1969年夏 親会社変更 京都ゲームズ誕生
貯金14···前半戦、しかも4月中にこれだけ貯金を稼いだチームが優勝できないことは···結構ある。
前半戦で戦力を大量投入することで夏場以降スタミナ切れを起こして急失速するというプロ野球では多々ある事例だ。
そして大量貯金というのは観客離れを引き起こす原因にもなり得る。
大量の貯金があるのだから試合結果を新聞で見れば良いやと、この時代のファンは思うのだ。
しかし、京都タクシーズと京都府民の熱量は今年は例年から比較にならない程燃えていた。
というのも球団消失という特大の爆弾を抱えながら球団史上初の優勝をしたいと願うのは選手もファンも気持ちは同じであった。
そして監督代行となった本西は選手の支持を受けて代行になった人物であるため、チームの結束力というのは例年以上に強まっていた。
そして打撃コーチを兼任したシュトロハイムは自身の時間を削っても、チームの為、選手の将来の為にと技術指導を行っていった。
特に今年は代走や外野の補欠要員として一軍に帯同していた酒井選手へ盗塁のやり方や打撃のフォーム改造、素振りの時に回数よりも投手から投げられた球をイメージしながら振るという、現代では当たり前の素振りのやり方やイメージトレーニング方法を伝授。
そして酒井は理論派の選手かつ、背は周りの選手と比べても小さかった。
なのでシュトロハイムが率先して取り組んでいる食事による体質改善とウェイトトレーニング、そして走り込みと素振りを人の倍行った。
元々酒井は筋力不足でバットに振られてしまう事が多く本西からバットに振られない強靭な下半身を手に入れろと指導され、シュトロハイムの指導により、入団当初は外野まで打球が飛ばなかったのに、後半戦が始まる頃には外野の頭を越える鋭い打球が打てるようになっていた。
「酒井! 進化できたな! 大化けだ! これからはセンターの松平とライトの増田とポジションを競え」
と打撃面で外せないレフトの大星を除いたセンターとライトでレギュラー争いを本西の指示で行わせた。
シュトロハイムの育成手腕が本物だと本西代行はこれで確信し、打撃と走塁、時には守備に関しても指導を許し、現代のシーズン途中にはヘッドコーチに配置転換され、全体の練習指示を行える立場となる。
まだ22歳と大卒新人よりも若いのに、シュトロハイムは指導者の道を突き進むことになる。
親会社が信用できない以上、球団で独自の収入を持たなければならない。
シュトロハイムが提案していた球場弁当は当初の予定よりも人気で、球団の懐事情を僅かながら良くしていたが、チケットと弁当売上だけではどうしても厳しい。
まずこの頃の球団の収益はチケット代金、球場での飲食や物販の販売、そして親会社からの広告費やスポンサー代金といった支援金で成り立っており、現代の球団単独で黒字を出せるという構造は無理があった。
勿論球団単独で黒字を出せるのが理想であるが、球場の使用料金や選手への報酬や食費、消耗品費、遠征費、試合を運営するための運営費等とにかく金がかかる。
更にはドラフトで良い選手を獲得するための契約金にも大きな金がかかる。
その他にも色々な費用がかかり、ネットでの放映権や球団でのグッズ販売等のノウハウがまだ浅く、しかもファンサービスに関してはシュトロハイムと他の選手の間でまだ差があった時代。
スポーツ選手は職人と同じで結果で語るという時代なので、選手個人への人気はどうしてもパ・リーグに比べると劣ってしまうのが現状であった。
そして新たな親会社獲得に向けても動かなければならない。
球団社長の湯浅社長も京都タクシーの身売りが時間の問題となり、京都府民にも知られている以上、新たな親会社とオーナーを探す必要がある。
色々な会社と交渉したが難航し、シュトロハイムが予測した通り、1社による球団の維持は難しいと言わざるをえなかった。
