傲慢 - Ⅳ

 彼女に声をかけたのはただの偶然だった。


 聖歌を歌い、ミサを終え、信徒の人たちを見送った後。


 正門前に何やら座り込んでいる同年代の女の子を見つけたから、大丈夫? たまたま声をかけただけ。


 その答えに「大丈夫」と『嘘』の返事が返ってきたから、ああこれは熱中症か何かかなとあたりをつけて教会に無理やり連れ込んだ。


 特に深い理由はない、門の前で倒れられるのも困るし、後々想い出してちゃんと面倒を見ればよかったなんて考えるのが億劫だっただけのこと。


 そうやって話していると、何やら教会が苦手みたいで。


 私と同じだね、とは口には出さなかったけど、なんとなく気になってそのままこっそり、シスターや寮監にも内緒で部屋に連れ込んでしまった。


 当たり前だけど、信徒の中で教会が嫌いな人なんていない。いや、仮にいたとしてもそんなこと口に出せる人はいない。


 だから、そういう人の話をふと聞きたくなったのかもしれない。


 今にして思えば、告解だのどうだの言ってるけど、酷く自己中心的な理由だ。


 我ながら、醜くて仕方ないけれど、結果として引き出した少女の―――あやかの話はそこそこに重く苦しいものだった。


 語り口が軽いからなんてことはない風に聞こえるけれど、内容は痛くて重くて、心の傷そのもので。


 気楽に問うてしまったのが、少しだけ申し訳なくなるくらいには、彼女の心の奥底について触れる内容だった。


 「まあ、みやびは別に悪くないし、あんま気にしないでくれると嬉しいかなあ」


 なんて言っているけれど、肝心の当人があまり大丈夫な感じがしない。あやかが悪い話でもないし、理不尽を受けるのに相応しいような理由がある話でもない。


 不運っていうのは……そういうところまで含めてなのかもしれない。


 そして軽く彼女を見つめていても、悪霊や呪いの類がまったく見えないのが、余計に救いのなさを助長させる。


 だって解決するべき問題があったほうがまだ楽だから。彼女の母親が必死に理由を探していたわけも、少しだけわかる気がする。


 悪役がいてくれた方が楽なんだ、人は。降りかかる不幸に全く理由がないほうが、心の置き所がわからなくなってしまうから。


 でも彼女の不幸に理由はなく。


 彼女の不運に解決するべき問題などどこにもない。


 だからこそ、救われない。


 解決するべき問題も、倒すべき悪役もどこにもいない。


 多分、私の『奇跡』でもどうにもならない。


 それを想うと少しだけ胸の奥の方が痛んで。


 「…………辛かった?」


 と尋ねても気丈に笑う彼女を見ているだけで、少し吐く息が重くなった。


 でも、その後できたことは、ただの私の憐みだ。


 不幸な誰かを、ただ一方的に憐れんで、自己満足に手を伸ばす。


 信徒の前でいつもしている、そう望まれている、そんな当たり前のこと。


 本当は口の堅い信徒の人以外に見せるべきものではないけれど、開いた口はなんでか不思議とその迷いを置いてけぼりにした。


 「『心』に『癒し』を」


 ただ身体の傷と違って、心への奇跡は文字通り気休めだ。


 一瞬、胸の疼きが少しましになるとか、その程度のことしかできない。


 信徒の中にトラウマで苦しんでいる人もいるけれど、そう言った人への根本的な治療は私の奇跡でできたことがないから。


 だからこれも、ただの気休め。その場しのぎ。


 だから、君が驚いたように笑う姿を見て、また少しだけ胸が痛んだ。


 ごめんね、私にその傷は本当の意味では治してあげられないのに。


 それでも、君は驚いたような笑みの後、少し泣きそうな顔を向けてきて。


 その儚さがまた、私の胸の奥をどこか小さく痛めていた。






 ※





 「『奇跡』……?」


 「そう。歴代の『聖人』や『聖女』が授かったすごい力。ざっくり言うと呟いた言葉通りのことが起きるの」


 「わーお……」


 私の説明にあやかはぱっくりと口を開けたまま、首をかしげていた。うーん、これはよくわかってないな。まあ、無理に説明をする必要もないけれど。


 「物を直したり、傷つけたり。人の意識を集めたり、変なことしてても注目されなくなったり、色々できるよ」


 そう言って、私の自分の髪をさっと撫でる。生まれつき混じりっけのない灰色の髪を。


 「例えばだけど、普通、灰色の髪って『珍しく』ない?」


 「…………え、そう……かな? そうかも……?」


 首を傾げるあやかにわかりやすくするために、私は自分の髪にかけていた『奇跡』を解いた。


 『隠遁』の奇跡を解かれた髪は、見た目に何の変化もないけれど、それでも普通の意識下に帰ってくる。灰色の髪、普通あまり見ない髪の色。


 「うえ? うええ?! え、そういえば、なんでそんな髪色なの?!」


 瞬間、あやかは驚いたように目を見開いた。おっきな声もしっかりあげていい驚きっぷりだ。


 この異様な髪を、あやかはさっきまで認識していたはずだけど、注目できないようになっていた。そういう奇跡をかけていたから。ただ今は、改めてこの異様をちゃんと認識できるようになっている。


