第40話 はじめての

 ようやく泣き止んだ皐月はよろよろと歩き出し、そのままハルカの胸に飛び込んだ。

 驚いたハルカが思わず離そうとするも、触れる身体の震えに気付いてその手が止まる。そうして二人は抱き合ったまま時が過ぎーー


「すみません。見苦しい所を見せてしまいました」


 しばらくして皐月がハルカの胸の内で小さく微笑む。


「あー、いや。まあ、もう平気なんですか?」


「平気じゃないですよ。でもハルカ様が一緒にいてくれると言うので、頑張ってみることにします」


「じゃあ、そろそろ離れて······あの、如月さん?」


 胸に顔をうずめていた皐月が上目遣いでハルカの顔色を伺う。

 涙の浮かぶ目尻が妙に色っぽくて、真っ直ぐに見詰められたハルカは急に緊張してしまった。照れ隠しのように離れようとすると―――


「いや、です」


 皐月は力を込めてハルカを強く抱き締める。それはもう離さないという意思表示であった。


「ちょ、ちょちょちょちょー?皐月さん?」


「こうしていてもハルカ様、冷たいままなんですね」


「······」


「今も『ここ』にいる人は、その、一番大切な人なんですよね」


 ハルカの左胸、心がある位置に顔を預けて皐月が問う。


「まあ、そうですね」


「······女ったらし」


「え?」


「なんでもありません。でも、そうですね。ハルカ様······これからはハルカさんと呼んでもいいですか?」


「んなの何でも構いませんよ。逢見ハルカでも逢見でもハルカでもバカでもイケメンでも」


「ふふ、では好きに呼ばせて貰います。ハルカさんも私は皐月でいいですよ」


(ギャルゲーだったら好感度上昇するなりのイベントですやんそれ。まあ、こんなことやってる時点で今さらか)


 今頃のように皐月と抱き合っている事を思い出して、ハルカは小さくため息をこぼした。


「じゃあ皐月さんで」


「なんかくすぐったいですね」


「俺もですよ。二十歳過ぎて高校生バリのアオハル体験とかあまりにも苦しいんですけど?」


「いやですか?」


「いーや?まあ嫌ではないけど」


「ふふ」


「まあ、とにかくそろそろ離れましょ。一旦落ち着いて、これからやるべき事を確認するべきです」


「······そうですよね」


 ハルカが真面目な顔で言うと、皐月も真剣な表情になって離れた。そして向かうのは作業台の方―――なのだが、それをハルカが引き留める。


「いやいやいや、スーツとかよりまずは手の治療です!」


「え、あ。そういえばそうでした」


 様々な感情が入り乱れて、皐月は機械を叩き壊した際に負った怪我と手首の切り傷を忘れていたらしい。

 ハッとして自分の両手を確認し、今になって痛みに顔をしかめる。


「取り敢えず応急処置をしてすぐ病院に行きましょう」


 そう言ってハルカは慣れた手付きで応急処置を施していく。


 消毒など痛みを伴う処置もあるのだが、そこは流石は探索者と言うべきか、皐月は顔色一つ変えずにじっとしている。


 それどころか沈黙が気まずいのか、なんと今後について語り始めていた。


「あの、ハルカさん。スーツに関してなんですけど」


「出来る限り早く回収をしましょう。レーダー仕込んでたやつをバレない内になんとかしないと。まあ全員俺のリスナーなんで、不具合が見付かったとか言えば素直に渡してくれる……はずです。うん、多分」


