でううと何か呻くような音がした。


 ふとそちらを見つめてみれば、私の隣で、私の身体に顔をうずめる様にして、あやかが眠りこけていた。涎が垂れて、私の汚れた礼服を少し濡らしている。


 ふふ、おまぬけな顔だね。軽く笑って少しその頬をつんつんつついて遊んでいたら、寝息が段々むずむずとしたものに変わっていく。


 君がこうして寝ていると言うことは、今ここは、そう危険な場所でもないんだろう。


 静かで、穏やかで、安全な場所。


 眠る君のおでこに自分の額を合わせるようにそっと頭を寄せて、少しすりすりと擦り合わせる。暖かくて、どこかさらさらとした心地いい感覚が、私の胸を落ち着かせて―――。


 「おや、起きたかい?」


 あやかごと、思いっきり身体が跳ねた。


 思わずばっと身体を起こして振り返ると、そこにいたのはどこか優し気な……全く知らない、なのにどこか見たことのある壮年の男の人。え……と思わず声を漏らしていると、私の身体を枕にしていたあやかがもぞもぞ顔を起こし始めた。


 少しのくすぐったさを感じながらあやかを見ると、君は軽く欠伸をしながら、私と男の人をしばらく寝ぼけ眼で見比べてくる。それからびっと突然、手のひらを上にあげると何か高らかに宣言するように欠伸と一緒に声を上げた。


 「おなか減ったぜ、おとーさん」


 「りょーかい、すぐできるよ」


 そんな二人のやり取りを聞いて、私はようやくここがどこかに思い至る。


 そっかここはあやかの家だ。総本山から抜け出した後、結局私たちはあやかのお父さんに車で迎えに来てもらって、そのまま全員車の中で寝てしまったんだった。


 それで多分、そのままあやかの家で寝かされていたんだろう。窓の外の景色的に、もう日もまたいで寝ていたのだろうか。


 「むにゃむにゃ、ていうかもう朝か……」


 「死んでるのかって想うくらいぐっすり寝てたよ。ただ、起こすのも憚られたから服はそのままなんだ。色々汚れてるから、準備してる間に二人ともシャワーでも浴びて着替えておいで」


 「うーい、みやびは……とりあえず私の服でいい?」


 「う……うん」


 言われて改めて、自分たちがボロボロに汚れた礼服とシスター服を着ていることに思い至った。あ、ていうかそのせいで少しソファを汚してしまってる。後で拭かないとって想っていたら、あやかにすっと手を取られてさっさと浴室まで連れていかれた。


 小さな家の、小さな脱衣所と、小さなお風呂場。


 あやかは何の躊躇いもなく、あっというまに裸になると鼻歌を唄いながら、脱衣所に入っていった。


 私は正直、少し躊躇ったけれど、そういうことを言うタイミングでもなさそうなので、一緒になって服をそのまま脱いでお風呂場に入っていった。


 風呂場に入れば当たり前なんだけど、あやかは裸で私も裸。


 胸もお尻も大事なとこも、全部丸見えなんだけど、あやかはさっぱり気にした風もない。いや水泳の授業の着替えの時とか、まったく見てないわけではないんだけどさ。


 あの時だってちらちら見てしまう自分に罪悪感が凄かったのに、こうも当然のように晒されると、寝ぼけ気味だったのにあっというまに意識が冴えてしまう。


 この子、私に性的な目で見られてるって自覚、ほんとにあるんだろうか。


 「どしたの? みやびさっさと身体洗っちゃおうぜ、もー、全身汗と色々でべたべただー」


 だけど当のあやかは、何を気にした風もなく風呂場の入り口で少し足を止めていた私に全部全開でそう誘ってくる。うん、絶対ないね、自覚。今はさすがにしないけど、今度思いっきり思い知らせてやろう。


