ごーよく 四

買い物袋に詰めた水着を揺らしながら、三人と別れた帰り道を独りで歩く。


 さあ、来週は待ちに待った海水浴。


 水着は準備したし、お父さんにも報告した。


 宿題も、今年はなかなかモチベーションも高くていい感じ。


 あとはみやび用の水着を当日、忘れないようにすることと、電車の時間調べて、砂浜の周りの回れそうなところも調べて、あとはあとは―――。


 なんて楽しいことを考えている時間は、とても楽しい。何を当たり前なって感じではあるけれど、それくらい素敵な時間だってことなのだ。


 あ、でもみやびが結局、来週、時間取れるかはわかんないんだっけ。まあ、その時は予定を変更するなり、近場でいけるプールを探すなりやりようはいくらでもあるはずだ。最悪、市民プールだって悪くない。


 なにせ正直、今の時間はとても楽しい。数か月前なら信じられないくらいに楽しい。


 あの時は、お母さんとお父さんの離婚が決まって。


 お母さんが信奉していた教会から離れるために、引っ越しが決まって。


 正直ずっと不安だった。


 毎日毎日、傷が溜まっていく痛みだけを感じながら先のことを考えると、いつも胸の奥がずきずきと苦しくなっていた。


 身体が痛いだけなら、まあ最悪いいとしても。


 教会関連でいやなことがないかなとか、不幸女とかいじめられたら嫌だなとか、引っ越し前は色々想ってたりしたっけね。


 まあ、幸い。いじめられるどころか、素敵な友達が結果的にたくさんできた。


 それは本当に、きっと神様にだって感謝してもし足りないほどに、幸運なことだとそう想う。


 ふふふ、でもでも、まだあやかさん欲張りなので、こんなところで満足なんてしていませんことよ。


 だって、海の次は山でしょ? 花火大会とかもいいね。


 ふつーに買いものとかカフェにお出かけもしたいし、図書館とかで勉強会とかもしたいかも。


 うちにみんなを呼ぶとか、るいちゃんえるちゃんの家にお邪魔するとか、そういうのもいいかもね。


 あ、ていうか、みやびと好き合ってるんだからこっそり二人で会っちゃうのも、なかなかいいんじゃないかな。というかしたい、絶対しよう。


 えへへ、自覚するとまた顔赤くなっちゃうけれど、まあ、どうせるいちゃんえるちゃんにはバレるらしいので、逆に割り切っちゃえばいいかなあ、なんて。


 ま二人にバレてたのは正直、ショックも大きかったけれど、でも改めて人から言われて少し自分の中で納得しちゃったとこもある。


 だから、その、あの、あれね。


 えるちゃん流に言えば、被虐趣味……つまりあれだ、エムっ気があるということも、まあ、仕方ないと言うか。それはそうかもしんない、と思うわけでもありまして。


 ああ、そっか私、される方が好きなのかも、なんて改めて納得したというか。


 なんでかと理由を問わると、答えるのはとても難しいところではあるのだけれど。


 どちらかと言われれば、みやびに押せ押せされてる時の方がドキドキするというか。たまに何気なく肩と腰とかぎゅっと引き寄せられるだけで、実はちょっと胸が高鳴っちゃうというか。


 よくよく考えたら、時々してたえっちな妄想も、大概自分がされる側だったと言いますか。


 あれ? 今更考えると、ちょっと言い訳の余地がないな。みやびもるいちゃんも「とうとう言っちゃったかあ……」みたいな顔してたし、自覚できてないの、もしかして私だけだった?


 いや、でもみやびも大概悪いと想うんだよ?!


 あんなすらっとした、私好みの綺麗な顔で、押し付けるように迫ってきて、あんな恥ずかしいこともさらっと堂々と私の眼を見て言ってくるし! あんなの誰でも堕ちちゃうって!! あ、てことはもしかしてクラスの中に私が知らないだけで、みやびのファンとかいるのかも?! いや、いても全然おかしくない! だってあの顔で聖女様だよ!? 絶対ファンクラブの一つや二つくらいあるって!! きっと道すがら通りすがりの子の心を天然でわしづかみにしてるもん!! なんだったら信者の中にガチ恋してる人も山ほどいるはず!! うぐーーー! 心配!!


