第4話
空は夜の藍色に染まり、街灯がぽつぽつと点灯し始める逢魔時。
あの時、河鹿が河津亜美と名乗る女を拾い、取り敢えず防災庁へ赴いた。防災庁の敷地内に入るのは歩哨に止められ難航したが、局長に伝言が通るや否やあっさり入れた。「失礼しました! お通り下さい!」と直立不動になる守衛の前を通り過ぎた。
防災庁カグラ局合同庁舎第4号館へ続く道中、河鹿は自身の肩を抱いて歩く女を白い目で見上げる。三十センチ上で上機嫌に鼻歌なんか唄ってやがる女――亜美に向けてわざとらしく不機嫌な声を投げる。
「おい」
「……」
無視である。
「シカトすんな」
「妾の一人称は『おい』じゃない」
素知らぬ顔でいけしゃあしゃあとほざきやがる。
「……河津」
「なに? ご主人様」
分かりやすく声のトーンを上げた亜美は、掴んだ肩を放す気は毛頭ないようだ。身長差が三十センチもあれば仲睦まじく寄り添っていると思えるが、この状況では身柄を拘束されているように見えなくもない。
「その呼び方はやめろ。虫唾が走る」
「……亜美、と呼べば止めてあげる」
「主人に歯向かうのか?」
「あくまで妾が勝手に『ご主人様』と呼んでるだけで、そこに主従関係などないわ。妾は巨獣、ご主人様は幻獣。巨獣使いとは毛色が違う」
確かにそうだが煙に巻くための屁理屈である。屁理屈で返してやろうと思ったが頭が回らん。今日一日だけで色々な珍事が起こり過ぎて思考さえ億劫になっている、今はとにかくこのでかい拾い物を防災庁に送り届けてから家でさっさと寝たい。調べ物は明日以降でいい、例えば自分の戦闘能力が復活した要因とか。
河鹿の沈黙を都合よく受け取ったのだろう、亜美は髪留めのように見える太陽コロナ型の触角を動かす。まるで犬や猫が尻尾を振るかのように。心做しか掴む手に力が籠もり、河鹿の抱かれた左肩に掌の体温が殊更に伝わる。
辟易する河鹿は右半身に触れる肢体を意識から追い出しつつ、改めて横目で亜美の格好を認める。
今の亜美は純白のアオザイで肉付きの良い長身を包み、凹凸に富んだ肢体が薄い生地に沿って露骨にラインを描いている。上衣は前合わせの立襟で、丈は足首に掛かる程の長さだが腰骨に掛かるくらいの深いスリットが入っているため歩行には支障がない。下衣は薄い絹で透けやすく、生地は違うのだろうが上衣もあわや下着が透けそうな薄さである。上下同色だから恰も下衣を履いてないと錯覚しそうになる。
亜美いわく着ている服は外皮の構成物質を元素変換させたもので、人間基準で言えば着服ではなく全裸に相当するらしい。
にわかに信じ難いが、海岸に打ち上げられていた例の巨獣が人型に形態変化したそうだ。陸上に適用しようと頑張った結果、なんか出来てしまったらしい。
人間じみた姿に形態変化する巨獣など前代未聞だ。そもそも『巨獣』なのにサイズが人間と同等とは、これ如何に。河鹿だって人づてにそんな情報を聞かされたら阿呆かと一蹴する。だが現に目の前で歩き、会話をしているとなれば暫定的に信じざるを得ない。
「てか、くっつき過ぎだろ。離れろ」
「照れてるの? ご主人様、可愛い」
にやにや笑む亜美はより一層擦り付けるように悪戯っぽく身を寄せて、そのせいで河鹿の顔に豊かな胸が肉薄する。ふわり、と獣臭さとは真逆のどことなく甘い匂いが漂い河鹿の体を刺激した。思わず手が動いて腰に手を回してしまいそうになる。薄い布地から透けた下着が目に貼り付いて離れない程の至近距離だ。色は白。
痴女かお前は! と注意したいところだが、相手は巨獣なので何とも言えないのが歯痒い。乳トンが提唱した万乳引力ばりの淫力に引き寄せられないよう必死に目線を外す。
「都合の良い解釈をするな。俺はお前と仲良しごっこをするつもりはねえ」
「命の恩人を懇意にして何が悪いの?」
「いや、助けられたのはたぶん俺の方だけどな」
「そこは素直にドヤ顔した方がモテるわよ、人間の雌にはね。まあ妾には通用しないから殊勝な返事で何より、褒めてあげる」
河鹿の欲情的な葛藤などお構いなしに、亜美は露骨にくんくんと鼻を鳴らしオーバー気味に身を引いた。
「ご主人様は海に浸かってもまだ臭ちゃい。これは磯臭さとは別物ね。巨獣の妾が言うのよ、間違いない」
「だったら離れよ、今すぐ!」
神童だ、そう神輿として担がれた頃に同年代の女子に言われて傷ついた悪罵を思い出し、ついムカッとして半ば本気でど突いたら、ひょいと躱されてしまいコケそうになる。亜美は忍び笑いを漏らしつつ小首を傾げる。
「その局長? とやらと話をつける前に水浴びをした方がいい。ご主人様はよかにせの良い男だと思うわ。ひえ臭かままじゃ、せっかくの色男が台無しよ」
今更だか亜美の口調には色々な方言やイントネーションが混じっている。そもそもどうやって人間の言語を会得したのか、まるで見当がつかない。
どうせおべっかを使っているだけだろうが、どうもこの手の発言には縁が無いので返答に窮する。
「特にその目つきは良いと思うけどね」
再び身を寄せてきた亜美は自然な手つきで今度は腰に手を回し、河鹿の耳許に顔を寄せて囁く。
「死んだ魚みたいで」
結局は誂われていたと気付いた河鹿は、もはや一々怒る気にもなれず閉口して無視を決め込み歩き続ける。
亜美はケタケタ笑いながら、空いた右手で慰めるように河鹿の頭を撫でる。
手玉に取られている。
この感じが母に似ていて、河鹿は懐く事も突き放す事も出来ず宙ぶらりんな気持ちのまま眉を顰めるしかなかった。
身長差で恰も付かず離れずの姉弟のように見える二人は、そんな調子で合同庁舎第4号館に到着したのだった。
⑨
『二人とも臭えわ。シャワーくらい浴びなさい』
開口一番で局長にそう決めつけられたもんだから、言い付け通りシャワーを浴びる事にした。
庁舎内にあるシャワー室を前にして亜美はアオザイと下着を脱ぎ捨てて、腕を組んで身震いしつつ浴室にそそくさと飛び込む。
「うう、人の姿は嫌いじゃないけど、こういうところが面倒くさい。水浴びをするのに、よもや皮を剥がないといけんなんて」
亜美の感覚としては服を脱ぐ=表皮を剥ぐに近い。別に痛覚が刺激される訳ではないけど、やっぱり居心地が悪い。
「まあ人の形を取らんとご主人様の傍にはいられんくなるから、我慢する。気張れよ、妾」
いつも通り冷水を浴びると、ぞぞっと鳥肌が立って「うひゃ!」と堪らず飛び上がる。触角もピンと伸び上がる。危うく床で足を滑らせそうになり、泡を食ってやや熱めのお湯を頭からかぶる。
「これしきのことで心の臓が跳ねるとは、人間の体はなんて脆弱な……。これでは常世トラフには辿り着けんな、元より戻るつもりはないけれど」
段々と体だけではなく感覚も慣れてきて「気持ちいい……」と声が漏れる。
