第9話 朝ぼらけ
その女は、竹藪の奥の家に、翁と媼と共に住んでいると聞いた。
誰もがひと目見て心を奪われる美しさと、寄ってくる男どもに無理難題を押し付けて面白がっている悪辣な根性を持った、魔性の女だと。
どんな性悪女だか、見てやろう。空が白む頃、わたしは鬱蒼と茂った竹をかき分けて、女がいるという家に向かった。
女は、家の外に出ていた。竹藪へ仕事に出かける翁を、媼と一緒に見送るところだった。翁が竹の中に消えると、媼はすぐに家の中に戻った。女も一瞬背を向けたが、何かに気が付いたように、振り返り、あたしが潜む竹群に向かって声をかけた。
「かわいい小猿さん、出ていらっしゃい」
小猿と言われるのは慣れている。茶色の髪とらんらんと光る大きな瞳、いつも野山を駆け回っているあたしは、人間よりも獣に近い。家族ももう、そう思っていて、放っておいてくれる。ろくに世話をしなくても、勝手に野山で何か拝借してきては山猿のように生きていける子供は、食い扶持がいらないから、放っておいた方が楽なのだろう。
それはさておき、見つかったのなら、もう隠れていることはない。
「何?」
あたしは、仏頂面をして、竹群の後ろから出て、女の前に歩み寄った。女はなんだかきらきら光っていて、確かに美しい。いたずらそうな笑みを浮かべて、あたしの大きすぎる目をのぞき込んできた。
「あら、思った以上にかわいい小猿さんね。私に会いに来たの?」
「そうだよ。あなたがどんな人かと見てやろうと思って」
あたしのとは違う、黒い瞳がわたしのそれを捕らえて放さない。
「そう。どうだった?」
「そうだね、思ったよりも、怖くなかった」
「怖いと思っていた?何故?」
「だって、男の人に意地悪をして楽しんでるんでしょ?あたしも意地悪されたら、どんな仕返ししてやろうかと考えてたよ」
「ぷっ、ははははは……」
女は、上品そうな相好を崩し、声をあげて笑い出した。さっきまでよりもずっと、美しく、魅力的に見えた。
「私があの人たちに意地悪を言うのはね、あの人たちがあまりにもしつこくて、思いあがっているからよ。自分は賢くて、力があって、なんでも思い通りにできると思っているんだから。少し懲らしめて思い知らせてあげなくちゃ。私の半分も賢くないんだってことをね」
「ぷっ、何それ。あはははは……」
今度はあたしが笑い声をあげた。この女、結構おもしろいかも。
女もまた、笑い出した。軽やかに。楽しげに。そしてきっと、二人とも同じことを考えていた。
こいつと組んで遊んだら、きっと世の中もっと面白いに違いない。光か霞かわからない、ぼんやりとした朝の空気の中で、あたしたちの高笑いが竹に木霊していた。
これが、わたしとあいつとの出会いだった。私がまだ、十にもならない、山猿のような小さな子供だった頃のこと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます