第14話 氷の城
よく日の当たる高い丘の上に、二階建ての別荘が立っている。その広大な庭と道草とを隔てるレンガ壁まで、そこにあるすべてが氷で覆われていた。五センチほどの厚さがあるその氷塊は、照り続ける陽光を受けても一向に溶ける様子はない。
ナターシャとリーシエは氷のアーチと化した鉄門の前で立ち尽くしていた。その後ろに、事の経過を見守るようにディーラが控えている。トルは、そのまま教団にて雑務の処理をお願いしたため、此処にはいない。
「この中に、フローラが…」
圧倒的な氷の物量に、ナターシャは息を飲んだ。
「結構危険な状態みたいね。すぐに助けるわよ。ナターシャちゃん。炎、お願いできる?」
「はい。やってみます」
ナターシャはまだ病服のままだった。陽は遠慮なくナターシャの肌を貫いているが、炎が肌に出現することはない。それが今、ボゥ、と右手首に炎が出現した。
ナターシャはそのまま、燃える腕を氷に当てる。
ジュゥゥウーーー。
心地よい氷の溶ける音が蒼天に響いた。
「あぁ、ナターシャ様。どうか、そのお力でフローラ様をお助けください」
ディーラが後ろから声をかける。
ナターシャは無言でうなずき、火力をあげた。氷がボロボロ溶け、雫が炎に落下し蒸発していくのが目に見える。
だが、それはナターシャの腕がある場所のみのこと。
「全部燃やします」
瞬間、ナターシャは身体全てに炎を生み出した。服と同時に氷がナターシャの面積分溶けていく。そうすることで、すぐに鍵穴までたどり着くことができた。
「鍵!」
リーシエが叫んだ。
「はい。こちらになります」
ディーラがリーシエに鍵を渡し、それを炎を消したてでナターシャが受け取った。
鍵穴に差す。だが、鍵穴にも氷が詰まっていた。ナターシャ人差し指で丁寧に氷を溶かした後、鍵を刺した。
「開きました!」
鉄門を強引に押す。
扉は案外重かった。
ナターシャだけでは厳しいと、フローラ、ディーラも加わる。
ギギギギギギーー。
「開いた」ナターシャが叫んだ。
「ディーラ、フローラの部屋はどこ?」
「二階の南角部屋です」
「他に鍵は?全部頂戴」
「はい」
ディーラが鍵束を渡した。
「ありがと」
リーシエは先に走り出したナターシャの後を追う。二人の背中を見つめ、ディーラは深々と頭を下げた。
玄関の扉は鍵がかかっていなかったため、そのまま侵入ができた。巨大なホールが広がっており、白い布生地が掛けられた机が幾つも並べてあった。他にも金色のシャンデリアや鹿の皮で作られた絨毯、絵画が満遍なく敷き詰められている。しかし、今ではそのすべては平均十センチの氷で包まれ、その荘厳さは失われていた。
入口をまっすぐ進んだところに扉がもう一つあり、左右に螺旋状に伸びる階段が二つ並んでいた。上を見ると渡り廊下が左右の壁に取り付けられている。
「流石に寒いわね」
リーシエが腕を胸の前で組みながら囁いた。
「私は平気です」
ナターシャは服をすべて失った代わりに、全身を包む炎が冷気から身体を守っている。
「鍵ください。全部の部屋を回ってきます」
「わかったわ」
リーシエはナターシャは鍵束を渡した。
「気を付けてね」
「はい」
ナターシャは地面の氷を溶かしながら、廊下を歩いていく。道中、メイド服の女性が立ったまま凍り付いているのを発見した。
「シーナ!」
氷の中の彼女は瞳を閉ざし、まるで眠っているようだった。
ナターシャは急ぎつつも丁寧に彼女の氷を溶かす。廊下に寝かしてから心臓の音を確認した。
ドク、ドク、ドク…。
「よかった。生きてる…」
ナターシャはその後、一階のすべてのスペースを探索し、総勢六名の使用人達を氷から開放した。その後、ホールへと戻ってきた。
「リーシエさん。使用人さんの氷を解いてきました。全員で六人です。今は寝かしてあります」
「息はあるのね」
「はい。大丈夫だと思いますけど…」
ナターシャは瞳に影を落とす。
「わかったわ。そっちの方は私の方で確認しておくから」
「あの、フローラの部屋は二階ですか?」
ナターシャはリーシエに問うた。
「ええ、二階の南角部屋よ」
「わかりました」
ナターシャは階段を見つけると、すぐに早足で駆け出した。
廊下に上がると、冷気は一層冷たくなった。家具や床を覆う氷も厚さを増しており、人が通れるスペースすらなかった。そんな中、右手の廊下だけに氷の壁ができていた。
「フローラ!」
ナターシャは脚を早めた。ナターシャが前に進むだけで、氷の壁はまるで判を押されたように溶け出していく。
時間はかかったが、一番奥までたどり着いた。
角部屋は一つだけ。凍り付いた扉を溶融し、ドアノブをひねる。
「え?」
押しても開かなかった。かといって引いてもびくともしない。
「ああ、もう!」
ナターシャは扉自体を燃やし、無理やり剥がした。
中に入ろうとした時、それに気づいた。
「氷の壁…」
氷のつるりとした表面が、ナターシャの眼の前にあった。この部屋すべてが、氷で埋め尽くされている。
(またか!)
氷は透明度が高く、部屋の奥まで見渡すことができた。
引っ越し直後の部屋のようにがらんとしていた。備え付けの本棚には一冊も本は並んでおらず、机や椅子すらない。
あるのは円形の絨毯と、その上にある大きなベッドだけ。
そのベッドの上で、寝間着のフローラが膝を抱えていた。
「フローラ!」
ナターシャは氷の中を走った。
不思議と体温が上がっていく。
それと同時に、炎の総量もガッと大きくなった。もう外側から見れば、炎そのものがあるいているように見えただろう。炎が体の二周り以上の総量となった時、ナターシャはフローラの前にたどり着いた。
キレイな肌が、眼の前にある。
ついつい、ナターシャは息を飲んでしまう。
ゆっくり腕を伸ばし、フローラの表面にへばりつく氷を丁寧に溶かしていく。
次第に氷が溶け出し、フローラの褐色肌が姿を見せた。
彼女の周りにある氷をすべて溶かすのに、そう時間は要らなかった。
「フローラ!」
ナターシャはフローラの肩を揺すった。
だが、フローラは目を覚まさない。
そのうち、リーシエがこの部屋までたどり着いた。
彼女の服は若干濡れていた。
「ナターシャちゃん。フローラはどうなってるの?」寒いためか、リーシエは震える声で尋ねえた。
「リーシエさん。後は目覚めてくれればいいんですけど…」
ナターシャーはフローラに視線を向けた。
リーシエもそれに習い、うつむいたまま膝を抱えるフローラを見た。氷が溶けた影響か、寝間着はびっしょりと濡れていた。
「ちょっといいかしら」
リーシエはナターシャに下がってもらい、フローラの元まで歩いた。
そして、ビシッとフローラの頬を叩く。
「起きなさい!」
ビクリ、とナターシャの肩が動く。怒っているのか、と思ったがリーシエの頬に一筋の涙が流れていた。
だが、フローラは叩かれても起きなかった。
「もう!」
リーシエは何度も頬を叩いた。
五回目の時、痛い、と声がした。
フローラの瞳がうっすらと開かれる。
「……え?お姉ちゃん?」
ナターシャはそれを見て一目散に駆け寄った。
「フローラ!」ナターシャはフローラの胸に飛び込んだ。
「え、ナターシャちゃん?なんで裸なの?」
「あぁ、良かったぁ。ほんとに、良かったぁ」
ナターシャはフローラに抱きつきながら、メソメソと泣いた。
今までの不安や恐怖がすべて開放されたような安心感があった。
「お姉ちゃん、これって…」
フローラは部屋中に覆われた氷を目にした。
「ええ、貴方がやったのよ。また、覚えてないの?」
リーシエは呆れ半分、怒り半分と言った調子で答えた。
「えっと…少し覚えてる」
フローラは落ち着き払った声で言うと、泣いているナターシャの頭をなでた。
「じゃあ、氷を溶かしたのはナターシャちゃんなのね」
「そうよ。ちゃんと感謝しなさいよ。それに貴方、今度は使用人まで巻き込んだんだからね」
「あ。ごめんなさい」
フローラは頭を下げた。それからまた、あ、と顔をあげる。
「お父様は?」
「知らないわ。ディーラが私達を呼んでくれたのよ」
「そっか、じゃあまだ氷の中?」
「何?あの人凍ってるの?」
「多分。逃げて無かったら凍ってると思う」
「え?」
ナターシャが顔を上げる。
「助けに行かなきゃ!」
「いや、行かなくていいわ。きっとすぐに溶けるでしょうし、放おっておきましょ」
あっさりとリーシエが答えた。
「私も賛成」フローラは首肯する。
「え?いいの?」
簡単に諦めた二人の反応に、ナターシャは戸惑った。
「いいのいいの。それより、ナターシャちゃんの服、どうしよっか?」
フローラが楽しげに訊いた。
「あ、えっと…」
ナターシャは自分の裸体を見る。それから頬を赤くし、自分を恥じた。
「フローラの服を貸してあげたらいいんじゃない?下着も必要だし」
「そうだよね。ちょっとまってて」
フローラはそう言うと、嬉しそうに部屋を出ていった。
リーシエとナターシャは氷の部屋で待つことになる。
「あの、ほんとにいんですか?助けなくて?」
ナターシャが震えながらシーナに訊いた。今更ながら、肌が冷えだしたのだ。
「いいのよ。あの子も私も、お父様の事嫌いだから」
しばらくすると、フローラが大量の衣類を抱えて帰ってきた。
「ねぇ、これとか似合うんじゃない?」
フローラはベッドの上にどん、と衣類を置くと派手なパンツを一つ手に取った。
「いや、それは無いわ。もっとおとなしめのが…」
リーシエはすぐさま衣類を探り、白生地のパンツを取り出す。
そうして、あっという間にフローラとリーシエによるナターシャ着せ替えショーが始まった。下着からの標品会から始まり、そのうちナターシャの小さな胸にはブラが必要かどうかと言う言い争いになる。衣類に関心のないナターシャは、最初こそ人形のようにされるがままにまかせていたのだが、それでも胸が小さいとか、いや胸の大きさは関係ないとか、スポーツブラがあるとか眼の前で評論されると、赤面するしかない。
「…ブラはいいです」
結果、ナターシャのその一言でブラを付けないことが決定した。実際、ナターシャはいつもブラを付けていなかったので、いつも通りである。
「まぁそう…残念ね」
「それじゃあ次は」
「服装ね」
「負けないわよ」
その次はまた、このスカートがいいとか、いやいやワンピースがいいなど、姉妹のオシャレ論争となっていったのだが…そこまで行けばナターシャにはもうどうでも良い内容だった。
刻々と時間が過ぎていき、気づけば腹の虫が鳴った。
結局ナターシャの服装は、ロリゴシック全開の、フリフリでふわふわな漆黒の衣装に仕上がった。これでナイトキャップさえあれば完璧だっただろう。
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