閉じた瞼にシャワーの温かい水流を感じていると、気が緩んだせいで擬態が解ける。
蒼いメッシュが入った腹まで届く長い黒髪が、穂先から徐々に変態していく。やがて幾本もの触手へと変じて、髪とは違う鋭敏な器官となった事で先端から根本に至るまで水圧を感じる。海水ではないとはいえ、お湯を浴びて歓喜したようにぶるぶると震え、しゅるしゅると蠢く。
ぱちっと目を開けると、正面の鏡に全身が映り込んでいて、そこには子供の頃に読んだ絵本に出てくるメドゥーサのような女が立っている。鏡の中から見返す碧い瞳は、困惑と不安が混ざり合って揺れている。
「やっぱり自慢の触手と触角は特徴として残る、か……」
常世トラフから取得した《私達の記憶》を頼りに、なぞるようにして構築した仮初の肉体なのだが、やはり巨獣としての痕跡は消せない。
局長には警戒され、あらぬ嫌疑を掛けられるかもしれない。
ともあれ触手と触角さえ除けば亜美の体は本来の姿から随分と様変わりした、誰が見ても人間と思う見た目をしている。骨太で背が高く、肩やお腹、太腿は引き締まり少しでも動かせば筋肉の線が浮き上がるし、顔だって絶世の美女だと思う。でも胸は大きく、重くて、邪魔くさい。
試しに両手で下から掬うようにして胸の膨らみを持ち上げてみる。たゆんっと揺れて、掌に収まりきらず溢れてしまう。
「乳腺と脂肪の塊でしかない……」
けれど。
「ご主人様はよく盗み見てたし、これで良いのかも」
鬱陶しそうに細められた目に時折性欲が滲むのを思い出し、小さく吹き出す。本人はバレてないつもりだろうけど。が、すぐに表情を吹き消して前のめりになる。こつん、と鏡面に額を当てて無表情で呟く。
「もう後には引けない。《私達》と同じ過ちを犯す訳にはいかないもの。……やるしかないのよ、亜美」
一世一代の決意を胸にして零した言葉は、降り注ぐお湯の水音に掻き消されて誰の耳にも届かない。
⑨
防災庁カグラ局合同庁舎第4号館地下二階、分析室にて。
シャワーを浴びて診察衣を着せられた二人は口にするのも憚れるような各種検査を受け、河鹿の方が先に用件を終えて手持ち無沙汰になっていた。
「まさかこんなに早く君と再会できるとは思ってもみなかったわ、喜八君。えらい目に遭ったそうじゃない? まあ君なら特殊部隊を片付けるなんて朝飯前だっただろうけど」
「手を抜いて戦うのは大変ですよ、
「抜かせ。昨日会ったばかりでしょうが。以前は太っていたと言いたいの?」
「まさか。コンビニ弁当と酒とつまみしか冷蔵庫に入ってない割には、お変わりないようなので純粋に凄いなと思っただけです」
そこで何を勘違いしたのか、局長は青筋を立てて口角泡を飛ばす。
「そんなことだから結婚できないと言うの、あんたはッ!」
「どこに地雷があるか分っかんないから結婚出来ないんですよ!」
「歯を食い縛れ小僧!」
張り上げた声とは裏腹に、振り抜かれた拳はごすっと地味な音をを立て、河鹿の腹にめり込んでいた。
「…………ぐふっ」
遠のきかける意識を必死に手繰り寄せて顔を上げると、局長――里見姫は不服そうに鼻を鳴らす。170cmの長身で釈然とせず腕を組むから、ジャケットを大きく押し上げる胸の膨らみが強調される。亜美ほどではないにしても、童貞の河鹿には目に毒だ。
里見姫、28歳。
「やはり浅かったわね。私にも獣力があれば……内側から君をぶん殴る事ができたのに」
「顔はバレるから腹を殴れ理論を獣力で悪化させようとするの、人道に対する罪すぎる……。内臓破壊とか、これもう半分犯罪だろ……」
「君が私を嫁に貰ってくれたら殴らずに済んだのよ……」
「す、すみませんでした……。
土下座する勢いで頭を下げると、ようやく溜飲を下げたのか里見は白衣をばさっと翻してコンソールを操作する。すると五十枚ほどのホロディスプレイが空中に浮かび、先の戦闘の弾道分析や二人に関する血液検査や身体検査などの結果情報が明記され、里見が手を水平に払うと集合・合体して巨大なディスプレイとなり色々な数値が整理整頓されていく。水族館調のスクリーンセイバーが起動し、サラウンドスピーカーが泡立つ音を静かにこぽこぽ流しだす。
四分割された巨大ディスプレイは部屋全体を海の底のような色に沈め、取り出した扇子を扇ぐ里見の姿は当局最高責任者としての風格を醸し出している。タイトなパンツスーツを凛然と着こなし、科学者気分で白衣を羽織るのは子供っぽいギャップ作りだが。
それにしても。身体検査の結果表が目についた。
河津亜美
身長 180cm
体重 70kg
血液型 UQ型
スリーサイズ 105/65/100 (I)75
砂浜で見た豊麗な素っ裸をを思い出し、頭を振って性欲をへし折る。仕方ないだろ、童貞だもの。
「わぁ、何これ!? 実家みたい!」
「はしゃぐな、みっともない。髪くらいキチンと乾かせ、ガキかよ」
部屋の自動ドアが開くやいなや駆け出した亜美は、目を楽しませるように視線を巡らせる。ディスプレイの青い光をぼんやりと受ける河鹿とは雲泥の差で、真っ白いアオザイを海の色に染め上げながら幼児みたいにはしゃぐ亜美を眺め「随分とお気楽なこった。こいつ自分の立場分かってんのか?」と呆れる。やはり診察衣より表皮の方が居心地が良いらしい。
まあ上機嫌になるのも無理はない。透明な強化ガラスで仕切られた部屋が幾つも並び、遠心分離機やらDNAシーケンサーやら置かれている立派な分析室なのだから。おまけに別室にはスパコンまである。
亜美が犬みたいに身震いして飛ばした長髪の水滴が掛かり、「やめろ飛ばすな、躾のなってないペットかお前は」と毒づく。が、亜美はケロっとしている。そこで「んんっ」と里見が仕切るように咳払いした。
「DNA鑑定の結果が出るのは後日になるから現段階では断言しかねるけど、シャワー室の監視映像と彼女自身の証言を推測材料として考慮すれば、暫定的とはいえ自ずと答えは出てくるわ」
巨獣相手だからご容赦願いたいと添えられた亜美は「え」と目を丸くし、何故か別に乱れてもいない襟元を掻き合わせて睨む、河鹿を。
「なんで俺が覗き見してる前提なんだよ……。お前の裸になんか興味ねえっつーの」
桜島の噴火を眺めるくらいの気持ちで、そこにある二つの山をチラ見しただけだ。他意はない……ほんとだからな。
「皮の上からの方が想像力を掻き立てられて興奮するって、こと……!?」
「お前の妄想の方が酷いだろ。下半身に脳みそついてんのか?」
「彼は童貞なのよ。許してやって」
「あの、急に刺してくんの止めてもらって良いですか? 俺が傷ついちゃうだろうが」
女二人が結託して非難してくる。これ以上されると立ち直れないので先を促す。話の腰を折られた里見は気を取り直すように白衣を椅子に掛け、ジャケットのよれを直しつつ続ける。
