第12章 三日月

 高宮の車は、走り続けた。誰も何も言わなかったけれど、何を言う必要もないのだと、夜絵は思った。そんなこと、輝夜の顔を見ればはっきりしている。夜絵は、密かに隣に座っている輝夜を見つめた。輝夜の瞳は最近にしてはめずらしく輝いていた。

 まったく、こいつはどこまでも人間なんだから。夜絵は、小さくつぶやくと、輝夜から目をそらし、窓の外に目を向けた。もうすっかり日は落ちていたが、都会は人造の灯りに燃えて、昼よりも眩しいくらいだと、夜絵は思った。

 高宮の車は、いくらか人造の灯りの少ない山に上ってしばらくいったところで止まった。車を下りると、細い月が学校よりもくっきりと見えた。

 「明るいと、富士が綺麗に見えるんだよ」

 そう言って、高宮は空を見上げた。

 「俺が一番、勇気がなかったな」

 高宮の声は静かだった。

 「そうね。一番煮え切らない、だめなやつ」

 夜絵がむすっと言った。あはは、と高宮が笑った。

 「そうだな。翁も媼もはっきりしていた。夜絵はもっと勇気があったな。何年待った?」

 「五十年」

 「そうか。俺が最初の生を終えてまもなくだな」

 「そうね。普通の人間にはまもなくでもないんだけどね」

 「……先生」

 輝夜が遠慮がちに声を出した。

 「なんだ、もう先生としか呼んでもらえないのか」

 「えー、だって」

 輝夜が恥ずかしそうに顔を赤くした。

 「本当、しつこいよね、二人とも。私はあれから何人ひっかけたかしら」

 夜絵があきれたように言う。

 「人のことが言えるのか?ずっと五十年も待った上に、今でもずっと一緒にいるくせに」

 「それは……」

 夜絵がちょっと口ごもってから言った。「先、帰ろうか?」

 「帰んなよ。せっかく昔話してんのに」

 高宮が月を見たまま言った。


 そう、それは、遠い遠い、昔ばなし。輝夜が、かぐやと呼ばれていた頃のこと。輝くような性悪姫君と山猿のような気ままな娘と、とりすましているのは表向きだけの、やんちゃで変わり者の帝が、しばしばつるんで遊んでいた頃のこと。


 「あの、私、まだ飲み込めないことあるんだけど……」

 輝夜がおずおずと声を出す。

 「俺がどうして今、生きてるかって話か?別の人間になってまで?簡単な話だ。翁と媼は薬を捨てた。夜絵は捨てなかった。俺は半分だけ捨てたのさ。だから何度生まれ変わっても、記憶だけは死ななかった」

 「だから煮え切らないってこと」

 夜絵がさらりと付け加えた。

 「……月は、小さいな」

 少し間をおいてから、高宮が言った。

 「地球の四分の一?地球の一部?馬鹿な話だ。月は永遠に白く輝き続けるために、すべての罪悪を地球に排出し続けてきた。そのせいでいつの間にかそのゴミ箱の方が大きくなってたってんだからな」

 「地球がこんなに汚れてしまったのも当然だね。月に帰るのを許されない、罪人たちの星なんだから。輝夜、月は綺麗だった?」

 夜絵が小さく輝夜を振り返った。

 「そうね。綺麗だったわ。でも、美しすぎて、とてもつまらない」

 あそこはどんなに小さな罪も許されない場所なのだから、と輝夜が寂しそうに言った。

 「だから逃げてきたんだったね。2度目は決して帰れないとわかっていてさえ」

 夜絵の声が少し優しく響いた。

 「……うん。でもそれだけじゃない。やっぱり会いたかった。待っててくれる人がいるなら」

 月を見ていた輝夜は、振り返ると、そう言って微笑んだ。

 「本当はがっかりしたんでしょ?待ってたのが私だってわかって」

 夜絵の言葉に、輝夜がふふ、と小さく笑う。

 「まさか。とても嬉しかった。高宮先生にもちゃんと会えたじゃない?爺様と婆様にも会いたかったけどね……」

 輝夜はもう一度、月を見上げた。

 「結局、誰が一番幸せだったんだろうな」

 高宮が言った。

 「故郷を捨てて五十年かかって戻ってきて、この世界で永遠に生き続ける姫と、五十年間同じ姿で待ち続け、そして姫と一緒に永遠に生き続けることができる夜絵と、同じ人物の記憶を持ったまま、これからも永遠に生と死を繰り返す俺と、……普通の一生を終えて、二度と姫と会えなかった翁と媼と……」

 「私たちはさらに月の最期と滅んでいく地球を見ることになるかもしれない」

 夜絵がぽつんと言った。

 「そんなこと、ないかもしれないよ」

 輝夜がいくらか明るい声で言った。

 「月はもうこれ以上小さくならないかもしれない。地球はもっと綺麗になるかもしれない。ねぇ、自然科学部は月や地球を愛する者の部でしょ?」

 輝夜がにっこりと笑う。

 「そうだったね」

 夜絵もふっと笑った。

 「私たちは誰よりも環境変化のことを、月とこの地球がどう変わってきたのかを知ってるんだったね」

 「帰るか」

 高宮が言った。

 「文化祭のテーマも決まったしな」

 にやりと笑うと、高宮は車のキーを針のような月に向かって投げた。

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