1967年春 極貧打線 越権行為 演説
開幕戦が始まったが、前年度のナ・リーグの順位とチーム状況を確認しよう。
上から順に
1位山口ホエールズ
2位新潟ビートルズ
3位北海道モンスターズ
4位岐阜ナイツ
5位長崎スターズ
6位京都タクシーズ
という感じであり、山口ホエールズは他チームではエース級の選手が3人も在籍し、3本柱を三本足の烏である八咫烏と見立てて山口の八咫烏と呼ばれていた。
新潟ビートルズは守備重視のチームでありダイヤモンドの内野陣と言われる鉄壁内野陣を整備。
外野手のセンターにはこの当時最大の守備範囲を誇り、5年連続で外野手部門で優秀賞を獲得している福永外野手がいた。
その守備範囲を活かし、レフトとライトには大砲となる選手を配置することで守備力と打撃力を両立し、この順位。
3位の北海道モンスターズは打撃のチームであり、3割打者が4人、15本塁打以上の選手が7人と、どこからでもホームランが入ることから流動打線と呼ばれて恐れられていた。
そしてこのチームには北の怪物と呼ばれる大エースが在籍していた。
真皿愉···シーズン最多勝利の45勝を達成した偉人であり、酷使により30歳にして劣化が始まっていたものの、劣化分を培った技術と抜群の制球力でカバーしていた。
前年も15勝をしており、衰えてなお一線級であり、彼は投球術を後輩にも惜しみなく教えることで、次世代の投手達が育ちつつあった。
岐阜ナイツは三冠王を獲得したことのある捕手である野町選手がいるのだが、数年前から内部抗争が起こっており、2年前に岐阜ナイツの監督が就任直後に不可解な亡くなり方をしたのを切っ掛けに抗争が激化していた。
長崎スターズは主力選手が相次ぐ故障で一時的に低迷しているだけであり建て直しは可能。
最下位を独走した京都タクシーズは再建の為に動き始めた···というのが現状である。
そんな開幕戦、新潟ビートルズとの試合ではシュトロハイムが4打席4安打2本塁打、1四球と全打席出塁したにも関わらず、打点は2であり、他の選手は新潟ビートルズの選手の守備力と投手力に制圧されてしまい、ヒットはシュトロハイム以外0、しかもチーム全体で4失策に投手が炎上し、5回までに9失点してしまい終戦。
シュトロハイムが孤軍奮闘しても焼け石に水状態であり、初戦を落としたのであった。
4月を終えた時点でチームは借金15の最下位に沈み、定位置に今年も入ってしまっていた。
しかし、シュトロハイムだけは打ちまくり、4月が終わり、40試合を消化した時点で打率5割9分3厘、22本塁打、出塁率は6割を超えており、現代のOPSでも1.935と化け物みたいな成績を残していた。
しかしそんなに打っているのに打点はたったの32であり、得点圏までランナーがたまらない、1番打者の打率が2割前半かつ固定できない、9番の投手と8番の捕手もほぼ打てないので塁に選手がいない状態で回ってくるのでホームランを打っても単打になってしまっていた。
一時期4番に移動したものの、チーム打率がシュトロハイムを含めて2割1分2厘と壊滅しており、地元のファンはシュトロハイムの打率とホームラン数に一喜一憂する有り様であった。
打壊しているなら投手はというと、こちらはそこそこで、打高時代にチーム防御率が3.96は立派なのであるが、シュトロハイムが3本ホームランを打っても勝てない極貧打線で見殺しにされることが多く、40試合で借金15ということで130試合計算となると借金49くらいになる。
ほぼ借金50ペースであり、そりゃファンも絶望して個人成績だけを見るようになる。
とある新聞紙記者がこのシーズンを終えた時点でシュトロハイムとチーム状況を踏まえてこう書いた。
『将軍1人、足軽複数···武将が居ない···将軍だけの打線だ』
この言葉から将軍打線と呼ばれるようになる。
『すみません投手の皆さん、今日も勝ちを付けられませんでした』
「頭を上げてくれシュトロハイム! 誰もお前を責めやしねーよ」
シュトロハイムは負けた試合は必ず投げた投手達に頭を下げた。
「シュトロハイムには守備でもだいぶ助けられてる。左方向に転がったらほぼアウトにしてくれるから本当に助かる」
「そうだ。俺たちの防御率が3点台で踏みとどまれているのはシュトロハイムのお陰なんだから···問題は他の野手陣だ! いつになったら打ってくれるんだよ!」
