しっと 中

 るいちゃんは、私が転校して初めて声をかけてくれた友達だった。


 席は私の一つ前。流れるような黒髪と、明るくて人当たりのいい性格で、友達も多くて。まだクラスに馴染み切ってない私の橋渡し役をよく引き受けてくれていた。


 成績もよくて、運動もできる。帰宅部だけど委員会に所属してるらしくて、よく他のクラスの人ともやり取りをしていて顔も広い。


 誰が見ても文句なし、真っ当な優等生。みやびも同じタイプだけれど、あのこはあまり表には出たがらない。だから髪色を差し引いても、目立ち具合でいえばるいちゃんほうがクラス内ではよく目に入る。


 そんな、明るくて頼りがいのあるクラスメイトがるいちゃんだった。


 そんな彼女に、多少、強引に手を引かれながら、私は内心首を傾げる。


 こんな無理矢理、人の事情も聞かない子だったろうか。


 クラスを去るときにみた、どこか感情を抑えきれていないみやびの顔を思い浮かべると、まだどことなく胸が痛む。


 だから駅前のショッピングモールで二人して買い物をしている途中、結局、我慢できずに聞いてしまった。


 「…………ん、今日はどうしたのって?」


 「なんか……ちょっと無理矢理だった気がしてさ。ほら出かけるときのみやびのこととか…………」


 私の言葉にるいちゃんはいたずらっぽい笑みを深くして、わざとらしく首を傾げる。


 「ふふーふ、まあ意図はなくないけど。デート中に他の女の名前を出すのは感心しないなあ」


 「………………んー」


 真面目に取り合ってくれてないのは感じられたけど、なんか露骨にデートを押してくるのが居心地が悪い。どうも背中がもじもじとしてしまう。


 そんな私にるいちゃんは軽く肩をすくめると、手に持っていたストラップをため息交じりに棚に戻した。それから私に軽く指を使って合図してきた。あっちのベンチで座ろっかって感じかな。


 誘われるままベンチに腰を掛けたら、るいちゃんはカバンを置いてさっとどこかに行ってしまって、数分後に手に何やらカップを持って帰ってきた。カップには往年のカフェのロゴが入ってる。


 「モカと抹茶だったらどっちがいい?」


 「抹茶!」


 「だよねー」


 るいちゃんはそう言って、そっと私に抹茶フラペチーノを差し出してくる。聞いてこそいるけれど、ぶっちゃけ答えは予測してたっぽい。まあ、そこんとこは私が解りやすいから、そりゃそうなんだけど。


 「…………して?」


 私の隣にモカフラペチーノを持ったるいちゃんが腰を下ろした。表情は変わらずどこかいたずらっ子っぽい表情だけど、少しだけ落ち着いた風にも見えた。声色も少し静かなそれになっている。


 「なんで今日無理矢理誘ったか?」


 「うん」


 私がずごごと、フラペチーノを吸い取ると、それに合わせてるいちゃんもフラペチーノを啜る。ただこっちは無音でスーッと水位だけが下がっていく。おしとやかな吸い方だ。


 「うーん、ちょっと突拍子もないこと言うけど、いい?」


 「慣れてるから、大丈夫だよ」


 まあ、主にみやびの奇跡のおかげだけど。


 そんな私の返答にるいちゃんはくすっと軽く笑みをこぼした。さっきまでのいたずらっ子っぽい笑みとは少し違って、なんとなく自然な笑顔に見えた気がした。


 それから、るいちゃんは何気なく。





 「みやびほどじゃないけど、私も『奇跡』使えるんだよねー」





 そう、言った。




 え?




