別に生きたいとかじゃないですよ

すずちよまる

別に生きたいとかじゃないですよ

7年ぶりに、軽音楽部の後輩だった黒部と会うことになった。

当時彼女はエレキしか見ていない変わり者で、先輩たちとも最低限しか関わらなかった。陽キャ女子たちにかわいがられていたので、オフの日はあちこち連れ回されていたらしいが、その他で人と関わっているところはあまりみたことがない。背が低く、白い肌に真っ黒の長い髪と重い前髪で、部活中は小声で歌を口ずさみながら、エレキから離れない、雑談はもちろん、普段のコミュニケーションも冷めていて、言葉はネガティブなものばかりの無愛想でひねくれ者、そんな子だった。

俺はドラムをやっていて、同じグループで演奏をしていたので、ある程度は関わりがあった。まあそれも、最低限の会話くらいなのだが。つまり、仲がよかったかというとそういうわけでもないのだ。

それなのにどうして7年も経って、連絡が来たのだろうか。

不思議に思いながら、約束の三鷹駅周辺にあるチェーン店のカフェへ入った。


一番奥の席に座っている、真っ黒な髪を高い位置で結び、前髪は薄く、赤い唇をした清楚な女性と目が合った。

彼女は微笑んで小さく口を開いた。

「お久しぶりです」

黒部だった。

「随分と雰囲気が変わったね」

俺はアイスコーヒーを注文し、黒部の向かいの席に座った。

「ええ、そうですね」

彼女は人事のように軽い声色で言った。服装も、昔は黒いTシャツに制服のスカートを着るような、適当な感じだったのに、目の前にいる女性は白いブラウスにベージュのロングスカートという、真逆の雰囲気だった。

「…………」

「すみません、久しぶりすぎて話すことないですよねー」

「ああ、ごめんね、ちょっと考え事してた」

「いや全然、こっちが呼んじゃったんで」

黒部は見た目だけでなく、中身もなにか変わっていた。無気力感を帯びた発言や話すタイミングなどはあまり変わらないのだが、なんというか、まず、昔は微笑んだりしなかった。それに、目だ。今の彼女には目の中に妖しい光がある。大きく丸い、ガラスのような目をしていた。姿勢も良く、無駄も隙もないような、不思議なオーラを纏っていた。

「私、この地を離れるんですよ」

俺が聞く前に彼女はそう言った。

「…………遠くに引っ越すとか?」

「まあ、そんな感じです。だからお世話になった人には極力会っておこうかなと」

「結構誠実なんだね」

「そうでもないです。……でも軽音部全員に会いに行くのはちょっとだるいじゃないですか。ほとんど話さなかった人ばっかりですし。といっても高校のときの人で連絡取れるの、先輩だけだったんで。まあ一人なら会っとこうかなと」

やはり適当な子だ。

「お世話になった判定はしてくれたんだね?」

「そうですね」

黒部はペットボトルの水を一口飲んだ。

「なんか食べないの?」

「あ、さっきコーヒーとスコーンいただきました」

待ち合わせ前に一服しているのか。

それからしばらく部活のときの話をした。当時からは考えられないほど、彼女はよく喋った。

話題が止まったとき、少し引っかかっていたことを聞いてみた。

「どこに引っ越すの?」

黒部はさっき“この地を離れる”と言った。変な言い方だ。外国にでも行くのだろうか。

彼女はすぐに答えなかった。

「外国とか?」

「…………そんな感じですね。仕事も辞めたんです。一人で永久に旅に出るんで。もう、会うこともないでしょう。なんか聞きたいことあります?」

少し笑って、そう言った。

フリーターにでもなるということか。旅か。少し羨ましい。

「日本にはもう帰らないんだ?」

「ええ」

「一生?」

「はい」

「すごいね」

「あはは、そうでもないです」

彼女のペットボトルの水はもうなくなっていた。

「というか、帰れないんですよね。日本には。実はどこにも帰れなかったりしますけど」

「どういうこと?」

「うーん……」

しばらく黙っていた。俺は何も聞き返さなかった。彼女が答えるのを待っていた。

何だか嫌な予感がしたのだ。

「仕事辞めたって言ったじゃないですか。私の会社、最悪だったんですよ。ブラックもブラックで帰れない日も続くし、上司のパワハラセクハラ、おまけに同期からのいじめですね、もう、三点セット330円ですって感じですよ」

