憤怒 - Ⅴ
大丈夫、『再誕』の奇跡なんて大層な銘を打ってはいるけれど、手慣れたことでしかない。
信徒たちの前で、十字架に磔にされて、手を縛られてこの胸を槍で突かれる。
伝承だと確か、磔にされることで呼吸困難に陥って、もがき苦しんで衰弱死する。
別にそれでもかまわないけど、私の場合は槍で刺されて死ぬらしい。あれは確か、死んだことを確かめるための槍なんだから、順序が逆じゃんねって軽く笑えてくるけれど。
それに、槍で刺されるのも別に大したことじゃない。
だって別に死なないし。刺された瞬間から、身体に『治癒』をかけ続けるだけだ。
肺を無理やり『脈動』で動かして、心臓を『賦活』で刺されながら再生させて、脳が壊死しないよう『活性』をかけ続ける。
何度も。
何度も、何度も。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
奇跡の訓練の度に繰り返した手慣れた感触。
ただ、残念ながら痛覚を『麻痺』させることはできない。どの部分が壊れて、どの部分に修復をかけないといけないか、逐一判断する必要があるから。この場合、痛みは大事な信号なんだ、皮肉なことに。
それに終いにはそんな痛みにも慣れて、心臓を抉られる感覚も、血が肺を満たしていく感覚も、胸に孔が開く感覚も、酸欠で脳が回らなくなってくる感覚にも慣れてしまった。
あとは痛みに叫び声をあげないようにするだけ。最初は苦労したけれど、五年も過ぎればそんな痛みにすら慣れてしまう。
でも、実際にこの奇跡を人前で披露するのは、今回が初めて。だって、今までは傷を完全に治せなくて、完璧な復活なんてお世辞にも言えた具合じゃなかったから。
それは誰かが期待する、『救世主の再誕』なんかじゃなかったから。
じゃあ、なんで今になってやらせるんだろう。
……まあ、あれだよね。
私の治癒の奇跡が強くなってしまったから。
あやかに使って、あやかに導かれるがまま自分に使って。
そして何より、一度あやかの『死』を破棄したことによって、私は『死』と『生』の境目を明確に知覚できるようになってしまった。
これで死ぬ。
これで死なない。
それを認知できるようになってしまったがゆえに、自身の死のラインすらぎりぎりで保ててしまう。
つまるところ、私にとって掛け替えのないはずの日々で培ったものが、私の掛け替えのないはずの日々を壊すきっかけになってしまってる。
皮肉が効きすぎてて、ちょっと笑えちゃう。
なんて思考をしていたら、私の眼前で儀礼用の、でも確かに人を殺める鋭利さを持った槍が掲げられる。
周囲のどよめきの中、その槍がゆっくりと磔にされた私の胸に向けられる。
ふぅと軽く息を吐く。
いつも通り。
そう口を動かさずに呟いて。
同時に、私の胸に槍が突き刺さった。
ぶちぶちと筋繊維がちぎれて、骨がぐちゃぐちゃに断裂する。
肺が破れて血が零れる、ほどなくして刃は心臓に達する。
礼拝堂を満たすどよめきと悲鳴の中で、声を出さないように舌を噛み千切りながら、ひたすらに奇跡を行使し続ける。
『脈動』『賦活』『活性』。
『治癒』『停止』『保存』。
『脈動』『賦活』――――。
体機能を最低限に抑えて、生存できるぎりぎりの境界に身体を保ち続ける。心筋がぐちゃぐちゃに断裂されながら、溢れるほどの血を零しながら、それらを補うために絶えずに再生を行い続ける。
耐えろ、耐えろ、耐えろ。
式典の時間はおよそ二時間。
私の死を、衆目に疑われることないよう、長い時間が取られている。なんなら、死体を信徒の手に晒す行程すら含まれている。
その間、最低限の治癒だけで、ほぼ仮死状態に近い状況を維持し続けなければいけない。
辛い、苦しい、痛い。
…………でも、慣れてる。
こんな程度、こんな苦しみ。
もう慣れっこ。
ほら、もう今だって、槍が刺される痛みより、異物が胸を侵してくる気持ち悪さのほうが大きいくらい。
