傲慢 - Ⅵ
あやかに手を引かれて、教会の塀をそっと乗り越えて。
歩いて数分もしないコンビニで私達は腰を下ろしていた。
まだ暑くて仕方がないけれど、手にはさっきコンビニで買ってきたアイスが握られている。
私はバニラ、あやかは抹茶。
そういえば、抹茶好きとか言っていたっけ。わかりやすいねと言ってあげたら、なんでか嬉しそうにあやかは笑ってた。わかりやすいのはいいことなのかな。
なんて思考をしながら、私とあやかはだらだらと話をしていた。
「聖女様も大変だね」
「そうね。でもまあ、仕方ないかな。いつか魔王と戦うらしいからね」
「まじで?! 魔王とかいるの? 悪魔とかも?」
「さあ? 私は実際には見たことないし。死んだ人の悪霊とか、天使っぽいのならみたことあるけど、悪魔は…まあ。魔王も予言でいつか現れるってなってるだけだし」
「はへー、でてこないといいけどね、そんなの」
「……そう……ね。まあ、聖女や聖人が生まれたときは、いつかは出てくるらしいけど」
「あら―………………」
「ま、いつかわかんないけどね。そのために、いっつも修行してるの。治癒の奇跡だけじゃなくて、破邪の奇跡……まあ、要するに攻撃のための奇跡なんだけど」
「ああ、そういえば、そういうの見せてもらうって口実だった」
「なんで言い出した当人が忘れてんの」
「……はは、本音を言うともうちょっとお喋りしてたかっただけだから」
「そう、じゃあ、見せなくていい?」
「うーん、みやびが嫌ならいいや。なんか聞く限り、あんまり楽しい想い出じゃなさそうだし」
「別に、そんなに気にしてないから」
「じゃあ、見たいかな」
「『刻印』を」
呟くと同時に、もっていたアイスの袋が十字の形に焼き切れる。一瞬の光と熱、それと少しプラスチックの焦げた匂い。
「おおう…………」
私が軽く手を払ってゴミを手から離しているさまを、あやかはどこか感嘆したような声で見守っていた。
「もっと出力はあげれるけど?」
「いやあ、充分」
軽く笑ってそう言ったら、そっと肩をすくめられた。お互い軽く笑って、アイスを口に含む作業に戻る。
「………………ふぅ」
「………………なんか、大変だね、みやび」
そう言われた時に、なんだか少しだけ胸の奥がじんわり傷んだ。
「別に、その分だけ恵まれてるし。人よりできることだって多いし。力がある分だけ義務と責任が乗っかてるだけだから」
「…………そーいうもん?」
「そーいうもん。だって私が、この力を無制限に振るい続けたら、きっといろんなところで困ったことが起こるでしょ?」
「……………………そーかあ」
「だから、コントロールしないといけないし。使う相手も選ばなきゃいけない。力が強い分だけたくさんのことを望まれるから、それにも応えないといけないし」
それが私の当たり前、生まれたときから定められた運命のようなもの。
「…………そっか」
ただその言葉を聴いたあやかは少しだけ、視線を下げてアイスを頬張っていた。
そして、なんでかその顔が少しだけ寂しそうに見えた気がした。
なんでだろ、私の話をしているだけなのに、しかもただ、果たされて当然の義務の話をしているだけなのに、なんであやかが落ち込むんだろう。
わからない、わからないな。
わからないのに、私の口はなんでかすっと言葉を吐きだしていた。
まるで言葉が勝手に胸の奥から湧き出してきたみたいに。
「―――私ね、孤児だったんだ」
「…………」
あやかの告解を、彼女の話を聞いていたからかもしれない。
ただ、喋りたくなっただけなのかもしれない。
どうしてそれを喋りたくなったのかは全然わからないけど。
「親が死んで、施設に預けられて、それでこんな変なことができたから、それを見つけたシスターに引き取られたの」
あやかはただ黙って私の話を聞いていた。私がこの子にそうしていたように。
「正直ねしんどかった。聖書は隅から隅まで覚えないといけないし、ご飯の食べ方一つだって決められてるし、奇跡の訓練は毎日毎日しなきゃいけないし。放課後遊びにも行けないから、うまく友達も作れないし」
「でも嬉しかったのも事実なんだよね」
「私、ここに来るまで、これを奇跡だなんて想ってなかったからさ。施設では変なこと気味悪がられることってずっと言われ続けて、誰も私の味方じゃなかったから」
