第37話 帰還と最悪な状況

 ハルカと佐久間中将を分断するかのように崩落した天井。

 瓦礫が落下するほどに土煙と瘴気が立ち上ぼり、視界が全く効かなくなる。


「無事か!?」


 佐久間中将は懸命に声を張り上げた。

 見上げるばかりに積み上がった瓦礫は容易く人を押し潰すだろう。

 いかに探索者であろうと巻き込まれれば助かる見込みはない。


 返事がない。

 さらに二度三度と繰り返し呼び掛けても、あの憎たらしいほどに軽薄な声は返ってこなかった。


「くそ、駄目だったか······」


 これ以上ここにいては本格的な崩落に巻き込まれる。

 佐久間中将はハルカを諦めて退却を開始した。


「よっと」


 ちょうどその時、瓦礫の脇からハルカがにゅるっと登場する。


「生きていたのか!」


「えっと、まあ、なんとか」


 佐久間中将に並走する形で逃走に加わるハルカ。

 世界最高峰のレーティング保持者に平然と付いていくあたり色々とおかしいのだが、非常時ゆえにそこを突かれることはなかった。


「それなら返事くらいすればいいものを」


「あ、いや。あのデカブツに発振器を着けてたので。声を上げたらバレるかと思って」


「発信器だと?」


「はい。瘴気や衝撃に強いものです。今回の作戦は多分このまま失敗で、また立て直すじゃないですか。その時に目印があった方がいいかなと」


「······この状況で抜け目のない奴だ。部下に欲しいぞ」


「ははは······」


 ハルカが抜け目ないのは長きに渡るソロ活動の賜物だろう。

 ソロは普通なら分担する作業も一人でこなさなければならない。戦闘、偵察、警戒、その他諸々―――。


 ゆえに嫌でも目敏くなる。過敏になる。自らの怠慢や不注意が死を招くのだから。


「軍属はご勘弁を」


「ほう。軍属より姫宮大尉のヒモになりたいと?」


「あ、いえ、そのお」


 歯切れの悪い回答は肯定とも取れる。


 男としてあまりにも情けないそれに、佐久間中将は呆れるようにため息をついた。


「私は本気でスカウトしているのだがな」


「私は本気でお断りしておりますので」


 死地を共にしたからか、二人は妙に通じあった笑みを浮かべ合い、そのまま戦場を後にした。



 先に離脱していた部隊員が退路を確保していたため、二人は戦闘を挟まず脱出に成功した。


 崩れかけの異界を出たらそのまま装甲輸送車に乗り込み危険域から離脱。座席に座って行儀よくシートベルト、なんて暇もないままに移動する。


 まあそれも当然だろう。ヒトガタを殺せなかった上にその討伐対象は周囲の魔素を取り込んで更なる進化を始めていた。


 一分一秒でもここに長く留まるべきではない。


 装甲輸送車による移動の最中、唯一の負傷者である光希は複数の座席を折り畳んで作る簡易ベッドに寝かされていた。


 腕を切り落とされた彼女はショックで気が動転しており、意識も曖昧で時折苦しげに呻き声をあげている。


 今この場で出来る応急処置は全て施したが、それでも出血は収まりきらない。

 切断面を圧迫止血するための布はしばらくすると血まみれになってしまう始末だった。


「······ぅ、あ。は、ぁぐっ」


「大丈夫。大丈夫だぞ。もう少しで着くから」


 ハルカが手を握って耳元で語り掛けると、少女は少しだけ安心した顔をした。


「ほ、んとう?」


「おう。だから安心しろ。命に別状はない。腕も治せるから」


「······ぅ、ん。うん、わかった」


 光希は優しく寄り添うハルカにすがり付いて何度も頷く。

 そうして平気だと自らに納得させなければ、痛みも腕を失ったという事実も、到底受け入れられるものではない。


 それが分かっているから、この時ばかりはハルカも真剣に寄り添い、光希の気が済むまで優しく声を掛けていた。


 それから十分も経過すると光希は意識を手放した。

 容態の悪化ではなく、単純に疲れ等の蓄積が原因だろう。


(これで平気かね)


 光希が落ち着いたのを確認したハルカは、少女に寄り添う体勢はそのまま佐久間中将の方を振り向く。そして短く問い掛けた。


「この後はどうする予定ですか?」


「上から命令が下るまでは断言できないが、恐らく作戦の練り直しと部隊の再編成が行われるはずだ」


「まあ、そうでしょうね」


 今回の作戦は死者なしで重傷者も一人だけと結果を見れば悪くないが、それは部隊員が戦うことすら出来なかったことによる数字だ。


 今の人員では明らかに戦力不足。作戦と部隊員の変更は必須である。


 その上で改めて討伐に向かうことになるのだろう。


 先の展開を把握したハルカは、


(この状況、どこまでが腹黒クソゴミ支部長の手のひらの上なのかね)


