幕間Ⅱ



三日目


明るい病室、ずっと眠らない、この子。

というか、常に半分眠って半分起きているような、無心で、なにもする気が起きそうにない。鬱に堕ちた人間みたいだ。


僕は今日で五徹目。特に心身の不調は感じていない。


彼の呼吸音、窓から吹き抜ける風の音、点滴が落ちる音、僕が小説の頁をめくる音。僕が書類を取り替える音、時計秒針と分針と時針が動く音しか聴こえない。

人間ならこれをまるで、寂寥さえ感じさせるような静けさだ。とかなんとか、言いそうだ。


彼は身体を動かさない。

ずっと、眼は伏せられて、涙が溢れそうなのに、乾いた表情をしている。

なにもかも、諦めちゃったのだろうね。

だから、もう、僕はなにも出来ない。


そんな絶望しているなら、もういっそ、死んでしまった方が…なんて思うのだけれど。医師としては生かさないといけないのだよね。

どうしたものか。


…ああ、でも、彼ももうすぐ、その気になりそうだ。

あと一歩手前ってとこかな。


「……せんせい」

無関心な、枯れた声だ。

『ん?なんだい?』

「ちょっと、頼みごと、聞いてくれませんか?」

『物によるけれど、どうしたんだい?』


彼の顔は、負荷のかかった微笑が張り付けてあった。

僕も同じく微笑んでいる。張り付けた笑みだけれども、長い間、張り付けていたものだから、もう違和感は無に等しい。


「おれの、こと…殺してくれたり、しませんよね」



『殺し…かい?僕が?』

「…はい」


少し期待をかけた顔をしている。


『うん、しないかなあ。むやみやたらに患者の命を奪おうとは思わないよ』


「…そうですか」


残念そうな顔だ。

彼の虚ろで、無関心な眼が微笑した僕の深紅の眼と合う。


きっと、何を天秤にかけても、頑張る気力はないだろうね。

家族をかけても、友人をかけても意味がない。

彼は気づいていなかった。最愛の友人を。恋しき愛しき思い人を。

臓物を売りさばこうが、拷問を受けようが、大事なものを破壊されようが。

もし、窓から落とされれば喜んだような、嬉しそうな笑顔を見せるだろうし、メスで首を切っても、首を絞めて殺しても、薬につけても、心臓を刺したりしても、呪い殺しても、焼いても凍らせても溺れさせても。死ねれば、同じ様に至福の表情を浮かべるはずだ。きっと、高所から落とせば尚更。


目茶苦茶に苦しい思いをさせたらどうだろう?生死の境の…ギリギリ…とか。…駄目だ。諦めよう。どう足掻こうが無理だね。というか、早めに死ぬのが彼にとっての最適解だ。

本心で笑うのも、本心で生きるのも、もう無理だろう。彼を許容してくれたのは、蒼空さんしかいないから。

もう、その人がいない。だから、終わりだ。


「…じゃあ、自殺します」

『そうかい』

「見殺しにしてはくれませんか?」

『うーん』


普通の医師だったら、迷っちゃいけないのだろうけれど、彼のことを考えるならば…一人の患者として、ではなく、一人の少年として、孤独でもう、彼のことを誰も認めてくれはしないのだとして、考えれば。

僕には止める権利はない。医師としての止める義務があろうが、そんなの職にとらわれた囚人だろうから。


『好きにしたまえ』


僕はそう、口にした。

してしまった。


「……いいんですか?」

『好きにしたまえ』


彼は、少し停止したあと、首を傾けた。


「あ、えっと、…何が…ですか?」

『ん?…もう、忘れたの?』

「…いや、そんなことはな、い、です、?」


今さら強がる意味はない。

彼は、忘れっぽい。

というか、結構な記憶障害だ。

情報を受けても、脳に上手く記憶されず、外に抜け落ちて忘れてしまう。

どんなに大事なことでも、忘れて、覚えていない。記憶の、奥深くに傷をつけなければ。

だから僕が発した言葉だと、頭の奥に届かない。


「…すみせん、忘れました」

『自殺、するとか言ってなかったかい?そうならば僕は席を立つけれど』

「…そんなこと言いました…?殺して…くれたりとか」


また同じこと言ってるなあ。


『最初にしないって言っただろう?ほら、殺してあげないから。死ぬなら潔く自殺したまえ』


僕は席を立つ。

書類と本をもって、病室から出た。




数分後、看護師の悲鳴が聞こえた…ってことは、成功したってことか。

良かったねぇ、誠人くん。


で、だ。


まだまだやることは残ってるのだけれどね。

「彼」の対応がまだ残っている。

誠人くんが死んだってことは、「彼」が来るはずだ。

もうそろそろね。

それまで小説でも読んでいよう。


…救済される前の、予習だね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る