第41話 一夜明けて

(あああああああああああああちくしょー!!)


 一睡もせずに翌朝を迎えたハルカは、如月家のソファでウネウネと悶えていた。


(いや昨日のあの流れは絶対に童貞捨てられるチャンスだったじゃん!いやマジで!マジで!)


 彼が苦しむ理由は、アレがああしてああいう展開にならなかったからだ。


 いや、より正確に言えば、そういう雰囲気にはなっていた。


 童貞と処女よろしくお互いにぎこちない会話をして、気まずい空気を演出し、夜が更けるほどに性を意識していたと言えるだろう。


 その際のことを一応補足しておくと、当時のハルカには『あんな事があった直後に性欲をぶつけるのはおかしいよな』という倫理観があり、自分から誘うのだけはやめようと心に誓っていた。


 自分から言い出せないヘタレとも取れるが、まあ最低限皐月を気遣っていたのだ。


 だけど、同時に誘われるのを期待していて―――


 そうしてなにもアクションを取らない内に時間だけが経過して、色々あった皐月が疲れで眠ってしまい、全てが流れてしまったという訳だ。


「ファァァァァァァァア!!!」


 あまりの後悔に奇声を放つ変人。その背後でリビングの扉がガチャリと開かれた。

 現れたのは皐月だ。

 普段完璧な姿しか見せない少女だが、寝起きとあって今は無地のパジャマを着ている。

 そして頭にはチョンと寝癖が起き上がっていた。

 そのギャップすら何だか可愛らしい。


 ハルカは昨日手を出さなかったことをさらに深く後悔した。


「なにしてるんですか。あと今のはミの音階ですよね」


「あ、どうも。おはようございます」


 のそのそと上体を起こしたハルカが挨拶をする。皐月もそれに答えようと口を開いて、それから何故か固まった。


「あれ、皐月さんどうかしました?」


「いえ、その」


 顔が赤い。

 現在進行形で後悔の渦に飲まれているハルカは気付けないが、皐月は昨夜のことを思い返して今さらのように羞恥しているのだ。


 誤魔化しようも無い程ハッキリと性を意識した相手が目の前にいる。

 一つ屋根の下で自分の家にいる。

 ここには他に人がいないから、もし今からおっぱじめたとしてもそれを咎められることはないだろう。


 そんなことを思って、恥ずかしがっていた。


「皐月さん?」


「え、と。そ、そうです!朝御飯にしましょう!私作るのは得意なので!」


 皐月は煩悩を取っ払うように早足でキッチンに向かうと、ハルカの言葉を無視して早速料理に取り掛かるのだった。


「······なんだ?」


 ―――以前は寂しさを埋めるためにハルカを見ていた皐月だが、現実を直視した今はそうではない。


 ただ好意を持って向き合うというのは、存外難しいことのようだ。



 朝食を終えた後、ハルカは今日くらい良いかと学校をサボった皐月と共に家で寛いでいた。


 勿論ここでも二人とも妙に緊張している。

 変に意識して高まった感情を昨日の内に消化しきれなかったから、まあ仕方ないといえばそうだろう。


 ハルカは紳士の皮を被ったヘタレとして声を掛けず、皐月は皐月で自分から言い出すのは当然のように嫌で、ただ時間だけが過ぎていく―――


 そんな時だった。


 ハルカのスマホから着信音鳴り響いたのは。


「あ、すみません。ちょっと電話で」


「あ、ああ。その、はい。そうですよね。どうぞ」


 ガチガチに緊張したやり取り。ハルカは内心でため息をこぼしつつ廊下に出て、そしてスマホの画面を見た。


「はぁ」


 今度は口からため息が漏れていた。何故ならその相手が、


『やあ、元気かなハルカ君』


 一番関わりたくない性格の腐ったクソ野郎だったから。


「お前のせいで元気じゃ無くなったわボケ。死ね。殺すぞ」


「えっ」


 電話の内容が気になってこっそりとリビングの扉に耳を押し当てていた皐月が、突然の罵倒に驚いて声を漏らす。


