第8話 唐突

 四日目の朝だった。ナターシャが目を覚ますと、外が騒がしくなっていた。布団から起き上がると、テーブルの上に紙とペンダントが置かれているのが見えた。ナターシャは一瞬それをちらりと見たが、フローラの叫ぶような声がして、すぐに部屋を出た。

 廊下に出ると、声が外から聞こえることがわかった。誰かと話をしているようだった。ナターシャは廊下を走った。外に出るには装備が足りなかったが、それでも何が起きているのかを知りたかった。

 玄関まで来て、日に当たらないようにゆっくりと扉を開けた。外を覗くと、黒服の男が三人、フローラ達の前に立っていた。屋敷の全員が、そこに揃っていた。

「予定より早いわ。お父様」

 フローラが、眼の前の男に厳つい声を出した。ナターシャはフローラの向かいに立つ男を注視する。

 背が高い男だった。黒色のシルクハットを被っている。 

 右目に傷跡が出来ている。怖い目だ。

「一日程度の違いだ。それより、向こうに居るお嬢さんはどなたかな?」

 男がナターシャの方を見た。低く、頭に残るような声だった。

 フローラが驚いた顔でナターシャを見る。

「ナターシャ。下がってて」

 罵声のような声だった。

「…は、はい」

 ナターシャは後ろに一歩引いた。

 男はナターシャを見つめ続けていた。その厳つい、トビのような瞳にやられ、ナターシャは扉を締めた。

 誰の視線もなくなった。

「な、何があったの…」

 ナターシャはドア越しに聞き耳を立てた。

 フローラの怒った声が聞こえた。男はそんなフローラに対し、優しめに答えていた。

 けど、

「連れて行け」

 その一言で、会話が会話で無くなった。 

 フローラの抵抗する声だけが聞こえる。

 シーナも、ディーラも、何も喋らなかった。

 ナターシャはもう一度、扉を開けた。

 外に、男二人に無理やり連れて行かれるフローラが見えた。

 きれいな黒髪が乱れていた。

 手足を大きくばたつかせている。

 彼女だけが、嫌がっていた。

 ナターシャは、思わず扉の外に出た。

「フローラ」

 地面を蹴った。太陽の光がナターシャの頭から降り注ぐ。

 頭が燃えた。

 すぐに、炎が全身に広まり、服が燃え始める。

 それでも、ナターシャは走った。

 眼の前を覆う炎を右手で振り払いながら。

「ば、化け物!」

 誰かの声が聞こえた。

「ナターシャ。だめ、来ちゃダメ」

 フローラの声する。

 前がよく見えない。

 険を抜く音が聞こえた。

「フローラァ!」

 ナターシャは叫ぶ。転けそうになった。それでも前を向いた。その時、剣先が喉元にあった。

「止まれ!でなければ、切る」

 男の声だ。

「お父様。やめて」

「お前次第だ。ナターシャ」

 強い意思の声が、眼の前にある。

 脚がすくんだ。

 視界が炎に燃やされていく。

「そうだ。それでいい」

(ああ、無力)

 ナターシャはそう思いながら、脚に、手に力が入らないことを恨み、俯いた。

 単に、剣が怖かった。

 男の言葉が怖かった。

 それだけのことだった。

 いつの間にか、フローラは何も言わなくなっていた。

 炎が目の表面を燃やし続ける。

 視界は炎の赤色だけだ。

 足音が遠ざかっていく。

 ナターシャはそれを理解し、その意味を噛み締めながら、ただ、ただ、その場でじっとしていた。


 お昼になった。ナターシャは庭の中で炎に包まれている。だが、その炎は彼女自身に何ら害を与えることはない。視界だけが閉ざされ、煙を吸い込んだせいか頭がぼんやりとしていた。まだ、太陽が出ている。活動は、太陽が沈んでからにしよう。彼女はそう思った。

 ふと、地面を伝って建物が燃えるのではないか、と思った。

 けど、そんなことはすぐにどうでもよくなった。

 なんだかわからないが、一人ぼっちになったのだ。

 心の空洞が、ナターシャのすべての意欲を低下させていた。

 夜になった。屋敷は焼けていない。ナターシャは水辺で身体を洗った。着ていた衣服はすべて燃えてしまった。


 屋敷に入ると、ナターシャは服を探した。フローラのタンスから、少しぶかっとしたパーカーと長ズボンをもらい、暖炉のある居間に戻った。満月の光を暖炉の前で浴びながら、寝転ぶ。

「これからどうしよう」

 どうすればいいのだろう。

 ナターシャは、この誰も居なくなった屋敷から出たくなかった。フローラの帰りを待つ。それが一番のように思えたし、そうしていたかった。

「でも…」

 フローラは本当に返ってくるのだろうか。

 不安になりながらも、動く気力はなかった。

 息を吸って吐く。

 暫くの間そうしていた。

 けど。

 不安が募る。

 目をつぶった。

 それでも全く眠れなかった。

 一人は、さみしい。

 寒くなってきて、自分の部屋に戻った。温かい布団に潜ろうとして、机の上に置かれた手紙と緑色の宝石がついたネックレスに気がつく。

「そういえば…なんだろう。これ」

 ナターシャは手紙を取った。


『ナターシャへ

 私は多分、貴方の知らないうちにこの屋敷からいなくなってることと思います。私も、その理由について貴方に説明したいとは思いません。ですが、それでは貴方はきっと困ると思います。ですから、私は貴方がこれからどうするかについてを、ここに書こうと思います。文字を学んだから読めるわよね?

 貴方はこれから、キンベル教団へと向かってください。そこの誰でもいいので、机の上においてあるペンダントを見せて、こう言ってください。「私はフローラ・ランペル・エルラックの友人である。司教リーシエ・ランペラ・エルラックにお会いしたい」と。そうすれば、きっと、私の姉が貴方の面倒をみてくれます。ですが、もしかしたら姉がいないかもしれません。そのときは、そのまま教会に居座ってください。そうすれば、貴方は衣食住を確保できます。もし姉にあえたなら、その時は体質の治療法を教えてもらってください。今まで楽しかったわ。ありがとう』 

 

 ナターシャはその場で倒れそうになった。

 空腹が腹をついたのだ。

 明日の朝には出ていこう。そう決めた。

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