 なんて決意をこっそりしながら、君と一緒に裸になって狭い密室で、二人、シャワーを浴びた。


 君のふんわりと膨れた胸と、小さく窺える大事なところにあまり視線を向けないように必死に努力をしながらだけど。


 むき出しの肩が少し触れあうくらいの距離で、二人でそれぞれ身体に泡をつけて流していく。


 昨日から溜まった汚れとか汗とか血とか全部、全部流し落として、まっさらに身体を洗っていく。


 そうしていると詰まっていた息と、身体を縛っていたこわばりが少しずつ解けていく。


 もう、安心して大丈夫。もう、危険なこともない。


 ただそれを意識するだけで、少しだけ眼元から雫が零れた。


 ああ、そっか。


 もう全部終わったんだ、終わらせたんだ。


 私を縛っていた何もかも、全部、全部。


 改めて自覚して、少しそのまま目を閉じながら雫をこぼしていたら、目敏い君は私のことを優しい笑顔でみつめるとぽんぽんと頭を撫でてきた。


 暖かいお湯になぞられて、君に頭を撫でられて、生まれたままの姿で少しだけ涙を流す。


 心の澱みも、痛みも、何もかも、全部全部、お湯に溶けて流されていくみたいに。


 君の手に絆されるまま、私の中の黒く淀んだものをただひたすらに、溶かし出していた。


 そっか、もう全部終わったんだね、何もかも。


 そんなことを流れるお湯の音を聴きながら、ただ少し目を閉じて感じていた。








 ※





 時計が朝の十一時を回るころ。


 お風呂を出て、あやかからティーシャツとジャージを借りて、そのまま二人で髪を乾かした。お風呂から出た直後の脱力感と、お湯で火照った身体を涼しい風で労わりながら、お互いの髪にドライヤーを当てあった。


 それが終わってリビングに着くころには、二人分の食事が綺麗に机に並べられていた。その奥であやかのお父さんは、私達に軽く微笑んで、何か書類を眺めながら、ゆっくりとコーヒーを飲んでいた。


 「話のあらましはね、あの二人が教えてくれたよ」


 あやかのお父さんはそう言いながら、そっと話をし始めた。


 食べた方がいいのか、聞いた方がいいのか少し迷っていたけれど、隣のあやかは何の気にもせずにご飯を食べ始めていたので、私もおずおずと食事に手を伸ばす。


 食パンにバターとはちみつと。


 ちぎったレタスに、プチトマト。


 塩コショウだけのシンプルなスクランブルエッグ。


 あとはセルフサービスでアイスコーヒーかアイスティー。ミルクと砂糖はご自由にとのことだった。


 優しくて美味しくて、身体がゆっくりと喜んでいる感じがする。


 そういえば、私たち昨日、ほとんど何も食べもせずに倒れるように寝てしまったんだった。


 エネルギーも水分も、枯渇していた身体に、びっくりするくらいに染みわたる。


 レタスってこんなにおいしかったっけって、想ってしまくらい、食べた時に口の中に広がる水分さえ美味しく感じる。


 そんなだからしばらくあやかと一緒に必死に食べてしまったけれど、数分してお父さんが何か言い出していたことにはっと気が付く。


 慌てて顔をあげてみたら、あやかのお父さんはどこか押し殺したように笑いながら、私たちを見ていた。ちなみにあやかは何にも気にせずにもぐもぐとご飯をかきいれて、カフェオレを栄養ドリンクみたいな勢いで飲み下していた。


 「えーとすいません。つい夢中になっちゃって、おいしくて……」


 「いいよ、作った甲斐がある。あやかが美味しそうに食べるのはいつも通りだけどね」


 「ぷふぁー、カフェオレ染みる―――!」


 そう言って勢いよくマグカップをあやかを見て、お父さんと目が合って、二人して笑ってしまった。そんな私たちをあやかは不思議そうに首を傾げて窺っている。


 「で、ごめん、なんだっけ。るいちゃんとえるちゃんの話か」


 「そ、あらましは二人が教えてくれたよ。やることがあるからって、二人より先に起きて朝方もう帰っちゃったけどね」


 「そうですか……。またお礼いっとかないと……」


 あの二人には、本当に長い間お世話になってしまったし、迷惑も一杯かけた。これからちょっとでもその恩返しができたらいいのだけれど。


 そう思考する私をよそにあやかは何の気なしに首を傾げる。


 「ふーん、どこまで聞いたの?」


 「んー、あやかがここ一か月怪我をして帰ってこなかった理由と、その世話をしてくれていたみやびさんのこと。あとその子が抱えてた家庭環境とか……かな。正直、全部信じられた自信はないけど」


