傲慢 - Ⅲ

 結局、シスターに気おされるまま、私は再び彼女に手を引かれて歩いてた。


 一度、教会から出て裏手に回ると、そこには洋館のような建物がもう一つ建てられていて、そこにシスターは黙々と私の手をじっと握りながら足を進めていた。


 教会の陰で日陰にはなっているけれど、相変わらず空気は虫暑くて、虫の音と風の音だけが聞こえてくる。


 ……何なんだろう、この子は。


 なんだか急に真剣な表情になったけれど。


 私が突発的に教会が嫌いなんて言っちゃったから気を悪くしたかな。


 さっきまで微笑んでいたのに、今ではすっかり表情の消えた、どこか冷たささえ感じる顔をしているし。


 思わず気まずくなりながら、私は少女に手を引かれてその洋館の中に連れていかれた。


 洋館の中は教会の中と変わらず格式ばった感じで、ところどころに教会を思わせる十字架や聖典っぽい意匠がある。ただ少しだけ生活感にも近いような、人が使ったらしき跡があって。教会の人たちの居住スペースか何かなのかもしれない。


 階段を一つ上がって、一番手前の部屋までやってくると少女は、ドアノブを捻って私の手を引いたまま部屋に入った。どうでもいいけど、屋内なのに、ずっと靴を履いたままだ。そこんとこは、洋風仕様なのだろうか。


 「どうぞ」


 と部屋の中に入るなりベッドを進められて、少女は何やら呟きながら部屋の鍵をそっと閉めた。


 パタンと小さくドアが閉まる音がした後に、少しの静寂が部屋に満ちる。その間に少女はわきに抱えてあった飲み物をいくつか脇に置いて、エアコンの電源を入れて部屋を冷やし始める。


 私は何がなんだかわからないまま頬を掻きながら、ちらりと部屋の様子を眺めてみた。


 私室……かな?


 部屋はそんなに広くなくて、子ども部屋を少し大きくしたくらい。ベッドと机、本棚には聖書らしきものと、英語の本が数冊並んでいて、よくよく見ると参考書らしきものも入ってる。


 ただ私室というには、それ以上のものは何もなくて、本当に必要最低限っていう感じの部屋だった。


 やがてシスターは準備を終えると、私の前、向き合う形で机についていた椅子にそっと座った。それから、ふぅと軽く息を吐くと、そっと頭に巻いていたシスターの帽子を外した。


 するっと帽子から外れると同時に、腰ほどまである灰色の髪がすらっと伸びる。癖もなく真っすぐで流れるみたいに落ちていく。


 ほんとに綺麗だなと、なんだか非日常めいた感じがする。まるでこの子だけ物語の登場人物みたい。


 「え……と? シスターさん、これは……?」


 とりあえず頬を掻きながら、首を傾げて少女に意図を尋ねてみた。


 ただそんな私に、少女は同じように首を傾げながら、灰色の髪をさらっと揺らす。


 「教会が嫌なんでしょう? ここは教会じゃないから、少しはマシかと思って」


 さらっとどことなく抑揚のない言葉をそう彼女は呟いていた。


 「なる……ほど?」


 いや、理屈はあんまりよくわかってないけれど。


 「それと、教会の悪口を言うなら、こういう人に聞かれないところの方が言いやすいんじゃないかと思って」


 それから、何食わぬ顔でシスターの少女はそう宣った。いや、悪口て。


 「な、……ないよ、そんなの」


 「そう? 何かとっても色々言いたそうに見えたけど」


 「………………ないよ、そんなの」


 我ながら、思わず漏れ出てしまった沈黙が痛々しい。


 「うそつき」


 案の定、バレとるし。っていうか、最初は随分、優しそうな子に見えたんだけれど、なんだか随分と印象が違うような。


 「そういう君こそ、なんかさっきまで猫被ってなかった?」


 ただそんな私の言葉に、少女は悪びれた風もなく、指の先でシスターの帽子を器用にくるくる回していた。


 「だって他のシスターが見てるでしょ? 私、これでも教会内では、『聖女』なんて呼ばれてるから。少しくらい、しゃんとしてないと色々とうるさいの」


 そういって素知らぬ顔で鼻歌を唄う少女に、半ば呆れつつ、でも彼女の言う通り嘘をついてたのは事実だった。そんで今、ちょっとだけ肩の荷が降りているのも事実だった。


 「今時、聖女なんてほんとにいるんだね……」


 「ちょっと色々あってね。でも、今は自分の部屋にいるただの女子高生だから」


 だから教会とか聖女とか気にしないで―――。


 そう言って軽く肩をすくめる少女は、どことなく大人びていて、でも不思議と年の近い女の子らしくも見えた。さっきまでシスター服を着たそれこそ聖女みたいな出で立ちだったのになんだか、一気に身近に感じる。


