傲慢 - Ⅶ
劈くようなブレーキの音。
乾いた金属の反響音。
柔らかい
アスファルトの匂いと、焼け付くような熱さ。
身体を、少し打ち付けた痛み。
揺れる視界、定まらない意識。
遠く向こう、止まった車から少しずれた場所。
「え?」
漏れる声。
「あやか?」
震える喉。
「あやか?」
ふらつく足。
帰ってこない答え。
「あやか?」
漏れる声。
落ちる膝。
閉じられた、君の眼。
「あやか?」
私の代わりに、君が轢かれた。
「…………ッ」
平手を、打ち込んだ。
自分の頬に。
馬鹿。呆けてる場合か。
まだ、まだ間に合う。
今、奇跡を使えばまだ間に合う。
「
まだ。
「
想いだすな! 余計なことを。
震えるな! 今、そんなことを考えてる余裕なんてない!!
「
黙って! 黙ってお願いだから!!
治癒、治癒を掛けなきゃ。
震えるな指、ちゃんと震えろ声。
「き……ずに……いや……しを」
ああ。ああ。
なんでうまく震えない。なんでうまく声にならない。
急げ。急げ。
重症の時は、一分一秒が生死に関わる。
今、こうしている間に、もあやかは凄い早さで死に近づいてる。
視ろ、聴け、認識しろ。あやかが負っている傷を、あやかが失った何かを。
一つだって取りこぼすな。
頭、血が零れてる。脳にダメージ?
首は、大丈夫? わからない。あまり動かすと、余計にダメかも。
身体、全身を強く打った? だらんとしてる。力の一つも入ってない。
口からは、血。内臓が壊れてる。くそくそ、見えないものはうまく治せないのに。
「『傷』に……『癒し』を!」
そうだ、ちゃんと震えろ。ちゃんと紡げ。
「『痛み』に…………『安らぎ』を!!」
頭の傷を塞ぐ。
「『傷跡』に………………『修復』を!!!!」
次、身体。内臓も可能な限りイメージして、少しでも取りこぼすな。
繰り返せ。
「『傷』に『癒し』を!!」
取りこぼすな。
「『痛み』に『安らぎ』を!!」
あやかの命を。あなたの生を。
「『傷跡』に『修復』を!!!!」
一つだって。
取り―――こぼす。
「―――――あれ?」
気づいて―――しまった。
傷跡は少しずつ塞がってる。
血も少しずつ止まってきてる。
『奇跡』は効いてる。効いてるのに。
なんで目を覚まさなくて――――。
「あやか?」
どうして。
「あやか!!」
なんで。
「あやかっっ!!!!!」
ああ。
ああ。
ああ。ああああああああああああ。
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。
あ――――――――――――――。
あ。
そっか。
『奇跡もどうやら、そこまで万能ではないようですね』
そっか。
『『死』を覆すほどの力はないと』
あの時。
『救世主の再演とはいきませんか、なるほど』
あやかが車に轢かれた、あの時に。
もう。
あの時点で。
『 』んじゃってたんだ。
そっか。
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何が。
何が『聖女』だ。
同い年の少女一人、救えやしない。
こんなに綺麗に眠っているような顔なのに。
この眼を開けることすらできやしない。
どれだけ傷を治しても。
どれだけ跡を塞いでも。
一度決定された『死』は覆せない。
何が聖女だ。何が特別だ。
こんな力、一体何の意味がある。
たった一人の手も握れない。
こんな力に。
何の意味が。
……………………?
身体は綺麗だ。
彼女が生き返らないのは、もう既に彼女の死が確定してるから。
『死』っていう概念がもう彼女と結びついてしまったから。
これを剥がすことはできない。それは死の理を覆すことに他ならない。
それはいわば神の所業。救世主だけに許された理外の御業。
……………………本当に?
