憤怒 - Ⅱ
突然、知らない車から出てきた人たちに抑え込まれて、連れ込まれて。
眼を塞がれて、耳を塞がれて、口を塞がれて、首に何か、冷たい物を取り付けられて。
抵抗できない中、無理矢理に自分より圧倒的に強い力で何人も寄ってたかって。
怖かった。
涙だって零れたし、身体だって震えてきた。
自分がこれからどうされるかも、何をされるかも、何もわからないまま外の情報をずっと遮断されて、気が狂ってしまいそうだった。
何より、そうやって封じられた眼と耳の奥で、いつか私に向かって手を伸ばしてきた神父の顔がちらついて、それがなにより怖くて怖くて仕方がなかった。
身体が震えて、夏なのにずっと寒いみたい。
落ちる汗が異様に冷たくて、手を縛られているのが凄く痛い。
見知らぬ手が私の身体に時々触れて、乱暴にどこかに連れていかれるのが悍ましいほどに気持ち悪かった。
どうなっちゃうんだろう、私。
なんでこんなことになったんだろう。
なんで、なんで。なんで。
そう願っても、何も起きない。
助けを呼ぼうにも口は塞がれてる。
嚙まされた紐が口に食い込んで痛い。腕に結ばれたロープがきつくて痛い。無理やり座らされた椅子も固くて酷い体勢で座らされたから余計痛い。
みやびに治してもらうようになってから、しばらく忘れていた痛みが心を侵していく感覚がじわりじわりと蘇ってくる。
そうやってずっと不安になって。
そうやってずっとパニクって。
そうやってずっと怖がっていた。
ある瞬間までは。
何時だろう、時間も解らない。短いような長いような、それすらわからない苦しい時間の中のある一時。
私の指の先にそっと誰かの指が触れた。
小さく、優しく、ほんの一瞬。
え、て思わず塞がれた口で零した後に、なんでか胸が少しだけ軽くなった。
強張っていた身体から力が抜けて、息がゆっくりと落ち着き始める。
眼も見えない、耳も聞こえない、喋ることもできない。
なのに、その一瞬、誰かが私に触れただけで、心がすっと軽くなった。
なんだろう。誰だろう。
でも、この感覚を、私はずっと知っている。
優しいような、悲しいような、それでも私のことをずっと想ってくれてるような。
自分の心臓と肺の音だけが聞こえる暗闇の中。
ぼうっと、一つだけ小さな蝋燭が灯ったような。
そんなささやかな暖かさが、私の胸を満たしていた。
ああ。
そっか。
これは―――。
それを理解したころには、もう指は私の手からは離れていて。
ただその胸に灯った感覚だけを、私はじっと感じていた。
それと同時に頭の奥に燻るような何かが湧き上がるのを感じてた。
※
手枷が外れて。
私を縛っていたものが、一つずつ外されて。
そうして、ようやく眼が開いた。
「大丈夫? あやか」
目の前にあったのはるいちゃんの顔。
その奥にいるのは何故か大の大人を踏みつけてそのポケットを漁っているえるちゃんの姿。
胸の奥がじわっとあったかくなって、目尻から一杯暖かい物がこみあげてきて、その勢いのままぎゅっと思いっきり抱き着いた。
うぐ、手も足もちゃんと動く。
「るいぢゃぁん!!」
涙と猿轡されてたせいで、喉がガラガラ。それでも必死に抱き着いて、ぐりぐりとその身体に私の頭を擦りつけた。るいちゃんはちょっと困ったような顔で、でも軽く笑いながら私の肩を軽く揺する。
「どう、どうどう。潜入中だからお静かに」
言われてはっと私は思わず慌てて口をつぐむ。二人揃ってしーって唇を指で押さえて、恐る恐る周りを見回す。
…………ここがどこかはわかんない、なんかちょっと古い建物の一室っぽいけれど、窓の一つもないから明かりもなくて真っ暗だ。るいちゃんが携帯で照らしてくれてないと、あたりがさっぱり見えないくらい。
「どう? える、あやかの首輪の鍵見つかった?」
るいちゃんはそう言って、後ろのえるちゃんを振りかえる。謎の大人の身体を漁っていたえるちゃんは無表情のまま、首をゆっくりと横に振った。いつもと変わらないえるちゃんだけど、今はそれが見ていてすんごい落ち着く。
「……だめ、首輪のスイッチらしきものは破壊したけど、鍵はみつからない。持たされてないか、そもそも一度付けたら外せないタイプのやつかもしれない」
えるちゃんはそう言いながら、淡々と大人のポケットからなにやら物騒なものをぽいぽい取り出しては捨てていく。なんか拳銃とかも見えるけど……さすがに偽物だよね?