「私の推測では、彼女は幻獣とは違う。幻獣はあくまで人間が巨獣に托卵された事で巨大化能力を得た変異体よ。主体は人間、だけど彼女は対極ね。巨獣の幼体が人間のDNAを取り込み、変態した結果としてホモ・サピエンスに近い容姿を形成している……で合ってるわよね?」
確認の目配せを受けて亜美は首肯した。その隣で気怠げに立つ河鹿は内心で舌を巻く。
「お前やっぱり新種なのか?」
「えへへ、それ程でもーーあるけど~~」
「褒めてねぇよ」
でへへとだらしなく相好を崩す亜美は、照れるみたいに跳ねる触角を撫でた。
巨獣使いとは、巨獣に托卵された人間が主従契約を交わす事で成る存在だ。元々が水棲生物たる巨獣が陸上生物へ突然変異する為に特定の人間を選び托卵する事で、巨獣自身は一度そこで死に絶える。そして新しく生まれ変わり両生類となった二代目巨獣として、巨獣使いの体内に珠袋と呼ばれる臓器を生成し、そこで真珠のような形状となって収まり
対して幻獣は、過程は同じだが巨獣自体には寄生されず、そのDNAに保存された巨大化因子のみを獲得した変異体だ。なので根本的に巨獣使いと幻獣は似て非なるものではあるが、それでもホモ・サピエンスというところは共通している。
だが亜美は全くの別物、幻獣が誕生するプロセスとは対極に位置する正真正銘の【巨獣/亜種】なのだ。
里見は切れ長の瞳を鋭く細め、真剣味の増した声で尋ねる。
「単刀直入に訊くわ、河津亜美。君の親は誰? 取得したDNA元の人間ではなく、巨獣としての君の親よ。返答次第では、こちらも強硬策を取る必要が出てくるの」
言うが早いか里見は腰のホルスターから拳銃を抜いてスライドを引き、銃口を亜美に向ける。安全装置を外し、トリガーに指を掛ける。
河鹿を泡を食って亜美の前に回り込み、射線上に身を晒して庇う。こんな展開は想定外だ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 例え親が誰だろうと、こいつは幼獣ですよ。たかが体長三メートルだった奴で、ただの雑魚だ。仮にこの場で巨大化して俺達を生き埋めにするとか獣力制御で潰すつもりだったら、もうとっくにやってるでしょ!」
「ついに巨獣サイドが人型のスパイを潜り込ませて来たと考えるのが妥当よ! 喜八君は絆せても、私は一筋縄ではいかないわ……!」
物凄い剣幕で捲し立てた里見の銃口はブレない。本気だ。
一触即発の張り詰めた空気が漂い、河鹿は瞬きすら惜しみ里見から視線を外さない。発砲に備えて獣力制御を準備し、さり気なく後ろ手に亜美を下がらせる。
――クソッ、俺の方がお気楽だったな。人型の巨獣ともなれば警戒するか。
「こいつを拘束するつもりなら、俺は敵側に寝返りますよ。こいつがいれば俺は獣力制御だけじゃなく、巨大化能力まで復活させられるかもしれませんからね」
単なるホラ吹きだ。確証なんて全くない。
「本気で言ってるの? 相手は巨獣よ。どうして庇うのよ?」
揺るぎない照準を向けられながら、河鹿は振り返り肩越しに亜美を見つめる。母なる海のような色の瞳が、縋るような視線を注ぎ河鹿に判断を委ねている。囚われの姫もかくやな風情で、河鹿が着る診察衣の袖を不安げにきゅっと握る。
――苛つくぜ。こいつには俺しかいねぇのかよ。
河鹿は腹を括り、芯の通った声で毅然と宣言する。
「助けて、って言われたんだ。俺は助けたいと思う相手を、もう二度と失いたくない。絶対に……! 五年前と同じ轍を踏む訳にはいかないんだよ……!!」
そこで初めて里見の手元が震えた。義憤に燃える瞳が、炎を映す水面のように揺れる。里見は五年前の事件を知っているのだから、そりゃ動揺するだろう。
これは嘘偽りのない本心だ。
それが罪滅ぼしだったとしても。
そう断言した河鹿の姿を、亜美は焦がれるように見つめていた。
果たして、葛藤するように瞑目した里見が眉間に皺を寄せながら静かに拳銃を下ろそうとし――
その時、自動ドアが開く。
「喜八っ!」
場違いな闖入者が、ただならぬ雰囲気をぶち壊してエントリーしてきた!
亜美がそうであるように、彼女も生乾きの水分で光沢のある黒髪の穂先を宙に泳がせながら部屋に駆け込み、有無を言わせぬ勢いのまま河鹿に抱きついた。
「GPS座標は海で止まっちゃうし、脈拍も体温も上がってるし、カグラ基地が演習でもないのに戦闘ヘリの離陸許可を出して…………」
黒い振り袖に皺が寄るのも厭わず力強く抱き締める女――猿女君は嗚咽を漏らしながらたどたどしく言い募った。
160センチ程のすらりとした体を瀟洒な和装で包み、深窓の令嬢といった印象を与える。ミディアムの艷やかな黒髪を華奢な肩口にさらりと流し、切り揃えた前髪の奥、くっきりとした眉の下で猫科な雰囲気を漂わせる虹彩までも黒く見える瞳が涙で濡れて、小ぶりな鼻と色の薄い唇がそれに続く。
和服越しでも分かるくらいの量感のある胸が正面から当たり、石鹸の匂いが鼻腔を刺激し癪だが心拍数が上がる。
「……おい、せめて
「たわけっ、余がどれほど心配したか…………はれ? 姫、これは一体どういう状況?」
拳銃をホルスターに収めた里見がウェーブの掛かった黒髪を掻き上げつつ、毒気を抜かれたように説明する。無論、猿女君は引っついたまま。
「迂闊だった俺も悪いけど、
「そうね……。余だったら身柄を拘束した後に自白剤を飲ませて、巨獣の体液でうんと強い媚薬が作れないかどうか尋問するわ」
「さっきまで緊迫した状況だったんだぞ、抑えろ! 真面目にやれ!」
「無礼な、余はいつだって真剣よ!」
「お前のスタンスなんか知るか!」
組んず解れつで面を突き合わせる二人を傍から眺める亜美が面食らう。いきなり知らない女が泣いたと思えば今度は怒る訳だから、そりゃポカンとするわな。
終いには涙をちょちょ切らせて愚図り始めた。
「だって、どこぞの誰かさんが余のプロポーズを断ったから……もう既成事実を作るしかないじゃない! お父様を説得できない以上こうするしかないの!」
「そんな事したら俺が不敬罪で刑務所にぶち込まれるわ! 三年前のこと忘れてねぇからな……あの時だって俺の首が飛びかけたんだぞ物理的に! お前の親父さんが稗田流の免許皆伝だから、真剣なんか持ち出してくんだぞ!」
「水を差すようで悪いけどお二人さん、痴話喧嘩は他所でやってもらえる?」
「だってこいつが!」
「余は悪くないもん!」
「ご主人様の子を孕むのは妾よ!」
「誰よ、この女!?」
「もうお前……喋るな! 頼むから、黙ってろ!」
それから亜美が嫉妬深く参戦したせいで三つ巴に突入し、痺れを切らした里見が一喝するまで惚れた腫れたの口論は続いたのだった。
