第4章 午後の科学室

 カラ……

「あ」

 輝夜が科学室のドアに手をかけると、鍵は開いていた。輝夜はそのままカラカラと音を立てて一気にドアを開ける。入り口の正面にある窓辺の流し台には、一人の少女が腰をかけてこっちを見つめていた。少女は輝夜と目が合うと、待っていたかのように、にっこりと微笑む。

「遅かったね、部長」

「鍵は私が持ってるんだけど」

 輝夜は落ち着いた声で言った。

「あら、鍵なんてかかってなかったわよ」

 少女も澄まして返す。

 輝夜はふっとため息をつくと、中に入って戸を閉めた。

「まったく、長く生きてると、くだらない技術身につけるよね」

「嫌だなあ、そんな手癖の悪い年寄りみたいに。ちょっと先に入って待ってただけだよ。それにわたしはまだ若いんだから」

  少女は即座に答えると、にんまりと笑った。輝夜も即座に切り返す。

「見かけだけはね」

「そうだけどさ」

 ふふふ、と二人は顔を見合わせて笑った。

「部活、あいかわらずみたいだね」

 少女が二人しかいない科学室の中を見回して言った。

「まあね。誰かさんが出てった時となんにも変わらないよ」

 輝夜は窓際の席に腰を下ろした。

「ははは、そうだね。でもいいの?文化祭あるのに。もうそんなにないじゃん」

 少女は、少し視線の低くなった相手を見下ろして言った。

「別に。たいしたことしないじゃない、いつも。それに活動日は明日。今日は誰も来なくて普通だよ。あんたこそ、よく来てるよ。部活、入ってないんでしょ、今は」

 輝夜は、相手を見上げる労力を惜しむかのように、視線をあわせることなく答える。

「まあね。でも今入ったって、すぐ引退だし。それにほら、有名人だからさー、わたし。もうどこも入れてくれないだろうなー」

 少女は、なんでもないようにからりと言う。

「今までいくつ入ったっけ?いや、やめたっけ?」

 輝夜はまた大儀そうに聞く。

「嫌だなあ、またそんな言い方。……えっとね、最初が自然科学部でしょー、それから、テニス部、文芸部、バレー部、美術部、あと卓球」

 少女の声はやはり素早く飛んできた。

「あいかわらずだね、夜絵。その好奇心と行動力。変わり身の早さも」

「わたしはね。あんたはどう?よく続くね、こんな廃部寸前のとこで。……変わったよね。昔とさ」

 弾むように話していた少女、夜絵やえの声が、少しだけ勢いを落とした。

「変わらない方がおかしいと思うけど?」

「……そろそろ疲れた?」

「……空の色、変わったよね」

 輝夜は夜絵の言葉には答えないで、首を窓の方にひねった。空はあいかわらずうすぼんやりと輝夜たちを見下ろしている。

「輝夜は私よりもよっぽど人間だよ」

 はー、とため息をついて、夜絵も隣に腰を下ろした。

「後悔してるんでしょ?本当は」

「……夜絵は?してないんでしょうね」

「してないよ。面白くってしょうがない」

「うらやましい」

「昔はあんただってそうだったよ。でも、」

 静かに言って、夜絵も空を見た。

「もうすぐ終わりかもしれないね」

「うん。知ってた?月は地球の四分の一になっちゃったんだって」

「そっか」

 少しの間、二人は無言で空を眺め続けた。

 物音ひとつしない。

 たった二人だけの午後の科学室は、あきれるほどに静かだった。

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