第39話 二人ぼっち
企業秘密だから入るな。
あらかじめそう言われていたハルカだったが、研究室に向かうことに躊躇いはなかった。血相を変えてリビングを飛び出し、扉を蹴破るように押し開ける。
そうして研究室に転がり込むと、皐月は床で泣き崩れている所であった。
「いやぁ、パパッ、なんでッ!」
「何して、てか血」
見れば手首には浅く切り傷が出来ている。自殺を試みて、しかし思い切り刺せなかった。そんな所だろうか。取り敢えず命に関わる深さではない。
ハルカはそばに置いてあった救急箱で応急処置を施す。その間、皐月は力なくされるがままであった。
(これを俺にどうしろと)
そんな皐月を前にしてもハルカは平静を保っていた。取り敢えず手当てを終えた彼は落ち着いて研究室全体を観察する。
(ん?)
そして、作業台の上に置かれた精密機器に気が付いた。
液晶画面が取り付けられたそれは、恐らくレーダーの類いだろうか。
画面には神奈川エリアとその周辺までを収めた広大な地図が映っており、そして地図上には二つの印が点滅している。
皐月が見ていないのをいいことに、ハルカは勝手に機械に触れた。
液晶画面はタッチパネルになっているのか、指をスライドさせると地図が拡大されていく。
(はぁ。なんか、分かってきた気がする)
限界まで地図を拡大すれば、印が点滅している場所を正確に知る事が出来た。
一つはここ、如月家である。
そしてもう一つの印の場所を確認して―――ハルカは息を詰まらせた。
印はヒトガタと交戦した地域で点滅していた。そしてその印は時速数十キロという速度で移動を続けている。恐らく人ではない。ならば考えられる可能性は一つ。反応しているのはヒトガタそのものであろう。
ちょうどその時、作業台に置かれていた強化スーツのエネルギーが切れたのか、エネルギーランプが消灯した。
それと同時、画面からも点滅していた印が一つ消える。
「如月さん、スーツに何か細工してます?」
取り敢えずハルカは優しく問い掛けた。
「······ぇ」
虚を突かれたように顔を上げる皐月。酷い顔をしていた。涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃになり、今にも絶望に押し潰されてしまいそうな―――
それでもハルカは追求を止めない。
万が一スーツに仕掛けがあったとして、それが今日借りた一着だけでなく客に販売したものにまで施されていたら?
それは犯罪だ。
「ハルカ様、これ、さっきからおかしいんですよ」
涙を流しながら、壊れた人形のように笑い、皐月はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「ハルカ様に貸し出したスーツに忍ばせてた発信器が、パパのスーツの反応を捕らえたんです」
(やっぱり、かよ)
「もしかしてそのレーダーは、この機械とリンクしてるとか?」
「······ぇ?ああ、はい、そうですねえ。情報を同期させてます」
「これまで販売した分にも?」
「だって······その方が、パパが見つかりやすいから」
だからそうしたと言わんばかりに皐月は笑った。
勿論それは犯罪だ。この事実が公に出れば、会社を畳むだけでは済まないだろう。
二度と再起など出来なくなり、残るのは犯罪者のレッテルと多額の賠償金だけ。
だが、皐月は乾いた声で嗤っている。全てがどうでもいいのだ。
(はぁ。エネルギー消費が4倍ってのが、おかしいとは思ってたんだよ。如月さんのスーツは全部レーダーみたいなのが付いてるのか。そこに動力割いてるなら確かに馬鹿みたいにエネルギー食うわな)
ハルカは皐月の真の目的を悟って顔を歪めた。
以前少女が語ったモンスターを根絶したいという夢。勿論それも嘘ではないだろう。父を奪った敵を憎まないわけがない。
しかしそれだけではなかったのだ。父親を、ヒトガタを自分一人で探すのは困難を極めるから、送受信できる発信機を取り付けたスーツを普及させることで、捜索範囲を広めようとした。
「如月さん。今すぐにこれまで販売したスーツを回収しましょう」
「―――」
「如月さんっ!」
どう言葉を掛ければいいのか。慰めるのか。叱るのか。一緒に現実逃避をしてやればいいのか。
