第8話 戦闘開始
生存圏と未開領域の狭間、人類を守護する外壁付近は、平時においては壁外への警戒用に常駐された戦力しか存在しない。
しかし今日に限って、『神奈川エリア』の北端には多くの人影があった。
彼らは軍事作戦に参加する者達であり、当然その中にはハルカの姿も含まれている。
「ハルカ、おはよ」
背後から聞こえた声に振り返ったハルカの視界に、ブラウンのショートボブとネコミミが映った。
視線を下に向ければ、そこには華奢で触れれば折れてしまいそうな少女の身体。
今日の光希は討伐軍が支給する黒い強化スーツを着用していた。
ピッタリとしたサイズで、猫のようにしなやかな身体のラインが浮き出る様は、どうにも目のやり場に困る。
案の定ハルカは、光希を見たりそっぽを向いたりと挙動不審になった。
「え?なに?どしたの?」
「ん?いや、色んな作品の鈍感難聴系主人公って、やっぱ普通に考えて有り得ねえなって。目の前にこんなのがあって意識しないとか化け物過ぎるだろ。あいつらチンチン付いてないの?」
「はぁ。まぁ~た意味分からないこと言って。そろそろ作戦始まるよ?」
半眼になってハルカを睨む光希。
胸元で腕を組むものだから慎ましやかな膨らみが強調されて、なおのことハルカの精神にダメージが行った。
悲しいかな、彼は女性経験皆無の童貞拗らせ厄介オタク。超絶美少女のおっぱいには勝てないのだ。
気になってチラチラと視線が向かってしまう。
「ハルカ」
「はい?」
「胸見てるのバレてるからね?」
「え、マジ?女の子は視線に敏感ってやつ、ガチだったってこと?」
「ガチだと思うし、それ以前にハルカがジロジロ見過ぎ。流石に気付くよ」
「へえ。てか恥ずかしがらないんだな」
「んー。雑誌の撮影とかで、水着になったりするからかな?これくらいの格好ならもう慣れちゃった」
事も無げに光希がそう答えた瞬間、ハルカはフンスカと鼻息荒くスマホを取り出した。
「それエッチ過ぎるだろ!え?なに?何て調べればその雑誌出てくる?」
「いややめてね!?調べないでね!?ていうか今目の前にいるんだから、調べる必要もないでしょ!?」
「それはつまり、隠れずに見ていいってことでよろしくって?」
「駄目だよ!もう!」
食い気味に拒否した光希は、結局最初にあった余裕が無くなって顔を赤くしていた。
「ごめんごめん」
「本っ当に変なことばっか言わないでよね!普段は私に興味ありませんみたいな顔してるのにさ!何でこういう時だけそうなるかなあ!」
「それは男の子だからしょうがない。エッチには勝てないから」
「だからーッ!!」
とうとう怒りが羞恥心を上回った光希を見て、ハルカは慌ててその場から逃げ出した―――が。
逃げられるはずもない。
光希は大量の魔素を体内に有した、より兵器に近い探索者なのだ。
先に動いたハルカが稼いだ数歩分の距離を一瞬で詰めると、光希はなおも逃げようとするハルカの肩をガッチリと掴んで容易く捕えた。
「痛い痛いギブギブ!マジでごめんって許してぇ!」
「ホントにやめてね?」
「はい!はい!やめますから!」
「はぁ」
光希はため息混じりにハルカを解放すると―――何を思ったか、再び手を伸ばして肩を掴んだ。
「え、ちょ、もうやめたよね俺ェ!?」
「違うよ。ここ、スーツ着れてないよ」
光希が触れた肩付近、確かにハルカは強化スーツを正しく着れていなかった。
「おお、ホントだ。いやあ、もうかれこれ一年は着てないからな。着方忘れてたわ」
「あれ?軍学校時代は持ってなかったっけ?」
その問いにハルカはギクリと肩を震わせ、歯切れ悪く答える。
「え?あ、うん。そうだね。持ってたね」
「もしかして壊れたとか?」
「うん。そう、そう。壊れたんよ」
実際は競馬資金を得るために売り払ったのだが、そんなことは口が裂けても言えないハルカ。ちなみにその時の競馬はタコ負けしている。
光希はまたしても半眼になって、説教モードで口を開いた。