大丈夫、慣れてるから。
こんな痛みも、こんな苦しさも、何度も何度もしてきたんだから、今更どうってことないよ。
どうってことない――――はずなのに。
なんで、今、少しだけ悲しいんだろ。
慣れてるよ、苦しくもあんまりないよ、痛いのもほらだんだん同じ刺激ばっかりで私の脳が飽きてきた。
どうでもいい、どうだっていい。
だって、こんな痛みより。
あやかともう会えないことのほうが苦しいし。
だって、こんな苦しさより。
四人で約束してた海水浴に、もういけないことのほうが辛いし。
だって、もう。
あんなふうに、何の心配もなく笑う時間が。
私の人生にはもう二度と訪れないことのほうが。
もうあんな幸せな時間が、二度と帰ってこないことのほうが。
よっぽど。
こんな痛み、比べるのも馬鹿らしくなるくらい。
辛いから。
……そういえば、あやか、無事かなあ。
ちゃんと、家に帰れたかな。
怖い思いしてなかったかな、教会のことでただでさえ嫌なことあったのに、これ以上辛い思い出にならないといいけれど。
あと、るいと、えるはどうするんだろう。あの子たちもこれ以上、教会に関わったら何されるかわかんないし。
でも、多分、私が生きている限りは、あの子たちは私の人質のために生かされるか。
教会の目が届く場所で、ずっと監視されて、時折私に命令を聞かせるため情報だけ知らされる、ただそれだけのために。
…………いや、でもこれも結局都合のいい妄想なのかも。
一番怖いのは、シスターすら知らない場所で、あやかが消されてしまう事。
『嘘』も『欺瞞』も見えないうちに、知らぬうちにあやかはいなくなってて、私はそのことすらを知らぬままに教会のために働き続けて――――。
……………なんて、わかってる、これは一番悪い妄想なんかじゃない。
だって、シスターはこれくらい、当たり前にやる。あの人はそういう人だ。だからこれは、ほとんど事実に近い予想。だってあの人にとっては世界の命運が何より大事で、私たち一人一人の想いことなんて、比べるのも馬鹿らしいと思ってる。
もし、そうなったら、私は――――。
もう、とっくにあやかのいない世界で、教会に言われるがまま、されるがまま、望まれたように生きて、望まれたように魔王と戦って死ぬんだろう。
はは、何それ、それこそ馬鹿みたい。
…………ああ、少し前ならこんなこと思わなかったのに。
なんでこうなっちゃったんだろ。
ま、多分、あやかのせい……だね。
だって、当たり前の日々なんて知らなければ、何も苦しまないでいられたのに。
だって、自分の意思で決めていいなんて知らなければ、何も想わないでいられたのに。
だって、君がいて幸せだなんて知らなければ、心が一人ぼっちのままでも耐えられたのに。
―――――ああ、ダメだ。
だって、もう、耐えられない。
君がいた日々を。
君の声を聞いた記憶を。
君の手に触れらる暖かさを。
君と一緒にいて幸せだった記憶を。
一度、覚えてしまったら。
一度、知ってしまったら、もう戻れない。
一度、幸せになってしまったら、もう暗くて痛いだけの日々に戻れない。
でも、もう、今の私には、何にもない。
君は、今、隣にいないし。
君はもう辛いことがあっても聞いてくれないし。
君はもう私の手をとってどこかに連れて行ってもくれないし。
君はもう、遠くの空の下で、生きているかどうかさえわかんない。
私の世界は、もう君を失くしてしまった。
ああ。
ああ。
………………ああ。
そっか。
そうなんだよね。
もう、君には。
二度と。
会えない。
……あれ。
じゃあ、私、なんでこんなつらい事、頑張っているんだっけ?
みんなのため? 教会のため? 世界のため?
あれ、でも。
私はみんなのために祈ってるけど。
じゃあ、あやかたち以外に、誰が『私』のために祈ってくれるんだろう。
あれ?
この場所にいる、誰が『聖女』じゃない私のことを見てくれているんだろう。
もし、誰も『私』を見ていないなら、いったい私は何のために―――――。
あれ。
そっか。
じゃあ、もういいのかな。
もう誰も、私のために祈ってなんてくれないのなら。
もう誰も、『私』のことなんて想ってなんてくれないのなら。
もう、いっか。
もう、疲れちゃった―――。
※
「ねえ、みやび。聖女ってさ、いつか魔王と戦うんだっけ」
「そう、いつかね。世界を滅ぼす魔王と戦うの、そのために色々訓練してる」
「ふーん、魔王って……なんなんだろね」
「さあ、わかんない。文献にもほとんど具体的なとこ載ってないんだよね。でも聖女や聖人が産まれると、それはほぼ必ずと言っていいほど現れる。そして、たくさん聖女と聖人が、その魔王との戦いで命を落としてきたの」
「………………なんかやーだな、その話」
「さあ、っていっても、前に聖女が産まれたのは何百年も前だから、ほんとかどうかはわかんないよ? シスターはほんとだって思ってるみたいだけれど」
「私はそんなの、出てこないように祈ってるよ。みやびが危ない目にあうだけじゃん」
「だよねー、私も。ていうか、ほとんど文献もないし、姿も見えないから、ホントにそんなのいるのかもよくわかんない」
「実は、どこにもいなかったりして」
「はは、だといいなー」
「私は、そう信じとこ」
「じゃあ、私もそうする」
「ふへへ、言っといてなんだけど、みやびはそれでいいの?」
「いいでしょー、別に」
そう、笑い合っていた。
いつかの頃。
『魔王』。
『聖女』や『聖人』が産まれた時、いつか現れやがて世界を滅ぼすもの。
詳細は何もわからない、文献にも何一つ詳しいことは載っていない。
でも、それはやがていつか現れる。
必ずここに現れる。
だって、それは――――――。
『 』
槍の根元に十字の光が生じて、それをぼろきれの様に焼き切った。
『 』
遠く向こうで悲鳴が聞こえる、どこかで何かあったのかな。
『 』
音がする、まるで大きなガラスが割れたような。
『 』
音がする、まるで何かを壊すみたいな。
『 』
音がする、まるで誰かの憎しみの声みたいな。
『 』
音がした。
「『魔王』だ――」
音が。
「『魔王』だ!!!!」
『
『
『
『
『
『
………………誰の声?
………………何の声?
低く。
唸るような、蔑むような。
憎むような、喚くような。
人のものとは思えぬ、そんな声。
「『魔王』だ―――!!」
誰が?
「『魔王』だ―――――――――!!!!!」
どこに?
「そこに!! 『魔王』が!!!」
目を開ける。
誰もいないよ。
あなたたちが指さす先には、誰もいないよ。
あれ、でもそう言えば。
どうして私の胸から零れ落ちる血はこんなにも真っ黒なんだろう。
後ろにあったおっきな一面のステンドグラスも半分くらい割れて無くなってるし。
礼拝堂のあちこちにヒビが走って、不規則に何かが抉れたみたいな孔が空いている。
みんな逃げまどっている。
みんな叫んで、何かに怯えてる。
そうしてみんな、一つの場所を指さしてる。
でもそこにはなんにもいないよ。
そんな場所に、誰もいないよ。
「『魔王』だ!!」
『
誰かが叫ぶと同時に、礼拝堂の天井を全てを覆うような亀裂が、轟音と共に走っていく。
「『魔王』だ!!」
『
逃げまどう人々の間を縫うように、建物を揺らすほどの衝撃が走って、礼拝堂の床が崩れ出す。
叫ぶ声。
泣き喚く人々。
それをただ漠然と、十字架に磔られて、胸に孔をあけたまま、見つめる私。
『魔王』。
そんなもの、どこにもいない。
そんな概念、今、どこにもない。
私の『眼』には何も見えない。
だって。
だって。
だって。
今、この場所を襲っている、異変は―――。
あ。
そっか。
理解する。
『聖女』が産まれたら、『魔王』はいつか必ず現れる。
『魔王』について、詳しいことは何もわからない。何一つ記録は残っていない。
多くの『聖女』、多くの『聖人』が魔王との戦いで、命を落とした。
ああ、なんだ。
そういうことか。
気づいてしまった。
あまにりにも、単純でつまらない、そんな事実に―――。
「『魔王』だ!!!」
『魔王』なんて。
「『魔王』が現れたんだ!!!!」
――――
『
『奇跡』は精神にとても深く絡んでいる。
無意識のうちに願ったことが、私の『愛』が、知らず知らずのうちにあやかに流れ込んでしまうくらいに。