なにも分からないから、ハルカはひとまず犯罪の隠蔽をするために口を開くしかない。
けれど、そんなのは皐月にとってはどうでもいい事だった。
「······ハルカ様。これ、見てください」
力なく立ち上がった皐月は、夢遊病者のようにふらついた足取りで数歩進み、そこに落ちていたタブレットを拾い上げた。
それを押し付けるように手渡されたハルカは、画面を見て歯を食い縛る。
無数の大粒の涙で濡れた画面には、ヒトガタとの戦闘の様子が映し出されていた。
非情にも突き付けられていた現実。
皐月の父親のスーツを着用したハルカとヒトガタの酷似した姿を見れば、もう皐月の父親が生きているとは言えないだろう。
支部長が送り付けた映像は、やはり皐月の心を砕いていたのだ。
だというのに―――
「これ、嘘ですよね」
皐月は―――
「これ、なんか、あの、加工とか、そう。加工ですよね?」
この期に及んでまだ現実から目を背けようとしていた。
ハルカからタブレットを引ったくるように奪い取ると、素早く動画を消してしまう。
(はぁ)
その絶望に染まった顔を見て、ハルカは直感的に悟った。今この場で皐月の問いを肯定すれば、きっと少女は再び虚構の日々に戻っていくのだと。
たった一言、嘘を付くだけで支えてやることが出来る。いつかまた苦しむ時が来るが、それでも先延ばしには出来る。
だから―――
「いや、本物です。その映像の通り俺もそこにいました」
ハルカは現実を包み隠さずに伝えた。
バキッ。固い物の砕ける音が響いた。見れば皐月が手に持つタブレットが砕けていた。
「ぅ、そ······ですよね?」
「本当です」
「あ、はは。いやだ、変ですよ。なんでそんな冗談······」
「冗談なんかじゃ」
「うるさいッ!!」
突如として発狂した皐月が、なおも否定を重ねるハルカ目掛けてタブレットの残骸を投げ付ける。
慌てて身を捻ったハルカの背後でけたたましい衝突音が鳴り響く。恐る恐る振り返ると壁に小さなヒビが走っていた。
「うそ、うそよ!だってパパは私に帰って来るって言ってたの!なのになんで、なんでぇっ!いやぁ、やだ独りにしないで、独りはやだよ、パパぁ······」
偽りの日常で保っていた仮面が剥がれて露になった本来の姿は、これほどまでに弱くて脆いものであった。
悲しい、苦しい、辛い。
心が乾いて仕方ない。
誰か、何か、この心に空いたがらんどうを埋めてくれるなら何でもいいから、今すぐこれを埋めてくれ。
(あの頃とそっくりだなあ)
全身で絶望を叫ぶ皐月を見下ろすハルカは、真っ白になるほど強く手を握り締める。
「あの、如月さん······」
「いやだ!もうお前の言葉なんか聞きたくない!パパはまだ生きてるんです!大切な人を失ったこともないから!!あなたはそんな風に言えるんですよ!!」
もう皐月の叫びに意味はない。それを聞いたハルカは小さく笑った。
「何がおかしいんですか!」
「いや、何も」
(なあ。やっぱ俺はヒーローなんて柄じゃねえよ)
心の内でそう誰かに語り掛けてから自嘲気味の笑顔を深める。
彼はヒーローでも何でもない。
真の意味で誰かを助けられるほどの強さも持っていない。
だから彼に出来るのは、同じように弱みを吐き出すだけ。救うのではなく、共に傷を舐め合い、痛みを少しでも誤魔化す。ただそれだけ。
「如月さんの気持ち、ちょっとだけなら分かります」
「そんな言葉で······ぁ」
激昂してハルカの言葉を否定しようとした皐月は、見上げた顔に浮かんでいた色を見て言葉を失った。
そこにあるのは皐月が一瞬素に戻ってしまうほど冷たい虚無であった。もはや絶望すら擦り切れ、何も残らない無表情。
彼もまた苦しみの中にいる者であった。
「俺にもいましたよ。何にも代えられない大切な人が。俺にはあいつしかなかった。そいつを亡くしてるから、ちょっとだけ如月さんの気持ちが分かるんです」
「······」
「もう何年も経つんだ。なのに、なぁ。なんでだ。なんでまだ忘れさせてくれない?声も、匂いも、仕草も何もかも、昨日のように思いだせちまう」
ハルカはゆっくりと座り込むと、皐月の目を正面から覗き込んで苦しみの続きを吐露していく。