 治療をしながら自分のファンの性質を思い出し顔をしかめるハルカ。


「あ、それは問題ないと思います。定期メンテナンスで月に一度スーツがこちらに送られてきますので」


「はぁぁぁあ、よかった。まじでセーフだわ。ちなみに一番遅いメンテで届くのは何日後ですか?」


「十三日後なので、慌てて回収するよりは待つ方が安全かなと」


「なるほど。確かにそうですね。あと、他に父親の捜索目的で忍ばせた物とかはあったりします?」


「いえ。他には無いです」


「本当に?」


「本当です」


「なら皐月さんを信じますよ」


 そう言ってハルカはそれ以上の追求を止め、そして応急処置を終えた皐月の両手を優しく離した。


「あ」


 触れていた温度が無くなり、未練がましく声をあげる皐月。ハルカはそれに気付かないフリをして話題を変える。


「それじゃ、病院まで行きましょうか。送り迎えくらいしますよ」


「良いんですか?」


「ま、免許は無いんで格好よく車でとはいかないんですけどね。タクシー呼びます。代金は競馬の勝ち分がまだ残ってるので気にしないで下さい」


 ここでハルカの妙技が光る。

 お金を払ってもらう側は通常なら申し訳無さを覚えるが、そこに一言『ギャンブルで勝った金』と付け足すだけであら不思議、じゃあいいやとなるのだ。


「いえ、自分の分は自分で出します」


 まあ度を越えた真面目ちゃんや、相手に少なくない好意を持っているなどの例外的人物には、全く通用しない作戦なのだが。


「いやいや、そこはほら、今くらいは俺が出すべきですし」


「私の方が懐に余裕があります。それにあんまり負担にはなりたくないので」


「······じゃあよろしくお願いします」


 結局、あんまり身銭を切りたくないハルカは、提案しておきながら自分から折れたのだった。



 その後、ハルカは皐月を連れて病院に向かってその診断に付き添い、医者にはDVを疑われ、色々と問題を乗り越えた上で如月家まで戻ってきた。


 タクシーを降りた二人は玄関前で向かい合う。

 あたりはとっくに暗くなっていて、頼りない街灯や玄関先の電灯が二人を淡く照らし出している。


「今日は色々と本当にありがとうございます。ハルカさんがいなかったら私、死んでいたかもしれないです」


 皐月が僅かに震える声で礼を口にして頭を下げた。

 ハルカの助けもあって現実を見ることが出来たとはいえ、まだ立ち直った訳ではないのだろう。

 表情は弱々しく、薄暗い明かりに照らされた少女はそのまま消えそうなほどに儚い。


 だからハルカは皐月の手を握って答える。


「それは流石に大袈裟じゃないですか?」


「そんなこと無いです。生きる意味がなくって、どうすればいいのかも曖昧で、でもハルカさんが私に意味をくれたんですから」


「え、なにその好きみたいな発言」


「好きですよ、私は」


 ハルカへ悪戯っぽく微笑む少女が、これまでのどの瞬間よりも美しく見えた。


 夜空に浮かぶ星の数々も、今は皐月という少女を引き立てる要素としか思えなくて―――


「······ちょ、いやちょっ。あー、う。あーあー!無し!今の無し!うーわ、マジか。ちょ、ホント今の無しで」


「ハルカさん?」


(最悪過ぎるだろ。こういうシチュに耐性が無さすぎるせいで、ガチでキュンとして言葉出てこなかったんだが!?いや俺のキュンとか誰得だよいらんわタコ!)


 内心で自分への罵倒を並べ立てながらなんとか落ち着きを取り戻したハルカは、改めて皐月の方を振り向いた。


 やっぱり可愛い。


 悲しいかな。ハルカは女性経験がほとんど無いオタクなのだ。

 すかした態度で相手を受け流すのは得意だが、一度正面から『好き』とぶつけられれば、もうそれに釘付けになってしまう。


 不器用ながら向き合うしかないのだ。


「あー、その、えっと」


「別に無理して答えを出さなくていいですよ。私と適当な関係でいるのが一番楽なら、私はそれでも構いませんから」


「いや、そうじゃなくて、え、まじで、なんで、え、俺なの?」


「はい。私はハルカさんのこと好きですよ?」


 最初は寂しさを埋めるために入れ込み、そうして近付いてハルカという人間を知り、最後には傷を舐め合うような形だが救われた。


 ここまでされたなら好きになっても不自然はないだろう。


 ハルカはもうため息をつくしかなかった。両者の間にむず痒い沈黙が流れる。それを先に破ったのは皐月だった。


「あの、この後って予定はありますか?」


「あ、いやあ、その、多分今日はないかな?」


「多分?」


「その、ヒトガタを倒しきれてないから、近々また招集が掛かると思うんです。ただそれは今日じゃないよなと」


「じゃあ、今日はもう用事は無いと?」


「はい、まあ」


(え?マジで?これ、そういうやつ?え?いや問題解決トラウマ払拭からのこれはもうエロゲーのあれですやん!あれしかないですやん!)


 頭のなかでピンクの妄想を膨らませ、期待を込めて皐月の次の言葉を待つハルカ。


 この先に待っているであろう戦いも、なにもかも、今だけは忘れていた。


 やがて顔を赤く染めた皐月は、もじもじと恥ずかしそうな様子で、ゆっくりと口を開いた。


「え、と。そ、そしたら今日、えーっとですね、その、泊まってもらえたら、嬉しいな、なんて思うんですけど」


 ―――そして長い夜がふけていく。

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