2章

第5話 病気

「同じ病症ですって!」

 フローラは湖から飛び上がる。湖から飛び出た水しぶきが、かすかにナターシャの衣服にかかった。

(何だって!)

 そして、ナターシャもフローラに負けず劣らず驚いていた。開いた口は塞がらず、頭の中でははてなが渋滞を引き起こしている。

「どういう、ことですか…」

 ナターシャが漏らした言葉に、シーナが笑いかけた。

「あら。言ったじゃない。私の主様は変な病気を患っているって」

「…聞いてませんよ」

 ナターシャは小さなため息を吐き、ゆっくりと振り返った。すると、鋭利な瞳を宿したフローラと目があった。

「あ…」

「そうなの?私と同じって…」フローラが問う。

「えっと…」

 ナターシャが言い淀んでいると、シーナが隣に来てこう言った。

「ええ。そうなんです。ナターシャちゃんは、炎が出せるんですよ。といっても、私もちゃんと見たことはないんですけど。でも、その厚着、まるで何かから身を守っているみたいじゃないですか」

 ね、とシーナがナターシャを見た。

「まるで、太陽から逃れるみたいに」

 追加でそう言われ、ナターシャはその場で固まった。

(なんでこの人にはすべてがばれてるんだろ)

 震えすらないナターシャに、フローラの視線が集まる。

「炎って…私の反対じゃない…」

「そうなりますね」シーナはふんすと笑顔で頷いた。

「でも、見たことがないのでしょ?」

「ええ」

「見せてもらえないかしら」

 フローラは湖から上がり、ナターシャの前に出た。褐色肌があらわになる。

「ああ、え、えっと」ナターシャは思考が雑多になるほど困惑した。「はい…」

 ナターシャは右手の手袋を取り、二歩分前に出た。そして、ゆっくりとあらわになった白い指先を日光に晒す。

 ボワッ。

 瞬間、白い指先が真っ赤な炎に包まれた。

「炎…」フローラが大きく目を見開いてつぶやいた。「…ほんとに、炎が生み出せるのね」

 ナターシャは感想をもらったことで、手首をすぐ日陰に引っ込めた。

「…そうです」

「わかったわ。そういうことなら家に居たほうがいいわね。でも、ナターシャちゃんはそれでいいの?」

「あ、はい。帰っても、楽しくないので…」

 ナターシャは俯いて答える。

「なら、決まりね。部屋に戻りましょ。私は先に着替えを済ませるから、シーナ、ナターシャちゃんのこと、お願いするわ」

 フローラはそう言うと、ペタペタと裸足で石畳を進んでいった。

「お任せください!」

 シーナは満面の笑みで頷く。それから、ナターシャの肩をぽんぽんと、軽く叩いた。

「さぁ、部屋に戻りますよナターシャちゃん」

「はい…」

 ナターシャはフローラに促されるまま、帰路に脚を進めた。


 ナターシャは先程の居間に戻ってきた。日当たりの良い暖炉が目に付く、風通しの良いいい部屋だ。ここまでの移動で、ナターシャは汗を大量に掻いていた。机の上にあるコップは、すでに空になっている。中身は麦茶だった。シーナは現在、台所で料理中だ。

「ナターシャちゃん。部屋の中でその厚い服は脱がないの?」

 鮮やかな声がした。視線を向けると、ハートの模様が描かれたTシャツに、黒地のワンピースを着たフローラが部屋に入ってきた。

 美しいものを見て、意識が覚醒する。

「あ、フローラさん」

 フローラはナターシャの前に座った。コップを片手に持っている。それを、コク、コク、と飲んだあと、ぷはぁ~、と机の上に置いた。

 なんだか酔っ払った親父みたいだな、とナターシャは思った。

「ちなみにこれ、お酒じゃないよ。果汁。ナターシャちゃんも飲んでみる?」

 コップがすぅっと、眼の前に差し出された。

「え?」

 そうつぶやいて、ナターシャはコップの表面を見る。

 確かに、色がオレンジだった。

 飲んでいいのだろうか?