冷静に考えろ、救世主は出来たんだ。過去に一度はできたんだ。
出来たことがあるのなら、方法は必ずあるはずだ。
死を超越して、それでも命を呼び戻すそんな手段が。
『死』を覆す。
『死』を引き剥がす。
『死』を乗り越える。
この世の理から外れた力を。
私はずっとこの身体に宿してきたはずだ。
「『少女』に『鼓動』を」
試せ。
「『少女』に『復活』を」
試せ。
「『少女』に 『
あ。
出来る。
口にした瞬間に唐突に湧いてきた。
まるで根拠なんてない、なのに明確な、直感。
今、この瞬間、あやかの死は確定したものであっても。
あやかの状態を、過去のあやかの状態に上書きする。
死という事象そのものをなかったことにする。
それだけで、たったそれだけでいい。
「『回帰』を」
それだけで、たった、それだけで。
「『回帰』を」
この理を捻じ曲げられる。
救世主の奇跡に手が届く。
たった、それだけで。
そしたら、もう一度。
もう一度。
今日、出会ったばかりの君の声を。
もう一度。
君の手の温かさを。
ただもう一度、感じていたくて。
だから、私は—――。
※
『とはいってもね、そう簡単な話でもないの』
『……と言いますと?』
『集合的無意識というのかな、一度、付着した『死』の概念はそう簡単に外れない。なぜなら、この世界に住む数多の人たちが、かつて生きてきた人たちが。『死』は決して覆らないものということを、絶対のルールとして信じ込んでいるから。その常識があなたへの『回帰』を阻害してしまう』
『…………ふむ、じゃあやっぱり、私は生き返れないんですか?』
『普通はね? ただ――――』
『ただ?』
『そうね、みやびが受け取った力の六割をほどを
『…………それ、みやびは大丈夫なんですか?』
『うーん、あんまり大丈夫じゃないかも。みやびの身体は結構、奇跡ありきで出来上がってるから。イメージとしては身体の血肉が急に半分に削げ落ちちゃうくらいの痛みがあるかな?』
『それ、大概の人間死にそうですけど……』
『まあ、そこは幸い。あの子、特別だから。大丈夫だと想うよ? すっごく苦しくて血反吐吐いちゃうくらいにしんどいとは想うけど』
『…………そこまでして』
『生き返らなくていい? 折角みやびがこんなに頑張ってくれてるのに?』
『………………意地悪いうなあ』
『ふふふ、ごめんねあやか。久しぶりに誰かと話せたから、少し楽しくなっちゃった』
『とりあえず、なんにしても今、みやびはすっごい頑張ってくれてるんですね』
『そーいうことなのだ』
『ていうかこんな色々教えてくれて大丈夫なんですか? なんか世界の重大な秘密っぽいですけれど』
『そこはそれ、あなたが『回帰』したときには全部忘れちゃうから。ほら巻き戻ったら、私と出会ったことすらなかったことになっちゃうでしょ? だからこそ、今こうしてお話しできるんだよねー。ふふ、ほんと久しぶりだから緊張しちゃった』
『なるほど。ところで、今更なんですけど』
『うん、なーに? なんでも聞いて?』
『
その人は、どこか慈しむようにそっと柔らかな笑顔を見せた。
『君たちの言葉で、
『神』だったり、『天使』だったり、
『悪魔』だったり、『魔王』だったり』
『いろいろ呼ばれてるけど、結局、ただ君たちに頑張って、諦めないでって応援してる』
『ただそれだけの、存在かな』
※
一つ、懸念事項がある。
『回帰』なんて奇跡、使ったのが初めてだ。
加減がまったくわからない、未知もいいところだ。
こんな奇跡起こせること自体、今までそもそも知らなかったし。
仮に巻き戻るのが、数時間や数日ならいいけれど。
数週間、数か月、数年になれば、あやかの人生に確実に狂いが生じてしまう。
そうでなくても、巻き戻しすぎればあやかの存在ごと消失することだってあり得てしまう。
わからない。でも、わからないままに行使するしかない。
逆に巻き戻しが足りなければ、結局あやかは傷ついたまま終わってしまう。
集中しろ。
聖句を唱えるたび、身体の奥底から、致命的な何かが流れ落ちていくような感じがする。痛みとも脱力感ともつかない何かが全身を蝕んでいく。