 「あ、高校生なんだ。私も明日から、ここの近く高校通うんだよね」


 「へえ公立? 私立?」


 「私立んところ」


 「ふーん、おんなじ高校かも。何年生?」


 「一年」


 「同い年だ」


 「おー、わんちゃん同じクラスかも」


 「かもしれないね。名前は?」


 「あやかでぇーす。好きなものは抹茶だぜ」


 「そう」


 「ちなみに聖女様のお名前は?」


 「明星あけぼし みやび」


 「みやびちゃん」


 「ちゃんって呼ばれるガラじゃないけど」


 「じゃあ、みやびで」


 「そーね、あなたはあやかでいいの?」


 「おう、どんとこい」 


 だらだらと、なんだかさっきまではどこか非日常めいた出会いだったのに、今ではただの同級生みたいなか会話をしてる。なんだかおかしな気分にもなるけれど、そこそこ悪い気もしない。ていうかちょっと楽しい。こうやって同級生と会話できるのも、そういえば結構久しいような。


 「それで、あやかはなんで、教会嫌いなの?」


 なんて油断をしていたら、ぐさっと思いっきり言葉で刺された。うぐと思わずうなるけど、対面のみやびや特に悪気もイジワルもない、淡々とした表情で私を見てる。うーん、どうにも純粋な疑問で聞かれてるくさい。しかし……。


 「………………うーん」


 と、思わず唸ってしまう。だってあまり聞いて面白い話ではないし、気楽にできる話題でもない。まして相手の信じているものにケチをつけるようなら猶更だ。


 ただそんな私の迷いを見抜いているのか、たまたまか、みやびは自然な微笑みをそっと浮かべるとゆっくりと首を横に振った。


 「大丈夫、誰も聞いてないし。そのために場所を移したんだから。悪口なんて幾らでも言ってもいいよ」


 「……あんまり聞いてて、面白い話じゃないよ?」


 「『聖女』なんてしてたらね、告解なんて聞き慣れてるの。それに私、人の話を聞くのそんなに嫌いじゃないし」


 そういって浮かべる笑みは、どことなく意地悪気で。うーん実はだけどこの子、性格自体は悪い子か? という疑念がすっと浮かんでくる。でもまあ、今ちょっと楽なのはその悪い子要素のお陰な気もしてくるわけでして。


 結局悩んだ末に、私は口を開くことにした。


 うん、告解ほど大げさなもんじゃないけれど。


 ただの、ありがちな家庭環境のすれ違いの話だけれど。


 だから別に口にしたって構わない……よね?


 「……私って結構『不運』でさ」


 「うん……『不運』?」


 「そう、よく物にぶつかったり、落ちてきたものに当たったりしちゃうんだよね」


 「不注意っていうこと?」


 「うーん、それもなくはないんだけれど。それじゃあ説明つかないことも一杯あってさ。先週なんか、通りがかりの犬に背後から噛みつかれたりしたっけな。さすがに注意してても、ちょっと避けらんない」


 「それはそうね……」


 「後は、先々週は車が跳ね飛ばした石が脇腹に直撃して。その前の週は少年野球の球がおでこに当たってでっかいこぶ出来て。そのもう一つ前の週は、歩いてた土手が崩れて坂を思いっきり転げ落ちたり」


 「……大丈夫だったの?」


 「ああ、大丈夫。不運慣れしてくるとね、ちょっとやそっとじゃ動じなくなってくるから。これくらいの怪我なら病院行った方がいい、これくらいは大丈夫とか段々わかってくるからね。今は絆創膏と消毒液も自分でも持ち歩いてるしね」


 「…………それは」


 「でさ、お父さんの方針はさ。『不運はもう仕方ないから、できるだけそのうえで幸せに生きようね』だったんだよね。だから不運が起こった後のこととか、どうやって気持ちを取り戻すとか、どうやって怪我を速く治すとか、そういうことを一杯教えてもらったんだよ」


