1970年 伝説のシーズン

 さて、ナ・リーグは京都ゲームズが無双状態であったが、パ・リーグはというとこちらでも黒い霧の影響が出ていた。


 東京ナインズはON砲の人気で黒い霧の影響は無かったが、大阪タイガーズは黒い霧に巻き込まれまいと選手に門限や禁酒を厳命、これにより監督の人望が失われていってしまう。


 他の球団もナ・リーグが壊滅したが、パ・リーグも他人事ではないと選手への監視を強化。


 これがストレスとなり、東京ナインズの弱体化が始まっていたが、リーグ優勝9連覇の偉業に繋がっていく。


 東京ナインズの弱体化は観客動員数でも大きな変化が起こっていた。


 まずこの年はパ・リーグでも観客動員数が減少···というのも日本万国博覧会が開催しており、客をそちらに取られてしまっていた点や、各球場の老朽化による新規ファンが楽しみにくい環境となっていた。


 勿論東京ナインズとパ・リーグ各球団はテレビや新聞などのマスメディアを使った囲い込みを行い、ナ・リーグ···特に黒い霧を批判したり、潔白をアピールすることでパ・リーグはクリーンな野球をしていると宣伝した。


 それでも毎年東京ナインズが優勝することでマンネリ化が進んでしまっていた。


 また京都ゲームズが打率3割を超える選手が多数いる中で、パ・リーグ首位の東京ナインズは打率3割を超えているのが大玉選手しかおらず、投手の総合能力で勝つチームに変貌していた。


 その影響は球宴でも現れており、東京ナインズの選手の球宴招待がだいぶ減ってしまっていた。


 勿論、一昨年の豊作ドラフトで選ばれた選手達が台頭してきており、リーグ全体ではナ・リーグを2勝1敗で下し、勝利したが長尾選手は不調で済むが、他の選手達は確実に劣化を始めていた。


 劣化しないのは岐阜ナイツで選手兼任監督になった野町選手くらいで、なんで長年負荷が凄いキャッチャーをやりながら本塁打を量産しているのかわからない。


 チームが2位なのも野町選手が中心となり、変人の3番、期待の若手の5番、代打職人、抑え投手の整備と京都ゲームズの次に役割による分業制が成功したチームであった。


 まぁ今年1番岐阜ナイツが京都ゲームズに勝利しているのもあるが···


 ただ他にも長崎スターズが球宴以降にギアチェンをし、Bクラス争いから抜け出すと、下位3チームを貯金箱にして上がり始めた。


 流石に京都ゲームズの前半戦の貯金を切り崩す事は無かったがAクラスは8月頃には決まり、ほぼ大勢が決した。


 というか8月終盤には京都ゲームズの優勝が決定し、消化試合となる。


 優勝決定時の胴上げで本西監督は2年連続で宙を舞い、優勝会見でも残りは日本一のみと意気込んだ。


 ただこうなると興行としてはよろしくなく、京都ゲームズの優勝後から京都でも試合を観戦するお客さんが減ってしまい、まさに消化試合という感じになる。


 それでもシュトロハイムは


『来てくださった皆さんの為に最高のパフォーマンスを見せましょう!』


 と気が緩んだ選手達を激励! 


 ただ本西監督はシュトロハイムが圧倒的過ぎて遊撃手が育たないのはシュトロハイムが怪我をした際に危険かもしれないと、2番手の遊撃手の育成をすると決断し、2軍で見込みのありそうな選手を引き上げた。


 それが昨年テスト生で入団した一保堂である。


 一保堂の守備をシュトロハイムや守備コーチが確認すると、荒げずりだが良い素材と評価、そこからシュトロハイムはシーズン中に一保堂を集中特訓させる。


 付き人と言われる制度があり、上の選手の身の回りの世話をする代わりに教えを請うというのがプロ野球の付き人であり、現代でそれをやればパワハラとかに該当するだろう。


 ただセクハラ、パワハラが無く、普通に鉄拳制裁が行われていた時代。


 本西監督は一保堂にシュトロハイムの付き人になることを命令すると一保堂はこの事を後々


「夢のような時間」


 と語っている。


 シュトロハイムに偏愛の様な感情を持ち合わせていた一保堂はシュトロハイムの指導を余すことなく受け入れ、野球以外でも投資や経営について学んだり、シュトロハイムが参加する講演会には必ずついて行く筋金入り。