 多分、細かくて説明がしづらいところは省いているのだと思う。るいもえるも、もう認識操作は使えないから、都合のいいように誤魔化すことはできなくなってる。それでも出来る限りの説明はしてくれていると信じたい。


 ただ『治癒』に関しては、あまり半端にごまかすのもよくない気がした。


 だから―――。


 「あやか、手、出して」


 「ん? ほい」


 そう言って君の手を取って、昨日、完全には治し損ねたあやかの人差し指についた切り傷をそっと撫でた。


 ぼうっと淡い光が手に灯って、それと同時にあやかの切り傷がゆっくりと塞がっていく。やっぱり少し出力は落ちてるかな、最後の奇跡を使う時、『治癒』くらいは使えるように調整したけど。完全に残すまではいたらなかった。


 でも、まあ日常の怪我を治す程度なら、これで充分。


 「…………驚いた。話には聞いてたけれど、ホントにあるもんだね」


 案の定というか、お父さんは少し目を丸くして、言葉通り驚いた表情をしていた。


 ただ少しすると、軽く息を吐いて調子を戻すと、ゆっくりと一つ一つ確かめるみたいに口を開いた。


 私はそれに居住まいをただして、同じようにゆっくりとあやかのお父さんに向き合う。


 教会の中では、そういうものとして扱われていたけれど、根本的に私は異常の存在だ。


 気味悪がられるのも、否定されるのも、疎まれるのも孤児院でとっくに慣れている。


 それでも引いたり、縮こまっているわけにもいかない。


 確かに幸せになるって、ねるちゃんやあの時見送ってくれた人たちと約束したんだから。


 「明星みやびさん……でよかったかな」


 「はい」


 「君がずっと、この一か月あやかが怪我をするたびに、治してくれてたんだって聞いたよ」


 「……はい」


 「そして、君が元はある宗教の信仰対象のようなものだったこと、そしてそこを抜け出してきたこと、そしてその場所にはもう戻れないとも、あの子たちは言っていた。合ってるかな?」


 「…………はい、その通りです」


 言葉を紡ぎながら少しだけ緊張する。


 そもそもあやかは宗教で人生が滅茶苦茶になっている。本人が明るくてそういう部分を見せないけど、お父さんからしてみれば私はとんでもない危険分子だ。


 だってあやかは宗教の儀式だと言って性的な暴行を受けて、それが原因でこの家庭は離婚まで起こってしまっている。


 そんなお父さんからしてみれば、私は多分、それだけで信じがたくて受け入れがたい物だろう。


 嫌悪される覚悟も出来てる。否定される覚悟も出来てる。


 それでも騙すようなこともしない。正面から堂々と。


 あやかのそばにいることを認めてもらわないと。


 私は私に害がないこと、あやかを脅かさないことを証明して、あやかのそばに居続けなきゃいけないから。


 「…………そうか」


 「その……お父さんの疑念は、最もだと思います。あやかから、ここの家庭が、宗教のせいで滅茶苦茶になったのも聞きました。私のことなんて信じられなくて当然だと思います」


 「…………みやび?」


 息が少しだけ熱くなる。身体に力はこもっていないけれど、確かな意思と緊張が私の身体を満たしてく。


 お父さんはじっと落ち着いた瞳で、私のことを真っすぐ見ていた。


 「………………ふむ」


 「だから、すぐに信じていただかなくて構いません。ずっと疑って見定めていただいて結構です。私はそれを裏切らないよう尽力し続けます。きっとどれだけ言葉を加重ねても辛い想いでは消えないから。あやかのことを絶対に傷つけないって、もう酷い目には絶対にあわさないって誓います。もう神に捧げた身ではないけれど、私の人生を賭けて誓います」


