傲慢 - Ⅴ
「―――なりません」
シスターに用件を告げて程なくして、そんな心無い返事が返ってきた。まあ、予想できたことではあるけれど。
「あまり信徒でもないものと、関わらないようにと言いつけていたはずですね? 俗世の知識や関係があなたを惑わすとも限りません。それにいつかの日、魔と対峙した際に、もしその子が人質に取られればとは、考えなかったのですか?」
シスターはこちらを向かず書類に目を通しながら、淡々と言葉を紡ぐ。
私はその言葉に、少しだけ目を逸らしながら、弱く微笑みを浮かべていた。
「あなたのためになりませんし。その子ためにもなりません。わかったらそのような約束忘れてしまいなさい。学校で出会っても、あまり関わらないように」
交わした約束を破るのは教えに反することじゃありませんでしたっけ?
そう心の中で毒づいて、私は「わかりました。私の考えが至りませんでした」と言ってから、そっと頭を下げて執務室を後にした。
それから、意味もなく天井をゆっくり見上げる。目の奥が滲むように痛むのを誤魔化すために。
まあ、別に大したことじゃない。
ただ今日、たまたまであった、同い年の子との約束が守れない、ただそれだけ。
何年も付き合った仲でもないし、お互いのこともちゃんとは知らないし。
別れ際に期待しないでねとは伝えてあるし、事実私も期待してなどいなかった。ダメでもともと、変わったことなど何もない。
だからこれは、予定調和。
いつもどおり、それだけのこと。
ああ、なんて言って謝ろうか。というか、どうやって伝えようか。
携帯の番号とか教えとけばよかったかな、いや履歴が残ったらシスターになんて詰められるかわからないから、結局ダメか。
鈍った頭の中でこれからの予定を反芻する。
ミサの片づけが終わったら、少し休憩してから、聖書の朗読、それと夕食の準備の後はそのまま夕食で……あとは大体、奇跡の訓練。余ったの時間で明日の課題と予習、そしたらもう就寝時間。
いつも通り、いつも通りの毎日。
何も変わらない、規定通りの日常。
今日の六時くらいに正門前で、なんてあの子には言ったけれど、六時ごろに顔を出せるだろうか、まあ出せないだろうね。誰かに言伝を頼んでもいいけれど、シスターのあの態度的に言伝を頼んでも、そっと握りつぶされるのがオチな気がする。
さあ、どうしよっか。
まあ、別に、いいのだけれど。
だって、今日であったばかりだし。
約束を破る薄情の奴だなんて、想われたところでなにも困ることはない。
だってただ少し話しただけの仲だったし。
ちょっと告解の真似事をして、あの子がしんどかったことを尋ねて。
ちょっと私の奇跡を見せただけ。
それだけだ、たったそれだけの仲だから。
だから多分、構わない。
だからきっと、問題ない。
どうせ大した繋がりじゃないわけだし。
そもそも私が、そうやって繋がりをもつに値するほど大した奴じゃないわけだし。
だから、きっと、多分。
大丈夫。問題ない。
嫌われたって、きっと。
問題じゃあ――――――。
ない、はずなのに。
どうして、こんなに眼が滲むように痛いのか。
別に大したことなんてないはずなのに。
どうして、こんなに、胸の奥が苛まれるみたいに痛いんだろう。
どうして、息をするだけで、すぐに何かがこぼれそうになってしまうんだろう。
わからない、わかんないや。
ただ今はうまく誰とも喋れない気がしたから、そっと窓を開けて空を見た。
夏の夕暮れはまだこれくらいの時間じゃあ、日が沈みきってない。
その熱さが、その日差しが眩しくて、目の奥が痛いけど。
それでも私は赤く染まった陽をただじっと眺めていた。
眼が少し、光に負けて傷んでも、あまり気にならなくて。
むしろ目の奥で滲む何かを誤魔化してくれる気がしたから。
ただ何をするでもなく、窓の外を、塀の向こう、教会の外をただじっと―――。
―――じっと。
――――――――――――じっと?