⑨
「妾の母は、名をネーレウス。一年前に陸へ上がったア・バオ・ア・クゥーの娘よ」
コーヒーでも飲んでリラックスしなさいと言う事で三人して椅子に座り(亜美は「プランクトンは入ってないの?」と戯れ言を垂れつつ真水を提供された)、それぞれ一口嚥下した。一息ついて亜美の口から放たれた言葉は一同を驚愕させ、特に河鹿は複雑な気持ちになった。
まさか一年前に駆除したレベルⅢの巨獣が出産していたとは露知らず、ましてやその子供が世にも珍しい【巨獣/亜種】だとは夢にも思うまい。しかもア・バオ・ア・クゥーの孫に当たるとは。
河鹿の浮かない顔を見かねて、亜美は頭を振る。
「どちらかが死に、どちらかが生き残る。それが生存競争と言うもの、別に妾は復讐しに来た訳じゃない。お生憎様、母への情など全くない。妾は三大始祖と袂を分かち、ご主人様をお護りする為に陸へ上がった。……妾とご主人様が生体融合を果たせば、三大始祖だって目じゃない。既に進化は始まっている筈よ」
「その情報が出任せじゃないと証明できる?」
また白衣を着て研究者然と質問する里見に向かって、亜美はくすりと微笑む。
「それは妾とご主人様を身体検査した貴方が一番よく分かってるでしょ、試してるの?」
里見は図星を突かれたようにタイツで包まれた足を組み、手を振って特定のディスプレイを呼び出す。四人の前に表示された大きな画面には、河鹿のステイタス上の数値が並ぶ。
河鹿喜八
Lv.1→Lv.3
筋力:J82→SSS1344 耐久:J55→SSSS2222 活性:J96→SSSS3025 敏捷:J72→SSSS2206 獣力:J9→S1067
《獣法》
【 】→【
《スキル》
【 】→【
・酷似する。
・標的の獣力が減少し続ける限り効果持続。
・自己の獣力が減少する程に効果向上。
「な……!」
河鹿は雷に打たれたような驚愕で立ち上がり、魂を抜かれて立ち尽くす。
戦闘能力が復活しているどころか、むしろ飛躍している。もはや一種の進化と言っても過言ではない。とても一年間のブランクがあるとは思えない数値だ。しかもLv.3だなんて、掛け値なしに前人未到の領域へ到達した事を意味する。さしもの猿女君も瞠目し、二人して顔を見合わせる。
「凄いね、惚れ直したわ」
「惚れるな、ドン引きしろ」
これでは文字通り一騎当千の強者ではないか。もし暴走でもしたら現存する巨獣使い千人が束になって一斉に襲い掛かっても、恐らく歯牙にも掛けず返り討ちにするだろう。もはや幻獣に対する抑止力が、猿女君と核兵器だけになった。
あり得ない。ステイタスの上限突破が可能なのは稀人だけの筈だ。
見透かされた里見は不愉快そうに腕を組みつつ、顎をしゃくって先を促す。
「これだけでも立派な数値だけど、ご主人様単独では三大始祖を斃すのは不可能なのよ。だから更に進化する必要があって、それには妾との生体融合が必要で……巨獣と幻獣を掛け合わせる事で行き着く極地がある」
「だけど歴史上、三大始祖を撃破した個体は存在しないわ。それは同類の巨獣を含めてもよ。君のその自信は一体なにを根拠にしているの?」
一同の注目が集まる中、亜美は確信めいた響きを伴う声で告げる。
「今から三千万年前、三大始祖が地球に現れ蹂躙の限りを尽くした。その時、空から赤い光が降ってきて……それは人の形をしていた。その彼こそが三大始祖を撃退せしめた唯一無二の存在――その名は」
「マレビト……」
河鹿の口から愕然とした声が零れた。驚きのあまり力なく椅子に座り直し、背凭れに体重を預けて椅子が軋む。その名は誰もが知っている有名な固有名詞。
外星雲核生物楽園動物界S級種巨大不明人型生物/光の神マレビト。
またの名を、星の戦士。
アマテラス187という超重元素で体組織を構成し、アマテラス187エネルギーを転用して光波熱線を放射し、自在に操作・制御する事で大気圏内での飛行を可能としたとされる伝説の人型生物。
幻獣の獣法もスキルも姿も、全てこの伝説上の神が元ネタとなっている。だから幻獣の正式名称は、【幻獣/モデル:マレビト】である。だが所詮は真似事の域を出ない、飛行不能で不完全な巨人だ。
そこで何かに思い至ったのだろう、今度は猿女君が立ち上がって反駁する。
「そんなの出鱈目よ! あり得ないわ。人間が神に近い存在になれるだなんて……!」
話が見えない二人の視線に気付き、取り乱した事を恥じて頬を仄かに紅潮させながら着席した猿女君が疑問に答える。
「明治時代の頃、稗田氏の御用学者が提唱していた与太話よ。三大始祖がマレビトと交戦したのならば、その際にマレビトのDNAを採取していたとしても不思議ではない。畢竟、三大始祖の子孫と幻獣を配合させればマレビトに程近い巨人を誕生させられる筈だと」
あまりに突飛な理論に対し、里見は眉間を指で摘み嘆息してから情報を整理するような口ぶりで話す。
「つまり河津亜美、君はこう言いたいわけね。君と喜八君を配合させればマレビトに近似した巨人へと変身可能になり、そうすれば三大始祖に対抗できると。理屈の上ではそうかもしれないけど、希望的観測の域を出ないわ」
「そこは出来る! ……と信じて貰うしかない。端的に言うと、もう時間がないの。昨日、妾はG・ハダル……三大始祖達のスーパーコールを盗聴して、ア・バオ・ア・クゥーの息子でレベルⅣの巨獣バシヤルに襲撃命令が出された事を知った。ご主人様単独で戦うのは分が悪い。早ければ明日にでもバシヤルはこの街に上陸して、全てを灰燼と化すつもりよ。彼は妾とは違って復讐に取り憑かれていたから……」
感傷的に目を伏せる亜美の声は、件のバシヤルを想起して酷く沈んでいた。いくら決別したと言っても同胞なのだ。しかも母の兄弟に当たる個体だ、因縁がありすぎる。それは河鹿にとっても同じ事。
――ある意味で俺が蒔いた火種だ。俺がケリをつけないと。
レベルⅣの巨獣と交戦するなど世界初だ。勝機を見出だせる保証なんざ絶無。
それでも戦う、それが河鹿家の幻獣として生まれた喜八の使命だから。
それに息子を斃せば、大本命の親――レベルⅤのア・バオ・ア・クゥーが出張るかもしれない。やってみる価値は十分にある。
河鹿は覚悟を決め、話を纏めるために口火を切る。
「信じるしかないでしょう。これで嘘なら僥倖で済む話だし、本当なのに何も手を打たなかったら後の祭り。情報提供者が誰であれ、巨獣駆除が
少し茶目っ気を出して言ってみたものの、そっち側として不本意ながら追放に加担してしまった猿女君は表情を曇らせる。だが、首肯した里見からの目配せを受けてキリッと表情を引き締めた。