自分の血液をまるで対価に払っているかのような、貧血をもっと酷くしたような眩暈が視界を揺らす。口から何かが溢れたけれど構う余裕はない。
それでも集中が途切れないように、必死に眼を凝らし続けた。
段々と、あやかの様子が変化してくる。
見逃すな。
あやかは一見様子はあまり変わらないけれど、眼に見えて傷が減って、それからもう一度傷が増え―――――――。
『その前の週は少年野球の球がおでこに当たってでっかいこぶ出来て―――』
その瞬間に奇跡を解いた。
あやかのおでこには、何かをぶつけたような赤い跡。
私とは出会ったときにはなかった、そして事故の時、強く打ったのはここじゃない。
でも、これも一応、治しておいたほうが……いいかな。
「『傷』に『癒し』を」
口にすると同時に、自分の息が異様に荒れていることに気が付く。口の中も異様にべとべとする。
ずっと奇跡を行使していたから、知らないうちに身体に負荷が出ていたのかな。全身が重くて、虚脱感で視界がぐるぐる回る。
それでも、まだ眠っているあやかの手をそっと握って、その手首にゆっくりと耳を寄せた。
お願い。
お願い。
お願い。
それから、その少し暖かい手の奥で。
とくん。
って、何かが脈打つ音がして。
顔を見たら少しだけ口元が動いてて。
胸元を見たらゆっくりと確かに上下していて。
恐る恐る、揺れる胸にそっと耳を当てたなら。
ドクン、ドクンって。
確かに。
君の。
命の音が鳴っていた。
ああ。
あああ。
あああああああ。
零れる。何かが。
でもいい。構わない。
よかった。
よかった。
ちゃんと君を繋ぎ止められた。
初めて、ちゃんと話せた君を。
初めて、ちゃんと触れ合えた君を。
その手を離さなくて済んだ。
よかった。
よかった。
君は少しむずがゆそうに身体をよじると。
そっと身体を起こして、私を見た。
それから、あやかは―――。
「
……………。
ああ。
そっか。
二週間前に巻き戻ったていうのなら。
当たり前だけど、私との記憶はもうなくて。
今日の出来事は私しか覚えてなくて。
それは少し寂しいことではあるけれど。
でも。
生きていてくれたなら、それでよかった。
たとえ、君がもう私が打ち明けた告白を覚えていないのだとしても。
それでもよかった。
だって、また聞いてもらえばいいんだから。
きっと、それでいいんだから。
だから今零れているこの雫は、きっと嬉しいから零れていて。
そうに違いないんだから。
「私ね―――」
でもちょっとだけ寂しいかな。
「みやびっていうの―――」
だから、また聞いてね。
「ねえ、あやか―――」
また一杯、話すから。
「あやか―――」
だから、また――――――。
※
目が覚めたら、なんでか私は道路に寝転がっていて。
その隣で介抱してくれてたらしい、灰と少し黒の混じった髪色のシスターの服の女の子が、なんでかわけわかんないくらいに泣いていた。ついでに血も吐いていた。なんぞこれ。
それで、周りには同じようなシスター服の大人とか、車を止めた運転手らしき人とか、通りすがりの人も一杯いて。とりあえずわけわかんない。
……っていうか、ここどこだろう。なんか見慣れない街にいるような。
えーと、私の覚えてる限りだと、お父さんと引っ越し準備でいろいろ買い出ししている途中に、近所のがきんちょのボールがぶち当たった所までしか覚えてないんだけれど。
わけもわからないまま、私は腕の中で震えるように泣いているシスターの女の子の肩を抱いていた。
何が何やらさっぱりだけれど、すんごく心配されていたらしい。
いやはや訳が分からんね、わからんけれど、きっと悪い子じゃなさそうだから。私は抱き着かれるがままにしていた。
これが私と、後々実は『聖女』だったなんて告白されるみやびとの出会いなんだけど。
この時は、ただ何もわからないままで。
ただどうしてか、頭の奥の、遠く向こうで、誰かの声がしているような気がしてたんだ。
『頑張ってね』
そんな暖かくて優しいような声で、そう誰に背中を押されていたような、そんな気がなんでかしてた。
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