1969年 オフシーズン 春季キャンプ 勝利の方程式

 シュトロハイムは球団存続のためにこの年のオフシーズン、パイプ作りに奔走した。


 京都でのシュトロハイムの人気は積極的なファンサービスと伝説的な実績から現人神扱いであり、京都の企業はシュトロハイムに自社製品の宣伝をしてもらいたくてしょうがなかった。


 シュトロハイムはこの要望に答え、商品の宣伝を行っていった。


 他には前年度に引き続き会食をしたり、マスコミからのインタビューに積極的に応じたりもした。


 こうしたオフシーズンでの努力で特に力を入れた企業は京都で電気製品の部品を作っている中堅企業、玩具メーカーで花札屋とも呼ばれ地元では親しまれていた企業、独特な缶ジュースを作っている飲料メーカーに重点を絞り込み、シュトロハイムは京都タクシーが撤退した場合に前世で親会社を持たない市民球団を参考に、各社からスポンサー契約を結び、球団運営会社を間に挟み、独立資本により球団運営ができればと考えていた。


 というのもこの当時京都で球団を単独運営できそうな会社が少なく、後々京都が精密機械やゲームで大きく成長するのは知っているが、現状は輸送業の京都タクシーでも厳しいというのが現実であった。


 しかも関西には人気リーグのパ・リーグに堺トレーズと大阪タイガーズと言う資金力と人気を兼ね備えていた球団があるので、もし本気で金満にするなら他県に移動になるが、前世以上に各地方に均等に分散しているため、候補地としては東北になるが、裏日本と呼ばれていた新潟よりも更に悲惨な経済状況の東北で興行収入が見込めるかと言われれば疑問を持たなくてはならない。


 1人の選手としてできることはしているつもりであるが、あとは運に任せるしか無いと思うのであった···









 そんなオフシーズンのある日、東京にいるドイツ人の大富豪のパーティーに紹介された。


 大富豪であるが、戦前に日本とドイツの間で取引をしていた際に日本円の価値が低かったので特許の借用条件に日本円を日本の銀行にこの富豪のドイツ人名義で借り、戦後混乱状態で土地の保有権が曖昧になった所をそのドイツ人が買い取って事業を行っていった人物であった。(なおドイツ本国はソビエトに企業を接収された為に資本があった日本に逃げてきたとも言える)


 不動産業を中心に展開していたそのドイツ人富豪はアルベール·ワットンと言い、ワットン一家は野球にはそこまで興味がなかったのだが、ドイツから来た没落貴族の青年が日本最強の選手になっていると聞いて興味を持ち、京都へ旅行に来た際に豪快なホームランと華麗な守備、ファンを楽しませるサービスをしている姿に息子や娘達が彼のファンになり、アルベール自身も野球という産業に目を付けた。


 テレビでは東京ナインズの試合ばかりであり、シュトロハイムの活躍は新聞やラジオで聞くに留まるが、1968年の球宴でも豪快なホームランやインタビューでプルス·ウルトラと言うパフォーマンスを見ているうちに、アルベール自身もシュトロハイムのファンになっていた。


 アルベールはシュトロハイムが東京ナインズのスター選手の6分の1、ナ・リーグのスター選手と比べても3分の1以下で2年間契約をしていると知り、助けになれるのではないかと思い、また家族や友人を喜ばせる為にパーティーへと招待した。(移動費や宿泊費はアルベール持ち)


 招待されたシュトロハイムを見たアルベールは、自身よりも背が小さく、ちんまりとしていたので、球場での迫力が嘘のように思えたが、息子がバットの振り方を見せてほしいとせがみ、シュトロハイムがバットを持ち、構えるとパーティーに集まっていた人々もゴクリと生唾を飲んだ。


 構えだけで迫力があり、バットを振ると風とブオンと音が鳴る。


 試しに参加者がバットを振るが、音は鳴らないし、バットが重くてろくに振ることもできない。


 スポーツ選手として超一流であることがよくわかった。


 そしてシュトロハイムとアルベールの息子達や孫達との会話を聞くとスポーツ知識に関しては別次元の域にあると感じ、更には株や土地の話にも付いていける教養の高さ、没落したが、由緒あるドイツ人貴族の家柄と言う点に惚れ込み、是非ともパトロン(個人スポンサー)になりたいと言う話にまで飛躍した。


 球団と契約しているもののプロ野球選手は個人事業主。


 球団から給料ではなく報酬としてお金を受け取るので納税は自分でしなければならない。


 なので個人スポンサーとして支援してくれるという話は普通にあり得る話でもある。


 ただシュトロハイムは野球人気はまだまだ高まるし、野球の道具が未熟で、シュトロハイムが思い描く練習ができないという事を話すと、アルベールは詳しく話を聞き、更にパーティーに集まっていた実業家達もシュトロハイムが話す野球やスポーツを通じた利益の話に食付き、パーティー後も数日に渡ってアルベールと実業家達、シュトロハイムに他の外国人スポーツ選手(テニスやサッカー選手)から話を聞き、スポーツメーカーをアルベールは有り余った資金で起業する決断を下す。


 それでできた企業が練習をドイツ語に訳したイーブン株式会社である。


 メジャーリーガー御用達のアメリカスポーツ企業や欧州のスポーツ企業と連携して質の良いグローブやバット、スパイクを翌年から製造を始め、シュトロハイムや京都タクシーズの選手達が愛用したことで(譲られることで野球道具の新調に苦難していた選手達は万歳しながら喜んだ)大きな宣伝となり、10年後には日本スポーツ企業の一角に食い込むこととなる。


 そんなワットン一家のパーティーで挨拶をしていたアメリカ人の企業家は球団経営そのものに直接影響を与えることとなるのだった。









 シュトロハイムが球界外で大きなスポンサーを獲得していた頃、本西コーチが正月返上で選手達に猛練習を課していた。


 シュトロハイムも正月以降は練習に参加し、グラウンドでは本西の叱責と選手達の声が響き渡る。


 特に全体練習を指導できる立場の本西は練習グループを4つから5つに分けて、Aグループはゲージでバッティング練習、Bグループはグラウンドに散って守備練習、Cグループはファールゾーンでバントの練習及びバント処理の練習、Dグループはウェイトトレーニング、Eグループはポール間ダッシュといった練習の効率化を進めた。


 これにより球場では空いたスペースが無くなり、練習効率は2から3倍に激増。


 更に陸上で取り入れられていた練習を取り入れる等、本西は練習の鬼としてチーム強化を行う。


 ただ鉄拳制裁を辞さない構えに辟易する選手も現れる。


 シュトロハイムである。


 本西と練習方法を巡り言い争いをすることは多々あり、時には殴り合いをして互いに主張を通そうとすることが起こった。


 ただ本西はコーチ、シュトロハイムは選手と立場は違えどチームの勝利に導きたいという思いは一致しており、夕食後には何故意見が食い違ったのかを揉めた日も反省会を行い、本西はシュトロハイムを1選手ではなく首脳陣の1人として見るようになっていった。


 こうした中で本西とシュトロハイムの間には家族のような絆が産まれていくこととなる。








 春季キャンプが始まると監督である吉田はチームがまたレベルアップしたことを確信した。


 というのもドラフトで即戦力と期待した水野と井伊が前評判通り···いや、それ以上の実力を見せつけ、前年度は不甲斐ない成績だった惣流院が身に着けた変化球と高い制球力を武器に打者を圧倒。


 そしてアメリカからリハビリを終えて帰ってきた昨年のドラフト1位の鈴原は靱帯再生手術とメジャーの野球を吸収して大化け、最高球速は当時の日本人最速となる154キロのストレートを連発。


 更に持ち前のカミソリスライダーは80センチ以上変化する球で、シュトロハイムでも狙ってないと打つことはできない魔球であった。


 ただ長い球数になると球速、球威が落ちること、黎明期の手術により長いイニングを投げて次に壊れたら再起不能の可能性が高いこと、酷使して選手寿命を縮めた北海道の大エース真皿の事件により、投手ローテーションの普及が叫ばれ、吉田が投手分業の為に9回を投げれば必ず抑えられる投手を欲していたという要件が噛み合い、まだセーブという記録の導入前にも関わらず、鈴原を9回に固定する事を通達。


 そして8回は惣流院、7回は新人の堀田のタイプの異なる3投手に投球回を任せる判断を下した。


 これが最初の勝利の方程式である。


 春季キャンプで確かな手応えを感じた吉田は今シーズンに向けて選手に


「優勝以外は敗北」


 と宣言し、優勝だけを目指したシーズンが開幕する。

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