第29話 不穏な兆候
皐月の体調不良によって中止された2回目の案件配信は、日を改めて行われることとなった。
その当日。
ハルカと皐月は壁の外へ通じる門の前で再会した。
「こんにちは」
「あ、どうも」
「この間は色々と良くしていただいて、ありがとうございました」
客観的に数日前の状況を振り返るとハルカの行為は非常識極まりなく、相手の出方によっては警察沙汰になってもおかしくはなかった。
しかし礼を言う皐月は笑顔を浮かべて、以前より親しげな雰囲気を醸し出している。
まるであれが正しかったと言わんばかりにだ。
(やっぱり重症だよなあこれ)
「体調の方はもう大丈夫なんですか?」
「はい。既に快調しております。今日は問題なく探索に向かえるかと」
「あー、ならよかったです。けど念のためっていうか、少しでも違和感あったら言って下さい。帰りますんで」
「そこまで心配していただかなくても、案件配信を実施するくらいは問題ないと思いますが······」
「いや、万が一があったら危ないと思うんですけど」
「私の体調は私自身が一番よく理解してますから。今日は大丈夫です」
そう答える皐月の表情は、確かな自己分析をしたというより、ただワガママを言っているように見えてしまう。
ハルカは零れそうになるため息をなんとか堪えた。
(今日は大丈夫、ねえ)
本当に大丈夫なのか、あるいは疲れや熱の症状が残っていながら無理に出てきてしまったのか。
ハルカは疑いを捨てきることが出来なかった。
なにせ皐月は数日前にも、案件配信の中止に猛反発していたのだ。しかもその時は高熱で倒れそうになっていた。
これは明らかにおかしい。
案件配信、というよりはスーツの販売を止めたくない何らかの事情があるのだろう。
(分っかんねえなあ)
皐月の異常を治すか、あるいは放置して離れるか。
その選択を光希に問われたハルカは何気ない会話の中でヒントを探っていたのだが、これといった情報は得られそうになかった。
現時点で判明しているのは、一般常識をねじ曲げるほど人に飢えている点と、何故か案件配信を通じた強化スーツの宣伝に執着している点のみ。
それだけでは流石になにも分からない。
(ま、気長に考えますかね)
皐月の方から離れていく気がないのなら、きっと長い付き合いになるだろう。呑気にそんな風に考えているハルカは、気長に構えて第2回案件配信を始める準備に取り掛かった。
―――しかし、事態はそんな悠長には進まない。
決定的な異変がすぐそこまで迫っていることに、この時のハルカはまだ気付いていなかった。
○
「はい、じゃあ第2回案件配信を始めたいと思います!ぱちぱちぱちぃ~」
それから数十分後、案件配信をスタートしたハルカは、ドローンの前で元気よく挨拶をしていた。
『うおおおおおおおおおお』
『わこ』
『きちゃぁぁぁぁぁ』
『わこ』
『わこ』
『わこ』
『案件きたぁぁあ!』
『前回中止だったけど大丈夫なの?』
「はいはいわこわこわこ。いやー、ごめんね?この前は色々あって案件配信出来なくなっちゃってさ。えっと、前回中止だったけど大丈夫なの、ねえ。うん。特に平気よ。だからこうして2回目をやってるわけだしね」
『よかった』
『ならよかった』
『てっきりあの美人ちゃんに捨てられたかと』
『てか捨てられろ』
『問題ないならいいわ』
「いや捨てられてねえよ。ほら、そこに如月さんいるから」
「どうも」
皐月が一瞬だけ撮影機材の画角にひょいっと入る。それだけでコメント欄は沸き上がった。
『如月さんだぁぁ!!』
『うおおおおおおお』
『うおおおおお』
『女だぁ!』
『えっど』
『やっぱハルカの隣にこんな美人がいるの許せねえよ』
『まあ案件中止とかになってないならよかった』
「あ、あの、ハルカ様。私はもう下がっても?」
「あ、ハイ」
『ふざけんな』
『ずっと画面に映して』
『待って』
『むしろお前が下がれ』
「むしろお前が下がれ。いやこれ俺の配信なんだが?」
早速コメント欄に厳しい言葉を返し、若干バトルの気配が滲み出る。しかしそれが加熱しないくらいに、ハルカを心配するようなコメントが目立っていた。
よほど前回急に案件配信を無くしたのが心配されていたのだろう。
そんなコメント欄を見つめるハルカは、聞けば冗談だと分かる声色で笑うように声をあげる。
「え、なになにお前ら。めっちゃ心配してるけど実は俺のこと大好きな感じ?」
『そうだよ』
『え?』
『きも』
『きっしょ』