 「……………………みやび」


 ふぅ、と小さく息を吐いた。緊張する、それでもまっすぐ相手を見て、私の意思を伝える。




「私は—――あやかのことを愛しています」




 ゆっくりと言葉を紡ぐ。


 じっと身体の奥が少しだけ震えるのを感じながら。


 お父さんは静かで落ち着いた瞳のまま、私を見ていた。


 「…………黙っていることもできたと想うけど、どうして伝えてくれたんだい?」


 「……それは不誠実だと感じました。不安の種が何食わぬ顔で隣にいて、裏で家族に迫っているなんて、私なら許せません。でも私も想いを曲げられません。だから言いました」


 「……なるほど、それが君の結論なんだね。僕にとって君が疑惑の対象であり、それでも君は自分の恋心に素直でいたいと、だからその心の内を明かしてくれた」


 「…………はい」


 緊張する、息がカラカラになる。口の中がすっかり渇いて張り付いてしまいそうだ。


 人生を賭けた宣言ってこういうものなのかって、思わず震えそうになる心を必死に叩き上げて前を向く。教会で何千の人の前で奇跡を行使するときより、何より今の方が緊張する。


 ただ、そんな私に、あやかのお父さんは優しく笑みを浮かべると、ゆっくりと一つ指を立てた。


 「二つ誤解を解いておこう」


 「…………誤解、ですか?」


 私の言葉に、お父さんはゆっくり頷いた。


 「まず君は、僕が君を疑っていると言ったね。僕とあやかが宗教絡みで辛い過去があるから自分は疑われて当然だと」


 「…………はい」


 そして私の目の前で、お父さんは優しくとても穏やかに笑みを浮かべた。その笑顔が何よりあやかにそっくりだった。


 「僕は、今日君に出会ってから君を疑ったことは一度もないよ。二人の友達がしてくれた荒唐無稽の話でさえ、内心驚きこそすれ、疑いはしなかった。ああ、そういうこともあるのかってね」


 「それくらい、あやかが毎日、不運の怪我もなしに帰ってくるということのほうが、僕にとっては不思議なことだった。奇跡の一つくらい出てきてもまあ、違和感はないかな、そういうのは散々否定してきた身なんだけれど。いざ目の前で実物を出されたら、さすがにもう納得するしかない」


 お父さんの声はよどみなく、まっすぐに私を見つめてくる。


 「それとね、何より君と出会ってから、あやかはすごく楽しそうだ。傷がなくなったのもあるだろうけれど、それを差し引いても、この一か月はあやかは随分幸せそうだった。君の話も何度も聞いた。それこそ辛いことがあって、傷も癒えないはずなのにそんなこと忘れてしまいそうになるくらい、この一か月私たち家族はとても幸せだったんだよ、そしてそれは君が守ってくれたものだった。これだけで、僕としては君を疑うなんてことはもうできない」


 もしかしたら、私は必要以上に自分が否定されることに怯えていたんだろうか。


 「そして君は、隠しておいてなんら責められることのない想いを、まっすぐ勇気を出して伝えてくれた。その告白がどれだけ覚悟が必要だったかは、完全には想像はしてあげられないけど。それがとても勇気の必要だったことくらいはわかる。それを踏み越えて君は言葉にしてくれた。神になんか誓わなくても、僕は君を信じるし。君を信じたあやかの眼を信じてるよ」


 そう言って彼は優しく笑った。


 「僕は君を疑ってない、むしろ初対面でこんなに信じられた人はいない。よろこんであやかのことは任せるよ。本当にありがとう」


 そう言ってお父さんは少しおかしそうに、指の二つ目をそっと出した。


 「そして誤解の二つ目は―――」


 それからまだ少し戸惑っている私に向けて、軽く笑みを作ってから、ゆっくりととなりのあやかに目を向けた。


 「実は私がしたかったのは、君がこれから我が家に住まないかっていう話であって、君とあやかの関係を問いただしたかったわけじゃないんだけれど…………」


 え。


 「今はあやかがそれどころじゃないかもね……」


 そう言って、お父さんが笑っている姿を見て、私はハッとなって隣を見ると、そこには真っ赤になってゆでだこみたいになったあやかがいた。


 あ、あれ、っていうことは、私は特に何の脈絡もなく愛の告白をしただけのやつになってる?


 あんなすっごい真面目顔で、人生賭けて誓うとか言っちゃって……?