どんな顔をすればいいかわからなかった。

「でもそういう気持ち悪い事柄って、本当に330円で片付けられちゃうんですよ」

外はもう薄暗くなっていた。

「私が社長に言ったって、最初は顔をしかめて聞いてくれますよ?でも次の瞬間にはコンビニのコーヒー片手に席について、なんにもなかったかのように仕事振ってくるんですね。忘れちゃうんですかね。まあ、ある程度社員多い会社ですし、新人社員一人に社長様が頭を悩ます時間はないですよね、安いコーヒー飲んでリラックスして、忘れたいんですよね…………でも


やっぱり、超むかつくんですよ」


笑ってる。笑えていないことに気づいているのだろうか。

黒部は泣いた。

俺は彼女の感情を、7年ぶりに、初めて知った気がする。


「むかつくんですけど……やっぱ悲しいは悲しいじゃないですか、人に雑に扱われるのって。だから悔しくて。あ、私、彼氏いたんですけど、そいつもまあクズで、雑に扱ってくるんですね。私のこと存在としか認識してないみたいで。はは、ばかみたい。親も別に心配してないみたいですし、友達とは忙しくてもうずっと会えてないから関係なんて途絶えたも同然ですね。まあ私が距離置く癖があるからなんですけど。とりあえず、私っていてもいなくても影響ない人間なんですね、だから……」


黒部は口を止めたが、言おうとしたことはわかってしまう。

「旅って、もしかして、そういうことなのか?」

「…………いや、まあ、私って基本、自分のために行動してるんですよ。だから、今の状況で、ベストな私のためになることって、もう、あっちの道なんですよねー…」

黒部はそう言って天井を指差し、苦く笑った。

「仕事辞めてから、いろんな格好してみたり、たくさん食べてみたりして、ある程度世界は知ったかなって。だからそろそろいくんですけど……あ、すみません、嘘つきました。お別れ言うために会ったの、先輩だけです。ちょっと気まずいと思って、友達会って回ってることにしましたけど。なんか、先輩って私の人生の中で、好きとか嫌いとかいう感情に全く左右されないし、踏み込んだ話はしないけど、いつも変わらない感じで関われる、みたいな、そういう安心ポジションだったんですよー…」


「俺はさ。死ぬって怖いんだよね、めっちゃ」

「そうですね」

「絶対死にたくないんだよ」

「それは無理ですけどね」

「でも、恥ずかしすぎたり、自分を嫌いになったり、そういうときは“死にてえ”って思う」

「……私のは、そういうんじゃないですね」

「わかってる。そんな軽いことではないのも、お前なりの決意なのも、生き方なのもわかるけど…………あー、うまいこといえないけど」

「いや別に言葉とかいらない……」

学生時代は最低限しか関わらなかったけど、俺だって、好きとか嫌いとかの感情に左右される存在とは認識していなかったけど、ずっと思っていた。


「黒部が練習中に口ずさむ歌、結構気に入ってたんだよな」


静かだった。ほかのお客は誰もいない。

「…………はは、なんですか…」

さっきより大粒で、透明な気がした。目の光は、今は妖しくない。

「きもいですよ……はは、先輩…………あーあ、違うんですよ、なんか言ってもらいたかったから会ったんじゃないんですよ。ちょっと誰でもいいから突っ込んでこない人に話してみようって思っただけですよ、あーもう、先輩にした意味ないじゃないですか……」

静かな空間に、黒部の愚痴と、泣き声だけが響いていた。



カフェからでた後、俺たちはカラオケに来た。もはや第二の家だ。

黒部は一曲歌った後、マイクを置いて、曲予約用のタブレットを眺めながら呟いた。

「私、もうちょっとだけ、この地に留まります」

「そうか」

「私の歌よかったですか?」

「よかった」

彼女は、俺を横目で見てコーラを飲み干し、少し嬉しそうに笑った。さっきよりよほど人間らしい。

「きもー」

「なんでだよ、ほめてんのに……まあ、よかったよ。死ぬとか、今となってはあほらしいだろ。生きてるほうがなんか楽だと思うよ、俺は」

「……あ、いや?」

暗いからわかりづらいが、黒部は微妙に頬を赤らめた。


「別に、生きたいとかじゃないですよ」


黒部はなぜかものすごく強い力でタブレットの画面をタップし、“人間っていいな”を予約した。

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