 眠る光希の手を優しく握りつつも、ぎり、と奥歯を噛み締めて静かに殺意を高めていた。



 壁内に戻った一行はそのまま軍直属の大学病院に直行した。


 光希は言わずもがな。

 他の人員も万が一を防ぐために徹底的に検査し、少しでも異変があれば過剰だろと突っ込みを入れたくなるほどの治療を施される。


 細かい傷の絶えないハルカも例外ではなく、よく分からない薬をぶちこまれ医者の検査に振り回されと、ある意味で作戦より過酷で面倒な時間を過ごすこととなった。


 それが終わってようやく解放されたハルカは、光希の腕の縫合手術が終わるまで病院で待つことにした。


 あれだけの事があった。きっと起きた時に知り合いがいないのは不安だろう。そう思ってのことだ。


「はぁ」


 待合室のベンチに座ったハルカは、周囲を見渡してため息をつく。


 今は作戦やその後の面倒事が終わり、ようやく一段落がついた頃合い。

 緊張感が抜け落ちれば、どっと疲れが沸いてくるのだ。


 ただこのままぼんやりと待つことは出来ない。なぜなら、


(おかしい。なんでこんな平和なんだよ)


 待合室にいる一般人は、誰一人として慌ててすらいないから。事前に支部長に聞かされた通りなら、今ごろは作戦の様子を中継したことで軽いパニック状態に陥っているはず。


 それがこうも平穏に満ちた日常で、しかも待合室に設置されたテレビ番組も呑気に犬の戯れているシーンを映していた。


(中継してないのか?それに俺を部隊に参加させたり、アレを使わせなかった理由も結局分かってねえし。どうなってんだよ)


 考えれば考えるほど溜まっていく支部長への殺意。彼は人を馬鹿にしたような笑みの裏で神算鬼謀の限りを尽くし、誰だって利用してしまう。


 今回で言えばハルカや部隊員の全員。そのせいで光希があんな怪我を負うことになった。


「やあやあ」


 だから、憎たらしい笑顔を浮かべた支部長が待合室に現れた瞬間、ハルカは弾けるように動き出した。


 大衆の面前だとかは関係ない。まず一発、綺麗な顔面を殴り飛ばさなければ気が済まない。否、殴るだけでは足りない。いっそ殺してやろうか―――


「まあまあ、落ち着いてよ」


 するりと、事も無げにハルカの拳を外に受け流して、支部長はへらへらと笑った。そこに相手を宥めようとする意思はない。


「なんの用だ?なんで中継されてない?なんでここにいる?」


 流石に周囲にこの話を聞かせるわけにはいかない。ハルカは声を抑えて問い掛ける。


「まあ、色々と事情があってね。中継はやめた。思ったより敵が強そうだったから、僕の想定を越えたパニックになると思って」


「―――」


 語ったことが全てとは限らないが、少なくとも嘘はない。

 佐久間中将で倒し切れない化物など、要らぬ混乱を招くだけだろう。


「で、ここに来た理由は君に用があってねえ」


 ニヤニヤとした笑み。最悪なことを考えている時の表情だ。ハルカは思わず身構えた。


 それでもなお、与えられた情報を受け止めるには覚悟が足りなかった。


「君たちの戦闘の様子を取った映像、悪いけどあの娘に届けさせてもらったよ」


「あの娘?」


「なんだっけ。ほら。君の寄生先二号ちゃん。ああそうだ、如月皐月ちゃんだっけか」


「なっ」


 それはつまり、父親の死を突きつけたということ。


 如月皐月という少女は酷く不安定だ。

 あの平常心は、辛い現実から逃避して、誤魔化して、なんとか保てていた均衡。

 そこに強烈な一撃を加えれば容易く崩壊してしまう。


「き、サマッ。一体どこまで!」


「おっと、いいのかな?光希ちゃんのお見舞いも、僕に殴り掛かるのも、今は後回しにするべきじゃないのかい?」


「クソが!」


 極大の殺気を込めた視線を支部長にぶつけてから、ハルカは全速力で走り出した。


「あ、院内は走らないで下さい!」


「うるせえクソナース黙れ!」


「ヒッ」


 哀れなナースが支部長のとばっちりを受け、院内がにわかに騒がしくなる。


 その元凶とも言える男は、そそくさと待合室を後にしていた。なんとも抜け目ないことである。



 それから数十分後、支部長は移動中の車内で秘書と連絡を取っていた。


『支部長、中継する予定だったデータは指示通りあの女の所に送りましたが。よろしかったので?』


「危険を周知させることで、危機感の足りていないエリア内を引き締める予定だったんだけどね。まあそんな意識よりも、あいつ一人をここに留めておく方が優先だ」


『そうですか?』


「そうだね。なんていうか、あいつは金も女も地位も、究極の所ではなにも望んでないんだよ」


『まあ、そうでしょうね』


『それに加えて、あいつは僕たちを憎んでいる。多分この世の誰よりもね。でもこちらとしては、あの戦力を失う訳にはいかないんだよねえ』


『だから依存で縛り付けると』


「そゆこと。あいつは姫宮光希の好意にすら靡かないだろう?だから無理やり女の情で縛り付けよう。あいつは優しいから。多分壊れかけた女を放っておくことは出来ないよ」


『はぁ······全く。貴方は死んでも天国には行けませんね』


「既にこの世は地獄だろう?これ以上の苦しみがどこにあるのかな?」


『それもそうですね』


「用件は以上なら切るけど、構わないかい?」


『はい』


「では失礼」


 電話を切った支部長は、遠くの空―――未開領域の方を強く、強く睨み付けた。

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