 「変でしょ。でも変ってことに、さっきまで気づけてなかったでしょ? こいうのが私の奇跡」


 「はえええ……、頭バグりそう……」


 もう一度、さっと奇跡をかけ直して、髪を元の状態に戻す。目の前でころころと認識が変わっていくあやかは戸惑ったように、首をぐるぐる揺らしてる。それを見ているとなんでか、少しだけ笑みが零れてしまう。


 「ほんとはもっとわかりやすい奇跡もあるけど、ここだと痕跡が残っちゃうから、ダメかな。あとでシスターにバレるといけないし」


 なんて私の説明を聞いているのかいないのか、あやかは必死に私の髪をじっと見て、触っては何度も首を傾げてる。でも、少ししてから、ぱっと私の方を見ると目を爛々と輝かせていた。


 「え、見たいなあ! ……だめ?」


 こーいう、反応なんか見たことあるんだけど、なんだっけ。…………あー、あれだ。本当に数歳の子どもに奇跡を見せたときの反応だ……。


 「残念、ここじゃあ無理だし。私、そろそろ、ミサの片づけに戻らないと」


 いい加減、行き倒れの人の面倒を見ていましたじゃあ、言い訳も通じなくなるころだろう。あやかも充分涼んだと想うし、そろそろ戻った方がいいはずだ。


 「………………」


 はずなんだけど…………。


 「………………なに、その顔?」


 すっと立ち上がりかけた私の髪をじっとあやかは引っ張らない程度の力で握っていた。どことなく潤むような上目遣いの眼で。


 「…………期待の眼差し」


 「…………………………」

 

 期待の眼差しってそんな堂々と向けるものなのだろうか。なんかもっと、言外に主張するものじゃないのかな。


 「……………………ダメだからね」


 変わらない眼。


 「………………………………ここじゃダメ?」


 離されない髪。


 「……………………………………ダメ」


 そこそこの沈黙。


 「…………………………じゃあ教会の外でならいい?」


 そんな馬鹿な。私だってこれからお勤めがあるし、シスターにいい加減顔を見せないと、何を言われるかわかったものではないし。


 第一、私たちは今日であったばっかりだ。そんな危ない橋を一緒に渡れるほど、お互いを信頼できているわけじゃない。


 「……………………」


 わけじゃないのに。


 「……ちょっとくらいお勤めさぼってもいいんじゃないかなー……? ほら、たまには頑張らない日があってもいいと想うんだ……」


 「……………………」


 それをダメとすぐに言えない私はなんなんだろう。


 「みやび、ここで聖女として頑張ってどれくらい?」


 そんな私の心の隙を知ってか知らずか、今日であったばかりの少女は、にやにやと笑いながら私を誘惑してくる。


 「大体……十年」


 「十年も頑張ったんだからさあ、一日くらいサボってもよくない。ていうかみやびサボった日とかあるの?」


 「病気の時以外は、ずっと欠かしたことが無いけど……」


 「ほらほらぁ、そんなんじゃ息が詰まるよ、もっと肩の力抜かないと」


 はっきりと断り切れない私を、あやかは肩をぐらぐら揺らしながら誘ってくる。にやにやと優しくも、どこか楽しそうな笑みを浮かべて。まるで悪魔の誘惑だ。実はほんとに悪魔で私を誘惑するために来たんじゃなかろうか。


 何て思って、ちらりと見てみるけれど、当然そんなわけもなく。彼女には目に見えない不運と同じように、魔の気配なんて一つもありはしない。


 ただ、善意で、あるいは好奇で、私をここから連れ出そうと誘っている。


 断って当然だ。


 「ねえねえ」


 聞き入れる余地もない。


 「いこ? いこうよー」


 考慮にも値しない。


 「行くんなら、私んちがいいかな? アイスとか食べにさ、抜け出しちゃおうぜ?」


 ていうか、目的が私の奇跡を見ること、からさらっと私を連れ出すことに変わってるし………………。


 私は深々と、たまりにたまったため息を、わざとらしく吐き漏らした。それを聞くと、あやかはさすがにひるんだのか、ちょっと申し訳なさそうにそっと手を引っ込める。


 「…………夕方からなら、少し時間作れるかも」

 

 結局、私がため息の果てに絞り出した答えに、みやびはぐっと親指を立てていた。


 「シスターに聞いてみるけど、あんまり期待しないでよ」


 そんな私の言葉を聴いてもその笑みは崩れない。私はやれやれと肩をすくめてため息を深くする。さて、どうやってシスターたちを誤魔化そうか。


 私達は―――特に深い理由もなく声をかけただけの関係だ。名前を知ったのも今日が初めて、話をした時間も多分、二時間にも満たないくらい。


 知らないことは山のようにあって、知っていることは多分、片手の指で足りる程度。


 想い入れも、想い出も、さして積み重なっていない関係に違いはないのに。


 なんでだろう。


 あやかが酷く楽しそうに、私の髪を握ったまま、私に笑いかけている姿を見ていると、少しだけ頬が熱くなる気がするのは。


 その笑顔を見ると、きっとこの後に待っているシスターの詰問も、寮監の説教も大して気にならなくなってしまうのは。


 一体、なんでなんだろうね。

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