「経験不足なのはわかるが、シュトロハイムを抜いたら打率1割台だぞ···そりゃ勝てねーよ」
と野手へ愚痴が出る。
『ちょっと監督と相談してきます』
とシュトロハイムは投手の集まっている部屋を出て打撃コーチの居る部屋に向かった。
『シュトロハイムです』
「入れ」
『失礼します!』
一軍打撃コーチの前原は育成と割り切ったシーズンではあるが、全く成果が出ていない事に焦りを感じていた。
「シュトロハイムどうした?」
『私なりに化けそうな選手を見繕ったのですが、見てはもらえませんか?』
「なに?」
明らかに越権行為であるが、丁寧にリスト化された資料を出されると前原はうーむと唸るだけで叱ることはしなかった。
『前原コーチは人格者として有名ですのでちゃんと説明すればわかってもらえると思いました』
それは一芸に特化した選手の作成案であった。
シュトロハイムは吉田監督に2番に強打者でと言ったが、チーム事情がそれ以下な事を理解すると、自分を4番もしくは3番に置いてとにかく塁を埋める選手を欲した。
リストに一軍の選手と知っている限りの二軍選手を書き出してシーズン後半までに1番打者もしくは2番打者のどちらかだけでも見つけなければ永遠に得点力が向上しないと訴えた。
熱意が伝わったのか前原はシュトロハイムに打撃とは何かと問うと
「塁に出る、一つでも多く得点を取る···打撃は勝つためにある」
と言い切った。
前原はチームをなんとかして勝たせたいという熱意を汲み取り、シュトロハイムにもしシーズンを通して打撃成績を維持できれば越権行為を認めても良いという約束をした。
この越権行為というのは他の選手への指導である。
選手同士はライバルであり、競い合いはすれど教え合うというのはごく一部の上下関係が決まった場合にのみ起こる事であり、しかもそれも下の選手が頭を下げて教えを請うのが一般的である時代である。
コーチでもない選手間の指導というのは互いの打撃を狂わせる可能性もあり、タブーとされていた時代である。
シュトロハイムは知識として近代野球と打撃論、守備論を持ち合わせており、トレーニング方法や考え方をアップデートするだけでチーム力は大幅に向上するのではないかと考えていた。
事実一軍としてまともな食事(吉田監督が食事に金をかけた効果もあり)となったことで食事に口を出すことができるようになった。
シュトロハイムは安価かつ体に良く、疲れが取れやすいという食材を要望した。
当時は鰻が安かった為、鰻の蒲焼きに梅肉を添える食事を週に1回頼んだり、乳清というヨーグルトやチーズ、牛乳を作る際に出る副産物を球団の伝手を使って粉末にした物を取り寄せてもらうという近代でも食い合わせが悪いとされてきた鰻と梅干しや脱脂粉乳のイメージが強い牛乳由来の粉を好んで飲む姿はチームメイトだけでなく首脳陣や球団関係者からも悪食と言われたりもした。
しかし、比較的安い素材を注文してくれるため、予算範囲内であり、球団も活躍している以上注意するような事は言わなかった。
とある選手がシュトロハイムに質問をした。
「シュトロハイム、肉とかは食わないのか? ドイツ人と言えばソーセージとか肉を食うイメージがあるが」
『私の家は貧しくて肉が出る事は記念日以外ありませんでした。ですが、捨てるような食材や食べない様な食材を食べて鍛えた結果がこの体です···他のドイツ人やヨーロッパの人達より背が低いのは幼少期に栄養失調状態が長く続いたからですね』
と答え、シュトロハイムも貧しい環境で育った事を知った。
チームメイトも幼少期は戦争の爪痕が生々しく残る時代を生きてきた人達が殆どであり、国土が沖縄の様に焦土となり、国自体が東西に引き裂かれたシュトロハイムの話は日本人にも共通する敗戦の経験であった。
『今のチームは焦土と同じです。先輩選手達が残した負債を若者が立て直さなければならないでしょう。まるで日本の国そのものの様なチームではありませんか? ···日本では大和魂というのでしたっけ。なら私はゲルマン魂でチームの勝利に貢献しましょう!』
と食堂でシュトロハイムが演説すると拍手が沸き起こった。
シュトロハイムが本当の意味でチームに迎えられた瞬間であった。
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