図書室にスマホだと!?

 そこには一面に緑色の植木が待ち構えていた。1人の時間を楽しむ生徒たちを優しく見守り、その心に寄り添うようにたたずんでいる。時にはそっと手を振るように、風に揺れる一面も見せる。校庭とは反対方向であり、砂が敷き詰められた地面の上でせわしく運動に精を出す、激しい姿を見ることはない。これは学校が配慮した設備であり、その点は森をはじめ、生徒たちから高く評価されている。

 1度大きく腕を上げて伸びをし、首を回した。顔がゆっくりと円を描こうとしたが、目線が隣の席に向いたところで止まった。

 そこにいたのはフェリだった。彼は先ほどまでの森と同じ姿勢で座っているが、本を持っているわけではなく、スマートフォンをいじっていた。机の上には何もなく、彼はずっと小さな液晶画面に集中しているようだった。ここは図書室であり、SNSやゲーム、その他のアプリをいじるスペースとは言い難い。違和感を抱くと正さずにいられない森は、すぐにフェリに声をかけた。

「おい、何スマホいじってんだよ」

 フェリは特段取り乱すこともなく、着物の懐にスマートフォンをしまいながら、「小説を読んでたんだよ。電子書籍」と答えた。

「電子書籍? お前、そんなのを読んでて、身に入るのか?」

「身に入る?」

「内容が頭に入るのか? って聞いてんだよ」

 一度聞き返されたことで、森の声と態度はヒートアップした。周囲にいた生徒たちがちらほら、2人のほうへ目線を向けはじめた。

「……落ち着こうぜ」

「お前がいけないんだろ! スマホなんかいじって、紛らわしいことして!」

 熱が冷めないとみたフェリは仕方なく席を立ち、「外で話そう」と森を誘った。「ああ」と森は我に返った。ムキになると周囲が見えなくなるのも、森の性分である。

 分厚い本を元の棚にすっぽりとはめこむと、森はフェリについて図書室を出た。

 ピカピカに磨かれた木の廊下へ出て、真っ先に口を開いたのは森だった。

「とりあえずさ、図書室でスマホを見るってのは絵面がおかしいだろ」

「確かにな」

 フェリはうなずいた。「それは認める」

「だったら、図書室にある本を読めばいい、って話じゃねえか?」

「俺の読んでる本が、置いてなかったんだよ」

「置いてなかった?」

 図書室自体は、そこまで広くはなかった。普通教室と同じくらいで、こぢんまりとした田舎の本屋のような雰囲気だった。しかし、日本の小説の品揃えは充実していて、著名な作者、もしくは教科書に載っている作品などは必ず用意されている。

「俺、今ラテンアメリカの小説を読んでるんだ」

「ラテンアメリカ?」

「そう。不思議な世界観だよ。例えば、話に出てくる店の看板に、英語とスペイン語が混ざってたりしてね」

 フェリは少し口角を上げた。日本人作家の作品ばかり読んでいた森には、いったい何が面白いのかが理解できなかった。その後も現地の気候やメキシコ人の生活風景など、様々な話がフェリの口からダムの水ように流れてきたが、森はそのすべてを拾いそびれていた。

 結局、シーソーのように互いのテンションが傾いたまま、動くことはなかった。しばらく黙り込んだ後、2人は下駄箱で上履きを脱いだ。

「兄貴も一遍、読んでみなよ」

 フェリははっきりと、興味のなさそうな森の表情を確認していた。が、相変わらず笑みを浮かべていた。

「難しそうだから、よしとくよ」

 森はきっぱりと言い放った。理解できない話を延々と聞かされた不快感を、彼にぶつけるような形だ。

「……そうか」

 フェリは横を向いて、上履きから下駄に履き替えた。先ほどよりも強い負のエネルギーを感じ取ったはずだったが、その顔はやはり笑っていた。それはひとえに、これこそ兄貴が兄貴たるゆえんだ、と自然に飲み込んでいたからである。ただ惜しいことに、ヒートアップした状態の森にはその恩恵を受ける余裕はなかった。

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