 「…………前向きね」


 「でしょー。私もどっちかって言うとそっち派で。…………でもね、お母さんはちょっとだけ考え方違ったんだ」


 「…………」


 「お母さんは『どうしてこんなに不運が起こるのか。どうしたら不運で怪我をしなくて済むのか』ってことをずっと考えてたんだよね」


 シスターの少女は、みやびは、じっと黙って私の話を聞いていた。


 「まあ、そりゃあそうなんだよね。子どもが帰ってきたらさ、毎日毎日、なんか怪我して帰ってくるの。不注意なのかと思って、気をつけなさいよって言っても、不注意なんて関係ない方法で怪我して帰ってくる。悪ふざけでクラスの子が投げたペンが腕に刺さったこともあるし、上の階の花瓶が落ちてきて頭に当たったこともあるし」


 「我ながら、さすがに死にかけたなって時も結構あってさ。そりゃあ心配になるよね、自分が親だったら私も同じ風に心配するだろうし」


 「でね最初は、対策してたの。膝当てしたり、ヘルメット被って登校したり。丈夫な服着たり、道行く人や来る全部を警戒して過ごしたり」


 「でもねー、私のそういうの全部台無しにするくらい不運でさ。ヘルメットで頭を守ったら、次の日は足をぐねって帰ってくるし。膝当てをつけたら、お腹にボールが直撃するし。給食に交じってた一個だけ腐ったパンを食べちゃったこともあったなあ……まあ、あれは私が食べる前に気付いたらよかったんだけど」


 「まあそんなわけで。段々、どうやら物理的に対処しても、この『不運』はどうしようもないぞってことに、私もみんなも気が付き始めたんだよね」


 「……それで、お母さんはそっから、見えない不運をどうにかしようって方向に考えがいっちゃったみたいでさ」


 「最初はパワースポットを巡って、少しでも運気を上げようって言いだして。それは、ちょっと旅行みたいで楽しかったかな。でもしばらくしたら、それじゃあ効かないってわかっちゃって」


 「次は、占い師の所に連れていかれて、凶運の星がついてるって言われたらその占い師が勧めるのものは何でも買って。それでも効かなかったから、今度は神社に行ってお祓いしてさ。後はもう手あたり次第、不運をどうにかしてくれる何かを探してひたすらにいろんなものにのめり込んでったんだよね」


 「でさ、そうやって不安になったお母さんが、最終的にどこに頼ったかっていうのが……まあ、宗教だったわけでして」


 「近くの、ここみたいな十字架掲げた教会でさ、今考えるとちょっとカルトっぽかったけど。そこに会合だミサだって言って何回も連れていかれて。お母さんはそのたびに何度も何度も高いお金払ってさ、あなたのためあなたのためって言って、魔を祓う儀式みたいなのを受けさせてさ」


 「そんなお母さんが、私、段々怖くなっちゃって」


 「教会の、神父だかなんだか、よくわかんない人が、私を見てる目がなんでか気持ち悪くてさ」


 「儀式だって言いながら、身体を何度も撫でられるのが死にたくなるくらい嫌でたまんなくてさ」


 「結局、お父さんに泣きついて。そしたら凄い夫婦喧嘩になっちゃって、私のためなのに、なんでわかってくれないのって、お母さん泣きながら怒ってて」


 「そうだよね、私のためなんだよね、仕方ないよねって」


 「最後にもう一回、もう一回だけって想って儀式を受けにいったらさ」


 「身体を触られた瞬間に、どうしようもなく身体が震えて、気持ち悪くて吐いちゃって。儀式も台無しになっちゃって」


 「それでお母さん、あなたのせいで教会での立場がなくなったって怒るようになっちゃってさ」


 「そっからはもうあっという間。いい加減、我慢が限界にきたお父さんが、大喧嘩した後に離婚だってことになっちゃって」


 「私はどっちについていくか選ばなくちゃいけなかったけど、怖くてお母さんの方は選べなくってさ」


 「またあんなことがあったらって想ったら―――怖かった」


 「それで、教会から離れるために、お父さんと一緒に引っ越して、ようやく昨日引っ越しが終わったんだよね」


 「だから、今でもちょっと教会とか、苦手でさ」


 「わかってるんだよ? 同じ十字架掲げてても、色んな所はあるものだって。あれはあの神父が悪かったからあんなことになってただけで、別にみやびが悪いわけじゃないってさ」