 …………ちょっと恥ずかしいけれど、どうやらあやかは私程度の恥ずかしさではすんでなかったらしい。


 「む……むぎゅ……あぎゅ……うぎゅ」


 「あ、あやか、ごめん。私勘違いしちゃって、てっきり、あやかとのこと色々言われるって想っちゃって……」


 そう言い訳をしてみるけれど、ゆでだこはさっぱり解消しない。そんななのに、お父さんは少し面白がったように笑うばかり。


 「あ、よくよく考えたら、あれをやり損ねたねえ……『うちの娘はお前にはやらん!』ってやつ、まさか相手が女の子とは想ってなかったけれど」


 「お父さんも途中で気づいたんなら止めてよね――――!!」


 「あ、蘇った」


 「みやびも突然なんであ、あ、愛の告白なんてしちゃうのーーー!!! 恥ずかしかったんだからーーーー!!」


 溜め込んだ熱がいい加減限界に達したのか、あやかはやかんみたいにおっきな声を出した。眼元には涙も滲んでる。しかしなんでと言われてもねえ、愛しているから以上の理由なんてないんだけれど。


 「あれ、じゃああやかはみやびさんのこと愛してないのかい? こんなに愛してもらっているのに?」


 「あ…………う…………にゃ……にゃ……」


 「大丈夫です、私、片想いでもずっと想い続ける自信があります」


 むしろそっちの方が燃えるかもしれない。一生かけてわからせてやる。


 「なるほど、これは強い子だね。で、そこんとこどうなんだいあやか?」


 「え、…………そ…………それは………………その……わ……わたし…………も」


 問われたあやかはまたゆでだこの様に戻って、もぞもぞと口を動かし始める。すっごい照れてる。でも決して否定はしてない。それが解っちゃうのが、またこの子のいじらしいところ。


 「はあ……こういう所が死ぬほど可愛いんですよね」


 「わかるー」


 お父さんが笑ったから、私もですよねーって仲良く笑ってた。


 「二人で勝手にわかりあうなーーー!!!」


 てなると、あやかがまた勝手に拗ねちゃうけれど、それでも、私はさっきまでの流れを流してなんてあげないのだ。


 だってほら、やっぱり愛してるっていうのもいいけれど、言われるのも素敵なことですし。


 それにそれを言うまでの君の照れて、蕩けたような顔も格別だから。


 「そうだね、ごめんね。あやか、ところでちゃんと私の眼を見て言ってみて、ほら愛してるって。言って? お願い」


 「………………あ……え……あい……して…………」


 しどろもどろな瞳、濡れた唇、真っ赤な頬。うーん、お父さんの前でなかったらこのまま食べてる。


 「だめ、もっとちゃんとハッキリ。聞こえる様にちゃんと言って」


 「……………………あ、愛して……る……私も」


 漏れ出た言葉に、確かな満足感を感じながらにんまりと笑みを浮かべたら、隣でお父さんがちらりちらりと手を振っていた。そっちをみやると、どこかおかしそうに笑みを浮かべながら、小さく指が一つ建てられる。


 「あ、みやびさん。約束事を一つだけ。イチャイチャするときは、僕にバレないようにこっそりとね。さすがに僕も少し困ってしまうから」


 「はい、わかりました。任せてください」


 「ぐ、ぐぬぬ……くそうなんでこんなに結託が早いんだ…………」



 なんて姦しいやり取りを繰り返しながら、私たちは曖昧で愛おしくて、暖かい時間を過ごしてた。



 そんな夏の日のそろそろ昼がやってくる頃のことだった。



 ところで何か、重大なことを忘れている気がするんだけれど……。




 「―――え、私、ここに住んでいいんですか?」



 「まじで!! やったーーーー!!!」



 「ほんとはその話を真っ先にしたかったんだけどねー……」



 というわけで。



 私、あやかと一緒に住むことになりました。



 つまり同棲……ってこと?


 

 え?



 だって、お父さんも一緒だけど、夏休みだし、もちろん二人っきりの時間も一杯あるわけで。




 その間、イチャイチャし放題……?




 大丈夫かな、理性持つかな、私。




 そんな私の気持ちなんて露知らず、あやかは目一杯嬉しそうに抱き着いてくる。胸とか腰とか柔らかいところを、無自覚に一杯押し付けてくる感触を感じながら、私はそっとため息を一つつく。




 それから、私は無言で自分の理性を抑えきることを―――諦めた。




 だめだねこれは、絶対むり。いつかこの子に、ちゃんと思い知らせてあげないと。





 そうひそかに決意する私とあやかを、お父さんは少し困ったように、でもどことなく嬉しそうに眺めていた。

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