「余が号令を出せば数時間で勝利の塔は砲撃態勢を整えられる。事前に襲来が分かっていれば自衛隊による水際での対着防衛計画を立てられるし、獣特対の面々にも出動要請が出せる。在日米軍から買い取った大型地中貫通爆弾の在庫もまだ残っているもの」
「巨獣対策に限定とはいえ、核使用許諾国際条約に政府は批准しているわ。もし勝利の塔による砲撃が通用しなかった場合、その時は犠牲者も止むを得ないとして速やかに戦略原潜の弾道弾による熱核攻撃が
話は纏まった。猿女君はカグラの統治者として、里見は防災庁カグラ局の局長として、二人は迎撃作戦の最終兵器となる河鹿と亜美のバディを見据えて声高らかに現実を突きつける。
「それでは喜八君、河津亜美君。これは君達にしか出来ない、君達がやるべき事よ。こんな形だけど良かったじゃない喜八君、これでコンプレックスを解消できるわね」
「甚だ不本意だけど、背に腹は代えられないわ。一先ず個人的感情には蓋をします。本当は余の巨獣に地団駄を踏ませて地震が起きるのも厭わず、徹底的にストレス解消したいくらい嫌ですけど……!! いつか反逆罪をおっ被せて喜八を監禁し、その暁に余が喜八の初めてを奪うつもりだったのに……! 余の人生設計が滅茶苦茶に狂ってしまいましたわ……! 末代まで呪って差し上げますわよ、河津亜美ぃ……!!」
祝福するように微笑む里見、堪忍袋の緒が切れる寸前の猿女君。
ん? 何か別の意味で雲行きが怪しい気がする。
疑問符を浮かべる河鹿に歩み寄り、隣に並んだ亜美が屈み耳許で蠱惑的に囁く。睦言のように。
「今夜、妾とHするってことよ。ご主人様」
⑨
時計は夜の九時を回っていた。目まぐるしい一日もあと四時間で終焉を迎えようとしているが、まだまだ夜は長そうだ。壁掛け時計をぼけーと眺めながら河鹿は現実逃避できずにいた。
本当は実家の方で帰途につく予定だったのだが、里見曰く「お馬鹿、推定20メガトン級の核爆弾みたいな貴方達を民家に放置できる訳ないでしょ。防災庁内のその部屋なら防音だから声が漏れる心配もないし、こちらもモニタリングしやすくなるし一石二鳥なのよ。安心して、撮影記録は研究資料として保存するだけだから。流失とか心配ご無用よ。最悪の場合、貴方達にカグラの未来を託す訳だから、私達だって冷やかしたりしないわ。だから思う存分ヤりなさい」だそうだ。最後の一言は余計だ。
1LDKの部屋に通された二人は向かい合わせでよそよそしく席に着き、眼前の食卓には綺麗に配膳された豪華な料理が並ぶ。
大豆と胡瓜とレタスとトマトがふんだんに盛り込まれたサラダ、揚げたての牡蠣フライ、湯気を上げるブラウンのビーフシチュー、きのことワカメ入りの味噌汁、卵かけご飯、デザートの小分けに切り揃えた西瓜、法則性のある献立だ。
経口摂取できる成分が亜鉛、アルギニン、シトルリン、カルニチン等の要するに本番で役立つものばかり。おまけに精力ドリンクまで河鹿側に置かれている。
「あからさまだな。この献立を考えた奴は余程のお人好しだ、まあ指図したのは
局長がサムズアップしている姿が脳裏に浮かび、ウザすぎて即刻掻き消す。
「あ、えっと、テレビでも見ながら食べましょうか。静かすぎてもアレだし」
亜美がぎこちなくリモコンを手に取りテレビを点けた。画面に映ったのが運悪く夜のニュース番組で、『河鹿家の幻獣、電撃引退! 巨人不要論とは?』とテロップが出ている。亜美が適当にチャンネルを切り替えてもドラマやバラエティはともかく、報道系は河鹿家一色に染まっていた。
「どこのニュースを見てもご主人様のことばっかり。本当に有名人なのね」
「悪評だらけだけどな。テレビ消せ。どうせ偏向報道させられるアナウンサーとかワイドショーで喧嘩腰の総合司会者とか、俺の事を話の種にして尤もらしい阿呆な持論を展開するコメンテーターや社会学者しか出て来ないんだから。飯が不味くなる」
「ご主人様は人気者ね。妾も鼻が高いわ」
卵かけご飯を掻き込んで皮肉を一蹴すると、亜美はつまらなさそうに下唇を小さく突き出してテレビの電源を落とす。何か上手い返しを期待したようだが、今は腹が減って仕方ないので無視する。
出された料理に一通り口をつける。鼻腔をくすぐる芳香を伴う蒸気を上げるシチュー、そこにごろごろと転がる大ぶりな肉をあんぐりと頬張り、口中に充満する熱とソースの辛味をたっぷり味わってから柔らかい肉に歯を立てると、溢れるように肉汁が迸る。
一先ず嚥下して満足げな吐息を漏らすと、そこで向かいの亜美が料理に全く口をつけていない事に気付く。白いアオザイにシミが付いたら嫌だろうと局長が簡素な短衣と膝上丈のスカートを用意したが、元素変換でどうとでもなると固辞したので食事による汚れを気にしている訳でもなかろう。
「どうした? 食わねえのか? 腹は空いてるだろ」
「妾はご主人様と違って少食なのよ。食べっぷりだけは一丁前の人間とは違うの」
ぐうぅ。
腹が鳴った。もちろん河鹿のではない。
亜美が耐え難くお腹に手を当てる。言葉とは裏腹に腹の虫は正直だし、触角は焦燥に駆られたように揺れ動くし、無重力下でもないのに長髪は浮き上がり穂先が海月みたく宙を泳ぐ。誂い上手と正直者は両立するらしい。
「今のはご主人様のでしょ。ニュースのせいで腹の虫が収まらんみたいね」
「誤魔化すなら、せめて落ち着かない髪と触角をどうにかしたらどうだ」
亜美は慌てて触角と髪に手を当て、宥めるように撫でつけてから「あ」と小さく声を上げた。
「これで貸し借りなしだな」
河鹿が得意げにそう言うと、亜美は唇を尖らせながら悔しげにむぅと睨む。
一矢報いた嬉しさを噛み締めるのもそこそこにして、話を戻す。
「少しは本音を喋った方が信頼してもらえるぞ。お前は何故か俺を信頼してるみたいだけど、俺は別にお前のこと親しく思ってないからな。こうして同じ釜の飯を食ってるのも、利害が一致してるから仕方なくやってるだけだ。本音を言えばこれからヤることも乗り気じゃない、唾棄すべき迷惑な仕事だと思ってる」
「本音……」
成り行きとはいえ、河鹿はこんな展開を望んで亜美を拾った訳ではない。最終防衛ラインとして自分の再起に賭けてくれるのは光栄だが、これでは有用性を認めた上で無理難題を押し付けてくるパワハラと相違ない。カグラ存亡の瀬戸際でなければクソ食らえ! と意固地に突き返して絶対に引き受けない。
忖度なしの本音が響いたのか、亜美は口の中でもごもごと何か言葉を転がす。何やら頬に紅葉を散らし、やがて、躊躇うようにぽつりと、
「膨れたお腹を、見られるのが……恥ずかしいの…………」
「は?」
つい素っ頓狂な声を上げてしまった。珍獣を見る目つきでまじまじと亜美を見つめると、恥ずかしそうに身動ぎしてきゅっと唇を噛む。
この女、本気で言ってるのか?
危うく脱力しかけた。
「あのなぁ……種牡馬だって種付けする時に繁殖牝馬の腹が膨れてるかどうかなんて気にしない、興奮してて目に入らねえから。いやまあ栗毛で小柄な牝馬じゃないと種付け拒否したウォーエンブレムとかいうロリコン二冠馬はいたけど……、とにかくそれと似たようなもんだと思えばいい」
「妾は小柄じゃないしロリータでもないわ」
「そっちじゃねえよ! 俺はガキくせえ奴には興味ない!」
「だったら背が高くて大人っぽい女が好みなの!?」
陽光を反射する海面のような瞳を期待で更に輝かせ、子供のように椅子から腰を浮かせて身を乗り出すくらい勢いづく亜美。有頂天とばかりに触角が高く突き上がる。
しまった、調子づかせた。
「勘違いするな! 俺は例え話をしただけだ! ……今回のケースはあくまで巨獣現出に備えた防衛計画の一部だ、俺達が出撃せずに済む可能性だってある。想定外の事態さえ起こらなければ勝利の塔の砲撃でケリがつく、そういう迎撃作戦だ。だから、その…………気負う必要はない」
すると亜美はスンと真顔になり、不貞腐れて俯く。拗ねたように触角が萎れる。
「妾は、ただ……初夜を気まずい空気にしたくないだけ……」
まるで独り言のように、亜美は呟く。橙色のランプに照らされた表情には翳りが見える。
誤魔化すために論点をずらした自分を恥じる。亜美が気に病んでいるのは戦闘の事じゃなくて、晩飯の後に行う情事の方だ。
そりゃ男はナニを突っ込んで出すもん出しゃあ終わりだが、初物の女は痛みに耐えて内部にアレを放出されるまで堪えないといけない。身体的にも精神的にもキツいのは百も承知のつもりだったが、気付けばこのザマだ。
――本音はバラしたけど、本題を避けてたのは俺の方か。
こんな時、男なら気の利いた言葉の一つや二つ掛けてやるべきなのだろうが、河鹿だって童貞なのだ。上手い言葉が見つからず、不味い言葉ばかりが頭の中をぐるぐるして焦り混乱してしまう。
河鹿が脳内で適切なワードを模索していると、やがて亜美の触角がピクリと動き、「ふふ」という笑い声が漏れた。
「どうせ貧弱な語彙しか浮かんで来なかったんでしょ。そんなんじゃ発情期の雌だって靡かんよ」
「ぐっ」
痛い所を突かれ口を噤む河鹿を見て気が晴れたのか、亜美は呆れた微笑を噛み殺す。そして笑みを消すと、どことなく真剣味を帯びた表情で問いかけてきた。
「ねえ……巨獣はお嫌い?」
「別に。お前個人の事は気に食わねえけど……俺だって似たような種族だ」
「へー意外。自分のことは嫌いなくせに」
馬鹿正直に鋭く息を吸い込んでしまう。
心の一番深くて柔らかい部分を唐突に触られた気がした。
虚を突かれて抗弁できずにいる河鹿を見て、亜美は誤魔化すように破顔する。
「冗談よ。対巨獣用最終兵器の幻獣なら巨獣を憎んでいても不思議じゃないわ。そんな相手とするのは気が引けるから、違うみたいで安心した。ちょこっとだけね」
さてと、話題を断ち切るように亜美は料理にありつく。質疑応答は受け付けんとばかりの食いっぷりで晩飯を腹に収めていく。
「何でも食える雑食というのは、人間の美点やね」
喜色満面のまま肉に齧りつく亜美に発言の真理を訊く訳にもいかず、河鹿もまた狼狽したのを誤魔化すように精力ドリンクを飲み干した。
内罰的な自己嫌悪、河鹿の泣き所を突いてきた相手は母以来だった。
巨獣を憎んでなどいない。亜美の言う通り生存競争という自然の摂理だ。そもそも巨獣が目覚めたのは人間の環境破壊が原因だ。大自然の怒り、祟りみたいなもの。
もし憎悪の対象がいるとすれば、それは――。
⑨
よし。
歯磨きはしたし顔も洗ったし口臭ケアもバッチリだ。
照明を落として夜の薄青い色彩に染まった寝室、その只中に置かれたダブルベットに河鹿は腰掛けていた。そして窓際に佇み、窓から差し込む街灯の仄かな光に照らされた亜美だけが白く輝き、長髪に入る青いメッシュの色彩がいつもより際立って見える。
亜美はすぅと深呼吸して頷く。アオザイの下衣に手を掛け、スリットから徐々に優美な曲線を描く素足が剥き出しになる。続いて上衣の襟元に留めてあるスナップボタンを順番に外していき、肩口から脇下に至るまで外し終えたら最後に腰のホック留めを外す。するりと肩口から脱ぎ、はらりと上衣を床に置く。今や白い下着を身に着けているのみ。
青い光の粒を纏ったみたいな艷やかで滑らかな肌は白磁の如き美しさで、つい息を呑んでしまう。視姦されていると思ったのか、亜美は左手で反対側の二の腕を掴み前腕でブラを隠し、股間に右手を翳してパンツを河鹿の視界から遮った。
亜美は薄青い闇の中でも一目見て分かる程に顔を真っ赤に染めて、俯いたまま消え入りそうな声で言う。
「ご、ご主人様も早く脱いで……。妾ばっかり、恥ずかしいよ」
「あ、ああ。悪い」
何を呆けているんだ。今からするのはあくまで仕事、単なる作業だぞ。
河鹿もシャツとズボンを脱いで半裸になる。すると亜美はゆっくりと歩み寄り、戸惑うように視線を彷徨わせる。河鹿はベッドに手を突いて指し示し、助け舟を出された亜美は「お邪魔します」と言い、胸元と股間を両手で隠したまま隣に座る。
沈黙。
耳に痛い程の静寂が満ちる。
案の定気まずい空気が流れる。内心で情けなくテンパる河鹿の脳裏に情事の発端が過る。
『なんでエッ……ヤる話になるんだよ!?』
『ご主人様のステイタスを向上させるだけなら妾と幻獣の体内に存在するアマテラス粒子を使ったアマテラス通信で事足りるけれど、生体融合ともなれば直接的に細胞……生殖細胞を取り込まないといけないの』
初代河鹿家当主が三大始祖の子孫に托卵された結果として巨大化能力を得た、という逸話など初耳である。そんな重要な情報は猿女君でも知らなかったし、父や祖父から聞かされた覚えもない。
しかも【巨獣/亜種】が持つ卵子に幻獣の精子を受精させ、その受精卵が生体融合の鍵になるなんて予想できるもんか。理屈としては幻獣誕生のプロセスに近いが、それなら人工授精や体外受精で良いだろうと提案したが準備期間がない。それに巨獣の受精確率は百パーセントだから大丈夫、というのが亜美の言だ。
別にそれで妊娠する訳じゃない。交配によって亜美の胎内で受精卵が融合珠に変化し、融合因子を新たに生み出す。巨大化因子によって幻獣が巨人に成れるのと同じように、融合因子によって河鹿と亜美が生体融合しマレビトに迫るのが目的なのだ。
『お前は、俺なんかが相手で……良いのかよ?』
『ん、妾は大歓迎よ。ご主人様のこと、結構タイプだし』
回想終わり。
「ねえ」
「な、何だよ!?」
「しないの……?」
亜美が髪を耳に掛け、火照った頬と耳が目立つ横顔を見て不覚にもドキリとする。
「や、やりゃ良いんだろやりゃ!」
逸る気持ちを押し殺して亜美に向き直るも、伸ばした両手は虚空で右往左往するだけ。その間抜けな仕草を見て余裕が出てきたのだろう、亜美がニヤけてわざとらしく両手で胸元を隠す。
「……えっち」
「しょうがねえだろ、童貞舐めんな!」
河鹿、キレた!!
