第10話 不審火

 イーリスが人間の姿に戻ってから数日経ち、彼女は少しずつセレの手伝いをするようになっていた。手伝いと言うのは、主に家事や書類整理、そして読書。


「読書……って、お手伝いに入るんですか?」

「入るというか。イーリスは多分、長い間何かを自分からやるっていうことがなかったんじゃないかと思って」


 最初に読書をして欲しいとセレから言われた時、イーリスは何故かと尋ねた。それに対するセレの答えはこうだ。


「でも、好きなことをするにはそのやり方を知らないと出来ない。だから、俺の家にある書物を読んで知識をつけて、その知識を実行に移すのも一つのやり方かなと思ったんだ」

「……確かに、知らないことだらけです。本を読むのはとても楽しいです」

「よかった。俺は今日城に行くから、家で過ごしていてくれるか」

「わかりました」


 イーリスが頷くと、セレはあのメイドのぬいぐるみを置いて行った。ぬいぐるみはイーリスが一人になった時、わからないことを教わるためにいてくれる。その他は、家の中を掃除していることが多い。案外、イーリスはそのあたりずぼらだ。


「今日は、どの本を読もうかな?」


 セレの家の書庫は、地下にある。以前地上階に置いていて、本の重さで床が抜けたことがあるらしい。床抜け対策だと淡々と言っていたが、一体どれだけの本を所蔵しているのだろうか。


「考えるだけ無駄かも。これ、一生かかっても読み終わらな……」


 読み終わらないかも。自分の独り言に気付き、イーリスは自分の掌で口元を覆った。自分は今、何を言おうとしただろうか。


(わたしは、ここに一時的に置いてもらってるだけだから。早く自立して、迷惑かけないようにしなくちゃ)


 そのために、知識は不可欠だ。イーリスはそう思い直し、胸の奥の痛みに蓋をする。今日手に取ったのは、調理用具の作り方に関する本だった。


 ❁❁❁


 一方、セレは魔法局の仕事で郊外に出ていた。空き家の集まる地区に、不審火が多発しているという通報を受けてのことだ。


「――水よ、鎮火せよ」


 言葉には、魔力が宿る。そんなことを昔誰かが言ったらしいが、セレは文字通り言葉にしたことを魔法として行使出来る。当然何でもということはなく、彼自身が魔法として使おうとするものに限られるが。

 空き家街の不審火は、セレたちが行った時にも起こった。複数箇所であったため、その場で幾つかに班分けして対処する。セレと共にいたのはリスタだ。


「セレ、相変わらず魔法にキレがあるな」

「そうかな? ……それにしても、不審火とは穏やかじゃないな」


 魔法を使って鎮火したものの、根本的解決にはならない。セレは過去に不審火があった場所の表を確認しつつ、そう呟いた。するとリスタが、不審火は過去自分たちにもぶつけられたことがあると苦笑し、過去の不審火の場所を記した地図を指差す。


「過去の不審火の場所に決まりはないらしい。何か発火剤みたいなものを使っているみたいなんだけど、その成分はわからないんだってさ」

「魔法局の研究所でわからないのか……。特殊な魔術が使われているのか?」

「それを調べるのも、今回の私たちの仕事だな。上は、おそらくこの前の研究所の件との関連を疑っているんだろうね」

「それはそうだろうな。何せ、あそこの研究は法外というか、違法なものばかりの故に未知だから」


 未だに、収集してきた研究関連の書類やデータの解析は進んでいないらしい。既にあの日から一か月が経過しようとしているにもかかわらず。

 そこまで考えて、ふとセレの頭にイーリスを引き取ってから同じだけの時間が流れたことがよぎった。


「あのウサギさんのこと考えてるだろ」

「……へ?」


 連続して三ヶ所の不審火を消火した後、回り込んで来たリスタに言われたセレは目を丸くした。


「何で……」

「何でもなにも。お前、最近不意に優しい顔するようになったからな。王宮の使用人たちからの評判、急上昇中だって知ってたか?」

「知るわけないだろ」

「だろうな」


 ニッと笑ったリスタが、何故かセレを肘で小突く。


「なんだよ」

「ウサギと暮らし始めて、まさかお前がそんなに変わるなんて思わなかったんだよ。癒されてんだろうなとは思ってたけど」

「癒し……ああ、そうだな」


 癒しと言われたセレの頭に思い浮かぶのは、笑顔で「いってらっしゃい」と言ってくれたイーリス。毎回毎回破壊力を更新してくるイーリスに、セレはよく頭を抱える。困っているわけでも、怒っているわけでもない。ただどうしようもない感情が溢れそうになって、セレ自身ではどうにもならなくなるのだ。


(――かわいい、と思ってはいけないのにな)


 彼女にとって、自分はただの宿主だ。そう思わなければ、何か超えてはいけないものを超えてしまいそうだった。言葉にしてはいけない、そうセレ自身が思っている何かを。

 ふと考えに落ちてしまったセレを眺め、リスタは肩を竦める。そして、きょろきょろと周囲を見渡した。火の気配はなく、くすぶった焦げ臭いにおいが漂っている。既に不審火は全て消し止められたのだろう。そう判断して、リスタは聞いているのか聞いていないのかわからないセレに話しかけた。


「セレ、あのウサギさん、元は人間だろ?」

「――は!? 何で知って……」

「お、勘が当たった。私の実家のこと、知っているだろう?」

「……ああ、動物使役のエキスパート」

「そういうこと」


 ニッと笑ったリスタは、セレを上官であるガオーラのもとへと引っ張っていった。




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