 シュトロハイムの新しい指導を受けた一保堂は自身には卓越した打撃力は無いが、足の速さと目の良さ、内野では強肩であると武器を活かしてサードとショートを10月頃に行ったり来たりするようになり、糸口と熾烈なレギュラー争いを行うことになる。


 ただ一保堂は内野外野全て守れるユーティリティ選手へと成長をし、怪我人や体調不良者が出たらとりあえず一保堂を起用するという幅が来年から生まれることになる。








 シーズンが無事? に終了し、京都ゲームズは今年は108勝19敗3引き分けという伝説的なシーズンに終わる。


 恐ろしいのは打線である。


 1番セカンド 赤羽 規定打席 最優秀二塁手

 打率.312、2本塁打、68打点、82盗塁


 2番センター 酒井 規定打席 盗塁王 最優秀外野手(センター)

 打率.322、15本塁打、72打点、102盗塁


 3番ショート シュトロハイム 規定打席 首位打者 本塁打王 打点王 最優秀遊撃手 MVP

 打率.482、92本塁打、315打点、35盗塁(700打席289安打、出塁率.534、三塁打数70、ops1.843)


 4番レフト 大星 規定打席 最優秀外野手(レフト) トリプルスリー

 打率.315、35本塁打、105打点、30盗塁


 5番ファースト 井伊 規定打席 最優秀一塁手 本塁打数リーグ3位

 打率.335、40本塁打、128打点


 6番キャッチャー 安田 規定打席

 打率.301、30本塁打、115打点


 7番ライト 松平 規定打席

 打率.282、4本塁打、62打点、72盗塁


 8番サード 糸口 規定打席

 打率.310、15本塁打、104打点、10盗塁


 これの打撃陣でナ・リーグ最少失策数である。


 この年途中、キャッチャーの三好が怪我をしてしまい、安田がギリギリ規定打席に乗った最初で最後の年であり、キャリアハイを更新。


 3割打者が7名、30本塁打以上4名、100打点が5名。


 100打点クインテットを形成し、更に8番の糸口が覚醒し、恐怖の8番打者となったことで9番の投手以外穴がなく、最強打線に令和になっても名前が挙がる異次元の打線を形成した。


 シュトロハイムはこの年600打数が回ってきて289本の安打を放ち、盗塁数は激減したが、三塁打が激増しており、長打率は驚異の1.308となっている。(ちなみに令和含めて0.78以上の選手は0人であり、0.77でも2人しか達成していない)


 チームの出塁率は投手を含めても3割を超えており、例年ならば盗塁王を取れた選手が3名もいた為に機動力と重量打線が両立。


 ちなみにリーグ2位の本塁打数は野町選手の42本塁打であった。


 チーム総得点は1008点で戦後間もなくの908得点を大きく塗り替える結果となる。


 特徴としてバントをほぼしないが盗塁をガンガン行うので、唯一ビッグボール(アウトをそもそも生産性がないので出塁率を重要視する野球)とスモールベイスボール(盗塁や犠打を重視する野球)の良い所を両立させたチームとして挙げられることがある。


 別名ハイブリッドボール。


 ちなみに京都ゲームズ以外のチームがハイブリッドボールを行おうとして打壊が起こったケースが多発し、平成になる頃にはハイブリッドボールは禁忌扱いされる。


 ちなみに京都府民は将軍打線の他にきずない打線とも京都ゲームズの打線を言い、きずないが心苦しいとか、申し訳ないという相手チームへの煽りでもある。


 チームが108勝もしているため先発陣も凄まじく、園城寺が24勝0敗と一切負けなかった。


 宮永は18勝2敗、水野が18勝4敗、シュナイダーが20勝5敗、西園寺が16勝4敗とエース格として十分な成績を残しチームを牽引。


 他役割別投手達も躍動して投打が完全に噛み合った最高チームが完成するのであった。



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残り数話になります。

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