憤怒 - Ⅲ

 連れられた教会の総本山の一室で、ただ式典の時間を独り待っていた。


 一晩経てば、もうあれだけ流した涙も枯れていて、そんな涙の痕すらも化粧とヴェールで隠されて見えなくなる。


 純白に染められた式典用の豪奢な衣装は、端から見れば神事に臨む神聖なものなのだろうけど、私からすれば死装束と何も変わらない。


 この部屋も、一見は厳かな貴賓室のようだけど、実体は壁のあちこちに銀が仕込まれて破壊できないようになっている私専用の檻のようなもの。


 付き人の数も多くなく、シスターの目の届く範囲に限定されている。私が余計な気を起こして、洗脳や認識操作を行わないよう細心の注意が張られている。


 抜け出す術はなく、仮に抜け出せてもその時にあやかの命はない。


 だから、式典を無事にやり遂げる以上の選択肢は私には残されていない。


 漏れ出るため息から、身体の力が全て抜け落ちてしまいそうになる。


 ひと時すら眠れてもいないから、割れるように頭が痛む。


 でもそんな痛みすら、今はどうでもいいとさえ想えてくる。


 今はもう―――。


 なんて思考をしていると、こんこんと扉が小さく叩かれる音が鳴った。


 思わずハッと身なりをただして、扉の向こうの誰かにどうぞ、と声をかける。シスターか、その御付きかと、笑顔を浮かべながら内心警戒していると扉の隙間から現れたのは少し予想外の小さな姿だった。


 「し、しつれいしましゅ!」


 舌ったらずな声で扉の隙間から現れたのは、少しぶかぶかなシスター服に身を包んだ女の子。年ごろは小学校の低学年くらい……どこかで見たことがあるような。栗色の癖っ毛がシスター服の隙間から覗いていて、私は思わずああと声をあげる。


 「…………おはよう、……ねるちゃん、であってたかな?」


 確か、最近月一で治癒の奇跡を受けに来る少女だ。顔のあたりに発疹がよくできて、すぐ赤くなってしまうと母親と一緒に教会に来た子だっけ。


 「は、はい! みやびさま! ねるです!」


 女の子はぱあっと顔を明るくすると、ぴょこぴょこと嬉しさにはね跳びそうになりながら、私の元にとことことやってきた。シスター服が微妙に足に引っ掛かるのか、おぼつかない足取りだけど必死に傍までやってくる。


 「久しぶりだね、ねるちゃん。今日はどうしたの?」


 できるだけ聖女らしい笑みを浮かべてそう尋ねると、ねるちゃんははっとなるとピンと背筋を伸ばして、それからばっと勢いよくお辞儀した。勢いが良すぎてシスター服の頭巾がずれて、栗色の髪が露になっている。


 「今日は、みやびさまの式典のにゅうじょーがかりと、おせわやくをまかされました! よろしくおねがいします!」


 そう言ってばっと顔を上げてむんと胸を張っている。なんだか、お辞儀をしたというよりは武道の挨拶を見ているような気分だった。思わずくすっと笑って、少し目線を下げてその顔を覗き込む。


 「そうなんだ、じゃあ今日はいっぱいお世話してもらおっかな?」


 「きょ、きょーしゅくです」


 意味が解っているのかいないのか、勢いがとけて緊張が戻ってきたのか、ねるちゃんはたじたじになりながら、少しおろおろしだす。なんかこういうとこ、ちょっとあやかに似てるかもと思うと、少しおかしくもなり、同時に胸が痛くもなった。


 「ま、まずはお茶をおもちしますね!!」


 「ふふ、ありがとう」


 そう言うとねるちゃんは大慌てで近くのポッドに走り出すと、がちゃがちゃと大きな音を立てながら、必死にお茶の準備をしだした。


 折角だしそのままお任せしようかとも想ったけれど「あちゃ、あちゃちゃ」という声が聞こえたので、少し近くに寄って見守ることにした。


 彼女が時計を必死に眺めて三分間待った後、両手でもってきて出された紅茶はミルクがたっぷりでお砂糖もたっぷりだった。ちなみに途中で、「あ、大人はこんなにいれたらダメなんだった!」なんて衝撃の事実が発覚したが、私が無理言ってそのまま出してもらうことにした。