 「あ、証拠見せよっか」




 そう言って、るいちゃんは、私の擦り傷がある足にそっと手を当てて。




 「『傷』に『癒し』を」




 そんな言葉を口にすると同時に。




 彼女の手のひらが、そして私の傷口が。




 ぼうっと弱い光を瞬かせた。




 じんわりと私の傷に暖かい感覚が広がっていく。




 それは紛れもない超常の証。




 今までみやびだけが使えると想ってた、文字通りの奇跡の力。




 あの少女を聖女たらしめている、天啓そのもの。




 …………………………。




 「どう? んー、まあ、みやびほどは綺麗にならないか……」


 擦り傷は全部治ったってほどではないけれど、確かに閉じて元の形に戻りかけていた。当たり前だけど、普通じゃあありえない。トリックとか、見せかけとかそういう類のものじゃない。


 紛れもない本物の奇跡の力。


 「わーお…………」


 思わず感嘆の声が漏れる。


 「どやっ」


 隣のるいちゃんは、にんまりと笑って言葉通りドヤ顔を決めていた。私は思わず人に見られないように小さく拍手。そんな拍手にるいちゃんは、鼻高々。


 「るいちゃんも、『聖女』ってこと……?」


 実は私が知らんだけで、世の中には聖女って一杯いるのだろうか。ただそんな私の疑念に、るいちゃんは若干の苦笑いを浮かべると、そっと首を横に振った。


 「残念ながら、私のは劣化版。信徒でもないし、諸事情でちょっと使えるだけだよ」


 どんな諸事情があればそんなことができるのやら、ほえーとひたすらに関心の声を漏らしながら、私はほとんど治ってしまった傷跡をまじまじとながめる。しかし、本当に治ってる、細かい傷は残ってるけど。いやあ、あらためてみるとすごいなあ。


 「で、ここからが本題なんだけど」


 傷跡をじーっと眺めていたら、るいちゃんはそう言って私のことを軽く窺ってきた。私は思わず居住まいをただして、じっとるいちゃんに向き直る。


 「なんでしょう?」


 多分、奇跡を使えるってことは、るいちゃんにとってきっと重大な秘密のはずだ。信徒でもないってことは、みやびみたいに聖女として扱われてるわけでもなく、それを隠してる。そして、それを私に明かしたってことは、多分、それなりの意味があってしてることだと思う。


 どういう意味かはわからないけど、聞こう、真剣に。私はベンチの上で正座してじっとるいちゃんの言葉を待った。そんな私をるいちゃんはどことなく優しそうな微笑みで見守っていた。


 「……あやかはさ、みやびのこと、どう想ってる?」


 その問いに一瞬、ほんの一瞬だけ言葉が詰まった。


 「………………友達、かな」


 それから、ぽつっと漏らした言葉は、単純で、簡単で、でも今の私の想いじゃ、それ以上はうまく形にできなかった。


 「『聖女』って言われてさ、結構びっくりしなかった? 怖くなかった? 私もだけど、普通は出来ないことできるじゃん?」


 「うーん、……びっくりはしたと想うけど。みやびさ、そもそも初めて会った時に、私が車に轢かれたのを治してくれてたから。悪いようには想わなかった……かな」


 命を救われておいて、怖がったりできっこないし。何より私のことを助けてくれたみやびの姿はそれこそ、聖女みたいに綺麗だったから。怖いとかは、ほとんど想ってなかった気がする。


 「…………じゃあ、例えば。これからみやびが世界を滅ぼすようなとんでもない『魔王』と戦うって言われても。怖がらないで一緒に居られる?」


 そう言ってるいちゃんは、ゆっくりと優しく、でもどことなく寂しそうに尋ねてきた。


 ………………魔王? 急に話が飛んだ気もするけれど、聖女がいるなら魔王なんて今更なことなんだろうか。


 「………………そんなこと、みやびはしなくちゃいけないの?」


 「例え話、まあ、あながち嘘でもないんだけどさ」


 私の問いにるいちゃん、瞳を閉じてそう口にした。その言葉はどうにも感情が読めなくて、本当のことを言っているようにも、まったくのでたらめを言っているようにも見えた。


 「うーん………………」


 魔王、魔王ねえ。


 世界を滅ぼすような、そんな何かとみやびは戦わなくちゃいけないのか。それにしても、聖女ってそんなこともしなくちゃいけないのか。


 うーんと唸ってこそみたけれど、私の貧弱な想像力ではみやびがよくわかんない、黒い何かと戦っている姿しか想像できない。しかもみやびはいつものクールな表情で、全然苦しそうじゃない。……うーん。