球団の苦悩とは別に、チームは快進撃を続け、前までは蔑称であった将軍打線がシュトロハイムと脇を固める若い侍軍団という意味合いに変化し、将軍打線大爆発と連日新聞を賑わせた。
そして先発4本柱、必勝の継投策は選手の頭文字からHSSと言われ、前半戦を終える頃には100勝ペースに乗った。
チームが勝つごとに京都の街はお祭り騒ぎであり、3年前までは弱小球団であったとは思えないほど盛り上がっていた。
前半戦の終了時点でのチーム順位は
1位京都タクシーズ
2位山口ホエールズ
3位北海道モンスターズ
4位長崎スターズ
5位新潟ビートルズ
6位岐阜ナイツ
であり、岐阜ナイツは2年連続最下位を独走中。
新潟ビートルズはダイヤモンドの守備陣と言われていた内野陣が故障と高齢化による劣化で一気に崩壊。
山口ホエールズの八咫烏も今年は良い成績を残しているが、ベテランの域になっており予断を許さない。
京都タクシーズの躍進は他球団が弱体化していたことも影響していたのだった。
そんな京都タクシーズも来年は球団消滅でどうなるかわからないとナ・リーグ全体が嫌な雰囲気を醸し出している。
一方のパ・リーグは経済圏の中心に位置しているため、経済成長の恩恵を余すことなく受け止め、選手への待遇改善や好条件の査定、外部から有望なコーチの招集と金の力でリーグ全体が強化されていった。
しかも東京ナインズがその中でも金満の力を余すことなく使い、名監督、名コーチ、名選手と最強の布陣が完成。
ベテランと若手が揃って躍動したことにより歴代最強とも言える布陣が完成していた。
この年の球宴はパ・リーグが全体的に質が上がったことにより勝ち越しをし、シュトロハイムも2つの三振と大不振(なお3ホームランを放っている模様)、MVPも大阪タイガーズのエースピッチャーに渡され、ナ・リーグがパ・リーグに劣っているのではないかと疑問を感じさせるような一幕であった。
球宴を終えて一息ついていたシュトロハイムの元に一本の電話がかかってくる。
『ほ、本当に京都タクシーズを購入してくれるんですか!』
電話相手のアメリカ人はシュトロハイムにこう言った
『何も問題ない』
ジオ·エンタープライゼス社···日本にスロットマシーンやジュークボックスを持ち込んだ会社である。
その社長のローゼ·エンタープライスは羽田に拠点を置き、日本に新しい遊びを提供しようと様々な物をアメリカから持ち込んだり、開発を行っていた。
資本金は京都タクシーとどっこい程度である。
ただ球団経営では少々厳しいのではないかと思い、エンタープライスに質問をすると、確かに単独で経営するのはリスクが大きいとし、一度ジオ社が京都タクシーズを購入し、それを株式化させ、ジオ社が株の50%を握り、残り半数を売却してスポンサーを更に募るという方法を取ろうと考えていると話した。
それはシュトロハイムがワットン一家に招待された時に語った市民球団構想から発展させた考えであり、エンタープライスはその話を真剣に考え、どうすれば出費を少なくしつつ、最大限の利益を出せるかと考えた結果が球団の株式化である。
日本球団の購入条件として日本に本社がある会社であることが条件となるが、羽田に本社があるジオ社はこれをクリアしており、何も問題は無かった。
『球団名は何かあるのですか?』
とシュトロハイムが聞くと
『京都に本拠地を置いておくことは変わらないから京都はそのままで···ゲームズ···京都ゲームズにしよう』
こうして後半戦中に親会社がジオ·エンタープライゼス社(略称はジオ社)に変わり、この世界の球団では初の株式化をされ、エンタープライスが球団オーナーとなり、ジオ社はスポーツ部門を立ち上げる。
そして公開された株を京都の会社とドイツ人富豪のアルベール·ワットンの経営する(できたばかりの)イーブン社が購入し、パ・リーグの球団に負けない資金力を手に入れることになるのであった。
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