第7話 挨拶
「リタちゃん、無事だったのかい⁉ 部屋にも戻っていなかったから、皆んなで探そうって声をかけてたんだよ?」
「ご、ごめんなさい……心配をかけてしまって」
「本当に無事で良かったよ……」
働いていたお店の店主と女将さん――アボットさんとローズさんに謝罪すると、二人は安心したように息を吐き出した。
私がお店からあがってから、借りている部屋に戻っていなかったため、二人はずっと心配してくれていたみたい。
申し訳ないと同時に、赤の他人である私のことを気遣ってくれるお二人の純粋な優しさに心に染みる。
何だか……お父様が生きていた時のことを思い出すな。
お父様、娘の私のことは、目に入れても痛くないほど可愛がってくれていたな。私もお父様のことが大好きで――ううん、これ以上考えるのは止めよう。
いくら優しい父親でも、裏で悪いことをしていたんだから……
感傷に浸っている間に、ローズさんの矛先は、私の手を繋いで放さないジークに向けられたようだ。この酒場で酔っ払い相手に戦い続けてきた歴戦のプライパン戦士が、容赦なく睨みつける。
「あんた……以前は勇者だとかなんだとか、もてはやされていたかもしれないけど、あたしにとっちゃどうでもいい。リタちゃんとどういう関係だい?」
問い詰めるローズさんの後ろで、両腕を組んだアボットさんが、少しでもおかしな動きをしたら殺す、と言わんばかりの眼光でジークを見下ろしている。
二人とも、いい人過ぎて泣きそうになる。
私はチラッとジークを見た。私の視線を受け、ジークが軽く頷く。
アボットさんたちに昨日の件や私たちの関係についてどう説明するか、作戦を立ててきたのだ。
ありきたりではあるけれど、私たちの関係は恋人ということにし、些細なすれ違いで飛び出してた私を、ジークがずっと探していたという設定だ。
この案で纏まったとき、
「嘘を見破られない秘訣は、本当の中に小さな嘘を入れることだからね」
なんてことをジークが言っていたけれど、嘘しかなくない?
……まあいい。
さあジーク。
言ったれ!
恋人関係だと‼
「夫です」
「「はっ?」」
私とローズさんの声が重なった。
いや、そんなの打ち合わせにはないんだけど!
否定しようとしたけれど突然彼に抱きしめられ、胸にギューギューと押しつけられたことで言葉を奪われる。
息苦しさと、人前で抱きしめられた恥ずかしさでもがく私の上で、にこやかで、全くブレないジークの声が通り過ぎていく。
「妻が大変お世話になり、ありがとうございました。お恥ずかしい話、些細なすれ違いで妻が出て行ってしまい……ずっと探していたんです」
「そ、そうだったのかい? 勇者様が所帯持ちだとは知らなかったねぇ……」
昨日とキャラが全然違うジークに、ローズさんが戸惑っているのが伝わってくる。
だがジークは、全く意に介した様子なく、言葉を続ける。
「しかし、昨日じっくりと話し合い、お互いに誤解をしていたと分かりました。今回のすれ違いは、彼女への想いを誤解させてしまったのが原因。二度と同じ過ちを繰り返さぬよう、きちんと僕の想いを伝えていこうと思います」
「そういうことかい、なるほどね。うちのひとも無口で若い頃は色々と誤解もあったから、よく分かるよ」
何かローズさん、納得したどころか、語り出しちゃったんですけど!