心の奥の願いが時としてそのまま放出される。だから聖女は、その心を律するために厳しい訓練を受けなければいけない。
でなければ、大きすぎる力は、その心の在り方に呑まれていってしまうから。
『
だから。
だから、もし。
もし、『聖女』が―――――『世界』を諦めてしまったら。
心の底から、世界を憎んでしまったら。
その時、世界を救うはずだった神の『奇跡』は。
世界を滅ぼす『魔王』へと成り果てる。
つまるところ、かつてあった伝承は。
『聖女』や『聖人』の絶望を、人々が『魔王』と呼んでいた。
―――そんなのが真相だったんだ。
『
ああ。
『
だめだ。
『
自覚しても。
『
止まらない。
『
止めなきゃいけないのに。
『
止められない。
だって。
だって。
だって。
もう、こんな世界、どうやって愛したらいいのかわかんないよ。
もう、こんな人生、何のために生きたらいいのかわかんないよ。
どうしたらいいんだろう。
どうしたら――――。
なんて。
………………どうしたらいいかなんて、最初っから決まってるんだ。
かつての『聖女』は『魔王』との戦いで命を落とした。
あまたの『聖女』と『聖人』が
簡単だ。
今、私の胸に空いた孔を塞ぐ『奇跡』を。
この命を必死に生かそうとする、この奇跡を。
自分の命を絶つことで、『魔王』を―――私を殺してしまう。
かつて繰り返した歴史はそういうこと。
それが、『聖女』が『魔王』から世界を救うお伽噺の、バカげた真実。
だから、そっか。
私、このまま、死ぬしかないんだ。
もう――――。
「―――でも、ほんとにそれでいいの?」
でもこれしかないんだよ。
「それがほんとにしたかったこと?」
したくなんてないよ。でもこれ以外ないんだよ。
「ほんとにそーなの?」
そーだよ! そんなことくらいわかってよ!!
「うーん、そっかあ…………」
……………………。
「じゃあ、仕方ないかな」
仕方ないって………………。
「んー、私は、正直ちょっと悲しいと想っちゃうけど、でもみやびがそう想ったんなら仕方ないかな」
………………………………。
「だって、きっとそうやって想っちゃうほど辛いことがあったんでしょ? 苦しくて、生きてくのももうダメだって想えてしまうようなことが、きっといっぱいあったんでしょ?」
………………………………。
「それはすごく悲しいけど、でもずっとちゃんとみんなの聖女であろうって頑張ってたみやびが、そう想っちゃったんなら仕方がないよ。それくらい辛いことだったんだから」
………………………………。
「だからいいよ、付き合うよ。最期の時まで一緒に居る」
…………………………。
「でもさ、みやび」
…………………………。
「そうやって、自分を消しちゃうことって、一体誰のためにするの?」
……………………………………。
「世界のため? みんなのため? 『聖女』っていう役割のため?」
………………………………。
「みやびがどんな決断しても、一緒に居るけど、一つだけわがままを言わせてもらうなら」
………………………………。
「私は—――みやびが、みやびのために決めたことを一緒にしたいな。そしたらさ、たとえ世界を敵に回しても、きっと二人で笑ってられるじゃん。負けないぞこんちくしょーって」
………………ねえ、あやか。
「なに? みやび」
なんであやかはいっつも辛い時、そばに……いてくれるの?
なんで、もうだめ、耐えらんないって時に限って、いっつも隣に来てくれるの?
「うーん、なんでだろ。なんとなくみやびが『助けて』って言ってる気がしたから……かな」
………………。
「…………………………」
ねえ、あやか。
「なに、みやび」
…………――――助けて。
「―――うん、任せて」
崩れ征く礼拝堂の真ん中で。
割れたステンドグラスから漏れる光に照らされながら。
ぼろぼろで傷だらけのあなたに向けて。
私は十字架の上から、泣きながらその腕の中に飛び込んだ。
世界の終わりみたいな、その場所で。
あなたの温かさだけが、他のどんな奇跡より、私にとっての救いだった。
ねえ、あやか。
こんな私でも、世界を憎んでしまった私でも――――まだ幸せになっていいのかな。
救われてもいいのかな。
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