「…………まじかあ、銀製だから私らは手ぇだせないってのに」
「……完全に奇跡対策の代物。……でも大丈夫、私に任せて」
そういうとえるちゃんはとことこと歩いてきて、私の首輪を覗きこむ。首元を覗き込まれて吐息が少しくすぐったいけど、私はなんだか動いたらダメな感じがしたので、じっと観察されるがまま。
後ろで、るいちゃんもどことなく息を呑んで見守っているな。そんななか、えるちゃんはじっと私の首についていた首輪をゆっくり触ると、小声でぶつぶつと何かを唱えだした。
「…………っていうか、この首輪、なんなんだろ?」
手持ち無沙汰で、思わずそう聞いてみると、えるちゃんとるいちゃんが揃ってぴたりと動きを止めた。それから少し目を合わせてから、軽くうなずくと同時に、るいちゃんがゆっくり口を開いた。
「あやか、状況はどれくらいわかってる?」
るいちゃんに差し出されたハンカチで涙を拭いて鼻をかんで、少し気持ちをリセットしてから返事をする。
「…………突然攫われたから、正直なんにもわかってない。でもみやびのことが関係してるよね」
あの時、私に触れてくれたあの指は、間違いなくみやびのもので。あの時、私の身体を落ち着かせたのは、間違いなくみやびの奇跡だった。…………だとすると、考えられるのは。
「まず、あやかは攫ったのは、みやびを聖女として祭り上げてる教会。攫った意図は……多分、みやびに無理矢理いうことを聞かせるため。そのために、あやかを人質に取ったんだと思う。その首輪はそのため脅しかな。下手の真似したら、あやかは命はないぞって脅してたっぽいね」
「……………………」
そっか、やっぱり。
そう想う私に、るいちゃんはどことなく沈痛な面持ちで、言葉の続きを告げてくる。
「私らは、あやかのお父さんから、今日あやかが帰ってこないから知らないかって連絡を
「………………そっか」
そうやって喋っている間も、えるちゃんは私の首輪を覗き込みながら、ぶつぶつと何かを唱え続けてる。ただそれも、やがて収まると、額の汗を拭きながら、私の身体からそっと離れた。
「…………とりあえず、応急処置はできた」
「すっご、どうやったん?」
「……銀器は奇跡だと直接干渉できないけど、これは機械だから。それを動かすための電子回路なら干渉できる。だから、電子回路に『命令』を受け取らない奇跡をかけた。ただ、無理に壊そうとすると、針が刺さる仕様は解けてない」
「はー、電子系の奇跡苦手なんだよね、私。よくやるよ、えるは」
「…………うん、役に立ってよかった」
そんな二人のやり取りを聞きながら、私はゆっくり立ち上がる。何時間も座りっぱなしだったから身体のあちこちが強張って、少し動かすと固まった関節がぼきぼきと音を立てる。でもそれも無視して、ぐっぐっと身体を引き延ばす。よし、動く。問題ない。
「ねえ、二人とも。わざわざここまでのことしてさ、みやびが何させられるか知ってる?」
肩をぐりぐり回しながら、二人に尋ねると、二人の表情が揃って曇った。それだけで、ろくでもないことっていうのは簡単に想像がつく。
そうしている間にも頭の奥はゆっくりと熱くなっていく。
「……多分……『
「………………何それ?」
私の問いに、るいちゃんは眼を細めながら応えてくれた。
「救世主の再誕を模倣しようっていう、そういう奇跡。手っ取り早くいうと、一回みやびを殺してから奇跡で復活させる。……っていっても、実際死んじゃったらそっから奇跡は使えないから、死んだふりね。要領的には致命傷を負いながら、ずっと治癒の奇跡でぎりぎりのラインを保ち続けるって、そういうやつだと思うけど」
「……あやかと出会う前だけど、小さい頃、あの子はよく傷を作って学校に登校してた。『再誕』の奇跡の訓練で、自分を傷つけてそれを治してを繰り返して、でも治し損ねた疵が残ってしまうことがあるから。結局上手くいかなくて止めてたはずなんだけど」
