第38話 がらんどう

 ハルカは如月家までの道のりを全速力で駆ける。

 人外の速度は一目で彼が探索者だと気付かれてしまうが、今は差別の視線などどうでもよかった。


 彼女は恐らく出会いの瞬間から壊れていた。


 ハルカのような魅力の無い男に傾倒したのは、彼女が抱える寂しさを誤魔化すため。


 悲劇から目を背け、父親はまだ生きていると錯覚させ、そこまでやってようやく保てていた平常心。


 いや、保ててはいなかったのだろう。


 父親の事を問われた際に毎回言葉を濁していたのは、自分を騙す矛盾にどこかで気付いていたから。


 壊れかけ、いつ崩れてもおかしくない日常の中で、少女は愛を求めて喘いでいた。


(くそ、くそ、くそ!)


 ―――他人だ。

 このまま見捨ててしまえば良い。

 お金なら姫サマがくれるだろう。

 恋愛チックな事をしたいなら、それも姫サマに頼み込めばいいかもしれない。


 必死に走るハルカの脳内は冷徹な思考で埋め尽くされていた。


 ―――なぜなら、大切なものを失った痛みは治らないと分かっているから。


 堕ちていく者を助けようとすれば、自分もその深みにはまってしまう。


(多分俺は、助けてやれないんだよな)


 そうと分かっていても、足は止まらない。止められない。


(シリアスは嫌いだってのに)


「はぁ、はぁ、はぁ」


 最寄駅まで辿り着いたハルカは息が上がっていた。

 探索者としては凡以下でも常人離れした肉体を持つ彼が、そう簡単に疲れ果てることはない。であればその疲労は肉体面ではなく精神面。彼は今焦燥感に呑まれていた。


 自分が走るより電車に乗った方が速い。それが分かっているから駅に来たのに、いざ乗車すればまた焦りが膨れ上がる。


(早く早く早く早く早く早く早く早くッ)


 電車の窓の向こう、流れ行く景色は彼の走りより格段に速い。けれど足を止めている時間が辛い。息苦しくて、不安で、怖くて堪らない。今すぐに走り出したい。


 こんな気持ちはいつ以来だろうか。そう思い返してみて、ハルカは力なく笑った。


『あれ、また来たの?』


『うっせー』


 蓋をしていた記憶が僅かに顔を覗かせる。


 ガタンッ。


 電車が僅かに跳ね、その震動でハルカの胸元のロケットペンダントが小さく揺れた。



 長い時間をかけて横須賀中央駅に辿り着いたハルカは、またしても全力疾走で如月家まで向かった。


 最初はこの横須賀中央という入り組んだ街並みが覚えられず、皐月の案内がなければ迷ってしまいそうな程だった。

 けれど今は迷わずに如月家まで走ることが出来る。

 彼にとってこの街は、この街に住む少女は、最早日常の一つとして受け入れられたものになっていたのだ。


 移動しながら今さらそんなことに気付いたハルカは、またしても力なく笑った。


 そうして移動に移動を重ね、彼はようやく如月家に辿り着いた。


 家の外観は特に変化はない。ハルカは取り敢えずインターホンを押して皐月の出方を窺った。


 ピンポ······プツ。


『はい、どちら様でしょうか?』


 病的なほど早いタイミングで反応が返ってきた。


 声は普通、インターホン越しに変な物音も聞こえない。


 しかしハルカは、まるでインターホンに齧り付いているような速さの反応に、『誰かの帰りを待っている』という意思を感じ取って警戒を強めた。


「あー、俺です。ハルカです」


『·······························ハルカ様?どうかされましたか?』


「いや、その、借りたスーツを返しに来たと言いますか」


 嘘ではない。作戦終了後に病院に連行され、それから直接ここまで来た彼は、確かにスーツを持っている。


『そうですか!分かりました。今開けますね』


「はい」


 スーツと聞いた途端に弾んだ声を上げる皐月。一旦通話が切られると、玄関の向こうからドタドタと人が走る音がして、それからガチャリと解錠する音が響いた。


 扉が開く。


 ハルカは重苦しい緊張感のなか、無意識に息を殺して開く扉を見つめていた。


 ただ扉が開くその数瞬が、まるで無限のように長く感じられる。


「······ッ」


 緊張で口の中が渇き切る。唾と一緒に僅かな恐怖を飲み込んだハルカの視線の先で―――


「こんばんは」


 がらんどう。


 現れた少女を一言で表現するなら、ハルカはそれしか思い浮かばなかった。

 

