第5話 三人だけの会話

「おい、リスタ!」


 ぐいぐい袖を引っ張られ、流石にセレは声を荒げる。すると黙って廊下を進んでいたリスタが立ち止まり、目の前にあった戸を開けた。その部屋は先程話をしていたガオーラ・ジスタートの執務室で、勝手に入って良い部屋ではない。


「リスタ、まずいだろ」

「大丈夫。お前をここに連れて来い、とわたしに命じたのはこの部屋の主だからな」

「ジスタート様が?」


 意味が分からない。頭の上にはてなマークを浮かべるセレの袖をもう一度だけ引き、リスタは半分開いた部屋の中に呼びかける。


「ジスタート様、連れて来ましたよ」

「ああ、ありがとう。二人共、こっちに来て座りなさい」

「はい」

「あ……はい」


 ガオーラに呼ばれ、セレはリスタに背中を押されてソファに腰掛ける。するとガオーラが自ら茶を入れてくれ、彼自らも二人の向かい側に座った。バサリと間のテーブルに書類の束を乗せる。

 ちらりとその書類の束を見たセレだが、ガオーラが書類について何か言う間では触れずにおこうと茶をすすった。するとガオーラは、開口一番でセレにとって思わぬことを話題にする。


「セレ、引き取ったウサギは元気か?」

「ウサギですか? ……瘦せ細っていたのであまり多く食べさせるのも良くないかと思い、ミルクや柔らかくした野菜などを少しずつ与えています。大人しいですが、最初よりは元気になったと思いますよ」

「そうか、ならば一旦それで良かろう」


 うんうんと頷いたガオーラは、カップの茶を半分ほど飲んだ。そしてテーブルの上の書類を一束手に取り、それをセレに差し出す。


「これを読んでみろ」

「これは……?」

「リスタのは先に読ませたが、五日前のあの事件についての報告書の一部だ。先程はああ言ったが、実はもう一つ由々しき事態があるんだ」

「……。これは、あの実験動物たちの健康状態と何処からやって来たかの記録?」


 セレは目と指で文章を追い、とある記述に目を止めた。その少し前からその段落の最後まで、念入りに二回繰り返して読む。ようやく内容を理解し、セレは思わず「え……?」と言葉を失った。


「びっくりしただろ」

「あ、ああ」

「正直これをお前に伝えるのは迷ったんだ。迷ったが、リスタが伝えた方が良いと言うでな。打ち明けた」

「……あのウサギが、ヘリステア家から売られたもの?」


 報告書に書かれていた内容に、セレは目を丸くする。

 ヘリステア家といえば、国内で有数の魔術師排出の名家の一つ。そのヘリステア家があの闇研究所と繋がりを持っていたことは驚きだが、セレはウサギがどうして売られたかが気になる。


「ジスタート様。あのウサギは何故闇組織などに売られてしまったのでしょう?」

「それは今も調査中だ。しかし、あの家は国王すらも接触を躊躇う家柄だから、時間はかかるだろうがな」

「噂はあれど、か。……あの時の記録は読みましたが、ウサギはあの日が初めての実験の日だったはず。しかし体を調べると、毒が体の中に多く蓄積されていると。……どう考えても、以前から毒に慣れさせられていたとしか思えません」


 ウサギは、身体検査を受けた上で彼の家に引き取られた。その際、毒への異常な耐性があると判定されている。更に体が虚弱で、命の危険を秘めていると。

 セレは何とかウサギを元気にしようと、あれこれと試しているところなのだ。


(ヘリステア家について、少し調べてみる必要があるかもしれないな)


 そんな思考を読んだかのように、ガオーラはセレに釘を刺す。


「セレ、当分は知らん顔をしていた方が良い。あっちのことは、私たちに任せろ。代わりにお前がすべきことは、そのウサギに愛情をたっぷり注いでやり、本当の意味で元気にすることだ。お前は少し、敵に対し容赦なくやり過ぎるきらいがある」

「……はい」

「こいつ、何かに執着することがありませんからね。だからこそ、ちょっと人よりやり過ぎる」

「リスタ」

「睨むなよ、セレ」


 肩を竦め、リスタは微笑む。これでも心配しているんだと言って。


「だから、あのウサギさんを幸せにしてやれよ。今お前がすべきことは、きっとそれだから」

「……努力する」


 どこかまだ怯えの残るウサギのことを思い出し、セレは難しい顔をした。セレが撫でると安心するらしいが、離れるとその場から動かなくなるか隅っこに行ってしまう。動物を可愛がった経験のないセレは、毎日試行錯誤しているのだ。


「幸せに、か」


 過去に何かを持つウサギ。研究所でボロボロの姿でいたウサギ。何かを訴えるような丸い緑色の目で、じっと自分を見つめるウサギ。セレは何となく気持ちがざわめくのを感じながら、その日やるべき仕事へと戻った。


 ❁❁❁


 同じ頃、たった一人で残されたイーリスは丸くなっていた。薄いカーテンを通り抜ける陽射しに当たりながら、フラッシュバックする過去に耐えているのだ。

 幾つもの傷付けられた言葉、暗い部屋、ものが割れる音、そして自らの悲鳴と誰かのため息。薬剤や魔術によって引き起こされる苦しみや痛みも思い出され、イーリスはふるふると体を震わせていた。


(セレ様……っ)


 あの優しい手に触れて欲しい。聞けば、たった五日間共に過ごしただけの間柄だ。それでもイーリスにとって、初めてあたたかな手で優しく触れてくれた人。彼に触れられていると、安心する。ここにいても良いのだと、居場所を見付けたように感じる。


(いつか、人に戻れたら……戻ってしまったら。わたしはまた、捨てられるかもしれない)


 押し寄せて来るのは、不安。ウサギでなくなった時、突き放されたらどうなるのか。イーリスの気持ちは、今と未来で激しく揺さぶられていた。

 まだウサギとしての名を持たないイーリスは、過去に震えながらセレを待っていた。

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