第11話 夜の奇跡

 時刻は深夜を回った。食事は昼以降出されず、尿意を訴えたが誰もこなかった。

 ナターシャはすぐに悟った。

(私を殺す気だ)

 やはり、という思いが強かった。だけど、その現実に耐えれるほどナターシャの心は強くできていない。瞳からは涙が溢れ、意識が混濁する。かすかな自嘲が、ヒステリックに耳をついた。

(私が父さんと母さんを殺したから…)

 過去の記憶が蘇る。

 炎が燃え盛り、父と母を焼いた記憶…。

 さながらここは、罪を犯したナターシャを閉じ込める牢獄なのだ。

 そう思うと、腕に力が入らなくなる。

「あぁ…」

 頭痛がする。空気が最悪だ。

「でも、こんなこと、間違ってる。絶対に間違ってる。私は悪くないはず…」

 ナターシャは自分に言い聞かせるが、自信がない。

 それでも、抵抗しないと何も始まらないことはわかっていた。

 ナターシャはゆっくり立ち上がると、ドアノブを捻った。

「ううぅ。やっぱり開かない…」

 ナターシャは軽い頭痛と気だるさを感じながら、扉に持たれて部屋を見渡す。

 派手なドレスばかりが地面に散らばっている。

 マネキンがあることから、きっとこの部屋は衣装部屋かなにかだったのだろう。

 ナターシャは首にかかるペンダントをぎゅっと右手で掴んだ。

(フローラに会いたい)

 ナターシャは口元に手をやりながら、部屋の中を歩き始めた。地面に散らばるフリルのスカートや、ワンピースを素足で踏みながら、なにかないかと視線を動かす。すると、右手の壁に大きな木の箱が置いてあった。箱の上にはマネキンが二体置かれており、それだけは服が着せられていた。

「きゃっ!」

 上を向いた時、マネキンがナターシャを見つめていた。

 この二体にだけに、目が描かれている。下手に黒を塗りたくった瞳だった。

 ナターシャは怯えながらも、自分の背丈より高いマネキンを箱から丁寧におろした。ゆっくりと箱の蓋をずらし、その中を見る。が、真っ暗で何も見えない。

 意を決して手を中にいれると、硬い何かに触れた。取り出すと、それはバールだった。ナターシャはすぐに、それをドアノブに振りかざした。

 ガン、と音が響く。何度も繰り返すと、腕がピリピリと痺れてきた。

「い、行けるかも」

 暗くてドアノブの様子はわからない。

 けど、ドアノブがぐらついていることだけは感覚としてわかった。

 ガン、ガン、ガン。

 ナターシャは躊躇なくドアノブを壊しにかかった。抵抗できる、それがものすごく嬉しかったのだ。どれだけ経っただろうか。ふと、足音が聞こえてきた。

「な、何してるのよ。こんな夜遅くに」

 ラーシャが扉の前に来ていた。

「ここを開けてください」

 ナターシャは手を止め、大声で脅すように叫んだ。

「な、何いってんの。できるわけ無いでしょ?ねぇ、まさか扉を壊そうとかしてないわよね」

「……」

「ねぇ、まじでそういうの無いから。辞めてよ。ほんと。弁償だからね。あんた、ホント一生自由になれないから。だから、辞めなって」

 ラーシャは段々とイライラした声を出した。

 ナターシャは抵抗の意を込めて、もう一度バールを振るった。

 ボギ、と音が鳴る。

「あ」

「え、ねぇ。まじでさぁ、まじで辞めてよぉ」

 ナターシャは脚を振り上げて、思いっきり扉を蹴った。

 ドン!

 扉が開く。埃がゆっくりと、廊下へと流れていく。漂う埃の中に、鬼の形相をしたラーシャが立っていた。

「今って、夜なのよ。それ、わかってる?」

 ナターシャは息を呑む。ラーシャの右手に包丁が握られていた。

(なんで、包丁なんか持ってんだよ!)

 ナターシャはぎゅっとバールを握った。

 心臓がバクバクする。

 意識が包丁の鋭利な銀色に集中していく。

「なら、今のうちにこの家から出ていって」

「……」

 願ってもない提案だった。だが、ナターシャはなかなか一歩が踏み出せない。外に出るには、包丁を手にしたラーシャに近づかないといけないからだ。

「…早くしてよ。ねぇ、早くしてって言ってるでしょ!」

 ラーシャの気障が粗くなっていく。

 ナターシャは体が冷えていくのを感じながら、一歩を踏み出した。視線を一気に廊下の奥へと向け、走った。

 視界の端で、ラーシャの包丁を持つ腕が見えた。

 心臓がバクバクして、呼吸が浅くなっていく。それなのに、意識はずっと後ろ向きで、奇病にかかったような恐怖心が腹を貫いていた。

(早く、早く、早く)

 階段を駆け下りる。廊下を走り、玄関まで来た。ちらりと後ろを向く。ラーシャは来ていない。ナターシャは震える手で、最後の扉を開けた。


 瞬間、冷えた空気がナターシャの頬をかすめた。

 雲一つ無い夜空に、丸い月が堂々と浮かんでいる。

 その光景を見た時、ラーシャへの怒りがナターシャの心を埋めた。

「燃えちまえ」

 そう思った瞬間、ボゥ、と音が鳴った。


 深夜一時五分。一軒家が燃えているとの通報が消防署に入る。深夜一時三十分。ジニー宅に消防が到着。沈下活動開始。


 早朝五時四十二分。一年に渡る長期遠征から帰還したキンベル教団第一師団が街へと到着。六時二分、ジニー宅を通りかかる。

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