「はぁ。あのねえ。ハルカの身体能力は低い方なんだから、強化スーツが無いと危ないでしょ!」
「お、仰る通りです」
「何で新しいの買わなかったの?お金がなかったから?」
「······はい」
「私に言ってくれれば、お金くらい出してあげたのに」
「いやいや、強化スーツ高いよ?」
「知ってるよそれくらい。でもハルカの命の方が大切でしょ?······っと。はい、これでよし」
ハルカのスーツを正しく装着し直した光希は、そこからさらに言葉を紡ぐ。
「今回の作戦が終わったら、私と一緒にスーツ買いに行こ。私が買ってあげるから」
「分かった。そこまで心配してくれるなら買うよ。でも流石に金は報酬が支払われたらすぐ返すからな?」
「いいよ別に。余裕ないんでしょ?」
「いやいや、金の貸し借りって人間関係に申し訳無さが出来るじゃん。俺、お前に遠慮したくねえよ」
「そ、そう?それじゃあ返してもらおうかな」
ちょっぴり上機嫌な声色でそう言って、光希は小さく笑ったのだった。
その後、(あれ?でも奢らせるのはアリなの?)と悩むことになるのだが。
○
それから数十分後。
ハルカと光希は、他の参加者達と共に整列していた。
数百人と集まった参加者のうち、大半は体内に魔素を持たない一般兵だ。
彼らは軍服と銃器という標準装備で、今回の作戦では戦車や装甲車を用いて探索者の援護をすることになっている。
モンスターは、あらゆる物質を取り込んで進化を繰り返すという性質を持っている。
中途半端な攻撃でモンスターを殺しきれずその体内に弾薬を残してしまえば、それが進化の後押しにもなりかねないだろう。
ただでさえ最恐の生物が身体に銃身を生やすなど、最悪の一言に尽きる。
故に一般兵は援護が基本。叩くのは探索者の役目だ。
整列した数百人のうち、剣、槍、弓、銃火器、戦鎚、その他多くの武器を持つ百人あまりが探索者である。
「さて、全員揃ったな」
作戦の参加者達の前に立った佐久間中将が、全員をぐるりと見渡しつつ声を張り上げる。
「作戦開始前に、もう一度概要の確認をしておくぞ。今回の任務達成条件は、浄化作業を完了させること。これは後の生存圏拡大に繋がる重要な作戦だ」
モンスターを生み出す元でもある魔素。これの空気中濃度を低下させるのが浄化作業だ。
「我々はこれを達成するために、3グループに分かれて行動する。一つはARV剤、魔素を霧散させる薬剤を散布する機械を護衛する部隊だ。私の隊、橋本少佐の隊、それから近衛軍事会社から参加してくれた探索者が、この部隊を担当する」
名を呼ばれた部隊の者たちが力強く頷いた。
「魔素の濃い場所へ向かうため、我々が最も苦しい戦いを強いられる事になるだろう―――が、心配はいらん。前線部隊の隊長を務める私はレーティング14.5、世界ランキング20位の探索者だ。私が参加する作戦に失敗は有り得ない」
佐久間が放ったその言葉が、前線へ赴く者の不安や恐怖を吹き飛ばした。
レーティングとは、壁外探索の成果を元に算出される探索者の能力値だ。
最低は0.1、平均は約5、現在確認されている最高値は21.6であり、平均値以上の人物はもう人間の域を越えた化け物だろう。
何せこのレーティングは、探索者のみにつけられる指標だから、平均値だとしても一般人では歯が立たないほどには強い。
それゆえに14.5という破格の数値は、佐久間中将が化け物であることの証左であった。
彼が率いる隊ならほぼ間違いなく作戦を完遂する。だからこそ問題はそこではなく―――
「残りの2部隊には、暴走して生存圏に接近して来るであろうモンスターの討伐を担当してもらう」
そう。浄化作業は魔素を霧散させると同時に、モンスターへ大きな負荷を掛けることにもなる。
この時、弱いモンスターはすぐに消滅するが、一定以上の力を持つ個体はしばらく生き続ける上、凶暴化してグラトニウムを避けなくなるのだ。