 髪の毛が乱れているとか、泣き腫らした跡があるとか、身体に目に見えた変化はない。


 ただ、瞳の奥。いつもは輝いていたそこが暗い。暗くて、黒くて、冷たくて、底が見えない。


「あ、ぁ······えっと」


「あがってください」


「あー」


「あがってください」


「あー、ハイ」


 可愛い年頃の女の子に笑顔で家にあげてもらう。しかもその状況で家族はいない。興奮するようなシチュエーションなのに、ハルカはむしろ恐ろしくなっていた。


 ―――何故なら、ソレが開いていたから。


(なんでだよ)


 以前デート(?)をした際に一緒に選んで購入した、皐月の父親に向けた靴。


 何日も何日も手付かずで放置されていたはずのプレゼントが、何故か今になって開封されて玄関に並べられていた。


「スーツ、預かりますね。整備とかしたいので」


 靴に気を取られていたハルカは、自らの方に伸ばされた手にビックリして、それからおずおずとスーツを手渡した。


「あの、あ、やっぱ俺、スーツ渡したしもうこれで······」


「折角来ていただいたのですし、お茶でも用意しましょうか」


「あぁ、はい」


 笑顔の裏に感じる歪な圧力に圧され、ハルカは力なく頷くしかなかった。そのまま彼はリビングまで案内され、テーブルに座るよう促される。


 そしてまた、彼は一つ日常が壊れた証拠を見つけてしまった。


(なんで、だよ)


 テーブルの上に用意された夕食。食器の色やサイズから男物だと判断できるそれは、丁寧にラップに包まれて置かれていた。


 まるで誰かの帰りを待っているかのように。


 絶対にハルカに用意したものではない。

 もしそうならテーブルに座らせたタイミングでそれを伝えるだろうし、そもそも彼は突然家を訪ねたのだから、都合よくご飯が用意されているはずもないのだ。


 確実に父親の帰りを待っている。既に死んだ父親の帰りを。


(悪化してるじゃねえか)


「はい、どうぞ」


 ガラス玉のような目をしたまま普段通りの笑顔を浮かべ、皐月はお茶と粗末なお菓子を用意してきた。


「あ、ありがとうございます」


「それでは私は、一旦スーツの作業に移りますので。一応企業秘密の作業なので、私が出てくるまで研究室は開けないで下さいね」


「分かりました」


 すたすたと歩いてリビングを出ていく背を見つめて、ハルカは小さくため息をついた。


「これどーすんだよ」


 壊れている。崩れている。狂っている。


 支部長から映像を見せられたなら、皐月は確かに父親の死を自覚したはずなのだ。


 それはあの目を見れば明らかだろう。


 だというのに、その上でまだ『日常』にこだわっている。むしろ前より悪化している。


 靴を開けたのは父親が帰ってきた演出をするためだろうか。


 ご飯を用意しているのは、父親が生きていると思い込むためだろうか。


「はぁ」


 一度バラバラに壊れたものを無理矢理直しても、出来上がるのは継ぎ接ぎで歪な『ナニカ』だけ。決して元通りにはならない。


 今の如月皐月の状態も、歪に壊れている。


「どうすっかね」


 これがご都合主義の物語の主人公なら、聞こえの良い理想論を語るなりして、都合よく皐月を救ってしまうのだろう。


 だがそんなものはまやかしだ。


 地獄の底にいる人間を救うのは困難だろう。ましてや相手の痛みを知らないのに知った風な言葉を並べ立てたところで、一体どう響くというのか。


(俺には無理だよ)


 喪失は、失ったから苦しいのだ。


 失くしたものは返ってこない。傷は癒えない。


 だから―――


 そのままハルカは思考の海に沈んだ。


 次に我に返ったのはしばらく後。

 無理だ無理だと思いながらも結局皐月のために知恵を絞り、気付けば一時間ほどが経過していた。


 まあ、そこまで考えても打開策など浮かばないのだが。


「とりあえず、今日は泊まっていくか?多分言えば断られないだろうし、流石に心配だし······」


 ちょうどその時、スマートフォンに一件の通知が届く。気を紛らわすように確認するとそれは光希からの連絡で、内容は『腕がくっつきました。心配かけてごめんなさい』といったものであった。


 あれだけの重傷だったのに回復が早い。流石は人外の人間兵器といったところか。


『無事でよかった。見舞いで欲しいものあるか?』


 ハルカは取り敢えずそう返信を送り、それから少女の無事を知り少しだけ笑った。


 その直後だった。


「ッ、なんだ?」


 戦場で嗅ぎ慣れた血の臭いが漂ってきたのは。

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