第8話 温かさに触れて
「ん……」
布団の中でもぞもぞとしていたイーリスは、カーテンの隙間から注がれる日の光でぼんやりと目を覚ました。頭がはっきりしない中、傍にある温かいものへ手を伸ばす。無事にそれに抱き着き、ほっとしてもうひと眠りしようとして、はたと気付く。
(わたし、今手を伸ばした……?)
徐々に意識が覚醒し、イーリスは自分の体から伸びている腕が何かに抱き着いていることに気付く。そう、伸びているのはウサギの手などではない。食事をして睡眠も取れているためか、以前よりは少しだけマシになった白い腕。人間の腕だ。
「えっ……? え?」
「……起きたのか、ウサギ?」
「あっ……」
「……ウサギ? ……え」
「お……おはようございます……?」
色々と思考が飛んでしまい、イーリスはどうにか笑おうとして失敗した顔になる。何故挨拶をしようと思ったのか、それすらもよくわからない。
(ほら、朝だから。目が覚めたから……って何か違う!)
大混乱に陥っているイーリスを前に、セレもまた硬直していた。目を瞬かせ、じっとイーリスを見つめている。
「きみは、一体……?」
「うひゃぁっ」
「す、すまないっ」
「わ、わたしこそごめんなさいっ!」
ギシッとベットの音が鳴る。セレがイーリスに顔を近付け、彼女の顔にかかった髪を払った。間近で顔を合わせることになり、イーリスは思わず声を上げてしまう。仕方がない、目の前には見目麗しい青年の容貌があるのだから。
(し、心臓がもたないっ)
顔を真っ赤にして、セレから距離を取った。掛け布団を引き寄せ、抱き締める。どくんどくんと胸の奥が五月蝿く、イーリスはそれでも何とか自分があの白ウサギなのだと言おうとした。
「わ、わたしは……」
「……この気配。もしかしてきみは、あのウサギか?」
「わ、わかるんですか!?」
「うぉっ」
まさか、セレが気付いてくれるとは思わなかった。イーリスが顔を上げると、丁度鼻先数センチの距離にセレがいる。彼が驚きの声を上げ、イーリスも驚き固まった。
そろそろとゆっくり距離を取ろうとしたイーリスの細い手首を、セレが触れる。イーリスがハッと顔を上げれば、真剣な目をした青年の顔があった。
「あの……」
「……この気配、間違いない。そうか、あのウサギは、きみが姿を変えたものだったんだな」
「き、気持ち悪くないんですか?」
「気持ち悪い? 何故」
「だ、だって! 見知らぬ女が、こんな奴が同じ部屋にいるんですよ? ……捕らえられてもおかしくないのにっ」
言い募るイーリスに、セレは目を丸くした。それからふっと微笑み、柔らかい声色で「すぐにわかったからな」と呟く。
「きみから、あのウサギと同じ優しくて温かい気配がした。ウサギと同じ白、いや銀色の髪。そして深い森のような緑の瞳。……ある意味、名前をつける前でよかったかもしれないな」
「えっと……」
「きみの名を知りたい。教えてくれないか?」
正面からセレに見つめられ、イーリスは大きな胸の高鳴りを感じていた。それは決して嫌なものではなく、ふわふわとした心地のままでイーリスはセレの赤い瞳を見返した。
「……イーリス。イーリス・ヘリステア。それがわたしの名です」
「イーリス、か。これからは、きちんとその名を呼べるな」
「わたしも、ようやく貴方の名前を呼べます。……セレ様」
ふわり、とイーリスは微笑む。それは拒絶される心配のない相手への、ようやく向けられた花咲くような笑みだった。
間近でイーリスの笑顔を見たセレは、思わずといった様子で顔を背ける。耳まで赤くして、ぼそりと呟いた。
「……っ。破壊力凄いな」
「え?」
きょとんとしたイーリスに、セレは軽く咳払いをしてから「何でもない」と返す。
「えっと、俺のことは『様付け』なんてしなくて良い。ヘリステアっていうことは、きみはあのヘリステア家のご令嬢なんだろう? 本来なら、俺の方がきみに敬語を使わなければならない立場だ」
「……わたしは、確かにヘリステア家の人間でした。でももう、あの家には戻れません」
「戻れない? ……それは、きみがあの研究所にいたことと関係があるのか?」
「……そう、ですね」
きゅっと抱えていた掛け布団を抱き締め、イーリスは今こそ話さなければと口を開く。しかし言うべき言葉が声になることはなく、ただボロボロと流れたことのない大粒の涙がイーリスの白い頬を濡らすだけだ。
ひっくひっくとしゃくりあげながら、自分がどうしてあの研究所にウサギの姿をして居たのか。言わなければと思えば思うほど、言葉ではなく嗚咽が零れる。
(どうして……? 言わなきゃ。ヘリステアとあの研究所の関わりを、わたしが身をもって経験してきた恐ろしい魔術の数々を)
時折咳込みながら、苦しそうに泣き続けるイーリス。セレは最初驚いて手を彷徨わせていたが、意を決して泣き続けるイーリスを自分の胸へ抱き寄せた。
「~~~っ。セレさ……っ」
「ごめん。ウサギの頃からこの話は禁句だったのに。ようやくきみと……イーリスと話が出来るんだと思ったのに。思い出させてしまって、ごめん」
「違っ……話さなくちゃ、いけない、のに」
「もう少し、落ち着いてからで構わない。あの研究所から逃げた奴らは、まだ捕まっていない。俺たちが必ず捕まえる。……きみを傷付けた奴ら全て、後悔させてやる」
「セレ、さま……?」
何故か、最後の言葉だけが聞こえなかった。イーリスが聞き返すと、セレはわずかに首を左右に振り、イーリスの後頭部を優しく撫でる。
「ここには、俺たちしかいない。……大丈夫、俺がイーリスの傍にいるから」
「セレ……さ……」
「せめて、さん呼びに留めてもらえると嬉しいかな。様は、俺には似合わない」
「――っ。セレさ、ん」
「……泣けよ。今まで、頑張り過ぎているんだ。俺といる時くらい、泣いたら良い」
「――うっ」
セレに抱き締められて温かさに包まれ、イーリスは彼にすがりつき泣き続けた。魔力がないと断言され、家族から見放された日から、こんなに泣いた経験はない。ようやく、イーリスは泣いて良い場所を見付けたのだ。
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