第9話 ひと欠片



結仁はいつも通りの時間に学校へ向かった。

登校中の冷たい風が頬を刺すように吹き付けるが、彼の心は穏やかだった。


すっかり空も空気も冬に変わりゆく。


学校に着く。


結仁は教室へ向かうと教室の中では、涼と志穏が既に席についており、今日もまた雑談に興じている。

結仁は一瞬そんな楽しそうに話す二人に笑いかけ、教室に入った。


「おはよう、結仁!」


涼が元気よく声をかける。


「おはよう、涼。志穏も。」


結仁はいつものように返事をし、自分の席に向かった。


「結仁おそかったじゃーん」


志穏が茶化す。


「普通だし、いつもと変わらないじゃんか」


志穏の額をとんっと押し、結仁が席に着く。


結仁はぶっきらぼうに答えたが、その表情にはどこか満足げな色が浮かんでいた。


「わ〜!涼〜、結仁が私の事いじめた〜!」


「いつも通りじゃん(笑)」


「涼までひどーい(笑)」


そんな会話に三人で笑いながらも、朝の時間が終わった。


授業が始まり、結仁は教科書に目を向けなが、ぼーっと授業を受けた。


放課後、結仁は涼と志穏と一緒に駅前にある行きつけのカフェに寄ることにした。


カフェは賑やかな雰囲気に包まれており、外の寒さを忘れさせてくれる。

三人はお気に入りの席に座り、それぞれの飲み物を注文した。


いつも通り、


涼はアイスコーヒー、

志穏はココア、

結仁はカフェラテ、

を。


「二学期、学園祭とか色々あったけどなんか結仁、変わったよな。」


涼がふいに言った。


「そうか?そんなことないと思うけどな」


結仁は驚いた顔で涼を見た。


「いや、なんていうか、ちょっと柔らかくなったっていうか」


志穏も頷きながら同意する。


「まあ、でも時間経てば誰でも変わるよね。クラスの雰囲気もだいぶ落ち着いてきたし?」


志穏が落ち着いて言う。


結仁は二人の言葉に戸惑いながらも、自分でも少しずつ変わってきたことに気づいていた。


確かに笑う機会が増えたかもしれない。


それが学校生活が落ち着いてきたものだからと思いつつも少なからず茉白と過ごす時間の関係だと理解していた。


しかし、彼らにはそのことを話すつもりはなかった。


これは結仁と茉白、二人の秘密だからだ。


そんなことを思いながらしばらく、他愛のない会話でカフェでの時間を楽しんだ。


結仁は二人と別れて自宅に帰ることにした。


先程の会話の温かさとはうってかわり、秋が過ぎていく冬の寂しい寒さが風となって吹き抜ける。


陽が傾くのが随分と早くなったものだ。

5時半、もう辺りが暗くなり始めている。


マンションのロビーからエレベーターに乗り込む。


静かな密閉空間に無機質な機械音が鳴り響く。


エレベーターの扉が開くと、茉白が結仁の部屋の前で手を擦り合わせながら立っていた。


近づくと、


「上田くん、こんばんは。」


茉白は振り向きざまにいつものように優雅な笑顔で挨拶をした。


「こんばんは、東雲。」


結仁は自然と微笑み返した。


「ごめんな。遅くなって。」


「いえいえ。そんなことないですよ。私もさっき家を出てここまで来たんです」


茉白の耳は寒さで真っ赤に染め上がっていた。


(ずっと待ってたんだな…)


鍵を開け部屋に入ると、結仁はキッチンに向かい、茉白はリビングのソファでくつろぎ始めた。


今日は何を作ろうかと考えながら、結仁は冷蔵庫を開けて食材をチェックした。


「上田くん、今日も何かお手伝いできることありますか?」


茉白がカウンター越しに結仁の手作業を覗きながら声をかける。


「ありがとう、東雲。でも今日はちょっと特別なメニューを考えてるから、座って待っててくれればいいよ」


結仁は笑顔で答えた。


結仁は茉白のために、茉白が喜びそうな新しい料理に挑戦することに決めた。


それは、結仁が以前から気になっていたホワイトシチューのレシピで、少し手間がかかるものだったが、茉白のためならと張り切って取り組んだ。


やがて、料理が完成し、テーブルに並べられた。


茉白はその美しい見た目に感嘆の声を上げた。


「すごい…。このシチュー…本当においしそうです」


「食べてみて、気に入ってくれるといいんだけど」


結仁は少し照れくさそうに言いながら、茉白に席を勧めた。


「「いただきます」」


二人は手を合わせて言った。


茉白は結仁の新しい料理に舌鼓を打ち、


「ん〜っ!やっぱり、上田くんの料理は美味しいですっ!」


茉白が感想を伝えるたびに、結仁は嬉しそうに頷く。


ふとした瞬間、茉白がスプーンを落としてしまい、二人は落ちたスプーンを見つめて固まった。


「あっ。落ちた。」


茉白は少し恥ずかしそうに言った。


「美味しさを伝えるのに、少し夢中になりすぎました…」


結仁が笑う。


「充分伝わったよ」


結仁は落ちたスプーンを拾いながら答えた。


その言葉に、茉白は微笑んだ。


夕食後、茉白は結仁の家の掃除を手伝い、二人でキッチンを片付けた。


茉白が不器用ながらも一生懸命に手伝う姿に、結仁は感謝していた。


外はとっくに陽が落ち、月が綺麗に満ちていた。


片付けもひと段落つき、結仁と茉白はソファでゆったりとくつろいでいた。


そういえば。と結仁が思い出したように言った。


「東雲、手出せ」


「…?」


突然の言葉に茉白はたどたどしく手のひらを結仁の前に出す。

結仁は茉白に手渡す。


「こ…これは、上田くんの家の鍵…?!」


茉白は手のひらに乗った鍵を見て驚いた。


「さっ…さすがに受け取れないですよ!それに、家財が…とか考えなかったんですか?!私がなにか悪さするとか…」


わちゃわちゃと騒ぎ出す茉白。

そんな茉白を横目に、


「そこは心配しちゃいねーよ。」


結仁は茉白の額を人差し指で軽く押す。


「あうっ…」


茉白が後ろに仰け反る。

結仁は落ち着いた様子で続けた。


「これから次第に寒くなるんだし、今日みたいに家の前で待たせてらんないだろ?」


そして恥ずかしげに言った。


「それに東雲が悪さするとか考えるわけないだろ。前、東雲が俺に言ってたように、俺だって東雲のこと信用してるんだからな」


分かりやすく目を逸らす。


「まあでもっ、東雲が一人前になったら返してもらうからなっ」


茉白は目を輝かせて鍵を見つめる。


「はいっ…分かりました」


静かに呟いた。


それとなく時間が過ぎると茉白はいつもより早い時間に、帰る準備をしながら感謝の言葉を述べた。


「東雲、気をつけて帰れよ。」


「上田くん、心配していただけるのは嬉しいですが、私の家はすぐ上ですよ」


茉白は結仁に優しく笑いかけた。


結仁は玄関まで茉白を見送る。


茉白が帰った後、結仁はテストに向けて勉強を開始した。




結仁は寝る前に今日一日の出来事を振り返っていた。


茉白との時間は、結仁にとって何よりも大切なものになっていた。


この日常は二人だけの秘密。


結仁はその夜、穏やかな気持ちで眠りについた。


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