 「わかってるけど、さっき教会にいたときは正直ちょっと怖かった。またあんなことになるんじゃないかって、ちょっとだけしんどかった」


 「………………うーん、我ながら重いな、話が」


 「まあ、みやびは別に悪くないし、あんま気にしないでくれると嬉しいかなあ」


 そういって笑ったら、みやびはじっと真剣な瞳で私を見ていた。


 私は気づけば、その姿に思わず、飲まれてしまったと言うか、少し魅入ってしまっていた。


 じっと吸い込むような、何かに心の中まで覗き込まれているような。


 そんな不思議な感覚が、じんわりと身体の内に広がっていた。


 そうしてじっと見入られて、十秒か少したったくらいで、みやびは小さく口を開いた。


 「…………辛かった?」


 「まあ、うん、辛くはあったかな。でもまあ、もう終わったことではあるからね」


 「あなた……強い人ね」


 「そう……かなあ」


 むしろ不運なのもあって、貧弱キャラに定評のあったあやかさんではありますが。


 なんて笑っていたら、みやびは少し考え込むように腕を組んだ。それからじっと眼を閉じて思案した後、すっと瞳を開くと私の頬に優しく手を伸ばしてきた。


 「……触っても大丈夫?」


 最初はちょっと思わずびくっとしてしまったけれど、そうやって確認することで私の中の恐怖を少しでも和らげてくれようとしてくれているのわかったから、自然と呼吸は緩んでいた。


 「…………うん、大丈夫」


 私が答えると同時に、みやびの柔らかい手がすっと私の頬を撫でて、まるで何かを探すみたいにゆっくりと顔を撫ぜられていく。


 「今でも思い出すと辛くなる?」


 優しい言葉。まるで傷跡が痛まないようにそっと触れるか触れないかぎりぎりで、その形を確かめるみたいな優しい言葉。


 「うん、ちょっと……いや、結構辛いかな」


 「そういう時、…………身体のどこかが痛くなったりする?」


 言われて初めて、ふと、自分の身体を意識する。嫌なことを想い出しているだけで身体が痛くなったりするんだろうか。


 試しにお母さんや神父のことを想い出してみようとしたけど、瞬間に頭と胸の奥の方でじわっと黒い何かが滲むみたいな感覚があった。……今までこんな痛みに無自覚だったのかな私は。


 「ちょっと、痛いかな。胸と頭の……奥の方」


 「どんな風に?」


 どんな風?


 「なんか、嫌なものが滲んでくるみたいな、じわじわ……じくじく? なんかそんな感じで痛いのが広がってくる」


 「そっか、…………ありがとう」


 ふと気づいたら、みやびの手が私の頭を抱きかかえるみたいに回されていた。それがともすれば恐ろしく感じられてもおかしくはなかったけれど、なんでか不思議と腕の温かさが心地よくて嫌な感じはしなかった。


 それから。



 「ねえ」



 みやびは。



 「大丈夫」



 そう言って。



 「大丈夫だから」



 私に。








 「『心』に







 『癒し』を」








 不思議な、感覚がした。





 何か。





 胸の奥にずっとつっかえていた何かが。





 じんわりと温かく溶けていくような。





 私の胸と頭の奥にずっと滲んでいた黒い染みが。





 小さく、小さく萎んでいくような。




 胸の奥に小さな穴が一つ空いて、そこから黒い何かが私の外に流れ出していくような。





 そんな不思議な感覚がそこにはあった。





 その感覚が何を意味するのか、わからないまま目を開けて。





 そしたらそこにはおでこがついてしまいそうなほど近くに、みやびの綺麗な顔があって。





 それで、





 「………………え?」





 「言ったでしょ? 『聖女』なんて呼ばれてるって」





 まっさらな灰色の髪が私の視界を覆いながら、その向こうで少女はどこか優し気に笑っていた。





 「でも、他のシスターには内緒ね? バレたら怒られてしまうから」





 そう言ってどこかいたずらっぽく、その唇にそっと指を押し当てて。





 そんな姿に、私はただ見惚れていることしか出来ないでいた。





 胸の奥の黒い何かがゆっくりと溶けだす感覚だけを感じながら。

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