第25話 いやそれ絶対にアレですやん

「し、失礼しま~す」


 恐る恐る玄関の扉を開いたハルカは、玄関先に置かれた買い物袋を見付けて立ち止まる。


 まだ未開封のそれは、つい数日前に皐月と共に選んだ、彼女の父親へ向けたプレゼントであった。


(開いてない?今日まで?)


 皐月があれだけ楽しそうに靴を選んでいたから、数日間手付かずなのは予想外だった。

 プレゼントを無造作に置きっぱなしにしているのもおかしい。


(なんでだ?父親が長期の出張とかか?)


 ハルカは疑問に思って足元を見る。

 玄関に揃えられた靴はどれも女性用で、男性用の物は1足もない。


 それらに違和感を覚えつつも、ハルカは皐月を休ませることを優先して玄関口から家の中に上がった。


 冷たくて暗い廊下に電気をつけ、それから辺りを見回してため息をつく。


「如月さんの部屋、どこだ?」


 皐月を寝かすなら彼女の部屋が一番なのだろうが、当然ながら場所が分からない。


 なのでハルカは取り敢えずリビングに向かうことにした。

 家族で住んでいる一軒家なら、ソファがあってもおかしくないはず。大人数が座れる物ならなお良い。そう判断しての事だ。


 ハルカは玄関から廊下を進み、突き当たりの大きな扉を開いて中を覗き込む。


 扉の先にはごく一般的で家庭的な空間が広がっており―――そのリビングには、予想通り大きめのソファがあった。


 ハルカは慎重に皐月をそこに寝かせると、それからすぐ側に畳まれていた毛布を勝手に広げて被せる。


「こんなもんか」


 一仕事終えた表情で呟いたハルカは、皐月の寝顔を見下ろしつつもそのまま帰ろうとしていた。


 なにせここは知り合いとはいえ未成年の少女の家。しかも今は皐月1人しかいないのだから、他人の異性が長々といていい環境ではない。


 重症とはいえ所詮は風邪の範疇。ここまでくれば皐月1人でも何とか出来るだろう。


 そう自分に言い聞かせてハルカは立ち上がり―――


「······ん」


 その袖を皐月が力無く掴んで引き留めた。


「いやそれ行かないで的なイベントのやつですか?ちょ、フラグ立てるには流石にまだ早いって。看病にかこつけてエッチするやつですやん」


 熱いから服を脱がせて。背中を拭いて。エトセトラエトセトラ。

 ハルカの脳内を埋め尽くすピンクな妄想たち。


 それらが、


「······いか、ないで」


 皐月の放った一言で吹き飛んだ。


 ハルカは見下ろした寝顔が浮かべる表情に思わず目を見開く。


 寝ているから。意識が途切れているから。

 きっと今の皐月は、普段の凛々しい姿を取り払った素顔をしているはずで。


「······どこにも、いか、ないで」


 苦しげに声を絞り出す顔は、悲痛に歪んでいた。


「いや、え、えぇ?そーいうシリアスなのは、誰も求めてないんだけど」


 袖口を掴む手を振り解こうとすれば、より一層強く握り締められる。それは何かが離れていくのを恐れているかのようだ。


(だから、ねぇ)


 ハルカはようやく理解を得た。


 何故、どうして。

 皐月が自分のようなどうしようもない人間にここまで優しく、尽くしてさえくれるのか。


 変だとは思っていたのだ。


 案件を申し込んだ相手。夢を応援すると言ってくれた相手。

 だとしても、たった数回出会っただけの男に、あそこまで入れ込むのはおかしい。


 ハルカがもっとイケメンなら、もっと誠実で優しい雰囲気の出ている男なら、まあ有り得なくはないだろう。


 しかし彼は360度どこからどう見ても救い用のない駄目人間であった。


 ゲームや漫画やアニメのように、都合良く女の子が惚れてくれるなんてない。絶対に無い。


 しかし―――


 この寝顔が本性であるなら、きっと皐月は人に飢えている。


 その感情が今の皐月を形成しているのだとしたら、ハルカのような男にも優しく出来てしまうのだろう。


 皐月を見下ろすハルカの目は複雑な色を宿す。


 沈黙すること数秒。

 袖口を掴む手をそっと握り締めたハルカは、普段と変わらない調子で口を開いた。


「しゃーねーな。ハルカさんの意外と家庭的なところ、見せてやりますか」


 皐月の手を離させたハルカは、1度皐月の家を出てコンビニに向かうことにした。ちなみに買い物をするお金は競馬で勝った分から捻出されている。



 しばらくして家に戻ってきたハルカが持つ買い物袋には、経口補水液やら冷えピタやら色んなものが入っていた。


「えっと、確か冷えピタ貼る場所って·····首と、脇の下と、あと太ももの付け根だっけか?」


 熱が出た際、実は冷えピタをおでこに貼るのはあまり効果が無い。

 より効果的な使用法は太い動脈が通る部位に貼ることで、その位置はハルカが口にした通りであった。


 意外と額に貼るのが最善と勘違いする者が多いのだが、ハルカは何故かそれが間違いであると知っていたらしい。


 早速冷えピタを取り出すと、それを皐月に貼り付けようとして、


「いや犯罪ですやん」


 首は多分セーフ。脇の下はアウト寄りのアウト。太ももの付け根などは、刑務所行きの片道切符を買うような所業である。


(アウトラインで反復横跳びはしたくねえなあ。いや、これは看病。そうだ看病だ。決してやましい気持ちがあるわけじゃない)