アボットさんとの昔話を語っていたローズさんが言葉を切り、フッと笑う。
「あんた、大切なことは、きちんと言葉にしたり態度に出したりしなきゃ駄目だよ。もう、リタちゃんを離さないように、仲良くね!」
「もちろん、放しませんよ」
にこやかにハキハキと答えるジーク。その後ボソッと、
「……二度と、ね」
と、低く、でもどこか嬉しそうに呟いたのを私は聞き逃さなかった。
会話が駄目なところに着地しちゃったよっ‼
しかしローズさんも納得しちゃってるし、目的は果たしてしまったから、ここで私が嘘だと明かしても仕方がない。
ジークもそれが狙いだったのか、話し終えると、抱きしめていた腕の力を抜き、私を解放してくれた。
息苦しさから解放され、今まで取り入れることが出来なかった空気を肺の奥に吸い入れながら、伝えなければならない一番重要なことを口にした。
「あ、あのっ……お二人には本当にお世話になり、感謝しています。あの、私……」
「旦那と一緒に帰るんだね、リタちゃん」
話の流れから、何となく察しはついていたのだろう。ローズさんが寂しそうに、途切れてしまった私の言葉を引き継いだ。
私は、主人公と本当のヒロインを引き合わせくっつけるため、ジークと一緒に聖都まで行くことにした。その最中、何があるかは分からない。だからお店を辞めることにしたのだ。
……私がついていかないと、また物語が変わってしまいそうだし。
ジークを殺そうとした過去から逃げるようにここにやって来て、でも子爵家令嬢だった世間知らずな私がまともな職に就けるわけがなく、身体を売ることすら考えていたとき、話を聞いてくれ、雇ってくれたのはお二人だった。
酔っ払いたちに絡まれても、アボットさんの拳と、ローズさんのフライパンが、いつも私を守ってくれた。休みの日には、私を誘って出かける時も会った。
――本当の家族のように、可愛がってくださった。
なのに私は今、恩も返すことなく、店を辞めようとしている。
心が……苦しい。
自然と視線が下を向く。
しかし私の耳に入ってきたのは、意外にも、いつも無口なアボットさんの声だった。
「なんて顔をしている。お前を雇ったのは、俺たちがそうしたいと思ったからだ。おかげで十分稼がせてもらった。だから俺たちのことは気にせずに、自分の人生を行きなさい」
「え、でも……」
「そうだね。あたしたちもリタちゃんと一緒にいられて楽しかったから、それでチャラだよ。寂しいけど、もしこの街に来ることがあれば、絶対に顔を出すんだよ? それだけは約束だからね」
お二人の優しい言葉に、涙が溢れそうになった。目頭が熱くなるのを感じながら、キュウッと絞まった喉に、必死で空気を送る。
「ありがとうございますっ、アボットさん……ローズさん……本当に、今までお世話になりました……」
言葉にしたら今までの思い出が走馬灯のように流れて、涙が零れてしまった。
そんな私を、ローズさんが抱きしめてくれた。
私の母は、産後の肥立ちが悪くて亡くなったから、母の温もりというものを知らない。もしお母様が生きていたら、こんな感じなのだろうか……
私たちは二人に見送られながら、お店を後にした。
お二人の優しさで、心がとってもほかほかする。
それはいい。
それはいいんだけど――
私は隣にいるジークに食ってかかった。
「ジーク⁉ 打ち合わせと違うじゃない‼ 何であんな嘘を付いたの⁉」
嘘というのはもちろん、私たちの関係を【夫婦】だと言ったこと。
ジークは、嘘? と呟き、不思議そうに首を傾げた。しかしすぐさま、満面の笑みをこちらに向ける。
「だって二人は、リタを助けてくれた恩人なんでしょ? なら誠心誠意をもって対応しないと。嘘を付くなんてもっての他だよ」
「いや、あなたも嘘ついてたじゃない!」
「嘘なんて言ってないよ。僕は君に殺されてもいいと思う程愛していたのに、君は僕の想いを勘違いして僕の下から去った。だけど全ての誤解は昨日解けた。嘘じゃないよね?」
いや、そうはならんやろ、と言ったところで、瞳からハイライトを消した彼に通じるわけもなく。だから本当の嘘だけを指摘する。
「で、でも夫婦っていうのは嘘、よね?」
「まあ現時点では嘘寄りだけど、これから結婚式をするし、すぐに本当になるから大丈夫」
「けっ、こん、しき?」
まって。パワーワードきた。
口をパクパクさせるだけで言葉が出せない私に、それはそれは嬉しそうにジークは口角をあげた。立ち止まり、私の両手をギュッと握る。
「だってリタ、僕と一緒に聖都に行きたいって言ってたよね? それって僕が魔王討伐に行く前に、聖都の大神殿で結婚式を挙げたいってことでしょ」
「ちょ、ちょっと待って! そういう意味じゃ……」
「ごめんね。やっぱり人生一度の結婚式なのだから、大きな神殿でしたいよね? 僕から言わないといけなかったのに……どうすれば君の希望に気づけなかった償いができる?」
なんでそうなるん⁉
レイラと出会う前、恋愛なんて分からない……とか言ってた純粋な君は、どこにいったの⁉
もの凄く深刻そうな表情を浮かべながら、ジークは握った手に力を込めた。
どうしようかと困っていると、
「じー……く? お前、ジークフリートか⁉」
私の後ろから、ジークの名を呼ぶ男性の声が聞こえた。
声の方を見ると、ボロボロのフード付きローブを身に纏った男性が立っていた。手には、魔法使いの証である長い杖が握られている。
被っていたフードをとると、黒い長髪がフサッと揺れた。
ジークが少し掠れた声で、男性の名を呼ぶ。
「ウィル……か?」
名を呼ばれた黒髪の男性――ウィル。
その名を聞いた瞬間、私の心臓はこれ以上ないほど早鐘を打った。変な汗が背中を伝い、呼吸も心なしか早くなる。
ジークの親友であり、私が彼を襲っていた時にも、パーティーメンバーとして在籍していた魔法使いウィルが、私たちの目の前にいた。
聖属性最強&最終武器である【聖剣エターナルグローリー】を手にするきっかけを作る、
裏切り者が――
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