第6話 恩人
夜。ナターシャとフローラは暖炉の前に座って居た。パチパチと細かな火の飛ぶ音が、鈴虫の音と静かな音色を奏でている。日光が照らすその場所には、今は月光が降り注いでいた。
フローラとナターシャは柔らかな絹で縫われた全身を覆うパジャマを着ていた。それはフローラから借りたものだった。高級なものなのか、絹の生地はふんわりとしており、ナターシャは何度も肌に布を擦り付けては、生地の味を楽しんでいた。
フローラの身に付ける服や、その待遇はやはり、どこかの貴族令嬢を思わせた。だが、その事実を確認するには、かなりの勇気が必要だった。
「ねぇ、ナターシャちゃんは姉弟とか居たりする?」
不意に、フローラが訪ねた。肩が小さく揺れていた。
「いませんけど…」
「私はね、姉が居るんだ」
「お姉さん、ですか…」
「うん。自慢の姉だよ。私の病気を直そうと、孤軍奮闘してくれてるんだ」
フローラは笑みをナターシャに向ける。
「じゃあ、これ、治るんですか?」
「治るよ。少なくとも、私と姉はそう思ってる」
その言葉に、ナターシャは希望を見た。
「すごいですね…」
ナターシャは思わずつぶやいた。
「すごいでしょ」
フローラは更に瞳を輝かせる。
「あの、質問いいですか?」
「ん、いいよ」
「フローラ、さんは、どうして此処に住んでるんですか?」
貴族のお嬢様なら、こんなところにすまないだろう。そんな疑問から出た言葉だった。
質問に応えようとして、フローラの顔が若干陰った。
「…そうだね。ちょっと嫌な話になるけど」
ナターシャは息を飲んだ。
「この家はね、私の父さんが私を隔離するために無理やり引っ越しさせられたんだ。従者も少なくしてね。今は小綺麗になってるけど、当時はひどいものだったよ。本当に、秘境の別荘って感じだったな。…冷気を出す体質の娘などいらん、一生隠れてろってさ。ほんと、嫌なやつだよ」
「…私も、そうしてくれればよかったのに」
「ん?なんて?」
「いえ、何でも…」
「ナターシャちゃん、ずっとここに居ていいからね」
「え?」
「貴方の生活は、シーナから聞いてる。前の生活より、此処はずっといいとこだと思うよ。毎日お風呂に入れるし、仕事はないし、ただただのんびりと過ごす。そんな毎日がここにはあるわ」
ナターシャは息を飲んだ。
実際、そのような生活が実現できそうだったから。
しかし、ナターシャは日光に当たると発火する体質である。
木造の家で日中を安泰に過ごすなど、考えられなかった。
「…でも、私、火事を起こすかも…」
「そうね。流石にそこは注意してもらわないとダメかも。でも、外に出れないと言うなら、私と室内で一緒に遊べばいいじゃない」
フローラはナターシャの手を取った。
ナターシャは手袋をしていない。だから、直接人のぬくもりを感じられた。
「…あ、ありがとう…」
ナターシャの瞳から、ボロボロと水滴がこぼれていく。
「もう、泣くほどのことかなぁ。せっかくきれいな顔してるんだから、あんまりなかないでよね」
フローラは優しくナターシャを包容する。
ナターシャは更に涙をこぼした。
フローラはナターシャの髪を優しくなでる。
ナターシャは無垢な子どものように、泣き続けた。
フローラは実姉のように、彼女の涙を受け止めていた。
「さぁ、もう寝ましょ。寝室まで案内してあげるわ」
就寝時刻はもうとっくに過ぎている。
「…うう。ぐすっ」
フローラはナターシャの手を取って、背を支えながら立ち上がった。廊下を出て、ナターシャに与えた部屋まで向かう。彼女の部屋はもともと空き部屋だったが、シーナが予備の布団や家具を早急に用意してくれていた。
ナターシャを布団に寝かすと、フローラは窓が閉まっていることを確認して、ナターシャの横に寝転んだ。
顔を覗き込むと、ナターシャはすでに寝息を立てていた。
フローラも目を閉じる。
心のなかで、今日はこの場所で眠ると決めていた。
うとうとしながら、今まで起きた出来事の中で、今が一番幸せな出来事だ、とフローラは思った。
もう少しで眠りに落ちそうという時、玄関の戸が開く音がした。
「…帰ってきたのね」
フローラは布団から降りると、早足で玄関まで向かった。
玄関には黒服の歳を取った執事が居た。彼は都市で見るシルクハットを被り、皮で作られた黒カバンを右手で持っていた。
「ああ、フローラお嬢様。もう夜が深いですぞ。私など気にせずお休みなられてください」
「そうは言ってられないでしょ。それで、お父様に何を言われたの?」
執事、ディーラは二日前にフローラの父に呼び出され、わざわざ領主宅まで遠出していたのだ。こんなことはめったに無かったので、フローラは特別警戒していた。
「それは、また明日にしましょう。今はしっかりと眠るときです」
「それは何?」
フローラはディーラの持つ手紙を指差す。
「お父上から、フローラ様へのお手紙でございます」
「もらうわよ」
フローラは手を伸ばした。
「今、お読みになるおつもりで」
「決まってるじゃない」
「いけません」
ディーラは手紙を後手で隠した。
「な、何するの?」
「後日お渡しいたしますので、その時にじっくりとお読みください」
「なにか嫌なことが書いてあるのね」
「左様です」
フローラは機嫌が悪くなったが、頑固となったディーラにフローラの命令は無意味だった。
「わかったわ」
フローラは背を向ける。
「明日、しっかり報告しなさい」
「かしこまりました」
フローラは自分の寝室に歩いていく。
ベッドに寝転んでも、手紙のことが気になった。
父が、何の用だろう。
フローラがこの家に来たのは六年前になる。
かなりの年月が経った。
その間、フローラと家族は手紙でのやり取りしかしていない。
フローラもそれでいいと思ったし、家族もそれでいいと思っているようすだ。
だが、そのやり取りも一年も保たなかった。
今ではフローラは姉とだけが、個別で連絡を取り合っている。
「手紙…今更何の用だ…」
その夜、フローラは久しぶりに眠れぬ夜を過ごした。
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