 そうやって、独りで頭を抱えながら、はあはあ唸った後、ようやくふとため息をつく。


 …………多分、幸せな悩みごと、してるよね。今。


 手に入ったものがあるから、それをなくさないか不安になって。


 一度受容れてもらえたから、次も受容れてもらえるか心配になって。


 たくさん幸せだから、その幸せが簡単に壊れてしまわないか怖くなる。


 でも、そんな悩み、できるだけきっと幸せだ。


 だから、みやびに自分がちょっと変態なことを知られたこととか。


 次はこういう風に攻められるシチュエーションも素敵だなとか考えちゃってることとか。


 みやびの周りに不穏な見知らぬ子の影が表れないか心配なこととか。


 こうやって求めることが負担になっちゃてないかなあとか、感じすぎて引かれてないかなあとか。


 そうやって考えて、不安になって、それでも次、会うのが楽しみになる。


 そんな時間すらも、きっと幸せって言うんだよね。


 それに私達、まだ出会って一か月とちょっとだし。


 わかんないこと、知らないことなんてあって当たり前なんだよね。


 だから、そう、大丈夫。


 きっと時間をかけて知っていけば。


 きっと時間をかけてお互いの気持ちを確かめていけば。


 きっと大丈夫なはずだから。


 家までの道を小走りで買い物袋を揺らして歩きながら。


 夏の夕暮れの帰り道。


 いつもより人の少ない住宅街の道を進みながら。


 ふと、少し想い出す。




 そういえば、今日、不幸なこと起こってなかったような―――。





 そんな私の視界の隅で、見知らぬ車のドアが開くのがふと見えた。



















 ※



 気が、重い。


 その夜、シスターの執務室の扉の前で、私はこっそりため息を吐いた。


 なにせ、今から来週の海水浴の予定を、シスターに取り付けに行かないといけない。


 最近、どうしてか予定を申請しても通ることが多かったけれど、さすがに海水浴となると話が変わってくるだろう。どれだけ少なく見積もっても、半日は教会を空けないといけないわけだし。


 ……十中八九通らないよね。今までの経験則から言って。


 そもそも外出許可自体下りることが、かなり稀だ。通るときもいまいち規則性がないから、何が理由で通っているかもわからないし。シスターの機嫌次第と言われればそれまでだ。


 てなわけで、あやかは私にお古の水着をくれるなんて言ってくれて、今日もうきうきで水着を選んでいたけれど、実際行けるかどうかはかなり望み薄。私以外のみんなは、ダメだったら違う日でもいいとか、近場のプールでもいいとか言っているけれど、私の事情であやかたちのしたいことができないのは正直、心苦しい。


 まあ、私がだめなら最悪三人で行ってきてもらって、後日話を聞くくらいでも全然かまわない。多分、みんなが楽し気にあったことを話している姿を見ているだけでもきっと楽しいし。


 ………………まあ、行けるんなら行きたいけど。


 あやかとみんなと一緒に海。…………そりゃあ、行けるんなら行きたい。最悪、奇跡で認識を操作して無理矢理外出許可を取り付けることも考えたけど、もしバレた時あとが怖い。特にシスターには十中八九その程度の小細工はバレてしまう。勘がいいからな、あの人は。


 なので今の私にできることは、ダメもとで一応、お伺いを立てるだけのこと。


 そんなの通るわけもないけど―――。











 「









 え?



 いつもの執務室の中、書類を読むシスターの口から漏れた言葉に、私は口を呆然と開けることしか出来なかった。



 「ちゃんと教会の仕事には支障の出ない日を選んでいますし、信徒への奉仕活動にも最近はより力を入れているようですし。学業も目を見張る成果を上げ続けているではありませんか。それくらいの息抜きは必要でしょう―――」



 シスターの声に『嘘』も『欺瞞』も含まれていない。



 え――――?



