第9話 遅い朝ご飯

「ん……? あ、わたし」


 あの後、泣きじゃくって泣きまくり、泣き疲れて眠ってしまったらしい。起き上がれば、そこにセレの姿はない。ちらりと掛け時計を見上げれは、昼食の時間を過ぎたところだった。そういえば、何処からかいいにおいが漂って来る。


「――手伝わな……っ!」


 イーリスが立ち上がったと同時にばさり、と被っていた掛け布団が落ちる。その瞬間、イーリスは自分が何も着ていないことに初めて気付いた。


「――っ!?」


 布団をかき集め、真っ赤な顔で座り込む。そういえば、確かにウサギに変化しまた人間に戻ると服を着ていない状態になることを忘れていた。ウサギになるということは、単純に体が縮むことも意味する。閉じ込められていた頃は人間に戻るのは眠った後だったから、家族が来る前に何か着れば良かった。しかし、ここ最近ウサギになり続けていたため、服を着直すという行為を忘れていたのだ。


(わ、わたし、セレさんの前で何も着てなかった!?)


 とんでもない史実を知り、羞恥で溶けそうだ。それでも何か身に付けなければとベッドから這い出したところ、近くのテーブルに服が一着置かれていることに気付いた。そろそろと近付き手に取れば、それは淡いピンク色のワンピースだ。傍にはメモが添えられている。


『俺の従姉いとこのものだ。よかったら着てくれ』


「従姉さんの……有り難い」


 ほっとワンピースを胸に抱くと、不意に魔法の気配がした。顔を上げれば、目の前のテーブルの上に小さな体メイド服のぬいぐるみが立っている。


「……ぬいぐるみ?」

『お嬢様、ワタクシが着替えをお手伝いします。何かご入用のものはありますか?』

「喋った!」


 イーリスが驚くのも無理はない。ぬいぐるみだと思っていたものが、喋るだけではなく頭まで下げたのだから。彼女の驚きをスルーして、メイドのぬいぐるみは首を傾げる。


『女性ものの服は、一式この家に揃っております。従姉様がよく泊まりに来られますから。良ければ、そちらから入り用なものをお持ちしましょうか?』

「たっ、助かります。その、ワンピースだけだと心もとないので……」

『承知しました、お待ち下さいね』


 ぬいぐるみはぴょんっとテーブルから飛び降りると、トテトテと歩いて何処かへ行ってしまう。それを見送り、イーリスは膝を抱えた。


「あのぬいぐるみ、セレさんの気配がした。……あの人の魔法なのかな? 魔法見たの初めてかも」

『お待たせしました』

「お、お帰りなさい」

『さあ、お着替えしましょう』


 メイドのぬいぐるみに手助けされながら、イーリスは久し振りに人間の服に袖を通した。ワンピースは生地が柔らかく、良いものだということがわかる。控えめなリボンが胸元についていて、とても可愛らしい。

 イーリスはメイドのぬいぐるみに礼を言い、部屋を出た。するとぬいぐるみがついて来て、イーリスを先導して歩き始める。彼女について行くと、やがて廊下の突き当たりに部屋の入口が見えてきた。そちらから良いにおいがして来ている。


「あそこが?」

『ご主人がお待ちですよ、お嬢様』

「あ……はい」


 お嬢様。呼ばれ慣れない呼称に恐縮しつつ、イーリスはそっと部屋を覗いた。


「お、起きたか」


 部屋はリビングになっており、その向こうにキッチンが見えた。キッチンでフライパンを持つセレが、イーリスを見付けてふわりと微笑む。


「よかった。従姉の服、丁度いいな。よく似合ってる」

「あの、服、ありがとうございます。小さなメイドさんが色々教えてくれて。あれって……」

「一応、俺の魔法の一つ。普段はほとんど使わないけど、イーリスのために使えてよかった」

「……あ、ありがとう」


 こっちに座って。セレに促され、イーリスは椅子に腰掛ける。すると目の前にベーグルサンドとサラダの皿が置かれ、同じものが向かい側にも置かれた。


「腹減ったかわからないけど、よかったら食べてくれ」

「そういえば……ずっとお腹空いてました」

「ふふ、口に合うかはわからないけどな」

「頂きますね」

「召し上がれ」


 ベーグルサンドを手にかぶりつくセレを真似、早速同じくかぶりつき、イーリスは目を丸くした。


「……おいしい」

「そりゃよかった。まずいって言われたら凹むからな」

「お世辞とかじゃないです。本当に」


 ベーグルがまず、ふわふわしている。それに挟まっているのが、シャキシャキのキャベツとトマトの輪切り。更に焼いたベーコンも相まって、口の中が幸せになる。

 イーリスは冷たい紅茶を挟みながら一気に食べ終え、セレに苦笑された。


「わ、笑わないで下さい」

「すまない。そんなに美味しそうに食べてもらえて、嬉しくなったんだ」

「……っ。せ、セレさんはわたしに甘過ぎます!」


 紅茶のお代わりを貰いながら、イーリスは顔を赤くして訴える。するとセレは、笑いながら「ごめん」と言った。


「イーリスのことは、甘やかしたくなるんだ。俺が好きでやってることだから、気にしなくて良い」

「……その笑顔は反則です」


 イーリスが頬を膨らませれば、セレは肩を竦めて指を軽く振ってみせる。すると空中に小さな炎が幾つも現れ、ポットの下へと移動した。更に、ダンスするようにくるくると回る。


「わあっ」

「魔力が強くなるにつれ、何のために強くなるのか分からなかったけど……こういう使い方も良いものだろ?」


 セレがそう言った後、ポットの中のお湯が沸く。そのお湯で自分用に紅茶を入れたセレは、魔法を見て目を輝かせるイーリスに口元を緩ませた。

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