 「…………………………」


 魔王との戦いなんて、ちっともイメージなんてできない。


 どころか、みやびが戦っているところですら、さっぱりイメージできそうにない。だって私がみやびの奇跡って、全部、誰かを治すための力しか見てないから。


 何かを打ち倒すとか、何かを傷つけるとか、そういう奇跡がみやびから生まれることがいまいちイメージできないでいる。


 しかたないので、魔王の想像は一旦やめて、シンプルにみやびと私のことを考えることにした。


 そうやって考える。みやびのこと、出会って一週間とちょっとの私の友達のこと。


 いっつもクールで、ことあるごとに、私の傷を治そうとする友達のこと。


 ちゃんと対等な友達でいようとしてくれて、忙しくても私のわがままに付き合ってくれて、あんまりそうは見えないかもだけど、優しいそんな友達のこと。


 うーん、ここから嫌いになるほうが難しそう。


 それにさあ―――。


 「―――でも、そんなことが理由で離れたら、きっとみやびは嫌じゃない?」


 私だったら、そう感じてしまうかな。とっても月並みな話ではあるけれど。


 そんな私の答えに、るいちゃんはゆっくりと眼を開くと、弱い微笑みのまま私に目を向けてくる。じっと、何かを確かめるみたいに。


 「……………………怖くないの?」


 「怖いとは……そりゃあ、想うけどさ…………」


 自分の命の危機とかになったら、さすがに意見を変えたりとか、もしかしたらするかもしれないけど。


 「………………」


 まあ、それでも。


 「それでも―――みやびを泣かせるのもなんか嫌だし」


 せっかく仲良くなれたわけだし。


 「……………………」


 人と知り合うこと、お互いを大事に想うこと。


 相手の言葉がちゃんと聞けて、自分の言ったことがちゃんと聞いてもらえること。


 それはどこにでもありふれてはいるけれど。


 自分の隣にそれをしてくれる人がいるのは、とっても大切なことだと、私は私で学んだことがあるから。


 だから凄く当たり前の関係を、私は私なりに凄く当たり前に大事にしていたい。


 突き詰めれば、きっと、私の方針はそれくらいしか持ち合わせがなくて。


 「…………こんな、答えじゃ、ダメかな?」


 そんな私にるいちゃんは、優しく微笑んでいた。


 「…………ううん、充分」


 明らかに言葉足らずだった私だけれど、るいちゃんはそういうと、ゆっくりと首を横に振った。


 「―――充分だよ、それでいい」


 それから、確かめるように言葉を口にして、フラペチーノのソフトクリームの部分を、そっと口に運ぶと満足げにほおを緩めた。


 なんだか、よくわからないけれど、満足はしていただいたらしい。


 さすが、私。なんだかよくわかってはいないけどね。


 なんてこっそり自画自賛をしていたら、るいちゃんはにんまりと、例のいたずらっぽい笑みを深くしていた。この笑みを見ると、なんでか冷や汗が垂れて身体がぶるっと震えてくる。


 「ほんとはさー、もっと意地悪してやろうと想ってたんだけどねー」

 

 「な、なんですと……?」


 思わず声が震える私に、るいちゃんはにまにまと笑みを深くして、フラペチーノを口へと運んでいく。ストローを舐める仕草さえどこか妖しくて、背筋がぞくっと震えてくる。


 「そりゃあ、そうじゃない? こちとらみやびが産まれたころから一緒にいるっていうのに、なんか最近どこの馬の骨ともしれない転校生と知らない間に仲良くなっちゃって。しかも私らに見せない顔も見せて、使っちゃいけない奇跡まで、その子のためってバンバン使ってるんだよ? 想うところの一つや二つ、でてくるでしょ?」


 「う……うう…………」


 こ、これが幼馴染マウントという奴か。……あれ、結構、私危ない橋を渡ってたのか?


