第20話 歓迎しない訪問者

 イーリスが何処かへ囚われた翌日。結局眠れなかったイーリスは、ぼんやりと牢屋の天井を見上げていた。夜中に壁や床を改めて調べたが、頑強な岩や鉄で造られていて、素手で何とか出来るものではない。

 どうにかしようと色々試した結果、イーリスの指は傷だらけになっていた。血が滲み、イーリスはじんじんとした痛みを耐える。


「……どうにかして、帰らなきゃ」


 今日は、研究所の元所長たちの言葉を考え違いしていなければ、イーリスの父親がこの牢にやって来る日。また何か実験をしようというのであれば、牢を出ることになる。その時が逃亡の最後の好機だ。


「おい、飯だ」

「……」


 考え込んでいたイーリスの前に、しなびたパンが一欠け投げ込まれる。顔を上げれば、昨晩見回りに来た男たちの片割れだった。確か、イーリスをヘリステア家の娘だと言った方の男である。

 イーリスはしばらく微動だにしなかった後、そっとパンに手を伸ばした。見張りの男にじっと見られている手前非常に手に取りにくいが、逃げるための体力を少しでも確保しなければならない。


(抵抗がないわけじゃない。だけど、わたしはセレさんのところに帰りたい)


 震える手でパンを掴むと、見張りの男は「ほぉ」と感心したような声を吐き出す。


「驚いた。あんた、魔術師の血筋の貴族様だろうに」

「……」


 男の言葉には何も返さず、イーリスは乾いてパサパサのパンにかじり付こうとした。まさにその時、牢屋の天井近くに窓から、何かがこちら側に入って来る。その小さな影は、驚くイーリスの手からパンを叩き落した。


「あっ」

「何だ!? ……ツバメ?」

「ツバメ?」


 窓から飛び込んで来たのは、小さなツバメだ。餌を探していて迷い込んで来たのかと思ったイーリスだが、ツバメの様子が通常のそれとは違うことに気付く。

 ただ迷い込んだだけならば、きっとさっさと出口を探すだろう。しかしこのツバメは、逃げる様子がない。


(この子、わたしを知っている……?)


 床に立ち、じっとイーリスを見つめているツバメ。その吸い込まれそうな黒い瞳に、イーリスは何かの意図を感じた。

 しかしイーリスとは違い、見張りの男は近くにあった長い棒でツバメを追い払おうとする。ブンブンと振り回すが、ツバメは身軽に全て躱してしまう。まるで、次に何処に棒が振られるかわかっているかのように。


「止めて!」


 イーリスはツバメを守ろうと、棒の前に腕を伸ばす。するとツバメは何故か自ら棒の前に移動し、棒に身をさらすふりをして器用に躱してしまった。それが何度も繰り返され、見張りの男はいら立ちを募らせる。ついつい声が大きくなった。


「くそっ、全部躱すなよ!」

「――何をしている?」

「!」


 その低い声に、イーリスも見張りの男もびくりと体を震わせた。ほぼ同時に顔を上げると、薄暗い牢の廊下にガタイの良い大男が立っている。いつの間にやって来たのか、昨日の見張りのもう一人を連れていた。更に、後ろから元所長たちも速足でやって来る。


「こ、これは旦那様。お早いお着きでございます。お出迎えせず、申し訳ございません!」

「――構わん」

「はっ」


 聞かなくなって久しかったドスの効いた声に、イーリスは何処か疲れを感じた。イーリスは恐怖のあまり直視出来なかったが、俯きつつもちらりと男の顔を見上げる。

 突然姿を見せた男は、ジオーグ・ヘリステア。ヘリステア家の当主であり、イーリスを一方的に捨てた実の父親でもある。王国において重要な役職に就き、頭が切れる実力派魔術師一族の長だ。

 ジオーグは牢の中の元娘には目もくれず、棒を持つ見張りに鋭い視線を向けた。


「先程の問いに答えろ。何をしている?」

「はっ。牢屋の中にツバメが迷い込みましたので、追い払おうとしていたのです」

「ツバメ、か」


 ジオーグの目がツバメを捉えると、ツバメもまた彼を見つめた。

 ツバメを睨み付けていたジオーグは、ハッと目を見開く。何かに気付いたのか、暗がりでもわかるほど顔色を悪くした。


「こいつは……」

「あの。どうかなさいましたか、ヘリステア様?」


 それまで黙っていた元所長が声をかけると、ジオーグは「チッ」と大きく舌打ちした。それだけで彼の周りはビクッと反応して怯える。案の定、声をかけた元所長が「ヒッ」と喉を鳴らした。代わりに、彼の部下がおそるおそるジオーグに声をかける。


「どう、なさいましたか……?」

「早急にこのツバメを追い出せ。こいつは、あの男の式だ!」

「え? あ……は、はい!」


 ジオーグの剣幕に、その場にいた男たちが揃ってバタバタと動き出す。各々棒や縄や剣を鞘ごと等、思い思いの武器を持ってツバメを追い出そうと襲い掛かる。

 当然ツバメはその全てを華麗に躱して見せ、あざけるかのように男たちの間をすいすいと飛ぶ。それを追う見張りたちは、味方同士でぶつかり足をもつれさせた。

 そんな様子を見て、イーリスの推測は確信へと変わる。このツバメは自分の味方で間違いない、と。


(きっとこの子は、セレさんの……)


 セレが近くにいるかもしれない。そう思うだけで、イーリスの心はかなり勇気付けられる。希望を取り戻すセレの耳に、苛立ち怯えを垣間見させるジオーグの声が突き付けられた。


「――チッ。おい、お前」

「――ッ! 痛い!」


 イーリスは、ジオーグに髪を引っ張られて悲鳴を上げた。

 長く伸びた銀色の髪を力任せに手繰り寄せるジオーグは、丁度立ち上がった元所長の部下に命令を飛ばす。


「おい、この鍵を開けろ」

「た、ただ今!」


 大慌ての男が壁にかかっていた鍵を手に取り、牢屋の戸を開けた。ジオーグはイーリスの髪を引き、牢屋から引きずり出す。


「ふざけやがって……。こいつはわたしの娘だ。どうしようと私の勝手だろう!?」

「痛い、止めて!」


 イーリスの悲鳴を無視し、ジオーグが彼女を引きずって行こうとした時、上の方で悲鳴が聞こえた。


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