第2話 雇い主
洗濯物を取り込み終える頃には、燃え盛る死体は骨と成り果てていた。ナターシャは遺骨となったものを箒で集め、慣れた手つきでちりとりを使い荷車に集めた。すべてを乗せ終わると、七月の炎天下の中、森へと続く方角に荷車を押した。
三十分ほど歩くと、森の浅瀬に小さな洞窟が見えた。ナターシャはその洞窟に向け、荷車から直接遺骨をすりおろす。じゃりじゃりと音が、清水のせせらぎに覆いかぶさった。遺骨のすべてをその洞窟に放り込むと、ナターシャは帰路についた。これにて、今日の仕事は終わりとなる。
荷車を玄関先に置き、部屋へと戻った。柄杓で水を一杯飲み、服をすべて脱ぐ。小さなタオルを水につけ、体を軽く拭いた後、ベットで横になった。小一時間ほどそうすると、服を着直し、財布を手に取った。財布の中は銀貨が三枚と、銅貨が六枚しかなかった。ナターシャは先月、給料を一切もらっていなかったのだ。雇い主の家を尋ねようかと考えながら、荷車に二つの大きな桶を乗せ、市街に続く土の道を歩いた。
市街に着くとナターシャは市街の奥にある雇い主の家へと向かって歩いた。雇い主は、木材で作られた小さな家に住んでいた。親が有名な建築家で、その試作品の家をプレゼントされたのだ、と聞いたのをナターシャは思い出した。少しのためらいの後、意を決してその家の壁につけられた鐘を鳴らした。
カラン、カラン…。
カラン、カラン…。
その音がどれほど響いただろう。扉が開き、一人の女性が姿を見せた。
「あの、何ですか?」
女性は手に箒を持っており、目付きが鋭く背が高い。きれいなワンピースを着ていた。ナターシャは見慣れぬその人物に、心臓の鼓動が早くなった。
「あの…ジニーさんは…」
ナターシャは手足を震わせながら、ついうつむき、凍えるような声でそういった。
「ん、なんて?声が小さいわ…ああ、もしかしてジニーさんに用事?」
「はい…」
ナターシャは頭をこれでもかと縦に振り続けた。
「あの人、どこかへ行ったわよ。きっと友達と遊んでいるのでしょうね…ねぇ、あなたお名前は?ジニーさんとどういう関係なの?」
ナターシャは震え上がった。彼女の声が、一層険しくなったからだ。身の危険を感じる。ナターシャはしばらく開いた口が塞がらなかった。
「ねぇ?聞いてるの?それにしても、外熱いわね。よくそんな服装でいられるわね」
「…あぁ。す、すみません」
ナターシャは逃げるように、荷車を引いてその家から去った。幸い、女性はナターシャを追いかけてこなかった。
ナターシャは狭い路地に井戸を見つけると、桶に水を汲み始めた。人が次々と出現するこの場所は、ナターシャにとって常に緊張しなければならず、ストレスが溜まった。急ぎで井戸水を樽に移していると、一人の男性が近づいてきた。
「おい、ナターシャだよな」
振り返ると、そこには雇い主のジニーが居た。彼はにやにやと笑みを浮かべながら、腰にかけた三つの水筒を手に取った。
「罰ゲームで負けたんだ。三つ分汲んでくれよ。それくらいいいだろ」
ナターシャは無言でうなずき、水筒を三つ貰い受けた。水筒に水を汲みながら、ナターシャはジニーに言った。
「あの、お金…」
一つ、渡す。
「あ?お金?」
「あの、先月分の給料…」
「…ああ、それな。わりぃけど、俺今金欠なんだよ。もう少し我慢してくれよ。また今度渡すから…ああ、そうそう今日のアレはもう片付けたか?」
「…終わりました」
一つ、渡す。
「ふぅん。ならいいけど。そうそう、明日もまた処理を頼むことになるかもしれねぇから、頼んだぞ。金はそん時にでも渡すから」
「…ありがとうございます」
「じゃあな。一応言ってくけど、今更逃げようなんて考えるなよ」
ジニーはそう言って路地を駆け抜けていく。しばらくすると、友人とはしゃぐジニーの声が聞こえてきた。ナターシャは二つの桶を水で満たすと、食材を買いに市へと出た。
帰宅し、衣服をすべて脱いで昼飯を食べると、ベッドの上で仮眠を取った。夢の中で、ナターシャは幼児だった。まだ、父と母と居た時の幻想…。三人で食卓を囲み、柔らかいパンを食べた。水浴びをし、母の膝に頭を乗せて子守唄を聞いている。突然場面が変わり、炎が目の前で燃えている。母の悲鳴が聞こえ、ナターシャは泣き叫んでいる…。
目が覚めた。冷気が肌を伝い、それと同時に死臭が息をつまらせる。隣の部屋から、何かが落ちる音が聞こえてきた。ナターシャはすぐさま起き上がり、隣の扉を開けた。今朝と同じ用に、死体が月光の下に集っていた。だが、量が多い。五体はいる。もう夜だ。
「おい、誰か居るぞ」
二人の男が、同時にナターシャを見た。地面に置かれたランタンが、男の足元をきつく照らしている。ナターシャは緊張し、嗚咽まじりのため息を吐いた。
「なぁ、裸の女だ。しかも若い」一人の男が冷静に言った。
「ジニーが言ってたやつじゃねーのか。さわるなよ」
「んなことわかってんよ。死体処理をあいつに頼まれるやつだぜ。どんなやつでも関わりたくはねーよ…でも」
「ああ。いい女だ」
二人はしばし、ナターシャを観察すると、死体を運ぶ作業に戻った。残りは二体だったようで、それを死体の山に放り投げると、荷車を引いて夜闇に去っていった。
翌朝起床すると、ポストに銀貨六枚が入っていた。他にどこを探しても、この少ない額だけが先月の給料らしかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます