10 自覚する恋(1)
グレンが連れて来てくれたのは、かつてリゼルが諦めた王都の中央通りだった。
石畳の敷き詰められた街路の両側に、三角屋根の煉瓦造りの建物が立ち並ぶ。青空に浮かぶ太陽が、よく磨かれた屋根瓦を照りつけて眩しい。
どうやら建物の一階部分は様々な商店の店舗となっているようで、その前を多くの人々がひっきりなしに行き交っていた。聞こえてくる会話には、リゼルの知らない異国の言葉が入り混じる。
「わあ……! とても賑やかなのですね。それに珍しいものがいっぱいです!」
目を輝かせるリゼルに、グレンが落ち着いた声で解説してくれる。
「王都は昔から交通の要衝だからな。大陸の各地から商人も集まってくるんだ。さて、何から見たい?」
「ど、どれにしましょう……! 迷ってしまいます」
リゼルは子供のように両頬を押さえてあちこち見回す。グレンが微笑ましそうな眼差しで見つめているのにも気づかない。
「好きなだけ迷え。そうだな、例えばあれは仕立て屋だ。腕が良いと評判で、王宮の晩餐会のドレスを何着も仕立てているとか。もっとドレスは必要ないか?」
「いえ、特には。お気遣いありがとうございます」
「……向こうに見えるドーム型の建物が王立博物館だ。この国の考古遺物を中心に、所蔵数はおよそ十万点」
「まあ! 素敵ですね」
「わかった、まずは博物館にしよう」
「よ、よろしいのですか」
恐ろしいほどの即決にリゼルは慄く。どうしてリゼルが心惹かれたのがわかったのだろう。行きたいなんて言葉にしていないのに。
不思議に思って問い返そうとしたとき、背後から声をかけられた。
「あれっ、団長じゃないですか!」
振り返ると、グレンと同じ騎士服を着た若い男が立っていた。柔らかそうな茶髪に、くりくりとした丸い瞳が印象的な青年で、歳はリゼルより少し上だろうか。上品に整った顔立ちだが、体はよく鍛えられているのが騎士服の上からでもわかる。腰には長剣を帯びていた。
男は人懐こい笑みを浮かべ、軽やかな足取りでグレンに歩み寄ってくる。
一方、グレンは苦虫を噛み潰したような顔で男を見た。
「……ロズか」
「今日は非番でしょう? また自主的に見回りですか……って、その方は?」
ロズと呼ばれた男が、たった今気づいたようにリゼルへ目を当てる。見知らぬ男に急に声をかけられ、リゼルは緊張して肩をこわばらせた。普段、知らない人と接する機会がないので知らず気後れしてしまう。
「え、えっと……」
口ごもっていると、グレンが隙のない動きでロズとリゼルの間に割って入った。
「彼女は俺の妻だ。あまり見るな、怯えさせる」
低い声音で応じた途端、「ええっ!?」とロズが目を見開く。
「あの伝説の奥方ですか!? 実在が危ぶまれていた!?」
「うるさい」
「うるさくもなりますよ。あ、奥様、僕はロズ・フライヤーと申します。王立騎士団の副団長です。団長の下で、日々こき使われています」
胸元に手を当て、にこにこと挨拶をしてくれる。つまりロズはグレンの部下だ。リゼルはグレンの背からおずおずと顔を出し、ぺこりと頭を下げた。
「リゼル・コーネストでございます」
「これはご丁寧にありがとうございます。お会いできて光栄です。実はここ最近、騎士団はリゼル嬢の噂でもちきりなんですよ」
「噂……?」
どんな悪評がばら撒かれているのかと身構えれば、ロズは無邪気な笑顔のまま続けた。
「あのおっそろしい団長が、魔女の奥方にだけは別人になったように甘々ってね! 一体どんな魔法を使ったのか教えていただきたいものですよ。そしたら鍛錬でも容赦してもらえるかもしれませんし?」
おどけて片目を閉じてみせるロズに、グレンが「ほう」と冷ややかに笑う。
「そんなくだらん噂話に興じる余裕があるなら、もう少ししごいても良さそうだな。次の鍛錬では覚悟しておけ」
「ほんの冗談じゃないですか!」
「騎士なら自分の言葉には責任を持て」
「職権濫用ですって!」
丁々発止とやり取りを交わす二人を前に、リゼルは首を傾げていた。どれも全く身に覚えがないし、別人になったようなのは記憶喪失が原因だ。しかし一つ聞き捨てならぬ点があって、これだけは訂正しておかねば、と急いで前に出た。
「あ、あの、私はマギナ家の魔女ですが、誓って魔法は使っておりません。そもそも人心を操作する魔法はとても扱いが難しく……」
小さな手のひらを開いて突如滔々と語り始めたリゼルに、ロズがきょとんとする。グレンも物珍しそうに両目を見張り、こちらを見下ろしていた。
「現在のマギナの魔法系統では容易に人格を変えることはできず、それを成すのであればもう数世代に渡って研究を進め、さらに異国の魔法との混淆が必要かと……え、えっと、つまり何が言いたいかと言うとですね?」
ぬるい風が三人の間を通り抜けて、講釈の余韻を吹き散らしてゆく。これは完全に間違えた、とリゼルの背中に汗が滲んだとき、ロズがぷっと噴き出した。
「あっははっ、よくわかりました。リゼル嬢の魔法ではないんですね。じゃ、愛の力だ」
「えっ?」
聞き慣れぬ単語にリゼルはぴたっと動きを止めた。
対してグレンは何もかもを承知のようである。つまらなそうに鼻を鳴らすと、王様もかくやと傲岸に頷き、
「そうだが?」
「ほら、こんなことを言わせるくらいですもん。団長が花を買っているのを目撃したときは本当に驚きましたね。しばらく、花を使った新たな剣技でも編み出したのかと思われていたくらいですよ。あれ、リゼル嬢への贈り物でしょう?」
ロズに水を向けられ、リゼルは微かに顎を引く。
「は、はい。何度かお花をいただきました」
「怖くなかったですか? どう考えても団長は花を寄越す男じゃないでしょう」
「す、少し」
思わず正直に答えれば、またロズが弾けるように笑い出す。「そうだったのか?」と衝撃を受ける様子のグレンに、リゼルはちょっと俯いてつけ加えた。
「初めは、驚きました。で、でも、私は花が好きですし、嫌ではなく……。旦那様がきっと私を思って贈ってくださったのだと思うと、嬉しかったのも本当です」
顔が耳まで熱い。不思議だった。リゼルに花を渡してくれたのはグレンだけではない。ネイだってくれた。彼女の心遣いは胸を優しく温めてくれるのに、彼から贈られた花を思うと、どうしてか鼓動が速くなって、動きがぎこちなくなってしまう。
グレンが再度「そうだったのか」と今度は噛みしめるように呟いて、リゼルの頭に優しく手のひらを乗せる。ぽんぽんと頭を撫でられて、リゼルはいよいよ顔を上げられなくなった。子供みたいで恥ずかしい。
そんな二人の様子を、遠い目をしたロズが眺めていた。
「実は僕、団長の真似をして好いた娘に花を贈ったんですが、普通にフラれましてね。何がいけなかったのか、薄々わかってきた気がしますよ。あの子は別に花が好きじゃなかったし、僕はそれに気づけなかったんだろうなあ」
苦笑まじりにぼやくと、彼は長剣の柄に左手を置き、ひらりと右手を振ってみせた。
「お二人はデートでしょう。お邪魔するわけにはいきませんから、僕はここらで退散します。団長、次の鍛錬を楽しみにしていますね!」
彼が爽やかに言って背を向けようとしたとき。
大通りに甲高い悲鳴が響き渡った。
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