傲慢 - Ⅰ

 人が不幸になるには、必ずそれに相応しい理由があるそうです。


 『だから、あなたの中の不運をどうにかしてもらわないといけないの』


 人が不幸になるのに、必ずしも相応しい理由などないそうです。


 『だから、あやかが悪いなんてことは一つもないんだよ』


 どちらが正しくて、どちらが正解なのでしょう。


 私なんかのちっぽけな脳みそではその問いに答えを出すことは、ちっともできそうになくて。


 だから私は何の明確な理由もないままに、あの時、お母さんの手を取ることができませんでした。


 




 『これは、もうどこにも存在しない、誰も知らないあやかの記憶』











 ※



 





 梅雨の切れ目、夏がそろそろ本格的に空を照らし始めるころ。


 私はお父さんに「ちょっと外に出てくるよ」とだけ声をかけて、独り、何も持たずに新居を飛び出した。


 引っ越したばかりで知り合いなんて、誰一人もいない街へ。


 そこは地方都市っぽい結構栄えた街だった。でも日曜日なのに、住宅街は不思議と静かで子どもの声一つ聞こえない。


 見慣れない街を、しばらく歩いて、当たり前なんだけど、行くあてなんてどこにもないことを思い知る。


 だってこの街に、友達なんて一人もいないし、遊びに行くのにも、どこに行けばいいのかもわからない。


 ましてもう夏めいた、強い日差しが降り注ぐ中じゃあ、そんなに歩き回れる元気もなかった。むしろ熱中症でぶっ倒れそうなくらい。


 なんでわざわざ出てきたんだっけ。特に理由なんてなかったかな。


 そうして、ふらふら歩いてると、変に思考が空回って、嫌なことばかり想いだされる。


 お母さんのこと、お父さんのこと、友達のこと、学校のこと。


 繰り返すだけで、不思議と嫌な気分になる。嫌な気分になる癖に、記憶はちっとも止まってくれない。


 そういえば、明日から新しい学校なんだよね。意気消沈しすぎて、気はさっぱり乗らないけれど。というかこれで気を乗せようって言う方が無理があるよね。


 はあ、と独りため息をついて、でもそれ以上に暑さで身体がどうしようもないくらいに重かった。


 ああ、ちょっとくらいお金くらい持ってくればよかったかな。携帯も持ってき忘れてる。なんか持ってたら、途中でアイスくらい買えたのに。


 途中で見かけたコンビニを冷やかして、身体だけでも冷やしていこうかと思ったけど、なんとなく申し訳なかったのでスルーした。


 ただ五分も歩けば、簡単に後悔してしまう。


 だって、空を見上げれば、うだるような暑さがこれでもかと降り注いでくる。


 はあ、いい加減にしないと、本当に倒れてしまうなあなんて、想っている時だった。



 歌が。



 聞こえた。



 綺麗な歌、透き通るような歌。



 しらない歌詞っていうか、日本語じゃないと想うけど、それなのにメロディはどこかで聞いたことがある気がする歌。


 なんとなくそれに誘われて、ふらふらと進路を変える。


 暑さにぼーっとゆだったような頭で、綺麗な楽器の音色みたいな歌声に導かれるまま歩いてく。


 程なくして、住宅街の真ん中にある、立派な建物が目に入った。


 おおよそ普通の家の四つ分くらいの大きさの、大きな山形の建物に、おっきな庭がついた真っ白い建物。


 ただそれを見た瞬間に、思わず足がびくっと停止する。


 教…………会……だよね。


 軽く視線を巡らすと、入り口らしきところに案の定なんとか教会って、お洒落な表札がつけてあった。私が知ってる関係のとこではないけれど、やっぱり少し気おされる。


 ………………。


 耳を澄ませると、中からさっき聞こえてきた綺麗な歌が、変わらずに響いてる。そこまできてようやく、私はそれが讃美歌であることに気が付いた。やれやれ、メロディはなんとなく知っているはずだそりゃ。


 そこからは、なんとなく暑さで頭がぼーっとしていたせいだと想うけど。


 私はそのまま、その教会の塀に背中を預けると、ずるずると座り込んでしまった。


 丁度そこが、良い感じの日陰になっていたのが理由の一つ。


 いい加減、歩き疲れたのと暑さに参っていたのが理由の二つ。


 最後の理由はよくわかんない、でも私はよく特に理由のないことをしてしまう。おかげで、お母さんになんでそんなくだらないことするのって、叱られてばかりいたっけね。


 でもさあ、本当に人間が何かするときに、明確な理由なんてあるものなのかなあ。


 そうやって言い返したらますます怒られたりしていたっけ。


 なんて軽く独りでほくそ笑んでいたら、気付けば歌は止んでいて。


 別の音がすると想ったら、教会からはぞろぞろと人が溢れ出していた。


 やば、なんか行事終わったのかな。っていうか、私どれくらいぼーっとしてたんだろう。


 慌てて、塀から離れようとしたけれど、なんか急に離れるのも不審者感が溢れる気がしてしり込みしてしまう。


 そんなこんなで結局、日陰で休んでますっていう体で、わざとらしく暑そうにしながら、教会からぞろぞろと出て行く人を見送った。


 途中、何度か不思議そうな視線に晒されたけど、幸いなことに大半の人はそのまま何気ない調子で通り過ぎていった。途中で子どもが一人、あのお姉ちゃんどうしたんだろってその子の親に尋ねていたくらいだった。