 つまり、本当に―――。



 「来週のこの日取りでいいのですね? 確かに承知しました、誰と行くかは折角です、あまり深く追及はしないことにしましょう」



 いつも優しくも、厳しく、そしてどこか畏ろしいはずのシスターが、柔らかくただ讃えるような笑みを浮かべている。



 本当に、海に―――行ける?



 「代わりと言っては何ですが、明日、教会本部で神事を行うので、その手伝いを頼んでも? いつも通り壇上に上がって御業を、信徒に見せる役割ですが」



 「は、はい!! 喜んで!」



 思わず声が少し大きくなって慌てて自省する。ダメだ気づかれてはいけない、こんなことで心を乱しているなんて。そっと口元を抑えながら、少し心配になってシスターの様子を窺うけれど、余裕のある笑みは崩れていない。



 なんだろう、今日は凄く機嫌がいい日なのかもしれない。そんな日、ついぞ見たことが無かったけれど。



 「ありがとう、あなたの献身には救われてばかりですね。少し大規模な神事になるから、打ち合わせをしたいのだけど、別室まで着いてきてくれるかしら?」



 「はい!」



 ただどう頑張っても、声から喜色を隠せていない。ああ、我ながらはしたない。でも胸の内はずっと高鳴ってばかりで、頬が緩まないように抑えるので必死だ。



 やった、やった! みんなで海! あやかと海!



 いっぱい遊べる! あと美味しい物食べて! あやかの水着も見て!



 と、一瞬逸りかけた心を軽く抑える。シスターに見えないように、こっそり自分の頬を小さく平手で打っておく。



 ここで気を抜いて、神事が上手くいかなかったら、休暇はやっぱりなしなんてこともあり得る。



 そうでなくても、普段の行いは一層慎まないといけないし、教会にあやかの足跡を辿られるわけにもいかない。何重にも『隠蔽』を重ねているとはいえ、綻びは可能な限り最小限にしないといけない。



 シスターに連れられるまま、執務室を出てすっかり暗くなった教会の廊下を歩いてく。



 改めてシスターの背中を見てみるけれど、欠片ほどの『欺瞞』も『嘘』も見当たらない。この人の言葉はそういった概念が時々見えなくなることはあったけど、ここまで欠片も見当たらなければ、きっと大丈夫。



 なんだろう、あやかと出会ってから、物事がいろんな方向にうまく進んでいるような気がする。三人と過ごす学校での時間はもちろんだけど、信徒と過ごす時間も前ほどは辛くないし、勉学だって問題ない、奇跡の訓練だけは相変わらず辛いけれど、それもちょっと糸口が見えてきてるし――――――。





 なんて。





 暗い、暗い、廊下の先で。




 「ところで」




 そう。




 「最近は『奇跡』の扱いも上達しているようですね」




 都合のいいことばかり。




 「訓練もより一層励んでいるようですし、明日の神事を任せるのもその信頼ゆえです」




 考えていた。




 「此度の神事は『魔』に取り憑かれたものに裁きを下すこと」




 そんなこと。




 「いつも通り、変わらず。『聖女』として、主のために励むように」




 あるわけ、ないのに。




 「特に此度の『魔』は随分と時間をかけてようやく見つけられました。これはあなたにとっても朗報ですよ」




 私は—――――。




 「これから会うのは、あなたの宿命によって定められた怨敵。やがて世界を滅ぼす『魔王』の眷属」




 ――――ずっと、今の日々が心地よ過ぎて。




 「『聖女』あなたの学友の皮を被り、『聖女』あなたを貶めんと甘言を吐き、『聖女』あなたを堕落させんとその欲望を食らい続けたもの」






 ―――そんなありもしない、淡い願いを、ずっと抱いてた。













 私の幸せがずっと続いたことなんて。





 



 今まで、一度だって、ありはしなかったのに。












 「―――――え?」











 暗い、暗い廊下の奥。




 シスターが笑顔のまま、部屋の扉をゆっくり開けた、その先に。




 眼と耳と口を塞がれて、椅子に縛り付けられた、君がいた。





 あやかが――― 。







 「明日、我々は、この『魔王の眷属』を処刑します」






 そうだった。


 


 


 いつまでも続く幸せなんて。







 私の人生のどこにだって。






 あったことなかったじゃん。

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