「で、どう?」
「……なにが?」
「下着のご感想は?」
亜美は胸の下に腕を通し、果実を掬うように持ち上げて下着を見せつける。柄のあるお洒落なやつ。が、素直に言うのは癪だ。
「良いんじゃねえの、知らんけど」
素っ気ない感想を貰い、亜美が口許に手を当てにまぁと笑う。
「照れて逃げたの? それとも語彙が貧困なだけ?」
「俺に聞くな!」
逆ギレも何のその、亜美は背中を向けて長髪を手で片側に寄せる。綺麗な背中が露わになる。
「ホック外して」
「自分でやれよ」
「文句ばっかり言ってたら、いつまで経っても終わらないよ」
反論できず震える指先でホックを外そうとして、誤って背中をなぞる。「んっんんん……」と漏れる声で耳が犯される。何とかプチッと外れ「あ……」と反応しつつ亜美がブラを脱ぎ捨てた。
「外してもらうの、自分でするよりドキドキする」
亜美が向き直った事で、河鹿の正面に胸が曝け出される。「どうせだから一緒に」と膝立ちになってパンツも脱いだ。亜美が身動ぎする度に包容力の塊がふるっふるっと揺れる。
そして河鹿の目前で、亜美が生まれたままの姿になる。雰囲気に呑まれているせいか、海岸で見た時よりも妖艶な印象を受ける。性欲に負けて思わず見入っていると、亜美がむぅと頬を膨らませる。
「ご主人様も全部脱いで。履いたままするつもり?」
「いちいち俺に指図するな」
文句を垂れつつパンツ一丁から全裸になる。互いに素っ裸になれば恥ずかしくない理論だ。亜美にじっと観察されて逃げ出したい気持ちに駆られたが、堪えて口走る。
「さっさと終わらせるぞ」
「ん」と応えた亜美はころんと寝転がり、口許を指先で隠しながら上目遣いで「優しくして?」としおらしい声で甘えるように囁く。これからする行為を連想して羞恥心がぶり返してきたのか、頬を紅潮させながら潤む瞳で河鹿を見つめる。
ぴしっ、と体ごと石化するのを責められる男はこの世にいないだろう。
そんな反応は亜美に余裕を与える餌にしかならない。亜美は緊張を取り繕うかのように、してやったり的なドヤ顔を披露して自慢げに胸を張る。河鹿の性欲を焚きつける扇情的な仕草の追加攻撃だ。
「ご主人様、凄い萌える」
いちいち耳を貸していたらキリがない。河鹿は貝殻じみた膝に手を伸ばし、大袈裟にびくつく太腿を掴んで股を開こうとした。亜美がぎょっと反応する。
「や、待って」
「今更恥ずかしがってどうする」
「そうじゃなくて、下……濡れてないのに入れたら……痛いと思う」
お互い初体験のくせに亜美にリードされているのが癪に障り、焦燥感に突き動かされた河鹿は痛恨のミスを犯し固まる。完全にやってしまった。敗北感やら無力感やらで思考が飛び、訳が分からなくなる。
戦闘とは訳が違う。対巨獣戦では未経験でも八才でレベルⅡの巨獣を撃破できたが、情事は専門外だ。
――こっから何をどうすりゃ良いんだっけ!?
巨獣退治の天才的な専門家がパニックに陥っていると、【巨獣/亜種】がフォローに入る。
「……唇とか、胸とか、下の……大事な所とか、口づけたり触ったり……その、先端をいじったりすれば大丈夫になると思うから……」
亜美は口籠りながら徐ろに河鹿の手を取り、寝転がって横に流れ気味の胸に宛てがう。触れる事に罪悪感と背徳感を覚える胸は掌に引っつくような質感で、どこまでも沈み込んでいくのに元の形に戻ろうと掌からはみ出る。
「ね、分かるでしょ? 妾の鼓動」
脂肪と乳腺の奥で拍動する心臓の存在が掌を通して伝わってきた気がする。それも凄い心拍数として。
――こいつだって緊張と不安でドキドキしてるのに、何だこの体たらくは。
深呼吸して自分の鼓動を落ち着かせ、意を決して吹っ切れる。
「触っても……いいか?」
「……うん」
こくりと首肯で同意を示す亜美。緊張と不安と期待が綯い交ぜになって息が上がっているが、それは河鹿も同じだ。ごくりと生唾を呑み込む。
胸はふわふわ感がありつつ弾力もあって、マシュマロと水風船を足したような触り心地だ。揉む度に五指の隙間からはみ出し、いやらしく形を変える。むにむにっ、もちっと擬音が聞こえてきそうだ。掌に吸いつくようにしっとりと滑らかで、たぷたぷと重く、触っているだけで気が変になりそう。
「んっ」
「っもしかして痛かっ――」
はっと弾かれたように顔を上げて亜美を気遣い、どくんと心臓が跳ねる。
亜美は小動物のようにふるふると震え、声を押し殺そうと口許に手を当て堪えていた。ぐっと瞑目し、困ったように眉を寄せる表情は痛みに耐えているように見えるが、「んんっふ、っ……。うんっッ、はっ」と漏れるそれは切なく、か細い声。端的に言って、えっちな声だった。
「お前だって人の事言えねえじゃん」
「これは……んっ、ご主人様のせい……んふっ。これで弱みを握ったと思ったら大間違いよ。何を企んでいるか知らないけど、雄が得意げになった時はプライドをへし折るか、下手に出たフリをして逆に利用してやるかと相場が決まってる」
憎まれ口を叩く亜美だが上気した頬と耳、徐々に早くなる呼吸では凄みに欠ける。それに亜美は気付いてない、そんな態度がどれだけ男のプライドを煽り充足感を与えるかを。
次はより敏感な部位を。試しに胸の頂点をくにっと摘んでみる。
びくんっ。
「あんっ」
一際甲高い声が上がり、慌てて手で口を塞いだ亜美が恨めしそうに睨む。
「何だその目は。お前がこうしろって言ったんだぞ」
「……いじわる」
拗ねたような上目遣いでガンを飛ばされても、痛くも痒くもない。構わず続ける。
胸の山頂をくにくにイジっていると、やがてこりこりと芯のある感触に変わっていく。そこがぷっくりと腫れていくのに合わせて「あっあっ、んんんっ。んぁ、は、あぁ」と声にも遠慮が無くなって羞恥心より快感が勝ってきた証左だろう。
これだけで準備が済む訳でもなかろう。だから今からする行為はあくまで作業を円滑に進める為の致し方ない処置なのだ、邪な気持ちは一切ない。
亜美の熱っぽい吐息の間隙を突くタイミングで、はむっと口に含む。
「ひんっ。そんな急に、だめ……!」
弱々しい力で河鹿の頭を押し退けようとするが、両腕で胸を挟み寄せてしまったせいで盛り上がり、むしろ先端に口づけしやすくなった。緊張で微かに汗ばむ頂点は少し塩っぽい味がする。舌を押し当て、舌先で舐め、一思いに吸う。