「でもね、教会では違うの」
「奇跡を使うと信者の人たちが喜んでくれて、より大きな奇跡が使えるようになると、シスターたちも満足そうにしてくれる。誰かに何かを望まれるなんて、ずっとなかったから、そうやって求められることが嬉しくて」
「あと聖歌歌うのは好き、信者の人が喜んでくれるから。奇跡を使って傷を癒すのも好き、最近よく来る身体の弱い子に奇跡を使うたび、本当に嬉しそうにしてくれるから」
「そういう人たちの顔を見てるとね、辛くても、苦しくても頑張らなきゃって気になるから。こんな大したことない私でも、ちゃんと求められてるんだから、それに応えなきゃって」
「だからね、きっとあやかが想ってくれてるほど苦しくないから。心配しないで」
「ね?」
そう口にして。
口にしてから思わずぎょっとした。
あやかが、目の前のあやかがアイスを口に頬張ったまま、ちょっと目を潤ませていたから。
それでそのまま、こっちに手を伸ばしてきて、思わず引いちゃったけどそれでも伸びてきた手はそっと私の頭に置かれた。
そっと、撫でるように。
まるで、そう母親が子どもを労わるように。
「…………みやびは、ずっと頑張ってたんだね」
そう言われた瞬間に、胸の痛みがどくんと鳴って。
なんでか私まで目の奥がじくっと傷み始めていた。
それをどうしてか見られちゃいけないと想ったから、思わず自分の腕で顔を隠した。
あれ? なんで私こんなにあちこち痛いんだっけ。
「そんなに、頑張ってないよ。できてないことも多いし、使えない奇跡だってまだまだ一杯あって―――」
そう言っているのに、あやかは聞いているのか、いないのか。
ただじっと私の頭を撫でる手を止めなくて。
そうやって撫でられるたびに、どうしてか私の胸と目の奥がじくじく痛み続ける。
なんで、どうして。
わからないのに。
「だって、今日だって抜け出してるし。ほんとはやらなくちゃいけないこと、一杯あるし、ほんとはこうやって喋るのもしちゃいけなくて―――」
だって私はダメな子で。
まだまだ至らないところばかりの、未熟者の聖女で。
使える奇跡も大したことなくて、誰かの心もまっとうに救えなくって。
「今日あやかに使った奇跡だって、ほんとは気休めでしかないんだよ? 心の傷はまだ全然うまく治せなくって。一瞬、少し気を楽にすることしか出来なくって。ほんとはもっと、もっと頑張らなくちゃいけないから―――」
――――だから、私はまだ、頑張れてなんていなくって。
なのに。
なのに。
なんでだろう。
「大丈夫」
あやかにそう言われるたび。
「大丈夫」
なんで、こんなに胸が痛くて。
「みやびはもう、頑張ってるよ」
そう言われるだけで、心が崩れてしまいそうになるんだろう。
わからない、わからないまま私はただ俯くことしか出来なくて。
その間ずっとみやびの手の柔らかさだけが傍にあった。
私はただ、何もわからないまま。
ただ、そこにいた。
※
正直、みやびに話を聞いてもらうまで、私自身も余裕がなかったからなのかな。
みやびの言葉の端々に滲み出てる、辛さややるせなさがなんとなく感じられてしまったのは。
厳しい規律を、ただ言われるがまま守り続けて。
重すぎる力を、ただ独りで振るい続けて。
それを誰にも言えなくて、自分自身でさえそれに蓋をして。
それでも望まれているから、救われる人がいるはずだからと、それだけを支えにして。
それでも、自分の中にある辛さや、やるせなさは消える当てもなくただ残り続けて。
砂の城が波に流されて消えるみたいに。枯れ地の花がやがては潰えて朽ちるみたいに。
みやび自身の限界を、みやび自身が気づかないよう蓋をしているみたいに見えた。
………………まあ、今日、であったばかりの私じゃあ、何をわかった風な口をって言われるかもしれないけど。
こうやって、ほぼ見ず知らずの私に、機会ができただけで喋ってしまっている時点で。
それはもう彼女の中で蓋をしてやりすごすことすらできなくなっている証拠にも見えた。
その限界ギリギリの瀬戸際で出会ってしまったのが、たまたま私だったって言う、ただそれだけのことで。
この綻びはいずれ何処かで、必ず顔を出していた気はする。
ただそれがたまたま、今日、ここだっただけのこと。
……どうすれば、こんなみやびの心は救われるのかな。
「大丈夫、みやびは何にも悪くないよ」
わからない、私だって心の底から救われたこともないから、どうすればそこから這い出ていけるのかもわからない。
それにみやびの場合は、教会っていう、私から見ると檻のようなものから抜け出さないことにはどうしようもないようも見えるし。
「頑張ったよ。ちょっとくらい休んだっていいよ」
こんな言葉が、それこそ気休めにしかなっていないのは、我ながら嫌でもよくわかった。
「みやびはきっと、もう十分すぎるくらい、誰かのために頑張ってるよ」
それでも、それでもと私はできうる限り言葉を刻み続けた。続けるしかなかった。
「ちょっとくらい、自分を大事にしたってバチなんて当たんないよ。だから大丈夫、大丈夫だよ」
腕の中で震えるみやびの肩を抱きながら。
「辛かったもんね、苦しかったもんね。だから今は一杯泣いていいんだよ」
声すら上げずにただ俯く彼女にそう声をかけるしかできないでいた。
その言葉が何一つだって、問題を解決しないことを知りながら。
ただみやびが泣き止むまで、ずっと、ずっと。
じっと彼女の隣にいた。
アイスはすっかり溶けきって、気付けば陽も少し陰り始めたそんな頃。
ただ蒸し暑い、コンビニの駐車場の隅っこで。
私はみやびの音にもならない泣き声だけをじっと聞いていた。
辛いことも苦しいことも、何も変わらないとしても。
今、この瞬間だけはせめて、少しでも彼女の心が独りぼっちにならないように。
ただ、隣で。
結局、みやびが泣き止んだのはそれから三十分ほど経った後で。
その頃には、予定の時間をすっかり過ぎさって、もうだいぶあたりも暗くなり始めていた。
「大丈夫?」
そうやって訪ねたら、みやびは黙ってそっと頷いた。足取りはどこかおぼつかなくて、正直まだ心配だけど、そろそろ帰らないとまずいらしい。
こんだけ泣いといて、教会のことの心配が先にくるところが、余計私としてはいたたまれなさがあるのだけれど。まあ言ったところで、仕方がないか。
とりあえず服の袖でみやびの顔をごしごしと拭いてあげる。しかし化粧もしてないのに整った顔立ちですこと、おかげで涙で濡れても滲むメイクもほとんどない。
しばらくそのままみやびの顔を窺ってみたけれど、俯いて目元が腫れて、未だにしゃんとはしていない。というか、自分がどうして泣いていたのかすら、ちゃんとわかってないようにさえ見える。
今、どうにか動いているのも、ただ義務感で無理矢理身体を動かしているだけなんじゃないかなあ、これ。
なので、私は軽くため息をつくと、とりあえずその細っこい身体をぎゅっと抱きしめた。
腕の中でみやびの身体がびくっと驚いたように震えるけれど、お構いなし。
なにせハグは万物に効く万能薬であるというのがうちの教えだ。泣いた後は目一杯ハグをするに限る。
みやびはしばらく少し身をよじっていたけれど、やがて諦めたように身体の力を抜いて私に体重を預けてきた。私はふんむと鼻を鳴らして、そのままぎゅっと抱きしめ続ける。
私じゃあ、みやびが苦しんでいることを根本的には解決できない。
多分、それは私が悩んでいることを、みやびが解決できないのと同じこと。
でも、たとえそれでも、私たちはたまたま出会ってしまった。
出会って、たまたまお互いのことを喋って知ってしまった。
それも、きっと他の誰かにはあまり喋れないような、大事なことを。
私達は今日であったばかりで、それだけしか関係はないけれど。
それだけで充分なような気もした。
ちょっとだけ身体を離して、みやびの顔を改めて見やる。
元気は……なさそう。どういう感情なのかはみやび自身もよくわかってなさそうだけど、どことなく辛そうな苦しそうな顔はしている。
だから私は精一杯、そのおでこに自分のおでこをこすり合わせた。
ごりごりと、すりすりと、こすれてもお構いなしで。
今日、みやびから貰った元気を少しでも返せるように。
言葉らしい言葉は、私、口下手だから上手く紡げないけれど。
それでもせめて、みやびが独りじゃないことが、少しでも伝わるように。
「……………………」
「うりうりうりうり」