 ちなみに皐月は今の電話を、女の人からかなと疑っていた。


『え、僕何かしたっけ?』


「今はしてなくても昨日はしたよな?」


『まあまあ、結果として悪くない方に転がったと思うんだけど』


「マジで殴るからな。次会った時本当に殴り飛ばすからな?」


『はは、ならよかったね』


 電話越しに薄気味悪い笑い声が響く。ハルカは嫌な予感がして舌打ちをした。


 それを盗み聞きする皐月は、荒事の予感がしてただハルカを心配している。


「何がだよ」


『いやあ、次の作戦について話したいから、これから君を呼び出そうと思ってたところさ』


「は、そういうことかよ」


『そうそう。ちなみに次は部隊で動くワケじゃない。単独の作戦だ』


「―――ッ」


『六年ぶりかな。君の本気、アレを使って貰うよ』


「分かった。今から行く。場所はお前の部屋で良いよな。じゃあ切るぞ」


(え、今から!?)


 扉の向こうでハルカが動く気配を捉えた皐月は慌ててソファまで戻ろうとするが、それより扉が開かれる方が僅かに早かった。


「あぅ」


 額を強かにぶつけた皐月が涙目になって踞る。それを見下ろすハルカはシリアスな雰囲気を取っ払って可笑しそうに笑った。


「なにやってるんですか」


「え、と。その、気になってしまいまして」


「別に危険な事じゃないですって」


「そっちじゃなくて、女の人と連絡取り合ってないかな~、とか、その」


「······ないない、ないです」


「本当ですか?」


「本当です。本当に本当です」


(多分嘘っぽいんですよね。まあ、それでもいいですけど)


 皐月の今現在の望みは、まず自分がハルカの傍にいられること。依存先としてそれさえ叶えばあとは細かく言うつもりはない。仮に自分以外に女がいても構わない。まあ、嫉妬がないと言えば嘘になるが、我慢できないほどではなかった。


 ―――今は、まだ。


 今後その感情がどのように成長していくかは未知数だろう。


 女関係、主に姫宮光希との仲を疑われる話題を避けるべく、ハルカは語気を強めて口を開く。


「あー、俺、ちょっと用事が出来ちゃいまして」


「用事ですか?」


 あからさまな話題ずらしであったが、皐月がハルカに向ける視線には不安や心配の色が含まれていた。


 もし荒事だったりしたら。


 これ以上、誰かを失うようなことがあれば。


 それを拒絶するように、皐月は無意識の内にハルカを抱き寄せていた。


「危ないことじゃありませんか?」


「別に平気ですよ。ただ嫌いな奴に会いに行くってだけです。軍事作戦とも関係ないですしね」


 ハルカは平然と嘘をついた。

 そこにほんの少しの違和感も出さずに、全身で日常の一幕を表現して、嘘を絶対に悟らせない。


「ならよかったです」


「よかったなら取り敢えず離れません?」


「あっ、す、すみません!」


 ガバッと離れた皐月があわあわと狼狽える。随分と気を許されたものだなあと笑いながら、ハルカもまた内心ではクッソ興奮して緊張していた。



 それからほどなくして如月家を後にしたハルカは、一旦自宅に戻ると何故か姫宮光希ばりの変装をしてから、討伐軍神奈川エリア本部を訪れた。


 その際に入り口は使わず、なんと地下の駐車場から隠し通路を通って本部に侵入し、誰に見咎められることもなく、当然防犯カメラにも映らないまま支部長室を目指す。


 そこまでして彼が人目を避けているのは、彼がここにいる事が事実として残ってはいけないから。


 これから行われる作戦において、彼は逢見ハルカとしてではなく―――


「やあ、よく来たね。我らが英雄」


 世界最高のレーティングを記録した、かつての英雄として戦うことになるのだ。






――――――――――――――

ようやく主人公最強タグ回収できる。

あとそろそろ一章クライマックスです

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