「やっ、うぁ、はん。べろ、熱いぃ。んぅぅぅんぁ。あっあっあっ、はふっ」
耐え難く肢体をくねらせ、いつしか放り出した手でシーツをきゅっと握る。理性がぐずぐずになる嬌声が部屋中に響き渡り、防音で良かったと思う。一通り両方の胸をイジってやって口を離す。上体を起こし亜美を見下ろす。呼吸する度に胸が上下し、茹でダコになった顔はあられもなくとろけて、紺碧の瞳は揺蕩うように揺れる視線を陶然と向けている。
これで最後まで保つのかと心配になり、慰めるように頭を撫でた。指先が触角を掠めた瞬間、亜美の瞳に意思が戻り「やだっ」と手を振り払う。ぐるると唸り声を上げ、今にもシャーと威嚇しそうな目つきで八重歯を見せつける。
人間の姿なのに猫みたいに喉を鳴らす様を見ると、やっぱりこいつは巨獣なんだと実感する。人の形をした、人ならざる者。
「変態! 痴漢! 強姦魔!」
「おい、最後のは違うだろ」
いや全部違うけど。
「それは大切なものなの! おいそれと触ったらセクハラになるの! デリカシーがなさすぎる! そんなんだからモテないのよ! 一生童貞なのよ! ああ……妾とした事が呆けてお触りを許してしまうなんて、何たる一生の不覚……。要らぬ恥を掻いてしまったぁ……」
先程まで喘いでいたかと思えば突如として正気に戻り、癇癪を起こした次の瞬間には拗ねてそっぽを向く。海の天気みたいに表情がころころ変わる。触角もたじたじに震えていたのに触られた瞬間にいきり立ち、数秒後には段々と萎れていった。
「大切な器官なら先に言っとけよ。俺が悪いみたいに言うな。そもそも全裸の時点で恥もクソもあるか。大体な、いちいちケチをつけてたら終わるもんも終わらんと言ったのはお前なのに、いくら何でも虫が良すぎ――」
そこで言葉に詰まった。
亜美の隈取みたいな紅いアイシャドウに縁取られた目尻から涙が雫として溢れ、こめかみを伝う一滴を猫の手を真似た指先で拭おうとする仕草を見せた。予備弾倉として滲む涙で湿った長い睫毛が儚げな光を湛えている。平時ならぶりっ子かよ! と一蹴するところだが、この状況では臆するしかない。
「……お前、それは狡いだろ」
「ん、人間の雄はこういうのに弱いんでしょ」
にやりと口角を上げてあっけらかんと言う亜美は、取り直すように真面目な表情を作る。
「今、下の方を濡らしたからもう大丈夫。挿れて良いよ、ご主人様」
「は?」
さっと確認してみると確かに濡れていた。【巨獣/亜種】としての特殊能力なのか。脱力しそうになる。
「おまっ、それが出来るなら最初からそうしろよ。無駄骨じゃねえか」
「だって…………ご主人様に、触って欲しかったから」
未だ熱が引かず上気した顔で、多大なる期待と一抹の不安という対照的な感情で揺れ動く碧い瞳は汽水湖のよう。贈り物の封を開けて一喜一憂する寸前の子供みたいな表情で、果たしてどんな言葉を待っているのか。それが誂う為の演技なのか素なのか、まるで判別がつかない。
喜ばせてもムカつくし悲しませても気後れするし、完璧に詰んでいる。癪だが降参する事にした。
「やっぱりお前狡いぞ」
「愛嬌があって素敵でしょ。惚れても良いのよ」
茶目っ気たっぷりにウインクする亜美を見つめながら、自分以外の男だったらこれでイチコロだろうなあと思いを馳せる。そして自分はこんな女には引っ掛からないぞと決意を固めたのだった。
かくして夜が更けていく。
⑨
翌朝。
閉め切ったカーテンから微かに漏れる朝日を触手が鋭敏に察知し、亜美はうんと大きく伸びをして目覚めた。くしくしと寝ぼけ眼を擦って大きく欠伸。
時刻は午前八時を回っていた。
白い背中を流れてベッドに広がる触手を見下ろし、昨夜の情事を思い出してお腹を擦る。下腹部には微かに痛みが残っていて、昨夜のそれが夢ではなかったと物語る。亜美は触手を愛おしく撫で、「頑張ったね」と労う。
いざ挿入という段階でご主人様の生殖器が緊張で上手く機能しなかったので、触手を使って慰めた。「食虫植物みたいで怖いんだが」と愚痴ってはいたものの生殖器の機能不全は回復したから事なき終えた。気持ち良さそうだったし。
自慢気に「ほら、元気になった」とくすくす微笑みかけ、「ご主人様を襲った奴等が欲しがっていた生体情報、その一部を妾はいとも容易く採取してしまったわ。まあ生殖細胞を頂くのはこれからだけど。ご主人様には武力を差し向けるのではなく、女を宛てがえば良かったのにね」と続け、「それとも、こっちが良かった? 次の機会に気が向いたらしてあげる」と色っぽく舌を出したらデコピンを食らった。痛かった。
気を張って触手を黒髪に変態させ、蒼いメッシュ入りの長髪がベッドに枯山水の如き模様を描く。触角を撫でると亜美の無意識を反映し、まだお眠で反応が鈍い。海に棲んでいた頃はまだ寝ている時間帯だから仕方ない、時差ボケのようなものだ。
隣に視線を落とせば、仰向けでご主人様が寝息を立てている。そっと手を伸ばし、頬に触れた。子供のような寝顔だ。昨夜はお疲れのようだったからもう少し寝かせてあげようと、亜美は静かにベッドから出て下着を拾いアオザイに着替える。そしてリビングに移り、音もなく自動ドアが閉まるやいなや堪えきれず、嬉々として舞い上がる。
(きゃーー!! しちゃったっ! ご主人様としちゃったぁ!!)
ぴょんぴょんぴょんぴょん。
その場で兎のように跳ね回り、うっかりソファの角に足の小指をぶつけて「いっ!」と呻き、そのままソファに身を投げて悶絶する。だが次第にぱたぱたと両足をばたつかせて、身震いするような歓喜を全身で表現してしまう。ソファにあるクッションに顔を埋めて歓声を上げたい欲求を何とか抑えるが、頬のにやつきは貼り付いて取れそうにない。
その時、寝室へと通じる自動ドアが開く。
「朝っぱらから元気だなお前、鶏かよ」
ばっと跳ね起きると、寝癖がついたまま眠そうに目を擦るご主人様が呆れた顔で見下ろしていた。低血圧なのかもしれない。ご主人様は大きく欠伸を噛み殺して、言った。
「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます