1969年春 オープン戦 ペナント開幕
オープン戦、シュトロハイムは今年も快音を響かせていた。
そんな京都タクシーズのスターティングメンバーは
1番セカンド 赤羽
2番サード 染岡
3番ファースト 井伊
4番ショート シュトロハイム
5番レフト 大星
6番キャッチャー 安田
7番ライト 増田
8番センター 松平
9番ピッチャー
という打順と、宮永、西園寺、園城寺、水野の先発ローテーションに7回堀田、8回惣流院、9回鈴原の勝利の方程式を形成。
戦力層的に厚みが増し、ようやく全員が戦える戦力が揃った。
まだ控えの層の薄さは気になるが、本西の猛練習でチーム全体が底上げされた為今シーズンはいけると多くの選手が確信を持っていた。
鍵になるのやはりシュトロハイムであり、来日3年目のシーズンになるが、ますます走攻守のレベルが上がっていた。
特に相手の癖を見抜く眼力は益々磨きがかかり、シュトロハイムが見抜いた癖をチーム全体に共有。
吉田は癖を見抜く有用性に理解を示し、偵察チームを作ろうと球団に提案したらしいが、偵察人員と機材を買う金が無いと断られてしまう。
これは本西コーチの耳にも入り、シュトロハイムが言っていた球団の身売りの話の決定的な証拠として本西はクーデターに向けて動き始める。
オープン戦は昨年度よりも完成度を高めた宮永、西園寺、園城寺が凡打の山を築き、そして初めて披露された必勝の継投策に他チームは度肝を抜かれた。
二階から投げ下ろされると言われる圧倒的高さから投げられる堀田の投球術、速球と高速シンカー、スプリット、カットボールと打者の手元で小さく曲がることで打ち取る事に特化した惣流院、そして剛速球かつスピンをかける指先の器用さと広い可動域の肘を持っていた絶対的抑えの鈴原はカミソリスライダーと剛速球を武器に三振を量産。
オープン戦、怪我を乗り越えた鈴原は4試合13人の打者に投げて四球を1回出したのみで、10個の三振で打者を翻弄。
吉田は必勝の継投策は先発投手の負担軽減策にもなり、今後のチームの勝利の鍵となることを確信。
水野は流石にプロ野球の方がアマよりレベルが高く、他3選手より成績は落ちたが、剛腕サブマリンという他にない強みを活かしてオープン戦の最終戦には復調し、5回を0点でピシャリ。
一方野手陣は大星が2年目のジンクスと呼べる不調に陥り、途中安田と5番と6番を入れ替わる事態が起こったが、特に問題点も無く、平均4.9得点を稼ぐので安定していた。
シュトロハイムはオープン戦なので調整感覚で挑んでいたが、それでも快音を響かせる。
オープン戦でも打率5割前後を維持し、今年もナ・リーグ最強打者は健在であることを球界全体に示したのであった。
「なぁシュトロハイム」
『なんですか宮永』
「この前戦った北海道の守備···少しおかしくなかったか?」
北海道モンスターズは打撃のチームなので守備は普通のイメージが強かったが、不自然な落球と暴投をしているシーンが印象的であった。
『···嫌な予感がします』
「嫌な予感って?」
『八百長です』
「八百長だって!」
シュトロハイムは暴力団との関係に細心の注意を払っていた。
というのもこの時代様々な産業に暴力団との繋がりが存在し、野球賭博の元締めをして稼いでいることも多々あった。
勿論野球賭博は昔から禁止であり、シュトロハイムも噂で自身のホームラン記録を賭けの対象にされていると知り憤慨したこともあった。
とりあえずシュトロハイムは直ぐに吉田に他チームで八百長が行われている可能性と自チームの潔白性を調査する必要があると進言。
吉田はチームメンバーを疑うシュトロハイムの姿勢に流石に行き過ぎだと注意したが、本西コーチは万が一があっては不味いと独自に調査を開始。
結果1名の選手がヤクザと金銭のやり取りをしていることが発覚し、しかも親会社の重役が野球賭博をしていたことも芋蔓式で発覚し、大問題に発展。
該当選手はペナント開始前に違反行為をしたとして無期限の試合出場停止処分、親会社の方はただでさえ経営がヤバいのにそんな状況で野球賭博にまで手を出していたことで、親会社の経営状態が良くないからと減俸や年俸維持で合意した選手達の不満が爆発。
来季の査定条件の開示を求めて球団上層部と話し合いが行われた時に、球団上層部が
「来年以降があるかわからない」
と言う話がボソリと言われて選手達やコーチ陣もこの時初めて親会社が球団の身売りをしようとしていることを把握する。
この事実を隠していたこと、八百長に関する調査をしないで放置したこと、事実選手から加担者が出てしまっていた事、元々人望が薄かった事等が重なり、選手とコーチから吉田監督の不信任案が球団側に提出され、吉田監督は監督信任投票を行うことを決めた。
というのもチームがこのままでは分裂しかねない為に大胆なガス抜きが必要と判断。
独自に調査を行いチームに亀裂を入れた本西コーチをチームの為に生贄にすると吉田は決めたが、シュトロハイムが紙に大きくバツ(×)を書いて紙をテーブルに叩きつけた。
シュトロハイムの中で吉田は革新的な監督ではあるが、人望に乏しい理由がオフシーズンとオープン戦期間中に露呈し、指揮官として不適任であると判断した。
そもそもシュトロハイムを拾い上げたのは二軍監督の竹田と越権行為を黙認してくれていた前任打撃コーチの前原であり、前原コーチを解任したことによりシュトロハイムから吉田監督への信頼は揺らいでいたのだ。
チームの支柱であるシュトロハイムが目の前で吉田監督に不信任を叩きつけた事で、シュトロハイムを慕う者や本西コーチで実力を伸ばし始めた者も揃って不信任を書き込み、結果不信任8割と圧倒的多数で、吉田の監督退任···クーデターが成功したのだ。
吉田監督はシーズン開幕前に休養を取ることを上層部に報告。
不信任投票を行って大敗した吉田監督残留を言う人物は居らず、5年任期と言われていた吉田政権は僅か2年で崩壊。
監督代行には本西コーチが繰り上がり就任。
打撃コーチには緊急人事ということで内部昇格しかなく、本西監督代行がシュトロハイムを選手兼任コーチに指名。
開幕目前のクーデターはこうして収束していくこととなるが、球団が無くなるかもしれないという恐ろしい情報は選手達を動揺させるには十分であり、開幕戦から宮永、西園寺、園城寺の3人がまさかの連続炎上。
打線もシケってしまい、シュトロハイム個人軍に逆戻り。
3連敗スタートとなったが、ここでシュトロハイムが動く。
『オフシーズン中から球団を存続させるために動いている。チームが優勝できれば必ずスポンサーが現れる! 今年は必ず優勝するしかない! チーム存続のために!』
シュトロハイムはチーム存続をスローガンに掲げ、球団を通してマスコミにも京都タクシーが球団売却を計画していることを発表させて、新しいスポンサーを欲していることを告げた。
新聞を読んだ京都の住民達は激しく動揺し、チーム存続のために一体化。
ファンの応援を原動力に新人の水野の力投から流れが変わり、次の週からエンジンがかかりだす。
4連勝、9連勝、5連勝、3連勝と28試合終了時点で貯金を14作ることに成功。
吉田政権から引き継いだ必勝の継投策こと勝利の方程式が完璧に機能し、一気に2位の北海道モンスターズを突き放した。
北海道モンスターズだけでなく、進化した京都タクシーズの投手陣から取れる点数は多くても4点以下であり、30試合が終わった時点での京都タクシーズのチーム防御率は2.79と普通にエース級の快投であった。
打線も徐々に調子を上げて、開幕から10戦目の長崎スターズ相手に38対0と言う馬鹿試合を勝利した後に打線は平均8打点と大爆発。
オープン戦不調だった大星が打率.348まで復調し5番に復帰、3番の井伊も自慢のバットコントロールで打率.326で二塁打を量産、シュトロハイムが打率.496だったためにクリーンナップが完全に機能する。
そして6番には長打の安田と巧打の三好の捕手が控える。
1番の赤羽とクリーンナップの3人が規定打席に到達しているため3割カルテットを形成(3割以上4人なので)
北海道モンスターズの怪物打線の破壊力を上回り、打撃によって快投を続ける投手を援護するのであった。
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