 「ど、どーですか……?」


 人生がかかったテストの結果を聞くくらい切迫して、紅茶の味を聞かれたので私はにっこり笑って正直に感想を伝えることにする。

 

 「とーっても甘いね」


 「う、や、やっぱり甘すぎました……?」


 この世の終わりみたいな表情なねるちゃんに、私は優しく笑みを浮かべて首を横に振った。


 「ううん、私はこれくらい甘いのが好きだから。ありがとう」


 「や、やた。えへへ」


 そう言った所作ややり取りに、強張っていた心が少し絆される。確かに甘く苦味の一つもない紅茶は胸の内を私の感情のいかんにかかわらず温めていく。


 そんなやり取りが、どうしようもなく愛おしく―――どうしようもなく虚しくて仕方がなかった。



 無垢な子。



 『嘘』も『欺瞞』も欠片ほども持ち合わせていない子ども。



 それとの交流で私の心が少しばかり満たされること。



 そんなことすら、結局はシスターの思惑の内だ。



 だから。



 「わ、私ね、みやびさまのお歌が好きなんです! きれいですきとおってって、あんなふうに歌いたくていっぱいいっぱい、いえで練習してるんです!!」


 「そーなんだ、ありがとう。私もいっしょに唄えるの楽しみにしてるね?」


 「はい! いっぱいいっぱい練習がんばります!!」


 こんな心温まる穏やかな気持ちさえ。


 「みやびさまに、あとぴー治してもらうとね、がっこーのみんなびっくりするの! 顔ぶつぶつ女が顔ぶつぶつじゃなくなった!! って、イジメてきた子にも目一杯もうぶつぶつじゃないもんねー! って言い返せたの!! お母さんも教会に来てよかったーって!! 全部、全部、みやびさまのおかげなの!」


 「そっか、役に立てたみたいで良かった。でもね、イジメっ子にちゃんと言い返せたのは、あなたが勇気を振り絞ったからだよ。私はあなたのかゆいのを、根本的には治してあげられないから、ちょっとお手伝いをしただけだよ。勇気をだせたのは誰よりねるちゃんがすごいからだよ、だから自信持ってね?」


 こうやってかける言葉の温かささえ。


 「うん! あと、あとね! がっこうでみやびさまのお話とかしたの! ねねちゃんはそんなきれいな人いるなんてしんじられなーいって言ってたけどね。ほんとだよーって、絵も描いたけど、本当のみやびさまの方が一杯きれいで! わたしもあんなふうになりいなってね、この前七夕にお願いしたの! あ、でもあれは神様へのお願いじゃないから、叶わないのかなあ……」


 「ううん、そんなことない。ねるちゃんがなりたいなら、どれだけだってきっとなれるよ。……でもね、私から言わせれば今のねるちゃんもすっごいかわいいよ? 私はそうやって元気いっぱいに笑うえるちゃんの顔が好きかな」


 「え、えへへ。あとね、あとね!」


 歌を唄うのは好きだ。


 信徒のみんなに治癒の奇跡を施して、こうやって嬉しそうな顔を見るのも好きだ。


 誰かが勇気を振り絞れたり、その人がその人らしく生きていく手助けになったと感じられたらやっててよかったなって想える。






 ――――――でも、その全てがシスターの手の平の上だ。





 この子がこの場所に配置された意味も。


 昨日のあやかの誘拐から、今日の式典に至る全ての流れも。


 全てのあの人の計画の内だ、寸分たがわずスケジュール通りに進行する既定事項だ。


 救いを見たものも、望んで手を伸ばしたものも、拒絶したものも、許されたことも。


 教会で起きたことのほとんどが、あの人によって意図的に用意された催しで。


 そこで何を想い、何を感じ、何を望んだかも全てあの人が書いたシナリオだ。


 私の意思はどこにもない。


 そうして、あの人の意思にそぐわないものは、手にしたと思った矢先に千切りとるように奪われる。


 小学生の頃、私が初めて自分で選んだ友達は、謎のいじめにあって学校に来なくなった。


 学校の中で選ぶ必要のあることは、全てシスターが事前に決めていた。学校の発表会で手を上げる順番すら決まっていた。何より恐ろしいのは、その事実を私以外の全員が知らせれていたということだった。