 それに、皐月の普段の態度と先ほど見た寝顔を思い出せば、きっと訴えられるなんてことにはならないだろう。


 だからお触―――失礼看病のために、ハルカは数枚の冷えピタを取り出して皐月に向き直った。


 そして1秒後。


 冷静に自らの状況を俯瞰してみた時、寝込む病人の体を色々やってる様が気持ち悪くて、首に冷えピタを貼るだけで留めることにしたのだった。


「失礼します」


 首に冷えピタを貼るため、ハルカは合掌をしてから皐月に近寄る。割と絵面が犯罪っぽい。


 苦しそうに呼吸を繰り返し、熱い吐息がハルカに掛かる。

 長い髪の毛をそっと手で持ち上げると、ほんのり赤く染まった首元が露になった。


 白くて、華奢で。

 普段あれだけしっかりした姿を見せてみても、その本質はか弱い1人の少女なのだ。


 そんな子が熱で苦しんでいるのに、自分は一体なにをしているのか。


「はぁ、バカだろ」


 今さらながらそれに気付いたハルカは、一切の煩悩を消し去って優しく冷えピタを首に貼り付けた。


「······ひぅ」


 そして、びっくりしたらしい皐月の呻き声を聞いて、一瞬で煩悩を取り戻してしまった。


「あーもう。やってらんねえわ」


 なんとなく気に食わなくて、結局額にも冷えピタをはっつけてからハルカは立ち上がった。


 次に向かう先はキッチンである。

 手には先ほどコンビニで購入した簡単な食材を持っている。(最近のコンビニは何でも揃っていて凄いね)


「はぁ。最後に作ったの5年前だけど覚えてるかね」


 病人に作る食べ物と言ったら定番は1つ。


 そう。お粥である。


 これまた意外や意外。

 駄目人間と辞書で引いたら、その代表例として彼の顔写真が載せられていそうな程の駄目人間でありながら、彼はここでも手慣れた様子でお粥を作り始めた。


 しかもそれはただの白粥ではなく、病人の事を考慮して彼なりに手を加えていた。


 喉の通りが良いように潰した大根や梅などを入れ、ただのお粥では摂取しきれない栄養素を補完しているのだ。


 その上―――


 1つ目のお粥を作り終えたハルカは、なんともう1皿目を作り始めた。


 喉の通りを優先、つまり本当に体調が悪い状態でも何とか食べられそうなのが1皿目。


 もう1皿は、卵粥にして食材もそれなりに入れて、病人にとって少し食べにくいが栄養をバランスよく摂取出来るものにしていた。


 わざわざ2つも作ったのは、起きてきた皐月がどちらを食べられるかが分からないから。


 そこまで考えて手間を掛けるハルカは、ここだけ切り取るととてつもなく良い男であった。


 数十分かけてハルカがお粥を作り終えた頃、ソファで寝ていた皐月がむくりと上体を起こした。


「あ、起きました?」


「······あ、あの、えっと」


 熱で頭が回らないのか、眠そうな顔で周囲を見渡しながら皐月は混乱している。


 どうやら寝る前のことを上手く思い出せないらしい。


「如月さんが凄い熱だったから、配信は中止することになったんですよ」


「·····ぁ、そう、でしたっけ。すみません。私のせいで」


「いえいえ。俺の方で日にちを改めるってSNSで伝えておきましたので。たぶんそっちはなんとかなります。その後は、勝手ですが家まで送って、あー、その、勝手にキーケースで鍵を開けて、あー、その、犯罪じゃなくてですね、あー」


 説明しながら、今さらのように自分がやったことの重大性を理解して、ハルカはしどろもどろに言葉を並べ立てる。


 そんな彼が手に持ったままだったお粥が入った皿を見て、皐月は弱々しく笑みを浮かべた。


「なんとなく、事情は分かりました。ハルカ様なりに、私を気遣って下さったのでしょう?」


「た、多分?」


「でしたら、げほっ、げほっ。なにも、言いません。むしろ、ありがとうございます」


「はぁ」


 普通、そんなに親しくない相手にここまで勝手にされたら、マイナス感情を抱いてもおかしくはないだろう。


 それなのに迷わず笑顔で礼を言う皐月は、優しいを通り越して少し異常と言えた。


 何となく、それが可哀想に思えて、だけど自分が踏み込みすぎるのも良くないと思い、ハルカはさっさと説明を済ませることにした。


「あの、そこに冷えピタを置いてあって。あと経口補水液がここ······」


 ハルカがここまで用意した物の配置を聞いた皐月は、働かない頭のままぼんやりと頷く。


「わかり、ました。ありがとうございます」


「はぁ。それじゃ、少し様子を見て如月さんが大丈夫そうなら、俺は帰りますんで―――」


 そう言ってハルカが立ち上がると。


 また、皐月がハルカの袖を掴んだ。


 熱で弱り、普段の強い姿の仮面が剥がれ落ちたその素顔。


 迷子の子供のような貌で、皐月は懇願した。


「今日は、泊まっていって下さい」


「いやそれエッチなイベントですやん」


(え、いや、それは)


「え、エッチな?」


「あ、いや、そのっ。これはですね」


(やっちまった馬鹿がよ!!動揺しすぎて本音と建前ががががががががががッ!!!)

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