「あいつ朝が弱いくせに、俺と少しでも一緒にいたいからって夜更かししやがるんだ。そのくせ朝は俺より早く起きてる。朝はパンが好きで、よくボタンを掛け違えてて、わざと俺の歯ブラシを使おうとして」
ハルカが皐月の手を握った。相手が壊れた少女でも、そこに寄り掛からなければとてもじゃないがこの痛みは吐露できない。
渇いて冷え切った心を誤魔化すように、繋いだ手から互いの温度を溶かしていく。
「ただ、一緒にいたかっただけなんですよ。広い世界を見せてやりたかった。でも、どんだけ戦っても意味なくて。俺が守ってるつもりだったのに、いつも守られてるのは俺の方でッ、なあ、なんでだ?なんでこうなる。あれから何をやっても満たされない。どんな刺激もあの頃の日々には届かなくて、なあ、俺はどうすればいい?」
―――ああ、そうだったんだ。
ハルカの独白を聞きながら、皐月はようやく得心がいった。
何故自分が出会ったばかりのハルカに入れ込んだのか。
悲しみを埋めてくれる相手を求めていたとはいえ、それが誰でもいいほど皐月は軽い女ではない。
この目だ。
青年の目の奥に絶望があったから、無意識に惹かれていた。一緒だったから。
「だったら―――」
皐月がハルカに顔を近付ける。
助けを求めていた。
死にたそうな顔をしていた。
泣いていた。
怒っていた。
「そんなに言うなら、ハルカ様が代わりになってくれるんですか?」
すがるような声が研究室に響いた。彼女と同じく酷い顔をしたハルカはそれから少し黙り込んで、
「ふざけんな」
皐月の胸ぐらを掴みあげていた。
「大切な人に、まして、あんたがこんなにおかしくなるくらい大切な人に、代わりなんているわけ無いだろ」
「ぁ」
「楽しい時だけを思い出すのって楽しいよなぁ。辛い今から目を背けて、そしたら後ろには大切な人がいる。目を閉じるだけであの頃に戻れる。それがどれだけのモノか、よく分かるッ」
血を吐くように紡がれる言葉たち。
皐月が咄嗟に耳を塞ごうとした。ハルカはその手を押さえつけ、なおも言葉を重ねていく。
「ふぅ、すんません。ちょっと取り乱しました。そうやってずっと逃げるのが悪いとは思いませんよ。それで逃げきれるならそいつも一つの幸せの形ですから。でもあなたは違うでしょう。もう嫌な部分が全部見えてる。逃げられないんですよ」
「ち、違ッ、私は······」
イヤイヤと首を振る皐月をじっと見つめて、ハルカは笑った。自信のない、力のこもらない笑み。
「だから―――ああ、その、なんていうか、俺、あんまり言葉が上手くないから。如月さんを今すぐ助けたりとか、出来ないですけど。でも、せめて一緒にいますよ。如月さんが大丈夫って言うまで、ここにいますから。つうか俺も助けて下さい。はは、情けないですけどね。多分、一人じゃ立ち直れなくって」
「······」
「ちょっとくらいなら、俺の事を傷付けてもいいですから。だからもう、こんなのやめましょ」
―――同じ苦しみを味わった者でなければ、本当の意味で痛みを分かち合うことは出来ない。
だからこそハルカは自らの過去を、そこに刻まれた癒えることの無い痛みを、ほんの少しだけ明かした。
それは果たして皐月に響いたのか。
「パパ······」
皐月は大切な人を呼んだ。
しかし駆け付けてくれる人はいない。
ここにはただ一人、横に同類がいるだけだ。
「わ、わたし、は」
泣きじゃくってぐしゃぐしゃになった顔で、彼女は作業台に置かれた精密機器を睨み付けた。
それは彼女が唯一父親の影を追うことが出来る手段だ。
これがあれば、これがなければ―――
皐月は作業台の方へ向かうと、しばらく躊躇ってからそれに全力の拳を叩き落とした。
重たい破壊音と共に砕けた部品が宙を舞う。
精密機器ゆえにレーダーは一撃で壊れていた。
(これで、いいのかね)
支えて救うのではない。どちらも壊れているからもたれあうように底まで落ちて依存し合う。一人なら絶望の底でそのまま死んでいただろう。しかし横を見ればもう一人いるから、二人ぼっちで彼らは傷を舐め合える。
「ハルカ様は、いなくならないんですよね?」
振り返り、確認するようにそう言った皐月の顔は、未だ迷子のようでありながらさっきまでよりは力が宿っていた。
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