第4話 フローラ
数分間森の中を歩くと、横長の木造建築が木々の奥に見えた。ちりちりと鳥や羽虫の音が、耳元でよく響くようになる。建物はどこか以前見た学び舎に似ていた。シーナはナターシャを居間に案内すると、荷車を裏手に置いてくると言って、出ていった。
居間には机に四つの椅子が揃い、大きな暖炉が壁際にあった。横窓から日光がちょうど暖炉の前に射しており、ナターシャは日陰にある椅子に座り、暖炉に注ぐ光を眺めた。
ナターシャはここまでの移動で汗を掻いていたが、服を脱ごうとはしなかった。木造建築。たとえ家の中であっても、何かの手違いで日光にあたってしまえば、この家すべてが燃えることになる。ナターシャはそのような可能性にひどく怯えていたのだ。
「あら。お客さん?」
不意に、後ろから凛とした声が聞こえた。振り返ると、薄着一枚羽織った少女が廊下の前に立っていた(この部屋は廊下との間に扉がないのだ)。少女は見惚れるほどの美しい身体をしていた。高い背に、腰まで長い黒髪。褐色の豊富な胸が羽織からふんわり浮き出ており、生地からわずかに飛び出ていた。目のやり場に困ったナターシャは、少女の顔をじっとみた。
「あ…」
ナターシャは反応に困った。顔の造形がとても美しかったから。
「あなたは…」
ナターシャの声は息を吐く程度の音量だったが、静かな部屋ではそれも通った。
「私はフローラよ。あなたのお名前は、お嬢さん?」フローラは優しい姉のような声を出した。
「ナターシャ、です」
「まぁ、ほんとに厚着なのね」
フローラは前のめりになった。たゆたい胸がふっくらと揺れた。
「え?」
「あなたの話はシーナから度々聞いてるの。ねぇ、私今から水浴びをするのだけど、あなたも来てくれないかしら?」
フローラは部屋に入り、ナターシャの腕を掴んだ。
「え!えぇ!」
「あなたは水に入らなくもいいから、お話しましょ。私、友達がいなのよ」
強引に連れ去られた場所は、小さな湖だった。周りの木々が高く枝の幅が広いためか、陽光は湖の水面にしか当たらず、それ以外は日陰となっていた。ナターシャは木陰のぎりぎりでフローラの腕を振り払うと、自分はここにいると宣言した。
「日が怖いの?」
「すみません」
「…いいわ。私が無理やり連れてきたのだしね」
フローラは薄着を脱ぎ、大きな岩にかけると陽光の射す湖に入水した。ナターシャはその滑らかな動作をじっと見つめていた。ちょうど、フローラの首筋がナターシャの方からは見えた。
フローラは身体を拗らせ、ナターシャの方を向いた。
「私はね、今年で十七になるの。ナターシャちゃんはいくつ?」
「私は、十五になります」
ナターシャは湖と自分のいる場所に少しの距離があったので、声を張り上げた。
「十五歳。いいわね、私もそんな時期があったわ…最近歳を感じるのよね」
フローラはゆっくりと息を吐く。
「ナターシャちゃんは、どんなお洋服が好きかしら」
「服、ですか」
ナターシャは服に関する知識を引っ張り出そうとして、在庫がゼロに近いことを悟り、焦る。
「私ね、服が好きなの。ナターシャちゃんは?」
「私は…服をあまり変えません、から、ちょっと」
「じゃあ、その暑そうな格好ばかりしているの?」
「…はい」
ナターシャは俯いた。やはり、変、だと思われているのだろう。
「うーん。そっかぁ」フローラはうむむと唸る。「それじゃあ、ナターシャちゃんから私になにか質問ある?」
「質問、ですか…」
「ええ。私のこと、色々と知りたくなぁい?」
ナターシャは両手を胸に添えて、しっかりとフローラを見つめた。褐色肌が日光によく照らされている。
「えっと…」
頭の中で質問事項を考える。だが、出てくる問はフローラへの嫉妬の念ばかりだった。
どうしたらそんな笑顔でいられるの?
どうしたらそんな素敵な肌を得られるの?
どうしたらそんなに私に優しく出来るの?
どうしてそんなに余裕があるの?
言葉が一向に口に出せない。
喉が詰まる。舌の奥のつばが、乾いた喉を潤そうとやっきになった。
「あの、私…」
なにか心の奥から言葉が飛びかけた時、ナターシャの後ろから声がかかった。
「あ、ここにたのね!」
ナターシャは怯えながら後ろを振り返る。今日はよく、後ろに人が立つ日だ。思った通り、そこにはシーナが立っていた。
「まぁ、主様もいらっしゃるじゃないの。まぁまぁ、二人とももう仲良くなったのかしら⁉️」
「シーナ。君がこのコを呼んだんだよね。その意図を説明してくれないかな?」
フローラが若干呆れ気味に問いかけた。
「いいじゃありませんか。主様。それよりも、どうです?ナターシャちゃんを我が家に住まわせてもよろしいですよね?」
「どういうこと?この子は私のこと何も知らないんだけど…」
フローラはナターシャを見つめた。そこに親しげな雰囲気は無く、いぶかしる不穏な空気が漂っている。ナターシャは手足を震わせ、シーナの方を見た。
「あら、まだおっしゃられてなかったのですね」シーナが心底驚いた、という顔をしてナターシャを見た。
ナターシャは理由もわからず、コクリと頷く。
「どういう意味?」
フローラが湖から問いかける。
シーナはほほえみながら、こう口にした。
「主様。ナターシャちゃんは、主様と同じ病状を患っているのですよ」
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