 学校で時々、友達のように話しかけてくるのは全て信徒の子ども達だった。


 みんなを『眼』で見るたびに、その裏にある『意図』が透けて見えた。


 私が自分で誰かを選ぶと、その子どもが学校に来れなくなる。


 だから、しまいに人を遠ざけるようになった。るいとえるも、最初数度話しかけただけで、それ以降は自分からは関わらなくなった。シスターの思惑の外の彼女たちは、きっと私に近づきすぎれば排除されてしまうから。


 そんな風に、何もかもが用意されて、何もかもが決められて。


 道を外れれば、一つの容赦もなく潰されてなかったことにされてしまう。


 そうしてしまいに、私はあの人が用意した道から、外れることをそもそも諦めてしまうようになっていた。


 あの日、あやかに出会うまでは―――。



 「――――さま、みやびさま!」


 「え?」


 少しぼーっとしていただろうか、ちょっと慌てたようなねるちゃんの顔が目に飛び込んできた。


 「ご、ごめんなさい。話しすぎちゃった。そろそろ行かなくちゃ! 式典始まっちゃう!!」


 そう言われて、ようやく私も時計を見やる。確かにそろそろ式典が始まる時間だ。軽く頭を振って、すこしねるちゃんを宥めてから、落ち着いて椅子から腰を上げる。


 胸の内は穏やかだ――――だって、そう決められているから。


 少し喋って気分も晴れた―――だって、そう仕組まれているから。


 これなら、どうにか式典も乗り切れそう――――だって、そうなるようにあの人がシナリオを書いたのだから。



 だから、もう――――――。



 ねるちゃんに手を取られながら、少し足早に貴賓室から舞台袖に小走りで歩いてく。



 そうやって歩いて居ると、ふと自分の脚から感覚が抜けていくような錯覚が私を蝕んでくる。



 あれ、私は今、本当に、自分の意思で足を動かしてるのかな。



 それとも――――。



 進む足に沿うように、誰かに敷かれたレールがあるような、そんな幻視が瞼の裏にずっとちらついて離れてくれない。



 私を動かす、この手は、この足は、この意思は。



 一体、誰のために動いているんだろうか。



 世界のため? 教会のため? シスターのため? 強大な力の責務のため? 数多の人の期待のため?



 私のためじゃないことだけは、どうしようもなく確かなのだけど。













 ※



 同刻、教会総本山司令部。



 「シスター、教会支部から連絡です。昨晩何者かによって、急襲され例の少女をロストしたと。報告にラグがありすぎるので、『奇跡』による隠蔽が疑われます」


 「そうですか―――。まあ、例の双子でしょうね。ただ、予測の範囲内ではあります。迎撃準備は?」


 「各隊既に配置に着きました、聖別済みの銀弾、ナイフ、バリケード、トラップ、全ていつでも使用できます」


 「重畳です。一般信徒は全て大ホールへ、式典中は誰も外に出さないように。それとこの連絡を受け取った人員はあの子の前に顔を出さないこと。必要であれば、事情を知らない連絡係を通しなさい、でないと『読まれ』ますよ」


 「は! 侵入者の処遇は如何いたしますか?」


 「…………私は、あの子の前では一切の『嘘』も『欺瞞』も用いません。なので、あなたがたに『殺せ』などという命令をすることはできません。それはあの子との約束を破ることになりますから……」


