第14話 初めての魔法局

 三日後、イーリスの姿は魔法局の前にあった。 セレの家に来てから街に出ることはなかったイーリスのため、セレは彼女と共に王都を散策しながら王城、そして魔法局までやってきたのだ。イーリスにとって出掛けるということ自体が特別なことで、終始笑顔だったことは言うまでもない。

 しかし今、イーリスの緊張はピークに達しようとしていた。


「緊張してるな、イーリス」

「う……はい。こんな風に人と会うことってなかったので」

「そうか。今日は俺もいるから、深呼吸していこう」

「はい」


 すーはーと何度か深呼吸を繰り返し、イーリスはセレにくっついて魔法局の建物に入った。

 魔法局の建物は、王城の敷地の端にある。行くためには王城を突っ切らなくてはならないが、その時点でイーリスは圧倒されていた。豪華だが品の良い調度品や装飾、彫刻が並び、幾つもある庭には様々な植物が植えられている。おそらく実家にもある程度あったはずだが、イーリスの中にその記憶はほとんどない。


(何度も王城の人たちとすれ違ったけれど、皆さん挨拶して下さるからびっくりした)


 魔法局に入ってからも、何人かに出会って挨拶を交わした。その誰もが、何故かまずセレを見てちょっと驚いた顔を見せる気がする。

 イーリスがちらりとセレを見上げると、セレは軽く眉をひそめた。


「……俺がイーリスみたいな女子を連れてることが珍しいんだろ」

「そうなんですか? ふふ、ちょっと嬉しいかも」

「……行こう」

「あ、待って下さい!」


 スタスタと歩いて行くセレを追い、イーリスは足を速めた。

 二人はしばらく歩き、ガオーラの執務室の前で足を止める。セレが戸を開けようとした時、後ろから彼の肩に手を置く者がいた。


「よう、梓」

「……リスタか。驚かせるなよ」

「いつも通り塩対応だな。……おっと、そちらが噂の?」


 リスタと呼ばれた青年は、目を丸くしているイーリスに気付くとにこりと微笑んだ。


「イーリスってきみだね? 私はリスタ・ブライドマン。気軽にリスタと呼んでくれたら嬉しいな」

「い、イーリス・ヘリステアです。セレさんのお宅でお世話になっています。……宜しくお願い致します、リスタ様」

「おー……」


 セレ以外の異性と話すのは、一体いつ以来だろうか。イーリスがどぎまぎしながらも無事に自己紹介を終えてほっとしていると、何故かリスタが嬉しそうにセレの頭を乱雑に撫で回し始めた。


「お前、よかったなぁ!」

「ちょっ……やめろ、リスタ!」

「あんなに仏頂面で女の影も一切なかった魔法しか能のないお前が……女の子連れて来てそんな優しい顔するなんて! 父さんは嬉しいぞ!」

「いつから俺の父親になったんだ、お前は。後、前半普通に悪口じゃないか!」

「そんだけ嬉しいんだよ、幼馴染としてはさ」


 ぎゃんぎゃん言い合いを始めてしまったセレとリスタに驚きつつも、イーリスは普段見えないセレの別な面が見られた気がして嬉しくなった。二人に気付かれないよう小さく笑っていると、急に背後に人影が射す。

 驚いてイーリスが振り返ると、そこには恰幅の良い壮年の男性が立っていた。男性はイーリスが自分を見ていることに気付くと軽く会釈をし、すぐにセレとリスタの方を向く。


「――!」

「お前ら、人の部屋の前で騒ぐんじゃないぞ」

「あ……ジスタート様!」

「全く、お前たち仲が良いな。セレ、こちらのお嬢さんが?」

「はい。イーリスです」

「は、はじめまして」


 ぺこりとイーリスが頭を下げると、ガオーラはニコニコと柔らかく微笑んで見せた。更に少し格式張って、丁寧にお辞儀する。


「はじめまして、イーリス嬢。ようこそ、魔法局へ。局長のガオーラ・ジスタートと申します」

「宜しくお願い致します、ジスタート様」


 さあ、入って。ガオーラに促され、イーリスたち三人は彼の執務室へと足を踏み入れる。真ん中に配置された角型のソファに三人が腰掛けると、ガオーラは彼らに水の入ったコップを手渡した。


「何もなくて悪いな。後で菓子でも持って来よう」

「それくらい、私がやりますよ」


 立ち上がろうとしたリスタを手で制し、ガオーラはどっかと三人の前に腰を落ち着けた。そして一口水を飲むと、イーリスの方を見る。


「さて、イーリス嬢。セレから話を聞いていると思うけれど、きみがウサギの姿でいたその経緯と、あの研究所で見たことを教えて欲しいんだ。嫌な記憶を掘り起こすことになるから、心苦しいのだが……」

「それが、事件解決の一助になるのであれば」

「ありがとう。まず、イーリス嬢はヘリステア家の娘ということで良いかな」

「はい。……とは言ってもわたしは魔力のほとんどない落ちこぼれですから、娘扱いされませんでしたが」


 乾いた笑みを浮かべつつ、イーリスは出来るだけ淡々と自分の過去を語った。魔力を持たないことがわかると、家族や親戚から受ける扱いは一変した。最初は使用人、そしてそれ以下の扱いへと変化し、ウサギになるとわかってからは人としての扱いもなくなった。最初から実験の被験者扱いは受けていたが、それも日に日に酷いものへと変わっていく。


「……それからわたしは、ウサギと人間を行き来しなくなり、人間に戻ることはなくなりました。すると……父はわたしをあの研究所へ売り飛ばしました。研究員の話では、破格の安値だったとか」

「……」

「――!」


 気付けば、イーリスの片手をセレが握っていた。安心させようという彼の意図が見えて、イーリスは温かい気持ちになる。それからは少しだけ肩の力を抜き、研究所での日々を話す。


「正直、何日あそこにいたのかはわかりません。ただ研究員たちの会話を聞く限り、彼らの目的は動物と魔法を合体させてより強い個体……もっと言えば、兵器となる生き物を創り出すことです。いつもあの動物とあの魔法を合わせたら、という会話をしていましたから」

「兵器となる生き物、か。……そんなものが創られたとして、使う側も使われる側も、幸せになれるとは思えんな」


 腕を組み、唸るガオーラ。彼の態度を見て、イーリスはまた少し肩の力が抜けた。彼は、真摯に自分に向き合ってくれる人だとわかったから。

 深呼吸を一つして、イーリスは再び口を開く。


「毎日毎日、実験の繰り返しでした。その度に檻の中の動物たちは減っていき、何処からか連れてきた動物が空いたところに入れられました。……わたしもあの日、ウサギとして死ぬと覚悟しました」


 しかしセレが、彼と仲間たちが踏み込んでくれた。そうでなければ、今頃イーリスはここにいない。

 イーリスの言葉に頷き、ガオーラは「ありがとう」と微笑んだ。いつの間にか空になっていたイーリスのコップに冷たい水を注ぎ、自分のにも入れる。


「しんどいことをさせたね。もしかしたら、またセレを通じて話を聞くかもしれない。その時、今日のように話してくれると有り難い」

「わかりました。わたしに出来ることならば」

「ありがとう。……その前に、セレに叱られそうだけどな」

「……怒りませんよ、おそらく」


 冗談とも何とも言えないガオーラの発言に、セレは一睨みで応じた。彼の手が、机の下の見えないところでイーリスの手を握っていることにイーリス以外気付かない。


(だ、だんだん別の意味で緊張してきた……って、別の意味って何!?)


 イーリスが内心混乱していることを知らず、ガオーラは「さて」と席を立った。


「言った通り、菓子をもらってこよう。少し待っていてくれ」

「私も行きますよ、ジスタート様」

「ならば、頼もうか」


 ガオーラはイーリスとセレに待っているよう言い、リスタと共に執務室を出て行った。

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