「……………………あやか」
「うりうりうりうりうりうりうりうり」
「…………………………あやか、ちょっと痛いから」
「うりりりり……あ、ごめん」
ぱっと頭を離すと、そこにはちょっと呆れたようみやびの顔がこっちを見ていた。……ちょっとだけ、調子が戻ってきてくれたかな。
みやびはふぅと軽く息を吐くと、そっと私から身体を離した。「ありがと」って一つ言葉を吐いて。
その応えに、私は思わずにまっと笑った。
私達は今日であったばっかりで。
知っていることも少なくて、解りあえていることなんて片手の指で数えられるほどしかなくて。
でもきっと、お互いの大事なところを、きっと人には上手く話せないようなことを知っているから。
だから、私はみやびに笑顔でいて欲しかった。
たった数時間の仲だけど、それくらいは想っても許されるでしょ。
そんな私の笑みに、みやびはようやくくすっと笑うと、うーんと身体をゆっくり伸ばした。
「あー、まずい。時間すっかりすぎちゃった、怒られちゃう」
「わーお、ごめん。私が誘ったばっかりに」
「いーよ、泣いて時間潰してたのは私だし。こっちこそ、ごめん。急に泣いたりして」
「私の話も聞いてもらってたしおあいこだよ」
「……ありがと。じゃあ私そろそろ戻るね」
「ん、じゃあ、また明日学校で」
私がそう言うと、なんでかみやびは少し驚いたような顔をして、それでもくすっと笑みを浮かべると軽く手を振ってくれた。
「うん、じゃあまた、学校で」
そう言って、みやびは教会に向けてさっと走り出して、私はそれを見送った。
そうやってみやびの背中を見送りながら、ふと考える。
お父さんは言いました。不幸に理由なんてないんだと。
お母さんは言いました。不幸には絶対に理由があるはずなんだと。
どっちが正しいかはわからないけど。
どっちも辛いことには変わりなくて。
それでも、私はそんな辛い中でも笑っていたくて。
不幸を言い訳になんてしたくなかったから、無理矢理にでも明るく過ごしていました。
怪我をしても、物を失くしても、友達を失って、お母さんを失っても。
そんな運命に負けてやるものかと、無理にでも笑ってやりました。
それに私が不幸になった分だけ、きっと周りの人が不幸になるのを防いでいるのだから。
それがきっと私の不幸の意味だから。まあ、私がそう想いたいから想い込んでいるだけだけど。
というわけで、どこまでいっても自己満足でしかない、一つの結果として。
誰かが傷ついてしまいそうな、そんな時。
私は身体を咄嗟に動かすようになりました。
その誰かを大事に想っているのなら、尚のこと。
考えるのを抜きで、身体が動くそのままに、まるで誰かに背を押されるように。
傷つきそうな誰かに向かって手を伸ばせるようになりたいと、ずっと願っていたんです。
なんて。
思考を。
した。
直後に。
みやびが丁度、歩み出した道路の向こうで。
車が。
やって。
通りがかって。
みやびはまだこっちを向いていて。
あれ?
ぶつかる?
なんて想った頃には。
走ってた。
名前を呼んで。
走ってた。
こっちを振り向きかけたみやびの背中を思いっきり、突き飛ばして。
車がやってくる軌道上に無理矢理私の身体を差し込んだ。
いやあ、まじか。
それにしても、我ながらよく間に合ったよね。
だって動き出すのが二秒遅れてたら、絶対、間に合ってなかったもんね。
判断が早い、うむうむ、こんな思考をする余地まであるぜ。
ていうか、あれだね、今日あんまり不運じゃないなあなんて想ってたけれど。
こういうパターンか、あんまり予想してなかったね。
いやはやそれにしてもさ。
車に轢かれるのは、初めてだっけ。
いや、ちょっとだけ覚えがあるね、あの時は足折るくらいで済んだけど。
てか、この車、さっぱり減速してないじゃん。みやびが出てくると想ってなかったのかな。
ていうか、身体は動かない癖に、思考は冴えわたりすぎでしょ、いくら何でも。
こういうのを何て言うんだっけ。あれでしょ、あれあれ。
今際の際に、思考がゆっくりになってくやつ。
そう。
いわゆる―――。
『これがあやかの最期の記憶』
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