「ふーん、だから…………みやび奇跡の訓練、嫌がってたんだ。ていうか、そんなことやって何になるの?」
「……教会の威信を示したいんだと思う。『再誕』の奇跡の再演となれば、それは救世主が現世に復活したに等しいから、教会の地位も、あの子の聖女としての絶対性も揺るぎないものになる。……あとは、そうやって無理矢理命令を聞かせることで、みやびを教会に服従させるのが目的かも。もしそうなら、きっと私達とは二度と会えなくさせられる」
「………………ふーん」
聞いといてなんだけど、教会どうだのは、私正直、よくわかんない。ぶっちゃけるとあんまり興味もない。
ただ、そこにみやびの意思が一つも勘定されてないことがわかったなら、それだけで充分だった。
ていうかまー、そりゃあ奇跡の訓練なんて嫌だって想うよね。学校にも疲れたまま来ちゃうよそりゃ。
だって、いくらすぐに治るって言っても、痛いのはイヤじゃん。傷つけられるのも、イヤに決まってんじゃん。
誰だって、子どもだってわかる簡単な理屈だ。あまりにも簡単な想いだ。
あと、二度と会えなくなるって。
そんなのもゴメンだよ。
「………………」
「そうだ、みやび、何処に連れていかれたんだろ」
「………………教会の総本山みたい。ここから新幹線でも数時間はかかる場所」
「うん、おっけー、スマホで調べたら出るかな……」
「あやか…………?」
胸の奥が熱いのに、頭の奥が別の生き物みたいに冷えている。
吐いた息が焼けそうなくらいに熱がこもってるのに、呼吸は酷くゆっくりで落ち着いてる。
やらなきゃいけないことのために、脳がぐるぐる回り続ける。心もずっとそうやって動くのを後押しし続けてる。だから、止まんない。
ていうか、スマホないじゃん。折角買った水着もないし、誰か拾ってくれてるのかな。
そうしていると、るいちゃんとえるちゃんが少し心配そうな顔で見てくる。……どうかしたかな、私なんかおかしいか?
いや、おかしいね。多分、さっきまで捕まってた人間の顔じゃないと思う。
だって、今、私。
「……あやか、怒ってる?」
「うん……。多分、生まれてからで、一番、
―――
いつかお母さんに連れていかれた教会で、犯されかけた時よりも。
学校で不幸女って呼ばれて、集団に無視された時よりも。
明らかに意図的に上靴隠されて、ああまた不幸だねって意地悪なやつに笑われた時よりも。
何時より。
何より。
きっと今が、一番、怒ってる。
だって、胸の奥が熱くて熱くて仕方ない。
だって、今すぐ何かを踏みつけて、今すぐ誰かを引っぱたきたくて仕方ない。
だって、その誰かに今の私の言葉にもならないような想いを、ありったけぶつけたくて仕方ない。
でも、それは今できない。
だって元凶は、こうなった元凶は。
私の大事なみやびを苦しめてる元凶は、今、ここにはいないから。
だから、行かなくちゃ。
「総本山だっけ、電車もう動いてないよね、今からタクシーとかで行って間に合うのかな」
足が勝手に動き出す。
るいちゃんとえるちゃんが慌てたようについてくる。あ、でもここ教会の中だっけ迂闊に動いたらまずいのかな。
でも、どうしよう、逸る気持ちが抑えらんない。
廊下に出たら近くに窓があったから、そこからぱっと飛び降りた。幸い、一階の窓だったから、難なく芝生に着地する。周りに何人か警備っぽい大人がいたけど、大体が倒れてるか呻いてる。るいちゃんとえるちゃんがやったのかな、なんて考えていたら、後ろの二人がようやく私に並んできた。
そしたらるいちゃんは軽くため息をついていて、えるちゃんはなんでか少し笑ってた。
「あやか、こんな夜中にタクシーなんて呼べないから。あと、教会の息がかかってないとも限んないでしょ」
「…………無鉄砲。でも、そういうところがあやかのいいところ」