 「…………」


 「よって、全てあなたたちの意思で、最もを為しなさい。その結果に、私は一切の関知をいたしません。全隊にそう下知なさい」


 「――……! は! 主のご加護があらんことを」


 「―――主のご加護があらんことを」


 連絡を終えて、司令部の中で一つ息を吐く。


 何も間違えていないはずだ。


 これであの子の精神は間違いなく、確実に教会のものになる。


 そのために幾度も幾度も繰り替えし、欲するものへ手を伸ばすたびに無力感を教え込んだ。


 教会の外、コントロールのできない場所への憧れも徹底的に潰してきた。


 イレギュラー要素の得体のしれない双子も、あの子ほどの驚異的な力を秘めているわけではない。


 これであの子の精神は完全に私の―――教会のものになり、奇跡の全てはこの世界の安寧と教会の威信のために使われる。


 どこにも間違いなどないはずだ。


 八十億の命と、たった一人ちっぽけな少女の我欲。


 どちらを選ぶかなど、天秤にかけるのも馬鹿らしい。


 だから合理的に選んできた、最善の道を積み重ねてきた。


 あの子の心を惑わす要素は、欠片ほども残らずに排除してきた。


 あの子が抱いた我欲は、微塵も残さず潰してきた。


 あと、もう少しで全てが手に入る。


 今度こそ私の手の中に、あの子の心と力が落ちてくる。


 時に宥め。


 時にすかし。


 時に自ら罪人を処罰させ、罪悪感を刻み込み。


 時に人々に治癒を施させ、その献身に意味を与え。


 時に聖女を慕って来た者の声を聴かせて、その奉仕に喜びを与え。


 時にあの子が手を伸ばしたことごとくを踏みにじり、自由意思の芽を摘み取ってきた。


 最後に生まれた醜い綻びも、今から轢いて潰してしまう。


 何も間違えてなどいない。

 

 私は何も間違えてなどこなかった。


 全ては正しく、ゆえに


 これから起こることも、全て合理的に処理して終わりだ。


 全ては教会のため、世界のため。


 だというのに、何故だろう。


 私の目の前に縛られて突き出された憐れな少女を―――。


 あの、なんの力もない、ただ聖女に隠されていただけの、ありふれた少女の顔を思い浮かべると。


 どうしてか、無性に腹が立って仕方がない。


 無力な癖に、何も知らない癖に、世界の行く末など何も考えてなどいない癖に。


 私が十年かけて積み上げてきた、『聖女』という芸術品を欲に塗れた手で穢したあの少女を想い返すと。


 どうしようもなく、はらわたが煮えくり返りそうになる。 



 「徹底的に潰しなさい、二度と主の意思に反抗するものなど現れぬように」



 静かに告げたその言葉に、側近はゆっくりとどこか緊張した面持ちで頷いていた。


 暗く、画面がいくつか点灯するだけの司令部の中。


 私達は、ただその時を待っていた。


 全てがこの手のうちに落ちてくる、その時を。

 

 








 ※



 「見えたよ、二人とも!」


 「……じゃあるいは決めた通りに。あやか行こう」


 「うん………………」


 夜が明けて日差しがすっかり眩しくなって、その中を猛スピードで駆ける自転車の上で、私たちは遠く向こうに広がる大きな建物を見つめていた。


 あそこに、みやびがいる。


 あそこに、みやびに酷いことをしてる奴がいる。


 あそこにみやびがどんな想いでいたか知りもせずに、その全てを踏みにじった奴がいる。


 私の大事な人を傷つけた奴がいる。


 そう想うと、胸の奥でずっと小さく燻っていた何かが、静かに、でも確かに、熱く燃え滾っていくのが感じられた。


 でも、胸の内は焔でも燃やしてるのかってくらいに熱いのに、頭の奥はただまっすぐに恐ろしいほどに冷えている。


 人間、怒りすぎると一周回って冷静になるんだなあってよくわからない発見もあるくらいには。


 今、私はどうしようもなく怒ってた。




 「ぶっ潰してやる―――」




 そう呟いたのは独り言だったけど、前にいる二人も揃って頷いていた。



 さあ、決戦の始まりだ。



 みやびを返してもらうんだから。

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