ハルカ達が配属された2部隊は、その討伐を任されている。
「ハルカ、頑張ろうね」
「おう」
前線も後方も変わらず地獄。だからこそ探索者は死力を尽くして戦うしかない。全てはこの崩壊した世界から、少しずつ生存圏を取り戻すために。
○
それからほどなくして作戦開始時刻となり、参加者たちは壁外に出てそれぞれ移動を始めた。
ハルカや光希、その他多くの参加者たちは、壁の付近で暴走したモンスターを撃退する部隊に所属している。
この部隊で戦闘が発生するのは、浄化作業が行われた後になるだろう。
しばらく余裕があるため、ハルカと光希は作戦開始から数十分間、周囲を警戒しつつも談笑していた。
超有名人と冴えない男が親しい雰囲気を醸し出す様子は、周囲の人間に大きな疑問を抱かせたが、流石に今この場でそれを追求する馬鹿はいない
参加者は皆プロであり、ハルカ達の様子を見ればしっかり警戒していることくらいはわかる。だから無駄なことにリソースは割かないし、そもそも談笑している者たちは他にもいた。その全員が相当な実力者だが。
しかし、そういった事情を理解できない者が一人いた。
「おい貴様!喋ってないで警戒しろ!」
色恋いに脳味噌を焼かれた悲しき青年、光希の同僚である大沼少尉がハルカを睨み付ける。
「いや、してますけど」
「喋りながらでどう警戒するっていうんだ?」
「いや、まあ無線の連絡を気にしたりとか周りの様子を気にしたりとか」
「御託はいい!さっき聞いたが、貴様は無能力者なのだろう?足手まといとも、今すぐここから去れとも言うつもりはないが、せめて人一倍努力するべきじゃないのか?」
(ええ······)
ハルカは困り顔を隣の光希に向けたが、少女は少女で困惑している様子。傍目にはここまで言われる理由がないのだから。
「まあ、そうかもしれないですけど」
どうしよう。面倒だからここは素直にしたがって黙っておこうか―――。ハルカがそこまで考えた所で、いきなり無線が反応した。
無線から聞こえてきたオペレーターの声は、僅かに焦りを浮かべているものだった。
『先ほど佐久間中将率いる部隊が、浄化作業に成功しました。それに伴い、数百~千体ほどのモンスターが暴走し、そちらに向かっています!単独行動は絶対に控えるようにお願いします!』
「マジか」
事前予想より多いモンスターの数に、無線を聞いていた者達が動揺を浮かべる。しかし談笑する余裕があったほどの実力者たちは粛々と戦闘準備を整えていく。そしてそれはハルカたちも同じであった。
「よし、やるか」
「無茶は禁物だよ。何かあったら私の後ろに隠れてね」
「あーいよ。レーティング8.6お姉さん」
「ハルカは今幾つだっけ?」
「あ?確か······1.5とかだったなぁ」
探索者としては平均以下、普通なら今回の作戦に参加出来ないレベルの弱者であるハルカ。
そんな彼が、光希の推薦とはいえ例外的に今この場に立つことを許された理由。
それは―――彼が持つ類い稀なる狙撃技術にある。
「だいぶ遠いなあ」
呑気に呟いたハルカが、巨大なスナイパーライフルを構えて発砲した。
大気が振動し、反動で構える腕が跳ね上がるほどの破壊力。
強化スーツを着てこれなのだから、生身のままでは腕がへし折れていただろう。
そんな威力で放たれたグラトニウム製の弾丸は、音速を越えて数キロ先のモンスターへと着弾した。
その銃撃は、対象に穴を開けるなどという生易しいモノではない。
直撃した部位が瞬間的に弾け飛び、残った身体も衝撃で後方に吹っ飛ばされていく。
ハルカの狙撃で即死したモンスターは、後方の仲間を何体も巻き込んでからようやく停止した。
「よし、まず一体」
満足げな笑みでそう呟いたハルカ。
奇しくも彼の放った銃声が、戦闘の始まりを告げたのだった。
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