 そう思うと、口も手も動かなかった。

「飲みたくない?」

 フローラが優しく問いかけた。

「すみません」

 ナターシャは頭を下げた。

「まぁ、顔をあげなよ。別に無理に飲ませようってわけじゃないんだからさ」

「すみません…」

「それで、服、熱くない?やっぱりまだ脱げないの?」

「あ、いえ。その、まだ怖いので…」

「日光が怖いの?」

 フローラは落ち着いた音色を出した。

「うう、そうです」

「でも、この部屋に日光は当たらないよ」

「でも、あれ…」

 ナターシャは暖炉の陽だまりを指さした。

「少しでも日に当たれば、家が燃えます」

「…なるほどね。わかったわ。でも、そんな厚着だとやっぱり熱いでしょ。シーナに頼んで、日が当たらない薄布の長袖を見繕ってもらうわ」

 フローラは微笑みは天下一品だった。

「あの暖炉はね、私のために特別にあたられた場所なの。私、日光にあたったときだけが、正常な姿になるのよ」

「…どういう、ことですか?」

「私は日光にあたらない時間、ずぅと身体から冷気を放出する体質なの。だから、室内でも冷気が出ないようにって、日が当たる場所が用意されたの」

 フローラは右肘を机につき、頬を手のひらで支えた。その瞳は、じっとナターシャを見つめている。

「まぁ、そんな体質なものだから、夜とかは私の周りは気温がどんどん下がって、なんと氷を生み出すこともできちゃうの。感情が高ぶってるときなんかは特に。でも、私は寒いとか感じないのよ。だから困るのは周りだけ」彼女はウィンクをした。「貴方の体質も教えてほしいわ。詳しくお願い」

「は、はい。もちろんです」

 ナターシャは心持ちシャキッと姿勢を正した。

 こんな素敵な女性の前で、ダメなところを見せたくない、と思ったからだった。

 それが表情に出たのか、フローラが微笑んだ。

「えと、私は、日光に当たると、炎が出るんです」

「さっきのやつだね。アレは、すごかった。すごい驚いたよ。ナターシャちゃんは熱くないの?」

「は、はい。熱くなくて、でも、火はちゃんと、他に燃え移るんです。だから、厚着をしてて、日が当たらないように工夫して、どこも燃やさないように…」

「それって大変じゃなかった?今までどうやって暮らしてたの?」

「ええっと、その…」

 ナターシャはそこで、息を飲んだ。

 死体を燃やしていた、何て言えなかった。

 死体処理は忌み嫌われる職だ。

 毎日死体と触れ合っているのだと知られれば…ナターシャのイメージは格段に下がってしまう。

「……」

「…いいたくない?」

「はい。すみません」

「別にいいわよ。誰にだっていいたくない秘密はあるものね」

 ナターシャは俯いた。

 それだけで、今までの出来事が幻想のように思えてくる。

 フローラは何かを考えているのか、何も言葉を発しなかった。

 沈黙がつづく。

 しばらくして、シーナがお盆を二つ持ってやってきた。

「二人共お待たせしました~。お昼は、野菜の煮込みスープと、パン、ミルクです」

 お盆がそれぞれの前に置かれた。

 香しい匂いにナターシャの鼻がひくひく動く。

 ゴクリとつばを飲み込み、今か今かと手が震えた。

「さぁ、たぁんとお食べくださいな」

「ありがとう。シーナ。美味しそうだわ」

 フローラがシーナに微笑んだ。

「いえいえ。これくらいメイドの努めです。さぁ、ナターシャちゃんもたくさん食べてね。おかわりはたくさんあるから」

「あ、ありがとうございます」

 ナターシャは勢いで、更に深く頭を下げた。

 顔を上げた時、ナターシャを待っていたのは家族の温かさだった。

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