 その子のお母さんは特に返事をしなかったけど、私は素知らぬ顔で視線を逸らす。


 ふぅ、危ない、危ない。引っ越して早々、不審者扱いは避けられたかな。


 ただそうやってお母さんらしき人に手を取られて帰っていく子どもを見ていると、少しだけ胸の奥がじくじくと痛んでくる。


 なんでかな、いやまあ、理由なんて考えるまでもないけれど。


 人が一通り過ぎ去って、それを見届けてから、独り、軽くため息をつく。


 まあ、お母さんを想いだすから変な気分になるんだよね。至極、当たり前に。


 私もいつかの日は、ああやって手を引かれていたわけだから。


 ただ、もう今の私は、その手を振り払ってしまってたから。


 そして、多分、もう誰かに手を引いてもらうようなことは、二度とないんだろうなって。


 そう考えると、なんだか胸が空っぽになったみたいな、変なやるせなさだけが心の中にぼこぼこと湧いてくる。


 だから、何をするでもなく、何をしたいでもなく、しばらく空を眺めてぼーっとしていた。蒼い、蒼い、でも何一つも浮かんでない空を眺めて、ただ独り。



 胸に空いた空っぽの感覚だけを感じながら。



 ただ独り、なんともなしにぼーっとしていた。



 ああ、こんなことしてたら、そのうち熱中症になるなあなんて考えはするけれど。



 どうしてか、手も足も、ぴくりとも動いてくれなくて。



 胸の奥の空っぽから、私を作り上げていたものが、全部溶けて流れ出してしまったような。腕と足が私のものじゃなくなって、すっかり動かなくなってしまったような。



 そんなどうしようもない感覚だけを、独り、感じてた。



 そんな時のことだった。



 ふっと頭上に影が差した。


 

 膝を抱えて空を見上げながら、ぼーっと口を開けていた私を、真上から見下ろすように。



 丁度、降り注ぐ夏の日差しが逆光になって、真っ黒になった影がじっと私を見つめていた。



 え。



 と思わず声が漏れた直後に、違和感にはたと気が付く。



 影は最初は逆光で真っ黒に見えたけど、よくよくみると影の周りを透き通ったような色がキラキラと舞っていた。水面に映る太陽の反射みたいに。



 透明で、降り注ぐ日差しを反射して、風に揺らぎながら、透き通るように輝いて。



 そんな後光みたいな光を纏いながら、私を見降ろしている誰かがいた。



 そんな姿に思わず、口をただ開いたまま見惚れた後に。



 「大丈夫ですか?」



 そう声をかけられたところでようやくハッとする。



 私のことを見下ろしていたのは、まっさらな灰色の髪をしたシスターで。



 年は私と同じくらいだろうか、修道女の服を着て、その隙間からどことなく非日常めいたスラッとした綺麗な顔立ちが私をじっと覗いていた。



 何度かそのまま見惚れそうになって、そのたびに我に返った。



 そのあと、自分の頬を手で叩いて、私はようやく返事をすることができた。



 「えっと、大丈夫……です」


 ただ、そう、返事をしたのだけれど。


 「ふむ…………」


 なんでか、そのシスターはどこか難しそうな顔をしていた。あれ、なんかおかしなこと言ったかな。いや、入り口の前で勝手に座り込んでるのも充分不審者か。


 さすがに立ち去った方がいいのかなと、腰を上げかけたところでシスターはもう一度口を開いた。


 「その……身体がしんどかったりしませんか?」


 …………なんでそんなこと聞くんだろ?


 「別にしんどくは、ない、かなあ……?」


 まあ、さっきから考え事してばっかりだから、頭は痛くて、手足も重くて、胸は相変わらずどこか穴の開いたような、虚しさを少し感じてはいるけど。


 それは、結局気持ちの問題で、身体自体がしんどいようなことは、多分、ないと思う。


 「なるほど」


 そんな答えに、シスターは納得したように、何故か頷くと。


 「では、折角なので、中で休んでいってください。ここは暑かったでしょうから」


 なんて言葉を口にした。


 「…………え?」


 いや、どこが折角なんだろう……。


 ただそんな私の言葉をシスターは聞こえているのかいないのか、すっと私の手を取るとまるで何気ない感じでぐいっと引っ張ってくる。


 私はなんでかそれに抵抗できなくて、「あ」とか「え」とか、言葉を漏らしている間に、ずんずんとシスターに手を引っ張られていった。


 訳も分からず灰色の髪をした少女に手を引かれて。


 そんな光景がいつかのお母さんに手を引かれていた光景とダブって見えたからだろうか。


 私は結局、その手に抗うこともなく。


 その少女の手に導かれるまま、彼女の後ろをついて行った。


 まだ蝉の音も鳴り響いていない、夏の初めの頃のことだった。


 それが、私と聖女みたいな彼女との出会いだった。

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