そんな二人の言葉に、私は思わずじっと俯く。
分かってる、私の力なんてほとんどないことくらい。
でも、それでも、みやびのところにはいかなくちゃ、だってみやびは今、きっと酷い事させられて泣いてるかもしんないから。いや、こんな酷いことさせられて、大丈夫なわけないよ。みやびそんなに強くないんだから。
強くないのに、強いふりして頑張って、誰も知らないところで泣いてるだけの子なんだから。
そんな想像するだけで、ちょっと泣きそうになってくる。でも今は泣いてちゃダメだ。動かなきゃ、泣いてる暇なんてないんだから。
「………………でも!!」
そう言って、顔を上げたら、るいちゃんもえるちゃんも揃って眼を合わせて、やがてくすっと笑い出した。
「わかってる。方法がないとは言ってないでしょ」
「……私達も気持ちはおんなじ、みやびに辛いことしてほしくないし。このまま、教会に連れていかれて、会えなくなるなんて、絶対いや」
二人がそう言って、私に笑顔を向けてくれる。
それがあんまりに嬉しくて、私は涙が滲むのを感じながら思いっきり二人に抱き着いた。
「だよね!! やっぱり二人とも大好き!!」
ちょっと高さの違う肩を抱き寄せながら、滲む涙を二人の肩でごしごし拭う。それにるいちゃんは相変わらず苦笑気味で、えるちゃんは優しく笑ってた。
でも、こうやって感極まってる時間も今は惜しい。
早く、早く、みやびの元へ。
「で、どうやって行くの?!」
だからそうやって、るいちゃんに向かって尋ねてみた。
るいちゃんは軽く笑うと頬を掻いて、どことなく眼を逸らしながら口を開いた。
「え……
「―――は?」
「…………残念だけどあやか、あんまり冗談でもないの」
「――――ま?」
新幹線で数時間って言ってませんでしたか。
そうやって、首を傾げる私に二人は少し困ったような顔で頷いていた。
※
「えるっ!! 今、何キロォ!?」
「…………多分、時速120キロくらい」
「死ぬ! 死ぬ! 死んじゃうよぉ!! るいぢゃん!! えるぢゃん!!」
「速度が足りてなーい!! 式典に間に合わん!! 『車輪』に『加速』を!!」
「…………そうね、もうちょっと速くしないと『加速』を」
「ね、ね、ねえ!? これこけたらどうなるのぉ!?」
「え?! そりゃあ!! 三人とも!! 死ぬ!!」
「うにゃーーーーーーー!!!!!」
「……さすがに今のは、るいの冗談。『防護』の奇跡でぎりぎり一命はとりとめられる」
「えるちゃん! それやばい怪我するときのセリフだけどぉ?!!」
「じゃあ、速度落とす??!! 間に合わなくなるけど!!」
「それも!! …………それもダメ―!!!!」
「…………じゃあ、『加速』」
「なんかみやびが、あやかをイジメたくなるの、ちょとわかってきたかも、反応がいいよねえ。『加速』」
「うううぅぅぅにゃあ゛あ゛ぁぁぁぁぁーーーー!!!!!」
明け方の街を三人乗りのママチャリが、何故だかあり得ないスピードで疾走していく。
高らかな私たちの絶叫を乗せて。
目指すはみやびが連れていかれた教会の総本山。
待ってろみやび、あと腹立つ教会の人には絶対一発入れてやるのだ。
まあ、生きて辿り着ければの話ではありますが……。
「ねえ!! これ今、『軽量化』使ったら、空飛べんじゃない!!??」
「…………それが出来れば大幅ショートカット、試してみる価値はある」
「にゃぎゅゅぅうあぁぁぁあ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ―――――!!」
そうして明け方の朝日が眩しいそんな中、私は多分、生まれてから一番の叫び声をあげていたのであった。
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