1969年 日本シリーズ2

 1969年、日本シリーズ第二戦。


 京都の船岡山球場は球場の収容人数を超え、近くの公園にスピーカーを付けたラジオを置いて試合の雰囲気を少しでも味わおうとしたり、テレビのある家では近所の老若男女が集まって京都タクシーズの日本一を願って試合を観戦した。


 京都府民の熱量は凄まじく、殆どの店が店を閉めて試合を観戦するため、観光に来た観光客はあまりにも静かな京都の町に不気味に思った程であった。


 第二戦本西監督代行は4点取れば試合に勝てると判断し、投手陣に3点までは許すが、4点取られれば査定に大幅に影響させると年俸を人質にした。


「言われんでもわかっとりますよ。本西監督代行···必ず優勝しますんで···安心せぇや」


 マウンドを託されたのは園城寺であった。


 そして打順も変更し、1番赤羽、2番井伊、3番シュトロハイム、4番大星、5番安田と全く穴の無い打線に変更し、9番にライトとして昨日活躍した酒井を投入した。


 そして8番に投手を置くことで9番から打順が始まるように調整し、こうすることでビッグイニング(1回に5得点以上)を狙えるように調整をした。


 こうして始まった2回戦は将軍打線が東京ナインズの先発を6回に捉えた。


 それまではシュトロハイム含め、両軍無安打という緊迫した投手戦であった。


 園城寺の闘志むき出しの力投。


 園城寺はこの年、ナ・リーグの最多奪三振のタイトルを獲得しており、魔球高速シンカーとキレのあるパワーカーブにより左右に投げ分け、この日も5回で7奪三振と投球回以上の三振を奪っていた。


 一方東京軍団の投手はスクリューボーラーの社選手であり、この年郡道投手と共にダブルエースとしてチームをON砲と共に牽引した。


 ただ逆に言えば総合能力で京都幕府こと京都タクシーズを圧倒している東京軍団の唯一の弱点が投手力である。


 勿論投手の総合力は京都幕府の投手陣を圧倒している。


 京都幕府が20勝カルテットで盛り上がっていたが、一流の選手を4人並べ、それを圧倒的打撃力で粉砕するという戦い方で勝ってきたため、大エースの条件となる防御率1点台を実は先発4人は達成していない。


 ナ・リーグで達成者は北海道モンスターズの池田投手のみで、後は将軍打線の被害で大幅に防御率が悪化していた。


 なので投手は東京軍団の2枚看板のどちらかを粉砕すれば自ずと日本一にぐっと近づけることができる。


 そんな力投を見せていた社投手も運命の6回表、先頭打者のシュトロハイムがスクリューによって体勢を崩し、打ち取ったと思われた打球は右中間に抜けていった。


 これによって崩れたのか、大星、安田、松平の連打で一気に2点を奪う。


 後続2人は倒れたものの、ここから京都幕府の打線が大爆発。


 酒井の2塁打で2点追加しで4対0、赤羽が内野安打、井伊がホームランで7対0、さらにシュトロハイム、大星の3者連続ホームランで社選手は引きずり降ろされ9対0となる。


 長尾と大玉からもアベックホームランが飛び出すが、反撃はここまでで12対2で2回戦は京都タクシーズの圧勝であった。






 京都はこの勝利でお祭り騒ぎであり、興奮した観客が飛び跳ねたり、旗を掲げて走り回ったことで、戦前からあった古い球場だった事もあり、外野席に大きな亀裂が入ってしまう。


 そしてその日の夜に小さな地震(震度3ほど)が発生し、その際に外野席の一部が陥没する事件が起こる。


 これにより残りの試合は予定通り東京軍団の本拠地で2試合、そして残りの3試合(一番長引いた場合でも7戦の為)は船岡山球場が使えない為、甲子園で行う事が決まった。


 京都府民は球場が崩れたのが不吉、京都タクシーズへの凶兆なのではないかと恐れた。


 そしてその予感は当たることになる。






 親会社が変わり、一番最初の変化は移動にグリーン車や新幹線を使うことができるようになった点である。


 今までは夜行列車の床に新聞紙を引いて寝るほど酷い移動をしていたが、新幹線や飛行機を使うことで移動時間が短縮された。


 日本シリーズ中も京都から一度大阪に移動して、新幹線に乗り、移動を済ませ、宿に泊まったのだが、複数の選手が高熱を出してしまう。


 高熱を出した選手達は優勝決定してから繁華街によく出入りしており、そこでウイルスをもらってきてしまったらしい。


 更に熱の原因がインフルエンザであり、移動日を挟んでから感染者が続々と現れてしまう。


 登板予定だった西園寺も巻き込まれ、発熱してしまう。


 西園寺は登板するか凄まじく悩んだ末に、監督にも短いイニングで仕事をすると伝えて解熱剤を飲んで強行出場。


 しかし、体調不良の状況で抑えられる東京ナインズ打線ではなく、先日の報復とばかりに打線が爆発し、乱打戦となる。


 西園寺は4回にノックアウト。


 打撃陣が頑張るが、10対7で敗れてしまう。


 そして第4戦。


 監督代行であった本西もインフルエンザに感染。


 気合で指揮を執るが、シュトロハイムがヘッドコーチとして代行する。


 シュトロハイムは選手兼任監督をやれる器を持っていたが、前世を含めて初の監督ということで上がってしまい、打撃が今日もしけってしまう。


 シュトロハイムは今使える戦力を全て使う総力戦を行い、自身もバットで投手を援護しようとするが、失敗。


 水野がジエンゴをしたが、1対3で東京ナインズが勝利し、後がなくなった。


 第5戦。


 インフルエンザの猛威は更にチームを蝕み、一軍帯同している人員を含め半数が感染。


 シュトロハイムは先発投手で唯一感染していない園城寺に全てを託した。


 園城寺はギリギリながら東京ナインズの強力打線から点数を守り抜き、3対4で京都タクシーズが首の皮1枚で日本一への可能性を残した。


 そして第6戦。


 しかし、遂に先発投手がインフルエンザで壊滅し、苦肉の策として中継ぎであるHSSに1試合を任せる強攻策に出る。


 最初は上手く言っていたが、最終回に鈴原が捕まり、2失点でサヨラナ負けをしてしまう。


 インフルエンザというアクシデントが起こったが、力負けであると多くの選手は受け止め、さらなる成長に向けて、秋季キャンプに全力で挑むことになる。


 1969年日本シリーズ···京都タクシーズ2勝4敗で東京ナインズの5連覇達成で幕を降ろしたのであった。


 ただ、この日本シリーズが再出発となる京都タクシーズ改め京都ゲームズ躍進の始まりであり、リベンジを誓うのであった。

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