気のせいかな。
逆光のせいかな。
なんか塀をよじ登ろうとしているような影があるような。
………………。
窓を開けて、眼を直射日光から隠しながら、どうにかその影の姿を見る。
背格好は丁度今日見た少女と同じくらい、着ている服も同じかんじ、日に透けて見える茶色の髪も同じよう。
…………………………。
「『隠遁』を」
そう呟いてから、私はそっと窓の柵を乗り越えて、教会の外へと踏み出した。教会の仕様上、今も外靴は履いたままだし。それにいくら奇跡を使っても、正面玄関を通ればバレてしまうかもだから、こうするしかない。
それになにより、さっさとあの不法侵入者を、他のシスターに見られないようにしないといけない。
目尻に浮かんだ染みを払ってから、あまり音を立てないようにでも、できるだけ迅速に早歩きで教会の塀まで歩いていく。
程なくして、辿り着いた塀を見上げると、丁度今日であったばかりの少女と目が合った。
「あ」
「あ、じゃないから」
軽くため息をついてから、ここら一帯に奇跡をかけ直しておく。これで、まあ物好きなシスターが塀の点検でも始めない限り見つかることはないでしょう。
「あはは……」
「……で、何してるの? 約束までは、まだ三十分くらいあったはずだけど」
そんな私の問いに、あやかは困ったように頭を掻いた。それからよっと一声上げながら、私の隣の芝生に着地する。運動神経は意外とよさそう。もっとどんくさいかと想ってたけど。
「いやあ、ちょっと早く着いちゃって。入れてくれないかなーってインターホン鳴らして聞いてみたら、基本信者の方以外は入れませんって言われちゃってさ」
「そりゃ、そうでしょ。教会なんだから」
「だよね。で、待ってるのも暇だから。ちょっと覗いちゃおうかなって」
「……………………余計怒られると想うけど?」
「ですよね……。あはは…………ただなんとなくだけど」
「………………?」
「シスターさんの態度的に、なんか、そのまま入れてもらえない気がしたんだよねー」
「………………」
まあ、その予想はあってるから、何とも言えない。そういう所は、妙に察しがいいらしい。でもまあ、色々と丁度いいか。
「で、どうだった? 外出してもいいって?」
「ダメだって」
「あらー…………」
私の答えに、あやかは困ったように頬を掻いていた。
「もう少ししたら、またお勤めが始まるの。だからごめんだけど、うちにはいけない」
そうやって口にすること自体が、どこか胸が痛んだけれど、それでも言葉がするする出せる自分の薄情さ加減に少しだけ嫌気がさす。
「そか……そのお勤めっていつから?」
「あと十五分くらいかな……」
私の答えに、あやかはふむ、と考え込むポーズをとると、何を想ったかぴょんと塀を登り始めた。結構高い塀のはずだけど、何事もないようにするすると登っていく。
そうして塀の一番上で、こっちを見下ろすと、にっと笑ってわたしにそっと手を伸ばしてきた。
まるで。
まるでそう、この塀の内側から、私を連れ出そうとしているみたいに。
「うちまでは行けないけど、ちょっとお出かけしちゃおうよ」
そう言って、すっと手を伸ばして。
夕暮れの逆光の中、それでも楽し気に笑っている姿だけが、よくわかった。
「………………」
そんなことしたら、また怒られるでしょ。
「………………」
それにあやかがそこまでする意味ないじゃない。私達、今日であったばっかりなわけだしさ。
「…………………………」
バレたらあやかだって、どうなるかわかんないのに。
それなのに。
「ほら、いこ?」
なんで、私は。
「無鉄砲」
そう言いながら、彼女の手を取ったんだろう。
この時、この手を取らなければ。
あんなことにはならなかったのに。
なんて考えたところできっと無駄なこと。
少し汗ばんだ彼女と手を握って、塀の向こうへひっぱられながら。
そういえば、誰かの手を握ったことは奇跡を使うたびに何度もあったけれど。
ちゃんと握り返されたのはいつ以来だったっけと。
教会の小さな塀を乗り越えながら、そんなことを私はぼんやりと考えていた。
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