『べ、別に、あんたのことなんて、好きじゃないんだからね!』
『お前のことが好きだったんだよ!』
「やめろや。あのね、多分お前らって俺みたいなキモいオタクじゃん?今分かったけど、お前らに好きって言われてもそんなに嬉しくないわ。気付いちゃったねえ。もしかしたらアイドルも喜んでないのかな?」
『ひどすぎ』
『泣いた』
『;;』
『;;』
『ひど』
『wwww』
『キモいオタクだがなにか?』
『女もいるかもしれないだろ!』
「いやいない!いるか!あのねえ、その女いるかもネタはもう散々やっとるのよ。俺の配信の視聴者の割合が男9女1で、じゃあ同接の1割は女だねってのは前にやったし。その後にいやでもその女アカウントは、こどおじがママの機種で配信見てるだけやんけ!ってツッコミもした」
『wwwwww』
『あまりにもかなしい』
『www』
『草』
『確かに前やったな』
「あの、ハルカ様。そろそろ案件配信の方を進めていただけると······」
「あ、ハイ。すみません。やります。今すぐやります」
皐月の言葉で目を覚ましたハルカは無理矢理それまでの話題をぶったぎると、急に真面目な顔をしてドローンの方を真っ直ぐに見つめた。
『こっち見んな』
『あ?』
『んだよやんのか?』
『目と目があう~♪』
「んっんー!1回真面目モードね?お前らもオッケー?」
『おけ』
『分かった』
『しゃーない』
『おけ』
あっちに行ったりこっちに行ったり。気紛れなハルカのように、コメント欄もまた変わり身が早い。
早速真面目な雰囲気に変わったリスナーを確認してから、ハルカはようやく探索を始めたのだった。
○
今回の探索は問題なく進行していった。
前回で経験を積んだことでハルカはスーツの特徴も掴んでおり、それを活かした立ち回りで廃墟を縦横無尽に駆け巡る。
隠密性に優れたスーツはモンスターに発見されにくく、また軽量化に成功したモデルであるため使用者に疲労を蓄積させにくい。
消費エネルギーが約4倍という難点こそあるが、それは持ち運び可能な予備のエネルギーパックで解決可能な問題だ。
「腕のこのランプが点滅し始めたらエネルギー残量が3割なんだけど、したらこのパックを―――」
実際にパックを交換する場面を映し、エネルギー切れも簡単に防げることもしっかりとアピール。
ハルカや皐月が優秀な探索者だというのも勿論あるが、それを差し置いても今回の案件配信は安定していた。
どれだけ人間が優れていようと、強化スーツがポンコツではそうはならない。
安定しているからこそ前回同様に、あるいはそれ以上にスーツの魅力を伝えることが出来たと言って良いだろう。
そうしてあらかたの探索を終えた頃―――。
まだ配信は付けたまま、ハルカは腕時計式の計測器で空気中の魔素濃度を測っていた。
魔素濃度は探索者の命運を左右すると言っても過言ではない。
―――魔素が濃くなればそこから新たなモンスターが生まれる。
―――モンスターは魔素濃度が高い場所を好んでそこへ移動してくる。
―――魔素濃度が高い場所ではモンスターの動きが活発になる。
魔素濃度が高い程その環境はモンスタに有利で、一方人間には不利になるのだ。
ゆえに、少しでも時間に余裕があれば、今のハルカのように魔素濃度の計測を行うのは常識であった。
とはいえ、ここは生存圏に近い廃墟で、濃度の急激な増減は滅多に起こらない。
そういう地域に生存圏を設け、さらには魔素を霧散させる薬剤を定期的に散布しているのだから。
もしこの一帯の魔素濃度が上昇するとしたら、それはよほどの自然現象が重なったか、あるいは周囲の魔素濃度に干渉する程強力なモンスターが出現したか―――。
どちらにせよ最悪の状況と言えるだろう。
「高いな」
「はい?いかがされましたか?」
ハルカは普段のおちゃらけた雰囲気を完全に押し殺し、緊張感すら漂わせる真剣な顔で言った。
「魔素濃度が僅かに上がってます。1度帰りましょう」
「え、それは······あ、本当ですね」
探索開始前は約0.4だった魔素濃度が、たった数時間で0.7にまで上昇していた。
討伐軍の手が行き届かない未開領域ならともかく、定期的にモンスターが狩られ薬剤も散布されている場所でその変化は、明らかに何かしらの強い影響を受けているとしか言えない。
ハルカと皐月は、案件配信を中断して速やかに帰還を開始した。
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