 「だからね、ほんとはいびってやろうとか。奇跡でビビらせてやろうとか、ちょっとは考えてたんだけど……、ま、あやかの顔見てたら毒気ぬかれちゃった」


 ただそう口にしたるいちゃんの言葉からは、ふうっと息を抜いたような、力の抜けて感じがして、私も思わず肩の力を抜いてしまう。ギリセーフというところだったのか。


 想う所はあったけど、それでも私のことをちゃんと見極めようとしていたのかな。


 その行いが本人の言う通り、みやびへの優しさしか感じなかったから。


 私もそれですっかり気が抜けてしまった。


 なんか怖い話してたけど、いまはそんなことどうでもよくなってしまった気がする。


 そこからは、お互いどこかの気の抜けた調子でだべだべと話してた。


 かたや子どもの頃から、ずっとみやびを見てきたるいちゃん。


 かたやここ一週間で、たまたま仲良くなった私。


 でもみやびの話をしている間は、お互いそんなに気負わなくていい気がした。

 

 「な、なんか……ごめんね?」


 「……うーん? むしろありがとう、かな。みやびが、あんなに甘えてるの珍しいし」


 「甘えてる…………? 私が世話をされっぱなしな気もするけど?」


 「そーう? 私から見たら、あれは甘えだけどねー? あやかに迷惑かけすぎてないか心配なくらい」


 「お……おおん?」


 「ま、何はともあれ、話はおしまい。一回、みやびとえると合流しよっか。いい加減にしないと拗ねそうだし」


 「え、みやびって拗ねたりするの?」


 「拗ねるよー、拗ねると黙るよー。しかも知ってる人にしか拗ねてることが伝わんないから、余計にめんどくさいよー」


 「ははっ、でも、機嫌悪くてもすまし顔してるのは、ちょっとイメージできるかも」


 「でしょ。そのくせ内に溜め込みっぱなしだから、ややっこしいのあの子。……それじゃ、いくか」


 「うん! あ、でもちょっとだけ、私からも相談いい?」


 「うん? いいよ、どしたの? みやび関連?」


 「……いえす。そのさあ……みやびの奇跡って副作用とかあったりする……?」


 「うーん、聞いたことないけど。あの子の奇跡、基本完璧だから、痛みすらないはずだし。治し損ねたことも、相手が完全に死んでるとかでもない限り、なかったはずだけど」


 「あはは、そっかあ…………そっかあ…………。じゃあ、あれは……」


 「………………なに? あやか、ちょっと詳しく」


 「ほ、他の人には内密で、お願いします……」


 「大丈夫、私、口は堅いから」


 「その………………ごにょごにょ」


 「……………………」


 「して…………ごにょごにょだから……ほら、ナプキンを…………」


 「……………………」


 「だから、その、私……なんかやっぱおかしいのかな……?」


 「……………………………………………………ふぅぅーーーーーー…………」


 「るいちゃん?! そのため息は何?!」


 「溢れ出る感情を抑えている音だから、気にしないで……」


 「それで気にしないの無理じゃない?! やっぱ私おかしいのかなぁ?!」


 「ふぅ………………、大丈夫、気にしちゃダメ。あやかは、何も悪くないから、いい? あやかは何も悪くない。OK?」


 「ほんとに!? ねえ、ほんとに言ってる?!」


 「ほんとほんと、まじほんと、三周くらい回ってほんと。のーぷろぶれむ」


 「ほんと言いすぎて、うさんくせー!!」


 なんてやり取りをしながら、私とるいちゃんは、学校までの道をゆっくりと進んでいった。


 抱えていたものを冗談めいてでも口にできて少し胸が軽くなるのを感じながら。


 そういえば、るいちゃんに奇跡で治してもらったときは、何もその……感じなかったな……。みやびの時は、あんなに、どうしようもなくらいに……感じていたのに。


 これは一体、どういうことなんだろう。


 なんて思考をしながら空を仰いだ。


 夕方でも雲一つなく、真っ青な空から、倒れそうなくらいの日差しが私たちを照らしてた。

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